[映画] サラの鍵 Sarah’s key (2010年)

『サラの鍵』のテーマは二つある。一つはフランスでユダヤ人狩りが起こったという事実を知らせたいという使命感、そしてもう一つは過去の事実が現在でどういう意味を持っているのかという問いである。だから映画は1942年と現代を行き来し、最後にそれが繋がるようになっている。

サラはドイツ占領下で、ナチスに協力するヴィシー政権が統治するパリに住む10歳の女の子。ある日、仏警察がユダヤ人である彼女たちの家族を逮捕しにやってくるが、サラはとっさに気転をきかせて弟のミシェルをクローゼット(物置や押入れのような空間)に隠して鍵をかけ、「すぐに帰って来るから絶対に外にでないように」と言い聞かせて、自分は両親と共に連行される。強制連行させられたユダヤ人は猛暑の中、ヴェロドローム・ディヴェール(屋内自転車競技場)に押し込められトイレにも行かせてもらえない。そしてそこから仮収容所へ、そして最終的にはアウシュビッツに送られたのだ。サラは収容所から逃げ出し、弟をクローゼットから出すために鍵を持ってパリへ戻ろうとする。

ジュリアはフランス人と結婚してパリに住む有能なアメリカ人ジャーナリスト。1942年に起きたヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(略称としてヴェルディヴ事件と呼ばれることが多い)のことを記事にするようにという仕事をもらうが、その調査の過程で自分の夫の家族が所有しているアパートメントにユダヤ人が住んでいたということを発見する。そしてそのアパートメントに住んでいた両親はアウシュビッツで死んでいるが、その子供たちセラとミシェルはそこで死亡してはいないということを知り、その子供たちがどうなっているのかを調べようとする。しかし、そうすることにより夫の家族たちを苦しめることになってしまう。夫の祖父は空き屋になったサラのアパートメントをタダのような値段で手に入れ、誰も生還しなかったのでその家族は何も知らずにそのアパートメントで平和に暮らしてきたのだ。

フランス人がユダヤ人を強制連行してアウシュビッツに送ったという事実は、長い間公にされていなかった。しかし1995年に大統領に当選したシラクが大統領就任直後に、第二次世界大戦中フランス警察が行ったユダヤ人迫害事件であるヴェルディヴ事件に対して、初めてフランス国家の犯した誤りと認めたのである。しかしシラク大統領が公に認めるまでこの事件を知らなかった国民が大半だったという。

ヴィシー政権下は1940年7月に1927年からのフランスへの帰化人の手続きを見直すため委員会を結成して過去の帰化人の調査を行い、この結果、ユダヤ人を含む15,000人のフランス国籍を無効とすることを提言し、引き続きフランス内のユダヤ人の社会的階級を低下させ、市民権を剥奪することを可能にする法律を可決した。この結果ヴィシー政権はユダヤ系のフランス市民の安全には責任がなくなり、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に合法的に送ることが可能になった。同じ種類の法律は、その後アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった当時のフランス植民地にも適用された。

これが、「悪いのはすべてナチスなんだから、占領されたフランス人には責任がない!!」といえないのは、これらの法律がナチス・ドイツから強制されることなくヴィシー政権が自発的に採択したという証拠があるからだろう。

僅か70年前に国が真っ二つに別れて対立したという事実は、フランス人にとってはもう触れられたくない暗い過去なのではないだろうか。だからナチスに協力してフランスの北半分を統治したヴィシー政権は、本当のフランスではないと思いたいし、その政権がナチスに協力して行ったユダヤ人狩りに対しては「ヴィシー政権のやったことに責任は取れない」と言いたくなるのではないか。ヴィシー政権に対抗して、イギリスに亡命して対独徹底抗戦を貫いたド・ゴール(1959年から大統領1969年まで大統領)にとっては、自分の敵であるヴィシー政権がやったことに対するお詫びなどはできないのである。

ドゴールの後を継いだポンピドゥー大統領(1969年から1974年まで大統領)もミッテラン大統領(1981年から1995年まで大統領)もレジスタンスの闘士であり、やはり自分が過去に対する贖罪をする立場にはないと思っていたようだ。結局フランスの責任を始めて認め、「守るべき国民を敵に引き渡した」と謝罪したのは保守派のシラク大統領(1995年から2007年まで大統領)であった。

同じく保守派でまたユダヤ系であるサルコジ大統領(2007年から2012年まで大統領)は、反ユダヤ主義は糾弾したが、この事件をフランス政府の犯罪として認めるのには否定的であった。しかしサルコジを破って大統領に当選した左派オランド大統領は、左翼大統領として初めてヴェルディヴ事件を国家の罪と認めたのである。

この映画は、弾圧を乗り越えたユダヤ人がその後どう生きていったか、という問いを描いている。たとえ連合軍が勝利して戦争が終わったという所で映画が終わったとしても、釈放されたユダヤ人の人生はそこでは終わらないのである。サラがその後どうなったかを辿るのは悲しい旅である。弟を救うということだけを心の支えにして生き延びてきたサラの心は突然折れてしまう。サラの周囲には心優しい暖かい人々がたくさんいる。しかし、その愛もサラを救えなかったのである。そういう意味では救いのない悲しい映画なのだが、この映画を見終わって聴衆に救いがあるのは、ジュリアの探求の旅が、一見ジュリアの夫の家族やサラの家族に思い出したくない過去をほじくり返される苦痛を伴うのだが、やはり知ってよかったと家族がその苦い汁を飲み干すところが描かれていることだろう。またジュリアの旅は単なる他人の真実の探索ではなく、自分の人生の探索という結果になったということかもしれない。

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