[映画] ヒトラーの贋札 Die Fälscher The Counterfeiters (2007年)

「ヒトラーの贋札」の原題は単に「贋物造り」という意味で、どこにもヒトラーという言葉はない。 しかしヒトラーという言葉は「独裁者」ひいては「権力を持たせると何をやらかすかわからない危険な男」という意味が込められているような気がする。この一言をこの映画の和訳につけることで、人々はこの映画の中の危険な匂いを感じ取るだろう。なんとも言えない名訳である。映画もナチスの暗黒時代に強制収用所に送られたユダヤ人の悲惨生存への戦いの経験を描いているのだが、その描き方はナチス(悪)対ユダヤ人(善)の明確な対立という単純なものではない。

主人公は天才的な贋札偽文書製作者のユダヤ人サロモン。ドル紙幣の贋作がばれて逮捕され、ユダヤ人であることから強制収容所に送られるが、そこでも絵画の才能が評価されてドイツ人の兵士から重宝がられる。やがて、その贋札造りを逮捕した優秀な警察官がナチ親衛隊の少佐に昇進され、サロモンに接近してくる。少佐は収容所に送られた囚人の中から、絵画、印刷技術、贋札造りの才能のある者を集めてイギリスなど連合国の貨幣を捏造し、連合国の経済的崩壊を画策するプロジェクトの指揮者となっていたのだ。少佐はサロモンをそのプロジェクトの技術リーダーに任命し、彼を優遇してこのプロジェクトを成功させようとしていた。

サロモンの矛盾はここから始まる。彼はどんなことであっても憎きナチスを助けることはしたくない。しかし、少佐に従わなければ自分と仲間の命は危ない。ユダヤ人の仲間も決して一枚岩とはいえず、少佐におもねる者、プロジェクトを成功させることにより自分たちの命が保障されると信じたい者、エリートである自分たちに与えらる特権と比較的安楽な環境に一時的に酔うもの、また印刷工ブルガーのように反ナチの反乱を起こそうと仕掛けるものもいる。その中でチームをまとめるのは容易なことではない。そして世界一模造が困難とされる英国証券の贋作にかかわる中で、次第に彼の贋作者としての誇りとパッションが生まれてくるのである。彼らの偽イギリス証券が完璧に英国銀行から本物として認められたことが発表されると一瞬(一瞬であるが)少佐とユダヤ人の囚人たちの間に「何か偉大なことを共に成し遂げた。」という共感の火花が飛び散るのであった。プロジェクトチームの囚人たちはそのご褒美として、卓球をして遊ぶことを許される。

しかし戦局は次第にナチに不利に動いていた。それを知っている少佐はスイスへの亡命を企て、サロモンに家族全員のスイスパスポートを偽造させ、「今は困難な時代だ。お互いに耐えて生き延びよう。」とサロモンに告げて去って行こうとする。この少佐は平和時に生きていたなら、職務に優秀な家庭的な良き父、夫、友人だったかもしれない。しかしサロモンにとっては、少佐は自分をこの難しい状況に陥れた男であり、プロジェクトチームの成功に感動して、思わず「はは~偽者作りはユダヤ人に勝るものはないな。」とからかう男である。平和時では何の繋がりも無かった男かもしれないが今の状況の中で、サロモンは少佐に対して屈折した行動にでてしまう。

ナチの収容所が連合国によって解放され、隣の敷地に収容されていた痩せこけたユダヤ人がサロモンの建物に押しかけてくるが、彼らはサロモンたちがナチに囚われた囚人だということを信じない。サロモンたちの健康状態があまりにもよかったからだ。サロモンたちは自分たちはナチ軍人の偽装ではなく正真正銘のユダヤ人であることを同胞たちに証明しなければいけなかった。また、収容所が解放された直後にサロモンの仲間の一人が自殺した。彼はナチの恐怖に戦うことが唯一の生きる理由だったのだが、今ナチが崩壊したあと何も心の支えになるものがなかったのだ。ナチの崩壊とともに何かが彼の中で壊れてしまったのだ。

この映画は気骨のある印刷工ブルガーの自伝を基に作成された。ブルガーとサロモンのその後の実際の人生の対比が面白い。ブルガーはユダヤ人のナチからの逃亡を助けるため彼らにカトリック洗礼証書を偽造したかどで、ナチスに逮捕され収容所に送られていたのだ。、解放後、彼は自らの体験を後世に伝えるためジャーナリストとなり、出版や講演を通じてファシズムを糾弾する活動を続けている。一方のサロモンは、大戦後も贋札造りを続け、国際的に指名手配される。彼は密かにウルグアイに逃げたともいわれるが、さらにブラジルに逃げそこで一生を終えたとも言われる。サロモンの詳しい人生は謎のままである。

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