[映画]  キャラメル Caramel (2007年)

キャラメルはレバノンの首都ベイルートの下町の、とある美容室で働く3人の若い女性と、その顧客の中年の女優の卵、 近所に店を構える老年に差し掛かった仕立て屋の5人の女性の友情とそれぞれのロマンスを描く。美容室での友情といえばアメリカ映画の『マグノリアの花たち - Steel Magnolias』を思い出してしまうが、それとよく似た女性目線の映画である。なぜ美容室が女性の友情物語の舞台になるのだろうか?

まず美容室は女性だけの場所である。普段男性に気兼ねをしている女性も、男性の介入がないので、本音をぶちまけることができる。普段は親、夫、子供に尽くしている女性もここではかしづいてもらえ、自分が客として主人公になれる場所でもある。また美容師の方も男性に遠慮せず、自分が一番のプロフェッショナルになれる場所である。また客の女性は普段隠している自分の弱点、シワやシミや白髪や薄くなった頭を見せなくてはならない場所であり、自分の弱点を晒した美容師には、もう自分の私生活や弱みや悩みを隠す必要はないと感じ、ついつい本音を分かち合い、女同士の友情(sisterhood)が生まれてしまうのであろう。

日本人女性にとっても『髪は女の命』であろうが、中東の女性の髪への思い込みは格別なのではないだろうか。私が米国に住み始めた時、外国から来た女性たちが集まる英会話のクラスに出席していたことがあった。そこには私以外にロングヘアーの綺麗な若い日本女性、アラビア、エジプト、イランなどから来た何人かの女性たちがいた。ある日、その日本人女性が「私の髪の手入れは・・・」と話し始めると、それまで退屈そうに子供を抱きながら聞いていた中東の女性たちが突然自分の子供を放り出すほどの勢いでソファからたちあがり、「その秘密を教えて!!」と彼女に走り寄ったのである。結局彼女の美髪の秘訣は海藻を毎日食べることだと聞いて皆「な~んだ」とがっかりした顔をした。今でも、彼女らの生き生きした好奇心に満ちた目の光が突然消えた瞬間を忘れることができない。

日本人にとってアラブの国、中東はどれも似たり寄ったりで、女性はベールと長いすそで体を隠しているというイメージを抱きがちだが、中東の国々はそれぞれ独自の歴史と文化をもっている。トルコやイランは勿論独自の長い伝統と高い文化を持っているが、レバノンもそうである。地中海に面して北アフリカや南欧の国々と貿易をし、古来よりキリスト教徒が多く、また近年はフランスの支配下に置かれていたレバノンは南欧との関係が強い。特にこの映画の主人公の殆どはキリスト教徒なので、彼女たちはベールをかぶらず自分たちの美しさを存分に誇示しているかのようだ。

また人々はレバノンは戦火の国だと思いがちである。歴史的にそれは真実であるし、この映画の製作と前後した2006年にはレバノンとイスラエルの間で交戦が起こっている。しかし、この映画には戦火の匂いは全くない。主演、脚本、監督をした若くて美しいナディーン・ラバキーがこの映画を作った意図は「レバノンをただ戦争の国として見てほしくない。私たちは等身大の人間で、誰もが直面する愛の悩みを持ち、普通に生きているのだ。そんな私たちのありのままの姿を見てほしい。」ということであろう。確かにここでは、不倫、老いへの怖れ、社会から純潔を求められることへの負担、同性に対する憧れ、家族の面倒をみなければならない義務、結婚への不安など女性としての共通の悩みがある。しかしこの映画の中のレバノンの女性としてのユニークさは、キリスト教徒としてヨーロッパ文化とムスリム文化の狭間に置かれてどっちつかずの谷間にいることの葛藤、近隣のムスリム人との位置関係、またいつ再開するかもしれない市街戦への怖れなどが、背後に見え隠れしていることであろう。

レバノンの先住民族はヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字の基となったフェニキア文字を発明したフェニキア人である。その後この地域は7世紀に、東方からのアラビア人に征服された。その後ここを支配したトルコ帝国からは自治権を得、西方からのキリスト教の影響も受けるようになった。第一次世界大戦でトルコが負けた後、この地はサイクス・ピコ協定によりフランス委任統治領となった。フランスはチュニジアやアルジェリアの統治ではかなり苦労したが、キリスト教国であったレバノンは統治しやすい地域ではあった。この委任統治は1941年6月8日のレバノンの独立宣言とともに終了した。この独立は英国の支持を受け、平和的なものであった。その後金融・観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させ、レバノンの首都ベイルートはリゾート地としてにぎわい、『中東のパリ』と呼ばれるほどであった。

ヨルダン内ではキリスト教徒とイスラム教徒が何とか力関係のバランスを取っていたが、その微妙なバランスが崩れたのは、パレスチナ難民を匿っていた隣国のヨルダンがパレスチナ難民を追放したので、難民たちと過激派のPLOがレバノンに大挙流れ込んだのがきっかけである。1975年にかけて内戦が発生し、1982年にはレバノン国内のキリスト教徒と組んだイスラエル軍がレバノンに侵攻した。イスラエルに対抗するシリアや、イランの支援を受けた過激派のヒズボラなどの応戦と国際世論の反対で結局イスラエルは2000年にレバノンから撤退するのだが、その後も混乱は続き、レバノンは親米派、親シリア派、ヒズボラ容認派、否定派等複雑な派閥争いが続き国力が疲弊した。この映画が作成された2006年には、ヒズボラのテロ活動に怒ったイスラエルが報復のためにレバノンを攻撃するレバノン紛争が起こっている。結局イスラエルは国際連合安全保障理事会の停戦決議を受け入れて撤退し、シリアのレバノン支配の力はますます強まった。

監督のナディーン・ラバキーはこの映画では徹底的に『私は政治的ではない』という立場を貫いている。しかし、この映画の国際的な大ヒットで一躍有名になり、アラビアン・ビジネス誌の『世界で最もパワフルなアラブ人100人』で、女性のトップ5に選出されるまでになってしまった彼女はもはや『私は政治的ではない』に終始できる立場ではいられなくなったようだ。その後彼女はレバノンにおけるキリスト教徒とイスラム教徒の対立を描いた『Where Do We Go Now?』を製作した。この映画については、また別の記事で書いてみたいと思う。

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