[人] フランコ将軍 (1892-1975)

第二次世界大戦の前後には(悪)名高い独裁者が輩出している。例を挙げれば、アドルフ・ヒトラー (1889-1945)、ベニート・ムッソリーニ(1883-1945)、ヨシフ・スターリン(1878-1953)そしてフランシスコ・フランコ(1892-1975)である。彼らは同世代と言っていいだろう。民の不安が独裁者を生んだのか、独裁者が戦争を好んだのか。鶏と卵だが、どちらも正しいかもしれない。もう一つこの時代に共通しているのは、彼らは絶対王朝の崩壊のあとを受け継いだ独裁者であるということである。1917年 ロシアで革命が勃発し、ニコライ2世が退位することにより、ロマノフ朝は滅亡した。ドイツでは、1918年にハプスブルク家の最後の皇帝カール1世が亡命し、中欧に650年間君臨したハプスブルク帝国は崩壊した。スペインでは 1931年の総選挙の結果、左派共和政勢力が勝利を収め、アルフォンソ13世は退位して第二共和政が樹立されブルボン家はイタリアに逃亡した。イタリアの歴史は複雑であるが、一言でいえば、サヴォイア王家は第二次世界大戦までは存続したが、ムッソリーニの独裁を後押ししたかたちのサヴォイア王家は国民の信頼を失い、1946年に行われた王制の是非を問う国民投票では賛成54%の僅差で王政廃止が決定されウンベルト2世は廃位、共和制を採択してイタリアはイタリア共和国となった。昔昔、ブルボン朝を廃ししたフランスでも、ナポレオンの台頭は国民が待ち望んだものだった。これらは、「君臨すれども統治せず」の原則を守って王室を国民の纏まりの拠り所として大いに利用活用し、民主主義を育てた英国とはかなり対比的であろう。

ヒトラー、ムッソリーニとフランコはファシストというカテゴリーで一緒に語られることが多いが、フランコは二人とは別の独自の道を歩んでいる。スペイン内戦終結直前の1939年3月、フランコは日独伊防共協定に加入したが、同年9月に第二次世界大戦が勃発すると、フランコは国家が内戦により荒廃したために国力が参戦に耐えられないと判断して中立を宣言した。しかしこの時点では、一応日独伊との友好関係は維持する。その後、1943年頃より連合国が優勢になると、再び中立を固持するという立場を取り、フィリッピンの権益の衝突を理由に日本とは断交までしている。戦争後世界の指導者となったアメリカ合衆国にとり、独伊と親しく、また独裁者としてスペインに君臨統治するフランコに対しての不信感は拭いようもなかったが、アメリカにとってスペインが軍事政治上重要な立場にあることは否定しようもなかった。1959年の歴史的なアイゼンハワー大統領とフランコの会談は、意外や意外、二人は深く理解できる関係を築くことに成功し、これによりアメリカとスペインの関係は飛躍的に改善されることになった。

表面を見る限りでは、フランコはただの日和見主義者のようで、その行動は非常に不可解である。しかし私はフランコは一本筋の通った人間だと思う。一生を通じてフランコが恐れたものは二つの「理解できない」物であった。その一つはロシアで成功した共産主義で、フランコにとってはドイツやイタリアはその共産主義がスペインに浸透するのを阻んでくれる防波堤だったのである。もう一つの恐怖は白人以外の民族の動きである。これを一概に責めることはできないだろう。わからないもの、新しいものは誰でも怖いのである。フランコは叩き上げの軍人であり、その職務を誇りを持って全うし政権についたアイゼンハワー大統領やペロン大統領は、たとえ国や環境が異なろうとも、安心できる存在だったのかもしれない。

フランコは自分の死後のスペインの政権のあり方についても彼なりに真剣に考えていたようだ。彼は失敗を続けたスペインでの議会制民主主義を見ていたので、彼の死の時点でスペインが民主主義にすんなり移行できるとは思えなかったのである。彼は自分が確立した独裁制を王制に移行するのが一番スペインの将来に利益をもたらすと考えていた。1947年、フランコは「王位継承法」を制定し、スペインを「王国」とすること、フランコが国家元首として「王国」の終身の「摂政」となること、フランコに後継の国王の指名権が付与されることなどを定めた。この「王位継承法」は7月の国民投票で成立し、フランコは終身国家元首の地位を得た。

70歳を越え健康状態が悪化すると、フランコは、1969年に前国王ブルボン家のアルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを後継者に指名し、1975年に83歳で没した。世界中からファシストと呼ばれ、ヒトラーに似た怖れを抱かれ、国内の反対派からも批判された男が、天寿を全うし安らかにベッドの中で死んだのである。

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