[映画]  ヒトラー 〜最期の12日間〜 Der Untergang Downfall (2004年)

この映画は、ヒトラーの個人秘書として、ドイツ・ベルリンの総統官邸の地下壕で彼と生活を共にし、彼が自決するまで身近に仕え、彼の遺書をタイプしその死を目撃したトラウドゥル・ユンゲの回顧録を基にして作られた。

ヒトラーは1930年からずっと二人の秘書を使用していたが、1937年あたりから多忙になったので、ゲルダ・クリスティアンという女性を第三秘書として採用した。この女性は大変な美貌の持ち主だったという。クリスティアンは国防軍参謀本部のエックハルト・クリスティアン空軍少佐と結婚するために1942年から長期休暇を取ったので、彼女の代わりに採用されたのが、トラウドゥル・ユンゲであった。映画では美貌の女優がユンゲを演じ、ヒトラーは候補者がたくさんいる中で人目で彼女を気に入って採用したように描かれている。彼女はナチス生誕の地でありナチス活動の本拠地であったミュンヘンの出身だったので、それも一つの理由だったのかもしれない。ベルリンは共産主義に対する共感の強い地域で、歴史的にナチスが選挙で苦戦していた地域であった。クリスティアンが結婚休暇から復帰した後もユンゲはヒトラーの秘書として留まり、忠実なヒトラーの側近となった。

アドルフ・ヒトラーが総統官邸の中庭に地下壕を設置させたのは1935年のことである。その後1943年には、戦況が著しく悪化したので、防御機能を高めた新たな総統地下壕が建造され、二つの地下壕は階段で接続された。地下壕は攻撃にも耐えられるよう厚さ4メートルものコンクリートによって造られ、約30の部屋に仕切られていた。大戦末期の1945年1月からヒトラーはここでの生活を始めた。ヒトラーと愛人のエヴァ・ブラウン、ナチスナンバー2のゲッベルスとその家族、有力な親衛隊幹部、そして秘書と料理人がここに居住した。ヒトラーはベルリン市街戦末期の1945年4月30日にここで自殺した。

ヒトラーの死後、彼女は逃亡中連合軍に逮捕されたが、深く調査されることもなく、すぐ釈放されたという。その後も「私は何も知らなかった」という主張を続けているので、彼女の回想記から歴史上驚くべき真実は期待できないだろう。また、一番年少の秘書として知りえた政治的情報などは大したことではないだろう。もし彼女の視点で映画を作るなら「ヒトラーは優しい上司」であるし、ヒトラーのお気に入りの彼女をちやほやした将校たちは「素敵な叔父様たち」になるだろうし、安全な地下壕でワインを飲み、美味しい食事をとり、朝寝坊して夕方から映画を観る生活は捨てがたい、という映画になってしまうかもしれない。

ヒトラーが戦局の悪化に伴い4人の秘書に退去を命じた時も年配の二人の秘書は逃亡したが、ユンゲとクリスティアンは「最後まで総統と生死を共にする」といい、その命令を拒んでいる。ユンゲは後に「なぜそのような決断をしたのかわからない」と述べているが、やはり死の実感のない若さで、「いざとなれば死んでみせる」といった若気の至りと言うか純粋さが50%、そしてまさかこの全治全能で今まで自分に心地よい環境を与えて自分を守ってくれた男が負けるわけはないという若さゆえの愚かさが50%であったのだろう。保護者も友人もいない戦火のベルリンに一人放り出されるより、慣れ親しんで自分を守ってくれる(と思っている)人々に囲まれていた方がずっと安全だと感じられたのであろう。

ナチスの真実を知らず、外で苦しんでいた市民の生活も知らなかった彼女の視線を映画として生かすとしたら、彼女なりの若い女性のカンのよさであろう。秘書として誰にも愛想よく振舞っていても、彼女は誰が自分の上司のヒトラーに忠誠で誰が裏切るだろうということを上目遣いにじっと観察している。この映画は40%は彼女の視点に立って、絶対権力が倒れ命の危険にさらされる人間がどう行動するかを描いている。それだけでは不十分なので当時のナチスの人物像を歴史に基づいて付け加えたのが30%、それだけでもまだ十分ではないので、戦争に苦しんでいる市民の生活も加えている。だからこの映画に主人公はいないし、語り手の目線もあちこちにぶれる。ユンゲは顔を出すだけで、重要な役割は果たさない。映画の三分の二は自分の側近に失望したヒトラーが怒鳴ることに終始するから、ヒトラーが主人公なのかと思うとそうではない。この映画の本当の深さはヒトラーの死後から始まる。権威が喪失した後、人はどうするかというのを短い期間で生き生きと描いているのだ。ヒトラーに殉死した者もいる。逃亡して連合軍に逮捕され裁判で処刑された者もいる。逃亡を企てて国家に対する裏切り者として同僚に処刑されたものもいる。また共産主義であるという理由でソ連軍が入ってくる前に一般市民を見せしめに処刑したものもいる。将校はヒトラーが厳禁した喫煙をおおっぴらに始め、残り少ないワインを飲み干して酩酊した。逃亡を企てた者は南部のアメリカ軍が占拠していた地域を目指して逃げた。彼らにとっての一番の恐怖はソ連軍に逮捕されることであった。

ナチスについての詳しい知識の全くなかった私にとってこの映画は情報の宝庫であったが、その中でも一番印象に残ったのは、「ああ、やはりヒトラーは自決したのだな」ということであった。これは当たり前のことではあるが、やはり巷には『義経・ジンギスカン』都市伝説というものがある。ヒトラーは自殺せず、誰かが身代わりになり、アイデンティティーがわからないように、死体をガソリンで焼いた、ヒトラーは秘密の抜け道からこっそり抜け出したと。あんな強欲な男が簡単に死を選ぶわけはないと。

しかしヒトラーが自分の死体を焼いてもらいたかったのは、死を偽造するためではなく、自分の死後自分の体が広場に晒されたり(ヒトラーはムッソリーニがパルチザンによって無残に処刑され広場に晒されたことを知っていた)自分の服が博物館に展示されるのを防ぐためであるとこの映画は語っている。彼にとっては『誇り』が一番大切だったのである。自分の恥が晒されるのが一番怖いことだったのである。側近の一部が「国民のために、手遅れになる前に無条件降伏をするべきだ」と提言すると、それは恥になるので絶対に許せない。提言をした人間は危うくのところで射殺されそうになる。或いはそう提言して実際に処刑された人もいるのではないかと思わせるような迫力であった。彼は『市民』とか『国民のため』という観念を失っていた。映画では「市民、特に女性と子供を守らなければ」と提案する将校に「本土決戦になっている今、市民という概念は存在しない」と言い切っているのである。そこには「自分はどうなってもいいから、国民だけは助けてあげたい」とか「自分の間違いに対する裁きは受けるが、自分の命令に従った国民は罰しないでほしい」という心はない。どのようにして、自分の『名誉』を守って死ぬかということで頭が一杯なのである。

確かに逃亡用の地下道はあったらしい。ヒトラーの最後の命令の死体消却を完了したオットー・ギュンシェ親衛隊少佐はヴィルヘルム・モーンケ大佐に従い、ユンゲとクリスティアンを連れて地下道を通って逃亡を企てたが結局逃亡しきれなかった。クリスティアンは逃走を諦め、ギュンシェ少佐とモーンケ大佐と行動を共にする。映画は彼らがソ連軍に逮捕されるところは描かず、ユンゲが自転車に乗ってミュンヘンに脱走するシーンで映画は終わる。

映画ではクリスティアンは小さい役しか与えられていないし、彼女に対する情報はゼロに近い。クリスティアンはその後苦労してアメリカ占領地域に逃げ出すのだが、ギュンシェ少佐とモーンケ大佐はソ連軍に連行され、それぞれ東ドイツとソ連で10年間服役している。クリスティアンはギュンシェ少佐のことを『生涯の親友』と呼んでいたそうだ。彼女は戦争後まもなく夫と離婚し、その10年後に釈放されたギュンシェ少佐との再会を果たしている。

English→

One thought on “[映画]  ヒトラー 〜最期の12日間〜 Der Untergang Downfall (2004年)

  1. 私のこの映画観賞後の感想は、「ヒットラーって、器のちっけー男だったのね。」それ一言に尽きます。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *