[映画]  パリ20区、僕たちのクラス The Class Entre les murs (2008年)

この映画はパリで中学校の教師であったフランソワ・ベゴドーが自身の経験を基にして書いた小説『壁の間でEntre les murs』を映画化したもので、フランソワ・ベゴドーが脚本も書き、映画の中で自分自身(教師役)を演じている。彼は本職の教師のほかにロックミュージシャンや作家、ロック評論家としてのキャリアもあるが、脚本家としてセザール賞を受賞し、作品がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞し、またアカデミー賞にもノミネートされたことにより、映画人というキャリアも加わったようだ。彼は本が売れた後に教師を辞めて、今は執筆と映画関係の仕事をしているようだ。

様々な国・地域からの移民が共存するパリ20区の、多種多様な人種が入り乱れるある中学校のクラス。この映画はフランソワが率いるクラスの一年間を、主に教室の中で起こったことを中心に描く。フランソワは、大部分がフランス語を母国語としない生徒たちを相手に、正統なフランス語を教えようとする国語教師である。子どもたちのフランス語の力は、日常会話は問題ないが、動詞の活用は不正確だし、文語で主に使われる接続法の活用や、抽象的な単語は十分な理解が出来ない。また生徒たちの中には黒人系の移民の子が多いのだが、彼らの母国はアフリカのマリであったり、モロッコであったり、カリブ海の国であったりと様々で、その文化背景は多様で、単に『移民の子』とか『黒人の移民』とはいえない。そんな子供たちの間で小さな諍いが頻繁に起こる。

錚々たる映画祭で最高の評価を受けた映画だし、学園モノということで、熱血教師や感動的ドラマだと期待して観るとちょっと勝手が違う。この映画は理想的な教育を論じているのでもないし、子供や教師への賛歌でもないし、移民の子供たちを描く社会ドラマでもない。そういう論調を期待すると肩透かしをくらうような映画である。いろいろな問題が次から次へと起こり、フランソワはそれに対して彼なりに真摯に対応するが、問題をうまく解決できるわけでもない。あれこれ出来事が起きて、生徒と教師、父兄と教師、教師間でたくさんの議論や会話がある中で一年が終わる、ただそれだけである。ではこの映画は一体何なのかという話になるだろう。

まず、なぜフランソワ・ベゴドーが原作の『壁の間でEntre les murs』を書いたのか。それは彼の教師という職業の現状に対するやるせなさである。誰でも生きていくためには、何らかの仕事が必要であり、彼にとっては教師がそれであった。彼の両親も教師であったので、教職は身近な職業であっただろう。しかし、教師はフランスでは経済的に恵まれてはおらず、一生懸命やっても生徒や親からは感謝されず、毎日生徒の口答えに反応することで、日が過ぎていく。彼は生徒が好きだし、自分の仕事に熱意を持っているようであるが、それでも彼の言葉を借りれば、教職は『一番悲しい仕事』として位置づけられている。中学校の教師というのは、大変な重労働である。教師を軽蔑する人はいないであろうし(と信じたい)、誰かが中学校の教師をしなければならないとは皆思っているだろう。しかし、自分から進んで中学校の教師になろうという人間は案外少ないのではないだろうか。大切な仕事だということは認めていても、嬉々としてその職に応募する人は案外少ないというのは問題である。

ではなぜローラン・カンテ監督はこの本を映画化したかったのか。フランソワ・ベゴドーもそうだが、ローラン・カンテの両親も教師である。彼は教育者というものを直接知っていたし、彼は教育が子供を現実の世界に送るための準備の場所であるという意味で重要な役割を持たなければいけないことを認めていたが、同時に教育のシステムが機能しない場合もあり、たくさんの生徒がそのシステムの中から落ちていく現実も知っていた。理論的に教育の現状を考えていたローラン・カンテにとって、現場から子供の眼と教室の息吹を具体的に伝えてくれるフランソワ・ベゴドーの本は彼の創造心を刺激してくれ、彼が教育に関する映画を作る大きな動機になったのではないだろうか。ローラン・カンテの主題は「子供にチャンスを与えなければならない教育がなぜ選り分けの場所になっているのか」というものであろう。その例は単なる事故で同級生を傷つけた男子生徒が、たまたま教師の間で問題児として見られていたので退校処分を受ける例や、あまり勉強のできない女子生徒が「絶対に職業高校なんかに行きたくない」と呟くシーンに表現される。フランスの教育制度は正確にはわからないが、成績が悪くて送られる職業高校は生徒にとって希望のないデッドエンドのようなのである。

最後に、この淡々としたドキュメンタリー風の地味な作品が何故満場一致でカンヌ映画祭のパルム・ドールを受賞するほどの圧倒的な評価を受けたのか。それはこの映画が、あまり映画にならないが大切な主題を正直に謙虚に描いているからであろう。国民の誰もが何らかの教育を受け、教育は大切だが現状では完璧に教育のシステムが働いていないということは知っているが、教育問題はドラマチックな作品を作るのは難しいのであまり映画にならない。たまになったとしてもそれは熱血教師が異例の影響を教師に与えるという例外的なケースを劇的に描くことが多い。ここはオーディションで選ばれたパリの下町の普通の子供たちと本職の先生が演技を超えたリアルな態度で現実を描く。それがなぜか説得力がある。

この映画は教育の問題提起であり、この映画の中の子役俳優たちはそれなりに問題児を演じているはずなのだが、映画に出演している子供たちの眼はきらきら輝いている。きっと映画製作に主役として携わるうちに「あ、こんなに面白いことがあったのか!」「自分が主役になって、自分の頭と心を使うことがこんなに楽しいことだったのか!」ということを感じ始めたのだろう。だから、問題児を演じている子供たちも皆可愛らしい。監督としてはそれはちょっと予定外のことだったのかも知れないが、この子供たちの明るさが映画を見たあとでの爽やかさを生み出しているともいえるのかもしれない。

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One thought on “[映画]  パリ20区、僕たちのクラス The Class Entre les murs (2008年)

  1. いちごさん、こんばんはー。面白そうな映画ですね。
    主題が「子供にチャンスを与えなければならない教育がなぜ選択の場所になっているのか」、日本の問題でもありますね。

    ブログの更新頻度、スゴイですね(^^)リンクさせて下さい。

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