[映画] 白いリボン The White Ribbon , Das weiße Band (2009年)

ミヒャエル・ハネケ監督の作品といえば、『ファニーゲーム』や『ピアニスト』のように、不愉快な登場人物が次から次へと恐ろしい行為を繰り返し、見続けるのは恐ろしいが、きっと何か最後に説明がありすっきりさせてくれるだろうと聴衆に期待させ、結局何も説明がなく、聴衆は心が切り刻まれたまま放り投げられるというパターンが多い。アメリカ映画を好む聴衆からは「許されない」映画なのだが、彼の作品はすべてカンヌ映画祭を始めとするヨーロッパ映画祭で最高賞を受賞しているのだから、それなりにヨーロッパ映画に見慣れた聴衆の心を深くつかむのだろう。

『白いリボン』はミヒャエル・ハネケの作品の中では、比較的に一般受けがする映画なのではないだろうか。モノクロだが非常に美しく、1913年の北ドイツの小村の精髄を忠実に再現したシネマトグラフィー、美男美女は一人も出てこないが、子役を含めて実在感のある俳優たちの好演、そして謎解きを含んだ魅力的なストーリーが見る者の心を最後まで引っ張っていく。しかし、これは探偵ドラマではないし、犯人が最後まで明らかにされないのは、いつも通り「ハネケ的」である。

この映画は1913年に起こった村の医師の不審な落馬事故で始まり、1914年に第一次世界大戦の勃発時と同時に起こった医師の家族と隣家の助産婦の親子の不審な失踪で終わる。登場する家族は、村の半分の人口を雇用する勢力者の男爵家、牧師の家族、医師一家と医師と性的関係のある助産婦とその幼い息子、男爵に仕える執事の一家、男爵家の小作人の一家、そして村の学校の教師とその恋人のエヴァである。

医師と助産婦の一家に起こる事件は、不審な落馬事件、医師の助産婦に対する侮蔑と別れ話、医師の14歳の娘に対する性的な関係、助産婦の知恵遅れの子供に対する暴行事件、そして医師と助産婦一家の突然の蒸発である。

男爵家に起こるのは、領土内での小作人の妻の事故死、小作人の息子によってキャベツ畑を荒らされたこと、幼い息子の誘拐暴行事件、その息子の溺死未遂、納屋の火災である。

小作人の一家に起こるのは妻の事故死、息子の報復による男爵家のキャベツ畑の狼藉、男爵家の仕事をクビになった父の自殺である。

執事の家に起こるのは、新生児の部屋の窓が開け放されて赤ん坊が死にかかること、執事の子供による男爵家の幼い息子の溺死未遂事件である。

牧師の家では子供の些細な失敗に対しても厳格な体罰が行われ、牧師である父は思春期に差しかかった長女と長男に「純潔」の心を保つために白いリボンを巻きつける。牧師はこれは親の愛の表れであるというが、あまりにも厳しく友人の前で叱責された長女は失神してしまい、その後父親の可愛がっている鳥を殺してしまう。また長男も自殺に近い不審な行為を行う。

教師は他の町の出身で、やはりその町の隣町から男爵家に乳母として出稼ぎに来ている若いエヴァと知り合い結婚を申し込む。教師は次から次へと起こる事件の背後には牧師の長男と長女が関係しているのではないかと疑い牧師に話しに行くが、逆に牧師から名誉毀損だと脅かされてしまう。

映画を一見すると、教師が疑ったように、欺瞞的な牧師の親から抑圧された長男と長女が次々と事件を起こしていくように見えるが、それは方向の違う解釈のような気がする。犯人がはっきりしているのは、小作人の息子が母親の仇をとるためにキャベツ畑を荒らすこと、執事の息子が男爵の息子を突然川に突き落とすこと、牧師の長女が牧師の鳥を殺すことだけである。それ以外は単に事故かもしれないし、映画に出てくる家族以外の村人たちが男爵を憎んでやったことかもしれない。よく考えると10歳前後の子供たちが、夜放火したり、他人の家に入り込んだり、針金を木に精巧に結んで馬の通り道を防いだり、自分の顔を知っている男爵家や助産婦の息子を誘拐して暴行したりするのは難しいと思われるし、子供たちがすべての事件のマスターマインドである方が非現実的ではないだろうか。しかし、未解決の事件が重なることで村人たちの間で不信感が募っていくとか、子供たちの間で犯罪に対する好奇心が強まっていくのは事実である。

この映画は、村を支配している2つの勢力が次第に勢力を失っていく過程を描いている。一つは男爵に代表される政治的支配者である。男爵はその土地を所有しているが、次第に貨幣経済制の浸透という近現代社会への発展で金策に苦労しているようだし、貴族階級による支配に対する反抗の気持ちも小作人に芽生えている。社会主義思想、労働者の権利思想がひたひたとこの田舎村にも押し寄せているのだ。そして、貴族制を支えていたドイツ帝国も第一次世界大戦の敗北で崩壊してしまうのである。

もう一つはプロテスタントの禁欲主義が畸形化し、牧師は人々の心も救えないし、自分の子供の心さえ蝕んでいるということである。私は牧師の長女長男は犯罪の殆どには加担していないと思うが、彼らは父の与える体罰や「愛しているからこそ、罰する」という偽善的な言葉を疑い始めている。まだ子供だから何もできないが5年後には親の存在そのものを否定する人間になりかねない。そんな怖さをこの映画は描いている。

言葉を変えれば、支配者階級とそれに反抗する階級、偽善的な牧師の権威とそれに反抗する子供たち、専制的な男とそれに従属する女たちの対立の構図である。

ヒトラーは1889年生まれだから、第一次世界大戦が始まった時は25歳であり、この映画に出てくる子供たちより若干年長である。つまりこの映画に出てくる子供たちは、第二次世界大戦でヒトラーを賛美しナチスを支持した世代なのである。この映画はナチスの勃興を説明してはいない。しかしこの映画の中で望遠鏡を覗けばその地平線の果てにナチスが見えてくるような映画なのである。しかしハネケはそれについて何も語っていない。

というわけで、聴衆は『白いリボン』を見た後で、取り残されたような悔しさ、もどかしさを感じるのだが、これではずばりハネケの罠に嵌ったことになる。彼は彼自身の映画を「私の映画は、安易に回答を与え聴衆の疑う力を失わせてしまうアメリカ映画に対する抵抗であり、批判なのです。私の映画は聴衆に即座の(そして往々にして誤っている)回答を与える代わりに、頑固なまでに質問を繰り返します。映画を開放して終わるのではなく、まだ真実には距離があるということを聴衆に確認したいのです。そして映画で聴衆がみな同意して満足するのではなくて、まだ終わっていないということを聴衆の心に波立てたいのです」という風に説明している。

このハネケの難解な言葉を私なりに解釈させてもらえば「この映画の中の15個の謎を解こうとして犯人探しをして下さって苦労様と言いたいんですが、残念ならが答えは間違っています。というか、誰もが同意する真犯人などはいません。私はあなたの頭を使って考えてもらいたいからこの映画を作ったのであり、答えは用意していません」ということなのだろうか。

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[映画] 悲しみのミルク The Milk of Sorrow La Teta Asustada (2009年)

ペルーの首都リマ近郊の貧民屈に住むファウスタは、母が毎日のように歌う彼女のレイプの経験を聴いて育つ。母は80年代に内戦が激しかったアンデスの山地の出身で、インカ帝国をつくった民、ケチュア族の血を引く。夫が虐殺され、自分も残虐にレイプされた後、リマに逃げ込んできたのだ。20前後のファウスタの母であるから40代であると思われる母は、もう老婆のようである。ファウスタはその歌で喚起されたレイプの怖れから、自分もレイプされることを防ぐためにジャガイモを自分の体内に入れる。ジャガイモが体を蝕んでいくが、ファウスタはそれを取り出すのを頑固に拒む。

ある日母が死んだ。母の死体を故郷のアンデスの山に葬る費用を稼ぐために、ファウスタはその貧民屈に隣接する最高級住宅街に住む女性の家でメイドとして働き始める。その女主人はファウスタが即興で歌う悲しい歌を聴くことと交換に真珠を一粒づつくれる。彼女は世界的なピアニストで、ファウスタが歌う歌を基にピアノソナタを作曲する。その曲を発表して絶賛を浴びた後、彼女はファウスタを解雇する。男性に対して異常な恐怖心を持ち、自分に好意をもってくれる善良な庭師をも拒絶したファウスタだが、遂にジャガイモを体内から除去する手術を受ける。映画はファウスタが美しいアンデスの山に母の死体を埋葬するところで終わるのだが、最後の最後で(多分)庭師の愛情に反応する彼女が描かれている。

この映画は1980年代にペルーで起こった毛沢東主義者グループ「センデル・ルミノソ」と、それを弾圧する政府軍との間に起こった紛争を遠い背景にしている。センデル・ルミノソはアンデスの山間部を中心に勢力を強めた。センデル・ルミノソと政府軍の抗争のなかで、数多くの村人の殺人やレイプが起こった。しかしこの映画はその惨状を描く社会ドラマではない。映画には一切暴力は出てこない。見ている方としては、母はセンデル・ルミノソのゲリラをかくまった罪で政府軍に報復されたのかと思ってしまうが、同時にセンデル・ルミノソは、現代史では『南米のポル・ポト』と言われているように残虐の窮みを尽くしたとも伝えられており、映画ではどちらが母を陵辱したのかは一切語っていない。

この映画は映像的には非常に美しいが、何故か心にいつまでも突き刺さる。現実の恐ろしさが、目に見える暴力の代わりに体内にあるジャガイモというもので象徴されているので、その悲しみがずっと目に見えず漂ってい来るのだろう。同時に、これは幼い少女が育って行く過程を描いた寓話だとも言える。母のレイプを歌う子守唄はずっと大人になるまでファウスタを引き摺り、彼女は笑うこともできず、通りを歩く時も壁の陰に隠れて歩く。恐怖を抱いたら鼻から出血するし、人を愛することも怖くてできない。しかし、彼女は最終的にはその母の呪縛を乗り越えて生きていこうと決心する。

この映画がアカデミー賞最優秀外国語映画賞に最終候補5作の一つとしてノミネートされた時、ペルー政府は狂喜したという。この映画が世界中の人に観られて、ペルーの観光収益が増えると踏んだからだ。アカデミー賞最優秀外国語映画賞は各国の政府からの推薦によって出品される。この映画はペルーの暗黒の時代も描かれているが、ペルーの政府はそれはもう過去のことであり、政府は平和を達成することに成功したし、現代のペルーの人民は幸せだということをこの映画はアピールできるだろうと思ったのだろう。

ペルー国内を疲弊させた紛争を最終的に終結させたのは、日系人大統領のアルベルト・フジモリであった。当時はセンデロ・ルミノソはペルーの大部分を占領し、パンアメリカンハイウェイや主要幹線道路を押さえてリマは包囲され、センデロ・ルミノソによる革命が間近に迫っているかの感があった。左派のアラン・ガルシア大統領に失望していた国民は1990年に行われた大統領選挙で、ペルーの将来の重大な決意を迫られていた。国際ペンクラブの会長を務め、国際的な文学賞を多数受賞しているマリオ・バルガス・リョサが大統領の本命だと思われていたが、蓋をあけてみるとダークホースのフジモリが当選した。彼が当選したのには色々な原因があるだろうが、日系人のフジモリが、スペイン系の支配層とインディオ系の貧民層の対立の間で人種的にニュートラルであったこと、裕福なスペイン系国民の支持を得たことがあげられる。マリオ・バルガス・リョサは、左翼ではあるがスペイン系なので、地盤であるインディオ系の完全な支持が得られなかったことと、彼の社会主義的な経済政策が現実的ではないとみなされたことが敗因であろう。

マリオ・バルガス・リョサは後にノーベル文学賞を受賞した。この映画の監督を務めたクローディア・リョサはマリオ・バルガス・リョサの姪である。

この映画はペルー国内で大ヒットし、ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞しアカデミー賞にノミネートされた後は世界的な賞賛をあびた。しかし、国内でのこの映画に対する批判もある。ファウスタと叔父の家族が住むスラムは、リマ近郊でプエボロ・ホベン(新興の町)と呼ばれる貧民街。それに隣接する最高級住宅地に住む裕福なスペイン系のピアニスト。コンサートを控えスランプに陥った音楽家は、真珠と引き換えの約束でファウスタの歌を自分の曲として発表した上、ファウスタを解雇する。かつての支配-被支配の構造を示唆するようなエピソード。監督のクローディア・リョサはスペイン系であり、スペインやアメリカで高等教育を受けた女性。いわば映画のピアニストに当たる階層なのだが、彼女はインディオの立場でこの映画を作ろうとしている。しかし、どんなに良心的で芸術的な映画を作っても、インディオとかつて呼ばれたペルー人の一部の心の中で彼女を完全に受け入れられないものがあるようなのだ。その批判は、インディオ主義者の中にまだ根付く、彼女の叔父のマリオ・バルガス・リョサのエリート的な白人のインディオに対する博愛主義に対する嫌悪であろう。その批判にはインカ帝国をつくった民、ケチュア族のことは、ケチュア族のみがわかるという民族主義がまだペルーには息づいていることを知らされる。

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[映画] アジャミ Ajami (2009年)

アジャミは、イスラエル一の大都市テル・アビブの南に隣接する町で、ここにはアラブ人が多数居住しており、ドラッグや暴力を含めた犯罪率の高い地域でもある。この映画は、アジャミのレストランで働く3人の若いイスラム教徒のアラブ人の従業員と、キリスト教アラブ人のコミュニティー実力者、1人のイスラエル人の警察官を中心に、彼が織り成す事件をそれぞれの観点から描いている。だから、同じ出来事を描いても、一人一人の見方でその事件が違って見える。

19歳のオマーは、叔父がベドウィンギャングと抗争したため、そのギャングから報復を誓われ弟のナスリと共に命を狙われることになる。勤めているレストランのボスの友人で、アジャミの町の有力者アブ・エリアスに依頼してベドウィンの法廷に抗争の調停を依頼するが、高額な調停金(日本円で500~1000万円くらい)を請求されてしまい、それが払えなければ殺されてしまうという怖れにおののく。

16歳のマレックはイスラエルに隣接するパレスチナ自治区西岸の人間だが、国境を越え不法労働者として密かにそのレストランで働き、そこで寝泊りしている。母の癌治療のために700万円ほどの経費が必要となった。アブ・エリアスは彼を可愛がっており、その一部は喜んで出費すると言ってくれたが、残りの費用をどうして探そうかと悩んでいる。

20代のビジは面倒見がよく明るいコックだが、弟がユダヤ人の市民を殺害して逃亡した後、非合法のドラッグを残していったので、その処理に頭を悩ませている。警察の家宅捜査を何とか切り抜けた後、ビジは殆どのドラッグを捨て、ドラッグの入っていた袋に小麦粉を入れてドラッグに見せかけた。しかし彼は僅かに残ったドラッグを吸引した結果、オーバードースのために死亡してしまう。

イスラエル人警察官ダンドは行方不明になっていた弟が死体で発見され、弟はアラブ人に殺害されたのだと疑っている。

アブ・エリアスはアラブ人の中でも少数派のクリスチャンである。彼は、自分が窮地を救ってあげたオマーが自分の娘と恋仲になったのに怒りを感じている。宗教の違う男女の恋愛は許されないからだ。

マレックとオマーはビジのアパートで見つけた白い粉がドラッグだと思いドラッグ・ディーラーに売りに行くが、実はこのドラッグ・ディーラーはイスラエルの警察のおとり捜査官であり、ダンドも背後で現場を見張っていた。彼はマレックが弟の遺品らしき高級懐中時計を持っているのに気づき逆上する。

その後に何が起こったのかはそれぞれの見方によって全く違ってくる。また、マレックとオマーは、なぜビジは死んで、誰に殺されたのかというのも、事実と相異することを信じており、それが悲劇に繋がって行く。

この映画はパレスチナ人とその社会の苦悩を描いているが、彼らはイスラエルの領域の中でその市民として生きているので、西岸地区のパレスチナ自治区に住むパレスチナ人とは異なる問題がある。その点をこの映画はユニークに描いていると思う。

私は人間として幸せに生きていくのに必要なことが三つあると思う。一つは家族の愛、もう一つは友人(社会的なサポート)そして第三は仕事(経済力)である。

この映画に登場してくる家族は皆それなりに愛情に満ちている。完璧ではないが、それぞれの親は何があっても子供を守ろうとしているし、子供も親を大切にすることが最大の価値だと思っている。その感情愛情は人間に普遍のものであろうが、アラブ人にとっては『家』がそれこそ一つの単位になっている。一家の中で1人犯罪や過ちを犯すとそれは家族全体の罪になる。また母親は家の中では強く愛情深いが、社会の主流となっている男社会で何が起こっているかがわからないので、大事が起こっても処理ができず、すべての難しい決断はティーンエージャーの男であるマレックやオマーに『家長』として押しかかってくるのである。

社会的サポートとは友情、コミュニティーのサポート、ひいては国家権力の保護という問題になる。西岸地区のようなパレスチナ自治領に住んでいるパレスチナ人は、パレスチナ人の同胞に囲まれ、政情不安定であっても一応自分たちを守ってくれるパレスチナという国家が背後にある。しかし、アジャミに住むパレスチナ人は自分たちが住んでいるイスラエル国家を頼ることができない。しかし、同じアラブ人同士といっても、自分たちの命をねらうギャングたちもいる。イスラエルの警察はそんなアラブ人同士の争いには干渉しないので、コミュニティーの中での解決を自分で捜さねばならぬが、それは容易なことではない。そんな彼らにとって、親戚や友人がいなければ、パレスチナの西岸地区に逃げて行くというのは選択肢ではないだろう。パレスチナ人だというだけで他に何の共通点のない人間は、友人にはなれない。アジャミで暮らすパレスチナ人にとっては、自分たちの親戚とそこで築き上げてきた友人たちだけが本当のサポート組織なのだ。

家族と友人に恵まれていても、それだけでは生きられない。生きていくためには食べて行くために何らかの職業が必要だ。アラブ人であっても、イスラエルにいる限りは高等教育を受けることも、職を得ることも十分可能だ。極端に言えばこの映画の二人の監督の1人、キリスト教パレスチナ系イスラエル市民のスカンダー・コプティのように高等教育を受け映画監督になるのも可能なのだ。

この映画がアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた時、スカンダー・コプティ監督は「この映画はイスラエルを代弁している。私はイスラエルの市民だが、イスラエルを代弁はしていない。私は自分を代弁しない国を代弁することはできないからだ。私はイスラエル代表チームメンバーではない。」と述べて波紋を巻き起こした。

イスラエルの文化スポーツ大臣のリモー・リブナトはこれを受けて「イスラエル人の出資なしに彼はこの映画を作ることはできなかっただろうし、ましてやアカデミー授賞式のレッドカーペットを歩くことすらできなかっただろう。映画の作成に参加した他の人々は皆自分をイスラエルの市民だと思っているのに。」と発言。またイスラエルリーガルフォーラムは「コプティ監督が発言を撤回しなければこのノミネーションは撤回されるべきだ。少なくとも、コプティ監督はイスラエルから金を受け取る前にもう少し慎重に考慮すべきだった。」と主張。共同監督を務めたイスラエル人のメナヘム・ゴラン監督も「コプティ監督には、出資者に対して、もっと尊敬の気持ちを持ってほしい。少なくとも、一緒に働いた私に対しての思いやりを持ってほしい。」と述べている。

コプティ監督はイスラエルの中での少数民族としての自分のアイデンティティーを失いたくないし、ここでイスラエル人と『仲良く』してアラブ人が置かれた問題を安易に解決したくないという思いがあるのだろう。しかしコプティ監督には、映画界の新しいスーパースターとして、イスラエルにいるパレスチナ人の立場を改善する機会を与えられているということを忘れないでほしいと思う。「イスラエル人が嫌いなら金をもらうな」「この国を憎むなら、出て行け」という言葉に左右されず、「どんどん金を貰って、どんどんいい作品を作って、アラブ人の状況を改善する映画を作って、歴史を変えてやる」という芸術家としての意気込みをこれからの彼に見たいと思うのである。少なくとも、彼はそうできる才能と機会に恵まれているのではないだろうか?

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[映画]  インビクタス/負けざる者たち Invictus (2009年)

南アフリカ共和国は、長年続いたアパルトヘイトを1994年に廃止し、全人種による総選挙でネルソン・マンデラが大統領に選ばれた。それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達はそれを見越して荷物をまとめ始めていた。それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるのは自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。」と呼びかけた。彼は二言目には「報復」を口にする黒人たちのスタッフを諌め、新国家はすべての人種の協力無しには築けないと説いた。ボディーガードチームも黒人と白人の混成チームとなった。

マンデラは、スポーツが人々の心を繋ぐ最大の方法であることに目をつけ、1995年に南アフリカ共和国で行われるラグビーワールドカップを国民の心の団結の手段に使おうとする。南アフリカ代表のラグビーチーム スプリングボクスは当時低迷期にあったが、そのスプリングボクスは、ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。強豪ニュージーランドを破った瞬間、人種を問わずすべての南アフリカ共和国聴衆が抱き合うシーンでこの映画は終わる。

私はマンデラ大統領に関しては殆ど知識がなかったが、この映画を見て、彼はなんと素晴らしい政治家だろうと感服した。彼の政治的決断は非常に現実的で、報復の禁止もスポーツの活用も、それが一番政治的に効果があるとわかっているから、それを実行するのに何も迷いがないのだ。しかし、ただ政治力に長けた政治家にすぎないのかといえば、理想主義と人道主義に裏打ちされた強さももっている。まさに政治の名コーチであり、もし全ての国がマンデラのような指導者をもてば、この世はもっと平和な場所になるのではと思わせる。

スポーツと愛国心の繋がりはオリンピックを見ればわかるだろう。金権オリンピックとか、ドラッグの使用、勝つためには何でもする、などと批判されても、もしオリンピックがなければ、人間がどれだけの可能性を持っているのか、国を代表して戦うというのがどういうものかというのがわからなくなるだろう。少なくとも、ジャマイカやグラナダという国に興味を持つ人間はもっと少数になってしまうのではないかと思わせる。マンデラが球技を国民の団結に使用したというのも素晴らしい。フィギュアスケートや体操に比べて、球技はどちらが勝ったのかが客観的に明確になる。しかし水泳や陸上のような個人が英雄になる競技と比べて、チームメンバー全員が英雄になるのである。勝つためには、すぐれたチームワークがなければいけない。

ネルソン・マンデラが、自分の自伝が映画化されるのなら、自分を演じるのはモーガン・フリーマンだと公式に述べて以来、二人は親交を深めていた。そのモーガン・フリーマンがこの映画の主役に決まった時、過去3作の映画を共に作り自分が尊敬していたクリント・イーストウッドに脚本を送り、監督を依頼したという。この映画はチームワークの賜物なのだろう。映画作成に参加した人々が皆その経験を楽しんだに違いない、そう思わせるような映画であった。

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[映画] 愛の勝利を - ムッソリーニを愛した女 Vincere (2009年)

ベニート・ムッソリーニについては、イタリアの独裁者であり、1945年にパルチザンに殺害されて,今までパルチザンを逆さり等の形で虐殺してきた彼への報復のために、死後公共の場に逆さづりにされたということくらいしか知らなかったが、この映画は、実はムッソリーニは重婚者であったという彼の知られざる一面を描いている。実在の女性イーダ ・ダルセルは、若き日の野心満々のムッソリーニと恋に落ち、駆け出しのジャーナリストである彼を財政的にも支えた最初の『妻』として息子を生みながら、その存在はムッソリーニの率いる政府によって完璧に隠蔽消却され、結局彼女は精神病院に送られそこで死亡し、息子も精神病院に送られ26歳で死亡した。彼女がムッソリーニと正式結婚していたかの証明はないというクレジットで映画は終り、イーダが本当にムッソリーニと結婚していたのか、或いは単に彼女が精神を病んでムッソリーニの妻であるという幻影を持ったにすぎなかったのかは曖昧にされている。

2005年にジャーナリストのマルコ・ゼーニが自分の調査に基づいて『La moglie di Mussolini』と『L’ultimo filò』の二冊の本を出版してイーダ ・ダルセルの存在を明らかにし、それを基にしたテレビドキュメントも放映されたことによってイーダの存在が明らかにされ、イタリア国民の間に大きな衝撃を与えた。2009年には彼女の人生はイタリア映画の巨匠マルコ・ベロッキオ監督によって映画化され、その映画は全世界に大きな反響を呼んだ。インタビューに答えてマルコ・ベロッキオは何故イーダについての映画を撮ろうとしたのか?という質問に次のように答えている。

「それは、イーダのことが全く知られていなかったからです。私自身も偶然知ったほどです。ドキュメンタリーを見たり、新聞を読んだりしているうちに偶然知り得たわけですが、彼女の本当にプライベートの部分は歴史家たちにも全く知られていなかったことで、最近になってようやく浮上してきたのです。私は自分でファシズムについてよく知っているつもりでいたのに、『えっ、こんなことがあったのか!』というほど興味を掻き立てられ、こうして映画を作るまでになったのです。」

博識のイタリア人である彼が知らなかったことを私が知らなかったのは当然であろう。マルコ・ベロッキオ監督はムッソリーニをファシストと描くこと事態には興味が無く、彼の映画作成の情熱はイーダという権力に屈さぬ強い女性が真の『勝利』を勝ち取ろうとしたことに焦点をあてているようだ。彼は次のようにも語っている。

「私がこの女性を映画を作りたかった理由はごくシンプルだ。イーダ・ダルセルはヒーローだからだ。私はファシスト政権の悪にハイライトを当てたり、それを暴露することには興味はなかったんだ。だが、イーダという女性は、どんな妥協もしようとしなかった。そのことにとても胸を打たれた。何年もの間、彼女は完全に独りぼっちだった。統帥に対してだけでなく、おそらく自分では気づかないで、あるいは不本意ながらも、イタリア国民のほとんど全員を敵に回したのだ。彼女はまだ無名だったその若き日のムッソリーニに心底ほれ込んだ。他の誰からも相手にされなかった彼を、彼女は愛した。無一文になり、非難され、侮辱された彼を彼女は庇ったのだ。その後、立場は逆転する。統帥となった彼を誰もが愛するようになると、彼女は締め出され、誰もが彼女に背を向けた。だが、まだ無謀な恋から抜け出せず、誰が有利かに気づけなかった彼女は、イタリア全体を敵に回した。」

「当時のイタリアはファシスト主義を掲げ、ムッソリーニの天下だった。統帥に立ち向かった勇気と、妥協を拒絶し、最後まで反逆者であったイーダという女性の人生を考えると、ギリシャ神話に登場するアンティゴネーのような悲劇のヒロインたちを連想させると共に、アイーダのようなイタリアのメロドラマのヒロインを彷彿とさせるんだ。その意味では、この映画もまた、一人の無名のイタリア人女性の精神的な強さを描いたメロドラマでもある。彼女はどんな権力にも屈せず、ある意味では、実際に勝ったのは彼女だ。彼女には、世間に向かって訴えるだけの強さと勇気と、ある意味の愚かさがあった。それゆえに、私にとって彼女のストーリーには歴史的な価値がある。」

「現代の私たちから見ると、ファシズムは馬鹿馬鹿しく、不条理で笑ってしまうようなものだが、彼女の人生を知ることにより、ファシズムは笑い話ではなく、残酷な独裁政治だということを思い出さざるをえない。その狂気の策略を実行するためなら、その邪魔になる者は誰でも迷わず踏みつぶし、無数の罪なき人々の命を犠牲にした体制なのだということを。」

マルコ・ベロッキオ監督の意図はシンプルであるが、彼の意図はこの映画によって観客に正しく伝わるであろうか?映画では彼女が本当にムッソリーニの妻であったかどうかは曖昧にされ、観客には、彼女が狂気と幻想の中で死んのだかも知れないとも思わせる。もしそうなら2時間もかけて延々と『確実さ』のない映像を見続けた観衆は、一体何のために自分はこの狂気とつきあっているのかとも思ってしまう。もし監督がイーダの勝利を描きたいのであれば、この曖昧な描き方は目的を果たすためのベストの手法でないのかもしれないと私は思う。もし、現代のイタリアが人が、『ファシズムは馬鹿馬鹿しく、不条理で笑ってしまう』という位言動の自由が許されているとしたら、なぜもっと権力によって消滅され、暗殺されたかもしれない母と子の生涯を史実に基づいて明示しないのだろうか。確かにこの映画の映像は魅惑的で、無声映画と現実の繋がりなど映画の芸術性を狙う意欲は見られるが、真の無名の英雄に献辞を贈るのならもっと効果的な別の映画が作れたのではないかという気がするのである。この映画を見終わったあと、事実を誰にでもシンプルに伝わるような素直な映画を作ることが、野に捨てられた無名の英雄に対する最大の敬意ではないのだろうかと思わずにはいられなかった。

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[映画]  瞳の奥の秘密 El secreto de sus ojos (2009年)

2009年のアカデミー賞外国語映画賞を獲得したアルゼンチン映画の佳品。

2000年代初頭の現在と25年前(1970年代)のアルゼンチンの世界が交錯する。アルゼンチンの国民、特に労働者階級に圧倒的な人気のあったペロン大統領が1974年に心臓病で急死すると、大統領を継いだ彼の妻イザベルは反対派に対する弾圧を開始する。この状況は彼女がクーデターによりビデラ将軍に追い払われたことで解決するものではなく、反対派に対する弾圧虐殺はビデラが大統領になるとさらに悪化するのであった。こうしてアルゼンチンは「汚い戦争」と呼ばれる内乱に突入していくのである。この映画はそういった状況には直接触れていないが、その社会的背景を理解することなくしてこの映画を理解はできないであろう。

この映画を貫くテーマは、「人間で唯一変わらないのはその心の中に燃える情熱である」ということである。25年前ブエノスアイレスの刑事裁判所の捜査官であったベンハミンは、銀行員の若妻の殺人事件の捜査を任されるが、被害者と共に写真にいつも写っている若者の瞳の奥に隠される危険な情熱の塊をみる。彼がそれに気づいたのは、彼自身もいつも瞳の奥で美しい上司イレーネを見つめ続けていたからである。その写真の中の男性が容疑者なのだが、彼は果たしてどこに潜んでいるのか?ベンハミンの腹心の部下は「人間で唯一変わらないのはその中に燃える情熱である」とベンハミンに説き、何と二人はその説に基づき容疑者を逮捕することに成功する。

しかし、ベンハミンと彼を信じる美しい上司イレーネは容疑者を野に放たざるを得なくなる。その理由は上記の政治的理由からである。実直な操作を続けたベンハミンの身に危険が迫る。上流家庭の出身であるイレーネの身の安全は保たれるがベンハミンは身を守るためにブエノスアイレスを離れなくてはいけなくなる。

25年後、社会も安定し、今は初老に差しかかったベンハミンは25年前に閉じられた若妻殺人ケースを調べるため、そして今は検事に出世しているイレーネに会いたいがためにブエノスアイレスを訪れる。相変わらず美しく、優しく愛情に満ちた心でベンハミンを迎えるイレーネ。そしてベンハミンの思いは妻の殺人犯の告発に全力を尽くしていた夫に至る。彼はどのようにして、妻を失った苦しみを乗り越えているのだろうか。そしてあの殺人犯は今どうしているのだろうか。まだ生きているのだろうか?それとももう死んでいるのか? その謎を解くのはやはり、「人間で唯一変わらないのはその心の中に燃える情熱である」というテーマである。その言葉に従ったベンハミンは銀行員の夫と殺人犯の意外な人生を発見するのである。そしてまた彼の心の中に消すこともできず燃え続いてるイレーネへの思いを発見するのであった。

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