[映画]  ペルセポリス Persepolis (2007年)

英語で『ヤング・アダルト』という言葉がある。自分は子供ではないと思い始めているが、周囲からは大人とは認められていない時期で、自我の芽生え、進路の選択、異性への興味、大人や社会との葛藤に揺れる時期でもある。思春期という言葉と重なるが、ヤング・アダルトは、親の監督を離れて、無軌道に走ったり、羽目を外した異性交遊やドラッグにふけり、暴力、自殺、家出などコントロールのきかない生活態度を取る若者を指すために使われる場合が多い。

『ペルセポリス』はイラン出身の漫画家マルジャン・サトラピのヤング・アダルトの時期を描く自伝漫画の映画化作品である。大人になるのは結構辛いものだが、彼女の場合は成長期が全くイラン宗教革命とイラン戦争、その後の文化的抑圧と重なるので、『ペルセポリス』はかなり政治的な味わいを帯びてくるのだが、彼女は政治的な人ではない。「私はポリティックスには全く興味がないわ。ポリティックスが勝手に私を追いかけて来るのよ!」(”I am not interested in politics. Politics is interested in ME!”)という彼女の肉声が面白い。

マルジャン・サトラピは1969年にイランのテヘランに生まれた。彼女は前王朝カージャール朝最後の国王であるアフマド・シャーの曾孫である。彼女の祖父と叔父はアフマド・シャーにとって代わったパーレビ国王の政策に反対して投獄されていた。彼女の父も進歩的な考えを持ち、自由を抑圧するパーレビ国王に国民の大多数と共に反対運動を起こしていた。パーレビ国王が1979年1月に国外逃亡した喜びもつかの間、4月にイランは国民投票に基づいてイスラム共和国が樹立し、ホメイニー師が政権をとると共に、イランはパーレビ国王治世よりも更なる抑圧の政権下に移って行った。加えて1980年、長年国境をめぐってイランと対立関係にあり、かつ国内へのイラン革命の波及を恐れた隣国イラクがイランに侵攻して、イラン・イラク戦争が勃発した。戦場では若い兵士が戦線の最先端に置かれ『弾除け』として使われるという風評も伝わり、徴兵期の男子を持つ親で外国へ逃亡するものも多かった。

1983年、マルジャン・サトラピは両親の意向によって留学のためにオーストリアの首都ウィーンに単独で移った。これは戦争を避けるためと言うよりも、ムスリムの新体制では女性の結婚最低年齢は9歳に引き下げられたため、女児と無理やり結婚してその後性的虐待をしても罪にならなくなったので、彼女の両親は娘が合法レイプの犠牲者になるのを恐れたからである。しかし、彼女はオーストリアの生活には馴染めなかった。当時は国際的なイラン人のイメージは残酷な野蛮人であり、自分がそういう目で見られているのではないかと思い、また外見に神経質になる時期にヨーロッパ人の女の子と違う顔立ちや体型のイメージに苦しみ、親の監視もない中で自堕落な生活を送り、下宿を世話してくれる人たちとも次々に衝突し、遂に住む家もなく路上で寝、ゴミ箱をあさる日を送るようになってしまった。そんな生活の中で肺炎を患いホームシックにかかり、ついにイランに帰国することになった。

帰国後は鬱病にかかり、薬の大量服用で死の寸前まで行った。しかし、そのあと家族の「大学で学問をし、自立する女性になってほしい」という言葉に励まされて大学に入学する。短期間のイラン青年と結婚とその破綻の後、1994年に「今のイランはあなたを生かしてくれない」という両親の提案で彼女はフランスに渡るというところで映画は終わる。

叔父はイスラム政権下で他の自由主義者や社会主義者と共に処刑された。戦争に行った友人は手足を失って帰って来た。隣の家に住む友人はイラクからのミサイルに撃たれて死んだ。パーティーはイスラム政権下では非合法だったが、敢えてそれに参加し、その過程で一人の友人は警察に追われて死んだ。イスラムの女性らしからぬ振舞いで逮捕されると「罰金か、鞭打ちか」と言われ、大金を積んで難を逃れる。せっかく入った大学も、イスラム教の原理で運営されていて、喜びもない。悪者だと思っていたパーレビ国王の政権は叔父を投獄しただけだったが、ホメイニ師のムスリム政権は叔父を処刑した。何一つ社会はよくなっていないのだ。

そういう壮絶な青春を描いているのに、この映画は奇妙な明るさを失わない。映画が実際の俳優による演技ではなく、アニメーションであるというのもその一つの理由だろう。その画像は不思議なユーモラルな表現を保っている。しかし、この映画の底に流れている明るさは家族の愛から来ているのだろう。マルジャン・サトラピの両親は進歩的な人間だが、処刑された祖父や叔父と違い、政治的宗教的な抑圧の中でも何とか生き延びていく賢い処世術を身に着けている。しかし同時に娘に対しては、正しく生きること、上手に幸せを見つけること、自分の才能を信じそれを追求することを教えている。どんな手段を使ってでも我が子を危険から守ろうと心に決めているし、たとえ我が子が未熟さゆえに失敗したとしても、それを無条件で許し、支えていくことに徹底している。

そういう両親と祖母の心からの支えにより、マルジャン・サトラピは本当の大人へと育っていく。好奇心が強く、自分が思ったことを堂々と述べて周囲の気を揉ませ、困難にはめげて回復できないかもしれないほど落ち込んでしまう子供だったが、意外と機を見るのに敏で、ちゃっかりと周囲に目を配って生き延びて行く要領のよさもあった。そして、もう過去のことはくよくよしないと決めると、その瞬間に呆れるほど前向きで生きていく強い人間になっていくのである。オーストリアでは負け組みだった彼女はフランスでは大きく花開く。それはオーストリアとフランスの差であろうか。それとも、彼女がフランスでは本物の大人に成長したからであろうか。

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