[映画]  血と蜂蜜の国で In the land of blood and honey (2011年) 日本未公開

ハリウッドの人気女優で、国際連合の難民問題に関する機関UNHCRの親善大使であるアンジェリナ・ジョリーが初めて監督を務めた作品で、ボスニアを舞台に、ボスニア戦争に翻弄されたボシュニャク人・ムスリム人の女性とセルビア軍の隊長の恋愛の末路を描くメロドラマ。2013年に日本で公開の予定だと聞く。

個人的にはアンジェリナ・ジョリーという女優は好きだし、彼女が、難民や天災で苦労している人々や、中東の女性の教育や里親制度の振興のために多額の寄付をしているということにはいつも感心と尊敬の念を抱いているし、彼女の勇気ある行為を応援しているのだが、この映画はあまり感心できなかった。以下私の感想を簡単にまとめてみたい。

まずこの映画では英語が使用されていることだ。これは映画の最大の配給先のアメリカでは字幕のある映画は嫌われているという現状では仕方ないことかもしれないし、出演する俳優の英語は非常に流暢なのだが、やはり彼らが話すボスニア語とセルビア語を聞きたい。でなければ、この映画の真実味が減ってしまうような気がする。

この映画は結局はハリウッド映画である。主人公を演じる女優は最初はさすがにスカートとセーターを着ているが、セルビア人隊長の恋人に匿われるあたりから、段々肌の露出が激しくなり、アンジェリナ・ジョリーがレッド・カーペットに着るようなドレスを着始め、あれ?彼女はムスリムではないの?こんな服着て、どこでこんな素敵なお洋服手に入れたの?とふと思ってしまう。この女優は顔立ちも何となくアンジェリナ・ジョリーに似ている。出演者の感情表現も怒れば物を投げつけるというようなハリウッド的な演技指導がなされている。

映画はセルビア人が一方的に悪者という描き方である。戦争に至った歴史的な背景とかは描かれてはいない。次から次へと残酷なシーン(セルビア兵によるボシュニャク人へのレイプとか、ボシュニャク人女性を盾にして、ボスニア兵を撃ちまくるセルビア人の兵士)などが出てくる。ボスニア人の兵士は善良に描かれているが、セルビア人たちはいつも醜く描かれており、敵を射撃する時もにたらにたら笑っていたりする。ボスニア戦争では、ボシュニャク人とセルビア人のどちらのサイドも生存の危機を感じたから戦争をしているのであり、どちらの陣営も相手が最初に戦争を仕掛けたと主張している。しかしこの映画ははっきりとセルビア人が悪だと描いている。残酷なシーンはそれを証明するために示されているかのようである。そこには、複雑な対立が存在する中で、善玉悪玉をはっきりさせることにより聴衆を満足させるというハリウッド映画の手法が使われていると思う。

アンジェリナ・ジョリーは親善大使として世界各国を訪問している。この映画も彼女がボスニア・ヘルツェゴビナを訪れた時の感銘を基にして作られていると思う。やはり自分が見たことを全世界に伝えたいという強い正義感というか、願望を感じたのだろう。彼女がショックを受けたのは、セルビア軍によるボシャニック人絶滅の意図が殺人のみならずレイプという行為でもなされていたということだろう。しかしボスニア戦争は非常に複雑な戦争であり、若く、また外国人の彼女がそれを基にした映画を作成するのは難しいし勇気がいることだったと思う。彼女はこれを作る時「私はボスニアについては何も知らない。でも私は愛に対しては自分なりの想いがあるから、愛を主軸にしてボスニア戦争を描きたい。」と思ったのではないか。一言で言えばこの映画は「戦争さえなければ幸せに家族を構成していたかもしれないが、戦争で運命を狂わされた男と女の物語」であろう。

しかし二人の間に本当に愛があるのだろうか。セルビア人の男ダニエルとボシュニャク人の女アイラは戦争が始まる直前に一度会い、その時お互いに好意を抱く。ダニエルはアイラがどんな人間で何をしているのかも知らない。戦争が始まり、アイラは他のボスニア人の女たちとともにセルビア軍に連行され危うくレイプされそうになるが、その女を連行した部隊の隊長がダニエルで、彼は兵士に「もう十分楽しんだだろう」といいアイラがレイプされるのを止める。ダニエルは何とセルビア軍の最高の将校の息子だという設定なのである。その後もアイラは「自分の所属品だから」と部下に述べ、彼女だけには手を出させないようにする。挙句の果ては逃亡の手はずを整えて彼女を逃がす。アイラは逆にスパイとしてダニエルの部隊に戻ってくる。彼女は大きな個室を与えられダニエルが自ら運んでくる夕食を取るという毎日である。ダニエルの父の命令でアイラをレイプした自分の部下を怒りのあまり射殺してしまい、アイラには軍の秘密をぺらぺら喋ってしまう。そんなダニエルを見ていると「戦争の理由がどうであれ、あなたは自分の部下と祖国に責任のある立場でありながら、なぜ自分の立場をわきまえた行動ができないのか」といらいらしてしまう。結局ダニエルはアイラがスパイであることを発見し、彼女を射殺し自分は国連軍に「私は戦争犯罪人である」と言って自首して出るのである。

国連が一見内戦に見えるボスニア戦争に介入したのは、これが人種撲滅というヒューマニティに反する戦いだったからである。しかしダニエルが自ら戦争犯罪人であると宣言することでこの映画が終結するというのは果たしてアンジェリナ・ジョリーの訴えに対する最善の終わり方であったかどうか?またこの映画による一方的なセルビア人への断罪を聴衆はどう受け止めるだろうか。セルビア人が全員殺人者であるわけないし、虐殺が行われていることを知らなかった者が大多数であるだろう。映画では「すべてのセルビア人が悪者ではない」と短いせりふで語っているが、それは残虐な延々とした画像の中ではかき消されてしまうのである。

同様に映画では、ダニエルの父である将校にセルビア人の歴史、悲しい民族の歴史、を短く語らせているのであるが、それがまるで歴史の教科書を棒読みさせているような演出で彼が語ったことは聴衆の心に残らないのが残念である。

バルカン半島はトルコの支配下にあったが、19世紀後半、オスマントルコ帝国の衰退に伴い、1875年にこの地の支配を巡りロシアとトルコの間で露土戦争が起こった。戦後、ロシアの南下政策を不安視する英国の支援により、オーストリアがボスニア、ヘルツェゴビナの支配を強め、1908年にオーストリアはボスニア、ヘルツェゴビナ両地域を併合した。ボスニア、ヘルツェゴビナの隣国で大セルビア主義のもとで拡大を意図するセルビアはオーストリアと対立し、これが第一次世界大戦の一因となった。

第一次世界大戦後、オーストリアの敗戦により、セルビア主体のセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国がバルカン半島に建国され、ボスニア、ヘルツェゴビナはその一部となった。しかし第二次世界大戦時、ナチスドイツは傀儡政権であるクロアチア国によりバルカン半島を支配することを企み、セルビアを弾圧した。クロアチア人の民族主義組織ウスタシャによって、セルビア人はユダヤ人や反体制派などとともに迫害を受け、また強制収容所に送られて殺害された。これに対してセルビア人の民族主義団体チェトニクを結成して、反クロアチアの運動が起きた。

第二次世界大戦後はバルカン半島にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立し、カリスマのある指導者チトーのもとで多民族をまとめた連合国が誕生した。この時代は民族間の緊張の少ない状態が続き、都市部では多民族の混住、民族間の結婚なども進んだ。ユーゴスラビアは他のソ連の衛星国とは一戦を画し、体制批判的な映画も製作され、1984年にはサラエボオリンピックも開催された。民族紛争が再開するのは、ソ連の崩壊の後、ユーゴスラビア内の諸国が独立の選択をせまられた1990年以降であった。ボスニア地方ではセルビア主体のユーゴスラビアから独立を望むクロアチア人やボシュニャク人が独立を主張するのに対し、ボスニアに住むセルビア人はユーゴスラビアからの独立を望まなかったことからボスニア戦争が始まった。後にクロアチア人とボシュニャク人の間でも抗争が始まり、三つ巴の紛争となった。

1994年にはアメリカ合衆国やNATOによる軍事介入がはじまり、1995年に国際連合の調停で和平協定デイトン合意に調印し、紛争は終結した。アンジェリナ・ジョリーはこの映画の正確を期すために、当時のクリントン政権の国務次官補であり、デイトン合意に尽力したリチャード・ホルブルックを始めとする外交の専門家たちやボスニア戦争を取材した報道陣にも映画の内容の監修を頼んだという。リチャード・ホルブルックはオバマ政権下で、アフガニスタン・パキスタン問題担当特使に任命され、アフガニスタン紛争収拾活動に携わったが、2010年特使在任のまま病気のため、この映画の完成の前に死去した。

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