[映画]  コーリャ 愛のプラハ Kolya (1996年)

この映画は1988年、当時のチェコスロバキアで、冷戦の雪解けの動きを受けて共産党政府を比較的平和に打倒した、そのビロード革命に至る激動の時代に生きたチェコ人の初老の音楽家とロシア人の男の子の心の交流を描いた物語である。

かつてのトップチェリストであったロウカは、今は落ちぶれて色々なアルバイトをやって生計を立てている。気が進まない中で、金目当てにチェコのパスポートを狙う子持ちのロシア人の女性と偽装結婚するが、その女性はコーリャという5歳の男の子を叔母のもとに残して西ドイツに亡命してしまう。しかしその叔母は突然亡くなってしまい、ロウカがコーリャの面倒を見ざるを得なくなる。最初はお互いにぎこちない感じだったが、二人の間には次第に親しみの心が湧いてくる。しかしロウカの兄も西側に亡命していることもあり、偽装結婚でロシア人の亡命を助けたのではないかと疑う秘密警察が調査を始め、またコーリャをロシアの孤児施設に送ろうとするソーシャル・サービスの女性も現れて・・・という感じで話が展開して、チェコスロバキアがビロード革命に成功して、ソ連の支配を打倒するというところで話が終わる。

コーリャを演じる少年があまりにも可愛らしいし、話は軽快なユーモアとウィットと共に進んで行くので、この映画は少年とチェリストの心温まる愛情物語であると思われがちだが、この映画で描きたいのはソ連の支配に対するチェコ人の反感、その中で一日一日を生きる人々の生活、激動の時代を生きた市井の人々の感情などではないだろうか。可愛らしいコーリャは映画を魅力的にするために使われているのであり、コーリャは大人の眼から見て可愛い子供であるが、その内面についての描写が平板であるという印象を受ける。ロウカの人間描写にしても、彼は女にだらしないいい加減な男だというように描かれている。体制の中で地位を奪われた男、女たらしに見せかけているのか、それが地なのかわからない複雑な男の内面などはあまり掘り下げられていない。ロウカがいい加減な男に描かれているのは、最初のいい加減さと最後の愛情深さのコントラストを強くしたいのであろう。しかし、外面の可愛らしさだけを強調された子供と戯画的に作られた大人の間で愛情ができあがっていく過程がどうも説得力がない。もしこれが愛情物語であるのなら、かなり頭で作った物語であると言わざるを得ない。

映画の中では何回もこれでもかと言う程ラジオや新聞の折々の時勢の報道が入り、外界で何が起こっているかを聴衆に確認させる。人々の会話はソ連の駐在兵がどれだけうっとおしいかということに終始する。やはりこの映画は「ソ連の圧政下で人々はどういう気持ちで暮らしていたのか?」「チェコ人はナチスを憎んだ。しかしその後にやって来たソ連も同じように悪かった。」ということを、ビロード革命の勝利の後、記録しておきたいという意図で作られたように感じられる。アレクサンデル・ドゥプチェク書記長を中心とした1968年の改革運動「プラハの春」が、ソビエト連邦を中心としたワルシャワ条約機構の軍事介入で潰された以後、チェコスロバキアは東ドイツと並ぶ秘密警察国家となり、密告を恐れた人々は息を潜めたように暮らさざるを得なかったのである。

しかし時代は間違いなく動いていた。1989年には遂に隣国ハンガリーがオーストリアとの国境を開放するに至った。東ドイツの人々はハンガリーまではなんとか旅行できるので、ハンガリーに入国してそこから何とかしてオーストリアとの国境を越え、そこから更に西ドイツに移ろうと考えるようになった。ちょうどこの映画のコーリャの母のように、ロシアから入国可能なチェコに移り、チェコのポスポートを使用してそこから西ドイツに亡命しようと企んだようにである。ハンガリーのパスポートを持たない東ドイツの住民も、ハンガリーまで行けば何とかして国境を越えられるのではないかと期待して多数の東ドイツ市民がハンガリーに移動して来た。

1989年の8月にショプロンというハンガリー内で一番オーストリアに近い町で「民主フォーラム」が主催する汎ヨーロッパ・ピクニックが開かれた。この集会に参加すれば国境を越えられるという噂が広まり、多数の東ドイツ市民がこの町に集まり次々と国境を越え始めたが、ハンガリーの当局は彼らを止めなかった。このニュースは東ドイツ中に広がり、さらに多くの東ドイツ市民がオーストリアや西ドイツに接するハンガリーやチェコスロバキアの国境地帯に押し寄せた。東ドイツではこのニュースに刺激されてますます自由を求める市民運動が高まり、ついに1989年11月10日にベルリンの壁は倒されたのである。11月17日にはチェコスロバキアでビロード革命が勃発し、共産党政権が崩壊していくのである。ソ連はもうそれに介入することもなかった。あの「プラハの春」の屈辱が繰り返されることはなかったのである。

この映画でロウカを演じたズディニェク・スヴェラークがこの映画の脚本も書き、彼の息子のヤン・スビエラークが監督を務めている。ヤン・スビエラークはこの映画のメガホンを取ったときは僅か30歳であり、ビロード革命が起こった時、彼は23歳の学生だったのである。この映画はソ連体制化で自分がどんな暮らしをしていたのかを息子を含めた若い世代に伝えたい、そして自分の息子の将来に希望を持ちたいというズディニェクの父としての想いが込められているように思われる。ズディニェク・スヴェラークが「プラハの春」を経験したのは彼が32歳の時であった。

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