[映画] The Last Circus  (2010年)

この映画の大部分は残酷なクラウンとそれに苛められる悲しいピエロの死闘が描かれており、グロテスクで馬鹿馬鹿しいお話であり、映画を見た直後は「こんな映画、誰にも推薦できない。」と怒りがこみ上げて来た。しかし一晩眠ったあとこの映画のことを考えると、残酷でグロテスクなシーンはすべて消え去り、馬鹿馬鹿しさの陰に隠れていたものがくっきりと見えてきた。これはスペイン現代史の寓話であり、すべての寓話がそうであるように、残酷さと悲しさと教訓が含まれているのだ、ということが自然にわかってくるような映画であった。

1937年の内戦期のスペイン。平和にサーカスで人々を楽しませていた田舎巡りのサーカス団の人たちは、自分たちのために戦ってくれているはずの人民派で反ファシスト派の共産主義者エンリケ・リステル将軍に脅かされて、むりやり徴兵されて、前線で戦うことになってしまった。結局人民軍は大敗し、ファシストによってほとんどのサーカス団員は射殺され、クラウンだけは強制労働キャンプに送られる。クラウンの息子は父を助けるために強制労働キャンプに行くが、父はファシスト派の将軍に自分の目の前で殺され、少年もその将軍の目を潰しただけで、命からがらキャンプから逃げ出す。

話は一転して1970年代のフランコ政権下で平和が訪れた現代に移る。死んだクラウンの息子は今は悲しみに満ちた泣き虫ピエロとなっており、あるサーカスに就職の面接に行く。面接をしたそのサーカスの人気者のクラウンが「クラウンをしていなければ、自分は人殺しになってしまっているだろう。」と言ったのに対し、その弱虫ピエロも「自分もそうだ」と言い「あれ?」と思わせるが、クラウンはなぜかその弱虫ピエロが気に入り、自分が苛める役として採用する。クラウンはサーカスの誰に対しても傲慢で残虐で意地悪で皆から恐れられているが、彼は子供に人気があり、彼を見たいがために観衆がやってくるので、団長を含め誰も彼に文句が言えず、彼のつまらないジョークも無理に面白がって笑う。ただ一人きょとんとしてジョークがわからないと正直に言うピエロは、クラウンに睨まれてしまう。クラウンの美しい恋人の曲芸師は、クラウンを恐れぬピエロの態度に感心し、ピエロを誘惑する。そのピエロが曲芸師に恋をし、クラウンに虐待されながらも離れられないでいる彼女をクラウンから救おうとしたことからクラウンの怒りが爆発し、ピエロはクラウンにもう少しで殺されるほど殴られる。ピエロの病室を見守った曲芸師はピエロよりもクラウンを選ぶと言って去っていくが、それに怒り狂ったピエロはクラウンを襲い、彼の顔をめちゃくちゃにしてしまう。警察から逃げたピエロは偶然自分が片目を奪った将軍に保護される。片目将軍はピエロを犬のように扱う。豪勢な邸宅に住む片目将軍は、上司のフランコ将軍を自宅に狩猟に招待し、彼が撃った獲物をピエロにくわえさせてフランコに提供する。この映画の中で、穏やかで優しい人間と描かれているフランコ将軍は片目将軍に対して、「人間をこんな残酷に扱ってはいけない」と諭すが、その瞬間にピエロはフランコの手に噛み付いてしまう。ピエロは自分の顔を自分で痛めつけて恐ろしい顔に変えて、片目将軍を殺害して逃走する。

かつて大人気のクラウンも今では醜くなって子供から嫌われ恐れられる存在になっていた。しかし、曲芸師への変わらぬ愛を持って彼女の前に現れたピエロはその曲芸師に、「今はあなたの方が、クラウンより恐ろしいわ」といわれてしまう。フランコの腹心の部下ブランコ首相が突然暗殺される。その直後に狂ったように曲芸師を追うクラウンとピエロは、彼女を追って高層ビルのような馬鹿馬鹿しく高い十字架の上に登り、そこで三人の死闘が始まる。それを見て、かつてサーカスで一緒だった若い団員が三人を救助に行く決心をする。この若い団員は毎日大砲で板に放り投げられ、人々に一瞬面白いと笑われすぐに忘れられてしまうという毎日を送っていた。彼は大きな大砲で投げられて十字架に向かっていくが、十字架にぶつかり今度は本当に死んでしまう。曲芸師はピエロに「今はあなたのことを愛している」と告げた直後に十字架から転落して死んでしまう。

逮捕されて護送車の中で対峙する二人の男は、今はメークアップ無しでも恐ろしい顔のクラウンとピエロになってしまっている。死闘を繰り返し、曲芸師と若い団員は死んでしまったのに二人はぴんぴんとしており「さて次は何が始まるか?」といった感じで笑いながら相手を見つめるところでこの映画は終わる。

ピエロとクラウンから求愛される美しい曲芸師は『権力』の象徴であろう。それが、国王であろうが、独裁者であろうが、国民に選挙された大統領であろうが、とにかく権力を持つ者、だれもがそこに到達したいと思う者の象徴である。クラウンは『ファシスト』の象徴であろう。人々の心を惹きつける魅力があるが同時に危険でもあり、誰もがその力を押さえつけることができない。しかしそのクラウンが醜くなると人々はクラウンを憎むようになるのだ。ピエロは『共産主義』或いは『人民主義のなれの果ての過激派』の象徴である。最初は清い心を持ち、人々の悲しみを代弁する存在であったピエロが次第に凶悪になって行き、或る時点ではクラウンよりも怖い存在となり、クラウンが何をしても逮捕はされないが、残虐行為をするピエロを、当局は追い続ける。三人を助けようとして死んでしまった無名の誰からも注目されないサーカスの団員は『無名の国民』の象徴ではないだろうか。自分の仕事を黙々とこなし、誰からも注目を浴びず、混乱する体制への効果的な解決の方法がわからないでいるスペインの国民をこの若い団員は象徴しているのではないだろうか。

映画ではどちらの陣営の将軍たちも残虐に描かれているが、不思議とフランコは優しくて公平な人間として描かれている。2010年の現代でもフランコ批判はタブーなのだろうか?いやそうでもないだろう。私は、フランコは反対陣営には厳しかったが、人間としては、清廉で彼なりに本気でスペインの国民と将来を考えていた人で、政治的な立場の違いはあれ、スペイン国民も彼の価値をそれなりに認めていたような気がする。そういう印象を与える映画であった。

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