[映画]  J・エドガー J. Edgar (2011年)

『J・エドガー』は、FBI(アメリカ連邦捜査局)の初代長官としてカルビン・クーリッジからリチャード・ニクソンまでの8人の大統領に仕えたジョン・エドガー・フーバー(J・エドガー)の半生を描いたバイオ・ピック(伝記映画)である。映画の評判は今一つ芳しくなかったが、それよりもエドガーを演じたレオナルド・ディカプリオがアカデミー賞にノミネートされなかったことが話題になった。

アカデミー賞は、各映画会社が、アカデミー賞を取れそうなテーマを選びそれにそって監督・脚本・キャスト・スタッフを厳選して作品を仕上げ、娯楽大作が重なる夏休み、サンクスギビング、クリスマスを除いた時期を選んで公開され、計画的にベネチア、カンヌ、ベルリン、トロントなどの映画際に出品され、ほぼ映画会社が敷いたラインに乗って、受賞に向けて計画通りにすべてが進むようになっている。票を投じるのは同業者の俳優や製作者といったアカデミーの会員であり、基本的には映画会社が強力にプッシュしてくるアカデミー賞受賞予定作の中から同業者の投票によって選ばれる。よって、アカデミー賞を受賞するためには、映画会社の協力な後押しがあり尚且つ同業者にそれなりに尊敬されていることが鍵になる。

この映画は巨匠クリント・イーストウッドが監督し、『ミルク』でアカデミー賞を獲得したダスティン・ランス・ブラックが脚本を担当し、何よりもバイオ・ピックであるということで、「レオナルドは今度こそアカデミー賞を取るだろう」という前評判も高かったのである。

実在の人物を演じるとアカデミー賞を獲得する確率が高いというのは、ほぼ事実といっていいだろう。最近の受賞者を見ても、主演俳優賞にはメリル・ストリープ(マーガレット・サッチャー)、サンドラ・バロック(リー・アン・トロイ)、マリオン・コティヤール(エディット・ピアフ)、ヘレン・ミレン(エリザベス二世)、リース・ウィザースプーン(ジューン・カーター)、シャーリーズ・セロン(アイリーン・ウォース)、ニコール・キッドマン(バージニア・ウルフ)、ジュリア・ロバーツ(エレン・ブローコビッチ)、コリン・ファース(イギリス王ジョージ6世)、ショーン・ペン(ハービー・ミルク)、フォレスト・ウィテカー(イディ・アミン)、フィリップ・シーモア・ホフマン(トルーマン・カポーティ)、ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズ)、助演俳優賞にはクリスチャン・ベール(ディッキー・エクランド)、メリッサ・レオ(アリス・ウォード)、ケイト・ブランシェット(キャサリン・ヘプバーン)などがいる。なぜ実在の人物を演じるとオスカーを受賞する確率が高いかというと、聴衆は実在の人物を知っているから、俳優は単に演技力だけではなく、その人間に似せなくてはいけないし、聴衆やオスカーの投票者の目も厳しくなり、その厳しい審査に合格した俳優には御褒美をあげようという気持ちになるからだろう。

現代を代表する俳優に成長したレオナルド・ディカプリオは、オスカーを貰いたいという気持ちを決して隠さない。インタビューに答えて彼は「オスカーは俳優として一生に一度はもらいたい賞です。オスカーなんて興味がないと言っている人がいるとしたら、その人は嘘をついているとしか思えません。」と述べている。事実彼は『J・エドガー』の企画があると知って、是非出たいと自分から熱望したという。それくらい、彼はこの映画をオスカー受賞のまたしてもない機会と思っていたのだ。彼の演技も高い評価を得た。それなのに、なぜ彼はノミネートされなかったのか。

一言で言えばこの映画の脚本の出来が悪かったということ、そしてそのせいで興行成績が 振るわず、映画会社の方もオスカーの後押しをあきらめたということであろう。

もう一つの理由はレオナルド・ディカプリオの演技力には全く問題がないのだが、彼とJ・エドガーの資質の差である。J・エドガーは権力を守るための悪行が自然と身についた男だ。自分を守るためにはどんなことでもできるし、赤狩りや暗殺の時代を乗り越えた彼は70年代の市民運動の勃発の前に権力の最盛期に死んだ。彼の目は生臭く、まるでそこからメタンガスが湧き出てくるようだ。歴史的には彼は興味深い人間だが、人間的には映画で描く価値があるほどの魅力とか、彼の人生から学ぶ何か美しい潔いものがあるとは思えない。

反対にレオナルド・ディカプリオは非常に純粋な人である。今ハリウッドで一番稼いでいる俳優のくせに、贅沢をしているという話は全く伝わって来ない。パーティーで遊びまくるわけでもなく、自分の財産の一部は自然保護の活動に寄付している。ハリウッドの俳優仲間を引き連れて偉そうにしているわけではなく、自分の親友は、子役時代からずっと友情を保っているトビー・マグワイアとルーカス・ハースという忠誠な男である。有力な映画監督を尊敬し、彼らからも尊敬され、一緒に仕事をしたいと思われている。大スターであるのに女性関係も派手ではない。とにかく、これだけ大物なのに、悪い話が全く伝わって来ない俳優なのである。

逆境の中でひたむきに生き、常にその生涯には悲劇が伴っている役が彼の本領ではないのか。『ギルバート・グレイプ』『タイタニック』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ディパーテッド』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』『ブラッド・ダイヤモド』『シャッター アイランド』など全て悲しいが、聴衆はその中にレオナルド・ディカプリオ演ずる主人公に同感を感じざるを得なくなるのである。レオナルドはJ・エドガーの悪辣さを演じようとするあまりに、段々その目が狂気に満ちてくる。何の努力もなしにワルになれるJ・エドガーと大違いである。残念ながら、二人の間には演技力を超えた人間としての資質の差がありすぎる。

レオナルド・ディカプリオの演技力を疑う者はいない。オスカーを狙いたかったら、自分の資質に近い人物を演ずることを目指すべきだと思う。「レオナルド・ディカプリオはオスカーを狙うにはまだ子供過ぎる。もう少し辛抱しなければ。」と童顔のレオを見ていたオスカーの会員も、実は彼はもう40代であるということに気がついて少々驚いているのではないだろうか。

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