[人] ペロン大統領 (1895-1974)

1946年にアルゼンチンの大統領に当選したファン・ペロンの妻が誰であったか、結構混乱しやすい。実はペロンの妻として良く知られている女性は二人いるからだ。

最初に大統領に当選した時、ペロンは元女優のエバと共に選挙戦を戦い、当選後に彼女と結婚している。エバはブロードウェイのミュージカルEvitaに主人公として描かれている女性で、国民にも深く愛された。エバにはペロンの副大統領になる野心もあったが、結局彼女は癌のために、1952年にこの野望をとげることなく33歳の若さで逝去した。アルゼンチンは第二次世界大戦で中立を守ったことで、食物を両陣営に売ることにより得た富を蓄積しており、ペロンはこの富を自分を支持する労働組合にばらまき労働者階級の圧倒的な支持を得たが、戦後アメリカやカナダが復興し食物の輸入に参入すると、アルゼンチンの貿易は急激に不振となる。カリスマ的人気のあったエバの死後ペロンに対する批判が高まり、1955年の海軍のクーデターでペロンは亡命を余儀なくされた。亡命先はフランコ将軍の独裁化にあったスペインであった。ミュージカルEvitaは映画化され、歌手のマドンナがエバを演じた。

ペロンは亡命先のスペインで、ナイトクラブの歌手をしていたイザベルと再婚する。ペロン亡命後もアルゼンチン内でのペロン支持者は国政に強い影響を持ち続け、左派と右派が激しく対立する中で、ペロンはこの対立を収める唯一の可能性のある政治家としてアルゼンチンに帰国するように招請され、帰国後の選挙で再び大統領に選ばれた。ペロンは妻のイザベルを副大統領に任命したが、彼は一年後の1974年に急死してしまう。ペロンの死後、イザベルが大統領に昇格するが、国内は大きく揺れ、イザベルは反政府派及び人権活動家などを容赦なく投獄殺害する。1976年にイザベルは陸軍軍人ホルヘ・ラファエル・ビデラによって起こされたクーデターで失脚しスペインに亡命する。このビデラ大統領も政敵や人権活動家などの拉致拷問虐殺を行い、彼らの時代は「汚い戦争」と呼ばれている。この時代を間接的に描いたアルゼンチン映画の秀作の一つに 「瞳の奥の秘密」がある。

ビデラ政権で閣僚であったホルヘ・ソレギエタの娘マクシマ・ソレギエタがオランダのウィレム・アレクサンダー皇太子と恋に落ちたことで、オランダ国民は皇子が大量虐殺者の政府高官の娘と結婚することには大反対であったが、マクシマの父ソレギエタが虐殺には直接関係していないことが証明されたため、二人は2001年に正式婚約することが可能になり、翌2002年に二人は結婚した。アルゼンチンとヨーロッパは遠いようで近いのである。

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