[映画]  ボーフォート -レバノンからの撤退- Beaufort (2007年)

私たちは皆、イスラエルと言う国名を知っているし、第二次世界大戦でヒトラー率いるナチがユダヤ人に何をしたかを知っているが、現在のイスラエルがどういう国なのか、イスラエルの中で何が起こっているのか、イスラエルと隣国のパレスチナ自治政府、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアはどういう関係なのかは、日本人にはちょっと理解しがたい複雑さをもっている。だから、この映画を見ても、レバノンの南にあるボーフォートの砦で若いイスラエル兵たちが何をしているのかがわかりにくい。映画の中で、イスラエルの兵士たちは誰をも攻撃していないのに、絶え間なくどこからかミサイルが飛んできて、次々と若い兵士は死んでいくのである。

映画の舞台となった2000年のずっと以前を振り返ってみないと、この映画の背景はわかりにくいだろう。中東戦争勃発以来、ヨルダンはイスラエルに追われたパレスチナの難民を積極的に引き受けていたが、第三次中東戦争後、より中立路線を貫くため、国内のパレスチナ難民を海外追放するよう方向転換した。そのパレスチナの移民はレバノンに移り、キリスト教徒とムスリムの微妙なバランスの下に成り立っていたレバノンの国政に大きな混乱をもたらすが、シリアがその中でレバノンを左右する影響力を持つようになった。

1982年、カーター政権の仲介で成立したエジプトとの単独和平で後ろを固めたイスラエルは、突如混乱するレバノンに侵攻し、レバノンの首都ベイルートを包囲する。その真の目的は、レバノンからシリアと他のアラブの影響を排除し、レバノンを親イスラエル国家として転換させることであり、カリスマ性があり、親イスラエル、反シリアのレバノンの若手指導者バシール・ジェマイエルにレバノンの政権を任せることであった。バシールは1982年8月の大統領選挙において大統領に当選したが、翌9月に彼は暗殺される。これを機にレバノンはさらなる内戦に突入していくことになる。ボーフォートは12世紀に十字軍が建立した歴史的な城砦であり、イスラエルは激戦の中でこの城砦をイスラエル配下に置く。

イスラエル軍侵攻を受けてヒズボラという軍事結社がレバノン内に結成された。これは急進的シーア派イスラム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とした。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げているが、これをイランとシリアが支援しているといわれている。一方スンニ派のサウジアラビア・ヨルダン・エジプトなどはヒズボラの行動を批判している。ヒズボラは1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年のベイルートのアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃、1984年のベイルートでのアメリカ大使館への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。映画ではこのヒズボラがミサイルで遠隔からボーフォートのイスラエル軍を攻撃している。

冷戦下で、イスラエルをアラブ圏での反ソ連の拠点とする政略を取り、イスラエルを支持していたアメリカではあるが、1990年から世界情勢は変わり、今アメリカを脅かしているのはイラクだった。アメリカは、湾岸戦争へのシリア出兵の見返りとして、シリアにレバノンの内戦終結を一任する事となった。全世界からの批判の中で、イスラエルはレバノンからの撤退を進めた。2000年にはボーフォートはレバノン内で唯一のイスラエル拠点で監視所として機能してはいたが、イスラエル政府は遂にそこからの撤兵を決定する。

映画では、ここに送られたイスラエルの兵士は、十代で徴兵されたばかりで国際情勢もわかっていない若者が中心であるというように描かれている、撤退が決定しているので反撃も出来ず、司令部に撤退を懇願しても待てという返事ばかり。頼れる上官もいない中で仲間たちは次々に死んでいく。あと僅かで捨てる砦を何故俺たちは命を賭けて守っているのかという厭世気分、その若い兵士たちを統率するのはやはり若い司令官だが、その未熟な采配ぶりに不満を持つ兵士たち、イスラエルに戻り恋人と再会することを夢見る兵士たち、しかし何のかんのといってもお互いに友情を抱いて励ましあっている兵士たちをこの映画は描いている。

この映画の底を流れているのは、「たくさんの犠牲を払ったあの1982年の攻撃はなんだったのだろうか?」という問題提起である。世界はレバノンの混乱はすべてイスラエルのせいだと信じ、イスラエルの国際的立場は困難なものとなる。どこの国にも、歴史的な間違いだと他国から非難される暴挙、自分たちが振り返りたくない過去がある。ヒトラーのドイツ、フランコのスペイン、アルゼンチンのDirty War、日本の大東亜戦争などがその例である。たとえそれが歴史的な汚点であってもそれはもう起こってしまったことだし、その時点では最善の選択だと思って選んだ行為なのだ。祖国建国を第一の目的として奮闘してきたイスラエルの人々にとってレバノン内戦は大きな間違いだったかもしれない。しかし、複雑な力関係の中で自国の維持に全力を尽くすイスラエルの人々に、歴史から学んでこれからは最善の政策を取っていってほしい、それがこの映画を見たあとの率直な感想であった。

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