[映画] サラエボの花 Grbavica Land of My Dreams(2006年)

戦った兵士、死んだ人々、苦闘の末の勝利を描くのが多い戦争映画の中で、この映画はボスニア戦争を生き延びた人々とその戦争の中で生まれた人間を描いている。

ボスニア戦争の過程で、1995年に起きたスレプレニッツアの虐殺のように、セルビア軍による戦略的な「民族浄化」が行われ、ボスニアのムスリム人男性は殺戮され、女性は強姦されその結果できた子供を産まされた。「サラエボの花」の原題であるGrbavicaとは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボの中で、この民族浄化の舞台となった地区の名称である。

シングルマザーであるエスマは12歳の一人娘サラとこの地区に生きている。サラの学年は修学旅行に行くことになるが、父を戦争で失った者は旅行代が無料、負傷した父を持つものは減額になると告げる教師に、そのような父を持った子供は目を輝かせる。サラは父が名誉の戦死をしたと母に聞かされているので、無料で旅行に行くために父の死亡証明書を求めるが、エスマはあれやこれやとはぐらかして死亡証明書を見せてくれない。エスマは生活補償金と裁縫で何とか暮らしているが、それに加えてサラの旅行代を稼ぐためにナイトクラブのウェートレスの夜勤を始める。

そのナイトクラブで用心棒兼運転手をしている男が、自分が戦死者の遺体収容所で父親を探している時そこで見かけたエスマを覚えていた。エスマもずっと遺体収容所で父の遺体を捜していたのだ。男はエスマに好意を抱き始める。渋々デートの誘いに応じたエスマではあるが、その男は大学で経済学を専攻したインテリで、まだ学問に対する未練が残っているのを発見する。しかし男は情熱と規律のない生活をしている今の自分は大学の厳しい生活にはもう耐えられないだろうし、たとえ大学を卒業してもこんな世の中ではまともな仕事はないだろうと呟く。しかしサラも戦争が始まる前は、医学生であり、医者になるために頑張っている女性だった。戦争さえなければ、医者と政府の役人のようなエリート同士で知り合い、幸せな家庭を築いていたかもしれない二人なのだ。

サラは反抗期の真っ最中で、父親のことを知らせない母に残酷に反抗する。「お母さんはいつかは私を捨てる」と言ったかと思うと、「お母さん、絶対に再婚しちゃだめ」とも言う。しかしやはり普通の女の子で、友達と遊ぶのが喜びで、同じく父親のいない少年と親しくなり、自分以上に虚無的に生きているその少年に優しく接するのである。エスマが苦労して借金したお金で修学旅行の代金を払ったあとでも、サラは父の死亡証明書はどこにあるのかと問い詰める。

ある日、男がエスマの元を訪ねてくる。彼は許可が降りたので、オーストリアに移住することになったのだ。その時のエスマの反応は、「私を置いて行くの?」でもなく「幸せになってね」でもなく、「え!じゃあ誰がこれから、お父さんの死体を捜すの?」という言葉であった。エスマと男の悲しげな別れを見ていたサラは、少年から預かっていた拳銃をエスマに突きつけ、「お父さんのことを教えて!」と脅迫する。男との別れ、サラとの難しい関係、生活苦、そして忘れようとしても忘れられない過去などすべてのことが瞬間的に爆発して、エスマはサラに彼女は敵兵の強姦によって生まれた子だと告げる。

数え切れないほどの残酷なことが起こったであろうボスニア戦争。それをどのように世界に、そして次の世代に伝えていくのか。残酷な事実をこれでもかと述べ続けるのならドキュメンタリーであろう。誰が悪者で誰が犠牲者で、この後始末をどうすべきかを述べるならプロパガンダであろう。しかし、それを踏まえた上で映画という芸術を作るなら、その中に希望がなければいけない。過去は変えられないし、将来に対して無限の方向性があるという状況で芸術が果たせるのは、希望を提示することであろう。

この映画は悲しいが希望がある。その希望ははかないもので、一日の疲れの終わりには消えかかってしまうものかもしれないが、やはり希望がある。強姦した父はどんな顔をしていたのかと訪ねるサラに、エスマはやっとのことで髪の色が似ているという。激しく泣きじゃくった後でサラは自分の頭を丸坊主にしてしまう。旅行の朝、バスに乗り込んだサラは照れくさそうな感じでさりげなく母に手をふり、エスマは嬉しそうに手を振り返す。エスマは最初はお腹の中にいる赤ん坊を憎み続けたが、出産後その赤ん坊に授乳することにより、その赤ん坊を受け入れ、育てることを決意する。そして一番の救いはこの映画は敵兵を「セルビア人」と呼んでいないことである。映画はボスニアのムスリム人を殺戮し、強姦した人々はチェトニック人(大セルビア主義を崇拝し、過去にはナチと組みチトーと戦い、ボスニア戦争では、ボスニアで反ムスリムを掲げたセルビア人の蔑称)であるとし、すべてのセルビア人がボスニア人の敵であるとは絶対に言っていないのである。過去は変えられない。しかし「セルビア人がああした、こうした、悪い奴らだ」ということから希望は生まれないということを、この映画製作に携わった人々は言いたかったのではないか。

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2 thoughts on “[映画] サラエボの花 Grbavica Land of My Dreams(2006年)

  1. Pingback: [映画]  血と蜂蜜の国で In the land of blood and honey (2011年) 日本未公開 | 人と映画のタペストリー

  2. 緒方貞子さんの本からボスニア戦争にアンテナが行ったのですが、「最愛の大地」は見に行く気がしなく、「サラエボの花」をdvdで借りて見ました。
    いい映画でした。そしていちごさんのブログに出逢いました。
    歴史や社会情勢をよくご存知ですね。
    「映画を使って、現代史と現代社会を綴って行きたいと思います。」とのこと。素晴らしいですね。僕もその国の現実の暮らしがよくわかる映画に感銘うけます。国別にいろいろな映画が紹介されているので、時々読ましていただきますね。ありがとうございました。

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