[映画]  マリリン 7日間の恋 My Week with Marilyn (2011年)

アメリカでのこの映画の批評は一般的に「マリリン・モンローを演じるミッシェル・ウィリアムズは素晴らしいが、映画自体は大したことがない。」というものであったが、その批評にもめげず観てみてびっくり。なかなか素敵で面白い映画であり、観た後もいろいろ楽しい会話ができる映画だった。

イギリスの監督サイモン・カーティスはマリリン・モンローに関する映画を作りたく、プロデューサーのデイビッド・パーフィットに話を持ちかけたが彼の反応は「マリリン・モンローについては世界中の人が知っている。今更、何か新しいものが出てくるのか?」とういうものだった。サイモンはドキュメンタリ映画作家の故コーリン・クラークの回想録が、マリリンがローレンス・オリビエと英国で共演した時のことを短く綴っているのに着眼し、デイビッド・パーフィットもそのユニークな視点が気に入リ、エイドリアン・ホッジが脚本を担当した。しかし、そんな地味な映画に製作費を出してくれる会社がなかなか見つからず、彼らはハリウッドの大物ハービー・ワインスタインに財政の交渉に行った。ハービーはコーリン・クラークの原作を読んだことがあるが、それは全く地味な本でまさかこれが映画化の対象になるとは思っていなかったが、エイドリアン・ホッジの脚本は案外よくできていると思い、また自分が高く評価しているミッシェル・ウィリアムズにマリリン・モンローを演じさせてみたいと思い、映画制作費を捻出することに同意したという。

この映画が素晴らしいのは、その当時の英国と米国の映画界の対比が適切に描かれていることだろう。一方には、英国王室シェークスピア劇団で徹底的に演技の基礎をたたきこまれたローレンス・オリビエがいる。彼は、1947年にナイト位を授けられ、自身が製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度の米国アカデミー作品賞、主演男優賞を受賞して名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がた。片やマリリン・モンローは1957年に『王子と踊子 』でローレンス・オリビエと共演した時は、セックス・シンボルとして世界一の人気女優になっていた。この映画は古典的なメソッドで叩き上げられたローレンス・オリビエと、専門的な演技の訓練を受けていないが、ツボに嵌ると天才的な演技を見せてしまうマリリン・モンローの対比をうまく描いている。それに付け加えて、ローレンス・オリビエの妻で一時代前のスーパースターだったヴィヴィアン・リーの内面の葛藤もあり興味深い。ヴィヴィアン・リーは『王子と踊子 』の舞台版では踊り子を演じていたが、映画で同じ役を演じるには年を取りすぎていると夫のローレンス・オリビエに言われてしまい、またマリリン・モンローの余りにも素晴らしい映画版での演技に、思わず感嘆し同時に嫉妬するという、何となく悲しい女優の業も描かれている。ローレンス・オリビエですら、演技力では表現しえないマリリンのオーラに感嘆し嫉妬してしまうくらいなのだ。余談になるが、製作者はローレンス・オリビエにはレイフ・ファイン(『ナイロビの蜂』『イングリッシュ・ペイシャント』)、ヴィヴィアン・リーには、キャサリン・ゼータ・ジョーンズを希望していたという。キャサリン・ゼータ・ジョーンズには中年のヴィヴィアン・リーを是非演じてもらいたかった。彼女はその時夫のマイケル・ダグラスが癌の闘病中で、仕事ができる状態ではなかったのでそのオファーを断った。代役のジュリア・オーモンドは往年の大女優のヴィヴィアンのオーラが全く出せていなかったのが残念。

ミシェル・ウィリアムズが描くマリリン・モンローがまた素晴らしい。歌い方とか動き方とか、彼女の雰囲気をよく出しているが、もっと素晴らしいのはマリリン・モンローが世間が思い勝ちな白痴美ではなく、意外と頭がよく自分のイメージを壊さないように結構そこはプロフェッショナルに徹しているところをうまく描いていることだ。やはり、ハリウッドでトップを張って行くのは大変なことだが、それを頑張って維持していこうという野心も感じさせるし、それだからこそ精神的にも大変で薬に頼ってしまうのもわかるし、名声で寄って来る男ではなく本当に自分を愛してくれる人を捜す気持ちもよくわかる。しかし、そんなあれやこれやがあっても、自分が築き上げてきたスターダムを捨てて普通の生活にはもう戻ることもできないジレンマもうまく表現されている。

ミシェル・ウィリアムズは文句なく美しく、現実にマリリンを演じる女性としては、彼女以外は考えられないような気すらする。しかし、やはり物足りない。ミシェル・ウィリアムズを見ていると、マリリン・モンローの方がもっと綺麗だったよ、もっとセクシーだったよ、もっと可愛かったよ、もっと悲しかったよ、と誰もが思うのではないだろうか。ミシェル・ウィリアムズを通じて、聴衆は図らずしも、マリリン・モンローがどんなに超越した存在だったかということを思い知らされる。ミシェル・ウィリアムズはそう思ってマリリンを熱演したのではないだろうが、図らずも彼女の好演はマリリン・モンローが誰にも真似ができない別世界の存在だということを、知らせてしまったのではないだろうか。

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