[映画] Outside the Law Hors-la-loi (日本未公開)(2010年)

2006年にアカデミー賞最優秀外国語賞候補にノミネートされた名作 『デイズ・オブ・グローリー』の成功の後で、夢よもう一度という感じで作られた続編の『Outside the Law』は、残念ながら前作には全く及ばぬ出来であり、柳の下に二匹のドジョウはいなかったようだ。

監督は前作と同じラシッド・ブシャール、『デイズ・オブ・グローリー』でカンヌ最優秀男優賞を受賞した兵士役の3人の俳優が前作と同じ役名(メサウード、アブデルカダ、サイード)で出てくるが、続編では3人はアルジェリア出身の兄弟という設定である。前作でちょっと癖のあるマーチネス軍曹をやった俳優はその3人を追うフランスの捜査官として出演する。ただ1人前作の主要人物で同じくカンヌで最優秀男優賞を取ったヤッシール役のサミー・ナセリだけは出演していない。実は彼は『デイズ・オブ・グローリー』の出演の前後から、コカイン所持などを含めて何回か法律に触れ有罪判決を受けていたが、2009年には遂にナイフでの傷害罪を起こして逮捕されているので、そのせいであろう。

顔立ちも体型も違う3人の俳優が同じ部隊の兵士なら説得力もあるが、兄弟を演じるのはどうも違和感がある。いろいろな事件が降りかかって来るのも、同じ部隊の兵隊なら納得だが、3人の兄弟に次から次へと降りかかってくるのもあまりにも偶然すぎる。また、この映画は第二次世界大戦前から1962年の長い年月を2時間で描くので、今一つ上滑りで、掘り下げ方が浅いという印象を受ける。『デイズ・オブ・グローリー』の成功のあと、ラシッド・ブシャール監督はもっとエンターテインメントの要素を強くして、アクションシーンを投入することで興行的な成功も狙っているかのようだ。事実、この映画にはハリウッドの伝説的な映画『ゴッドファーザー』の影響が強く感じられる。しかしそのアクションシーンもなぜか今一つである。ハリウッド映画にもいろいろ批判があるだろうが、ハリウッドもいたずらにそのアクション映画のテクニックを育ててきたわけでない。アクションシーンでは、ハリウッドにはまだまだ及ばないというのを見せ付けられたような気がする。

この映画はアルジェリアの村で、3人の兄弟の父が所有する土地がフランス人と連帯するアルジェリア人に奪われて、一家で故郷を去るところから始まる。映画自体はフィクションであるが、実際にあった事件を背景に取り入れており、その例の一つがセティフの虐殺である。1945年5月8日、ドイツ降伏の後、アルジェリア人がフランス軍事基地のあるセティフ及び近隣で独立を要求してデモが行われたが、警察が介入する中でそのデモが暴動に姿を変えその鎮圧の過程で多数の人 間が殺害された。映画では、兄弟の父はその中で殺害され、次男のアブデルカダが逮捕されフランスの刑務所に送られる。

長男のメサウードはフランス軍兵士としてベトナムに出兵する。映画ではベトナムに送られたのは主にフランス植民地の兵士であると描かれている。実際に当時フランスは第一次インドシナ戦争を戦っていたが、その主力であるモロッコやアルジェリアおよびセネガル等の他の植民地人達の士気は低く、厭世気分が強かったらしい。結局フランスは1954年のジュネーヴ協定によりベトナムから手を引くことになる。

三男のサイードは自分たちの土地を奪ったアルジェリア人の地主を殺害し、母を連れて兄が囚われているパリに渡り、そこで酒場とボクシングのジムを始め、金儲けに専念する。やがて長男がベトナムから帰還し、次男が釈放され家族がようやくランスで再会する。

次男のアブデルカダと長男のメサウードは、パリでアルジェリア民族解放戦線(FLN)に参加したが、二人はメサウードが第二次世界大戦におけるレジスタンス運動やベトナム戦争で出会ったアルジェリア人で、今はフランス政府内部で働いている旧戦友を利用して、政府関係者を暗殺して行く。FLNの動きが過激になって行くにつれて、二人の行動もどんどん暴力的になって行く。

『デイズ・オブ・グローリー』の成功のあとたくさんの人々がラシッド・ブシャール監督に映画の中の人物はその後どうなったのか、と尋ねるので監督は続編を作成することにしたという。しかしこの映画は、FLNの暴力を否定しているのか、肯定しているのかわからない。多分否定しているのであろうが、暴力的なシーンを見続けるのはたまらない気持ちになる。またアルジェリアの将来に対する希望が見えない映画であった。素晴らしい名作の待望の続編が非常に暴力的で、見たあとで気持ちが暗くなるような作品であったことは残念であるが、これは独立に多大な犠牲を払い、現在でも政情不安定が続くアルジェリアの悲しい現実を投影しているのかもしれない。また、この映画の内容は歴史的に公平ではないと多くの人が抗議したという。いろいろな意味で賛否両論の映画だったようだ。この映画もアカデミー賞最優秀外国語賞候補にノミネートされた。

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[映画] デイズ・オブ・グローリー Indigènes Days of Glory(2006年)

戦争映画は数多くあるが、この映画は他の映画にないユニークな観点を提供している。第二次世界大戦のナチ占領下のフランスの抵抗と勝利が表であるが、これは単に「行った、殺した、勝った」というフランスの勝利ではなく、その中にすでに対戦中に芽生えているフランス植民地の独立の動きと独立後の不正義を暗に描こうとしている。

原題のIndigènesとは原住民という意味である。その地にもともと住んでいたが、よそから侵攻して来た他民族の支配下に押されて少数民族となり、社会の底辺層に置かれている民族を総称する。アメリカ・インディアンやオーストラリアの原住民、日本のアイヌ民族もその例である。民族移動の激しいアフリカのサハラ以北には数多くの原住民がいるが、最も有名なのはベルベル族であろう。ベルベル族は放牧民族であり、アフリカの社会では底辺層に入れられることが多かった。しかし、忠義心に厚く勇敢であり、移動することも厭わなかったので、優秀な傭兵として支配階級に利用されることが多かった。北アフリカでアラブ人に抑圧されていたアルジェリアやモロッコのベルベル人の多数は、殖民国フランスがアラブ人とベルベル人を公平に扱うと感じ、自分はフランス人であり、フランスが母国であると信じ、フランスに熱烈な愛国心を感じていた。フランスは対独の劣勢を覆すために北アフリカの志願兵を基にした自由フランス軍を組織した。自由フランス軍はセネガルの徴集兵、フランス外人部隊、モロッコ人、アルジェリア人、タヒチ人などから成っていた。この物語は自由フランス軍に志願し、死も恐れず勇敢に戦ったベルベル人の兵士たちの物語である。

アブデルカダはインテリで、兵役試験でトップを取りベルベル人部隊の兵士長に任命される。彼は将来は勲功を立て、勉強を重ねフランス軍で昇級したいという野心を持っている。公平な立場で部下のいさかいを仲裁し、アラブ人としての団結も説くが、彼の努力は全く無視され、フランス系のアルジェリア人が彼を差し置いて昇進される。屈辱を感じながらも彼はフランス軍への忠誠を失わない。

マーチネス軍曹は、フランス系のアルジェリア人であるという理由だけで、昇進されアルジェリアのアラブ軍を率いているが、知的に軍を統率するのは苦手で、怒るとすぐに暴力にでてしまう。彼自身もアブデルカダの方が自分よりすぐれたリーダーであることを内心認めている。彼は一応フランス系ということになっているが、実は母はアラブ人であり、そのことを人に知られたくないと思っている。

サイードはベルベル人の中でも最も貧困な地域の出身である。母は息子が出兵して報奨金や恩給をもらうより飢え死にした方がましだと彼の志願を止めるが、彼は純粋な愛国心でフランスを守るために戦争に行くのだと、母を振り切って志願する。野心のない素朴で忠実な人間性をマーチネス軍曹に認められて彼に取り立てられる。

ヤッシールは弟の婚姻費用を稼ぐために、弟をつれて入隊する。弟思いで、人間は常に正しく行動し正直でなければいけないと説く男である。

メサウードは天才的な射撃の名人で、マーチネス軍曹からスナイパーの特務を与えられる。その優れた戦場での功績によりヒーローとなり、彼の名声にあこがれるフランス人の女性と恋に落ち、戦争が終わったら彼女と結婚してフランスで落ち着こうと夢見る。

彼らの最初の任務は南フランスプロヴァンス地方のドイツの砦を落とすことであった。ベルベル人の部隊は先行隊として敵に丸見えの山道を歩かされる。ドイツ軍が彼らを射撃し始めると戦線の後ろに隠れているフランス兵はどこにドイツ兵が隠れているのかがわかり、そのドイツ兵を攻撃し始める。この戦闘はフランス軍の圧倒的勝利に終わるが、これがベルベル人の兵士が自分たちが一番危険な任務に最初に回されることを知る最初であった。。

戦線は膠着し、フランス軍は故郷に帰還せよという命令がくだり、ベルベル人の兵士は喜ぶがこの帰還はフランス人のみに適用され、自由フランス軍の兵士は帰ることを許されず、部隊には厭世の気分が漂い始めた。

自由フランス軍に与えられた最難の命令は、ナチ占領下にあるアルザス地方のコルマールを陥落するために、フランス本土軍とアメリカ軍がやって来るまでに、そこのドイツ軍にできるだけの打撃を与えることであった。マーチネス軍曹も他の小部隊の隊長と共にその危険な任務を任され、彼の配下のアブデルカダ、サイード、ヤッシールとその弟、メサウードも名誉と褒章を求めて参加する。しかしドイツ占領地に入る所に置かれていた爆弾で部隊の殆どは死亡しマーチネス軍曹も重傷を負う。弟を失ったヤッシールがこれ以上戦線にいる意味がないと嘆く中で、アブデルカダは生き残ったサイード、ヤッシール、メサウードをまとめ、アルザスの村に進行し村民から歓迎される。しかしドイツ軍との死闘の中で、サイードは重傷のマーチネス軍曹を守って共にドイツ軍に殺害され、ヤッシールとメサウードも戦死する。

この戦線はコルマールの戦いと言われる。当時コルマールを含むアルザス=ロレーヌ地方はドイツ領であり、ライン川に架かる橋を守る重要拠点であった。激しい戦いの末、フランスとアメリカ軍団はドイツ軍団を敗走させることに成功した。連合軍は21000人、ドイツ軍は38000人の死傷者を出した。これにより連合軍はライン川を渡ることに成功し、ドイツ領への本格侵攻を開始することに成功した。

一人生き延びたアブデルカダはコルマールでフランス軍と合流するが、自分の存在も死んだ戦友のことも全く無視される。後からやってきたフランス人部隊のみが勝利を賞賛される中で、死んだベルベル人の兵士がいたということさえ考えるものはいなかったのだ。

戦争に従軍した兵士は生涯恩給を受け取ることが保障されており、それが志願の動機ともなっていた。しかし、フランス政府はアルジェリアの独立紛争が過激化した1959年にフランス植民地出身で、フランス軍に参戦した兵士にはもう恩給を払わないことを決定した。フランス軍はアルジェリアはいずれフランスから独立するだろうし、別の国となったアルジェリア人にお金を払う必要性がないと判断したからだ。この映画はアブデルカダがアルザスの攻防後60年経って、その地に立つ戦死した兵士たちの墓に墓参するところで終わる。

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[映画]  ぼくたちのムッシュ・ラザール Monsieur Lazhar (2011年)

カナダのモントリオールのある小学校。教室で自殺した女教師の代理として雇われたアルジェリア移民のバシール・ラザールは、担任を亡くしたショックから完全に立ち直っていない生徒たちとまっすぐに向き合い、子どもの心を開いていく。しかし、ラザール自身も悲しい過去と秘密を背負っていた。ラザールは母国で激しい内戦を経験し、亡命者としてカナダにやって来た。彼の妻子はテロリストに殺され、彼はカナダで政治亡命者として永住権を得ようとしていたが、教師の資格もなく、教えた経験もなかった。それを知った校長はラザールを解雇するが、彼は生徒の心の中に強い影響を与えて去っていくという話である。

この映画はアカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされ、各国で絶賛されたというが、私はあまりこの映画には惹き付けられなかった。まず、教師が教室で首吊り自殺を図るというのが不自然だ。なぜ、教室で、自分と問題があった男子生徒に発見させるような意図を持ち、自殺の場所と時間を選んだのか?一応この映画の中でラザールの口から「どうして彼女は教室で自殺したのか」という質問をさせるが、彼女と親しかった同僚は「彼女は前からちょっと精神がおかしかったから」というだけである。子供には人気のあった先生という設定だが、生徒や周囲の人間は何も彼女の精神状態を不審に思わなかったのだろうか?また何故、教職の経験も全くないラザールが突然自殺した教師の代理を志願したのだろうか。学校も、永住権もなく、従って働く権利もないラザールをバックグランドのチェックもなしに、教職に採用したというのもおかしな話である。

いずれにせよ、この映画の中心は、先生の死によって傷ついた生徒の心が、もっと深い傷を負っているが、明るい態度を崩さないラザールによって癒されるというのがテーマであるらしいから、そこへ至るまでの設定はどうでも構わない、或いはドラマチックな方がより効果的だというつもりなのかもしれない。校内で自殺が起これば学校側としては、慎重に対応せざるを得ず、何とかそれ以上の面倒を起こしたくない『事なかれ主義』になることはあり得るのだが、自殺というのは大きな行為であり、それに至るまでの深刻な経緯があるはずだが、それに対しては全く考慮せず、自殺をストーリー展開の道具に使うというのは、私にとってはあまり説得的ではなかった。先生の自殺で一番傷ついているのは、先生を自殺に追い込んだ少年の筈なのだが、この映画はクラス一般を広く映画に取り入れ、特に主人公のラザールに心を開いていく少女が中心となって話が展開していくので、映画の意図が今ひとつ私に伝わってこなかった。

この映画の背景は1999年にアルジェリアの大統領に選出されたアブデルアジズ・ブーテフリカの政権が10年に渡って繰り広げられたアルジェリア内戦を収めるため、国内の対立勢力に妥協することを余儀なくされ、過去の過激派の政治犯たちを恩赦で釈放した事件である。ラザールの妻はそれを批判した本を出したせいで、彼の家族は過激派からの脅迫を受け、結局彼の家族はテロリストに殺されてしまうのである。

ラザールを演じたアルジェリア出身の舞台俳優でコメディアンのモハメッド・フェラグもアルジェリアから逃亡した過去を持つ。1995年に彼の舞台に爆弾が投げ込まれた事件をきっかけに彼はチュニジアにそしてそこからフランスに亡命した。この映画はモノローグの戯曲を基にしているが、戯曲の作者エベリン・デ・ラ・シェネリーラはラザール役にモハメッド・フェラグを強力に推薦したが、この映画の監督のフィリップ’ファラデューは彼の演技はあまりにも舞台的だと思い、すぐには彼を採用しなかったという。しかし、舞台で鍛えた演技力と彼の実経験は監督を説得するに十分だったようだ。

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[映画]  神々と男たち Des hommes et des dieux Of Gods and Men (2010年)

修道院、キリスト教、イスラム教、アルジェリアを知らない者にとっても、この映画は非常に力強く説得力のある映画だと思う。宗教と政治を超えた何かを感じさせる映画だからだ。

アルジェリアにある鄙びたカトリックのアトラス修道院で、フランス人修道士と医師たち8人が地元に融けこみながら生活していた。しかし修道院から20キロと離れていない荒野で起きたクロアチア人の殺害事件から、イスラムの過激派の勢力が修道院近くまで伸びて来る。クリスマスイブに武装した数名の過激派が負傷者の手当てを要求して修道院に押し入ったのをきっかけに、修道院はアルジェリア政府軍と過激派の抗争に巻き込まれていく。フランス政府も彼らに帰国要請を行い、修道士たちは殉教覚悟でここに留まるのか、安全のために帰国するかの間で揺れる。

財産も捨て家族にも別れを告げ、与えられた場所で地域の人々を助け、神の福音を伝えようとしている修道士たち。世を捨てたはずの彼らも命が惜しいのか?もちろん彼らは人間であるから、怖れという感情はある。しかし、彼らは、自分たちの命は神に奉げたものであるから、その命を無駄遣いすることなく、一日でも長く神に奉仕するべきだと信じている。だから、危険が迫っているのを知りつつここに留まり殺されるのは、神に与えられた命を無駄にすることになる。

一方、何人かの修道士はこのアルジェリアの村が自分の故郷だと思い、ここで死んでもいいと決心している。また、神の与えたここでの使命はまだ果たされていないと思い、今はここを離れられないと思う者もいる。心の底からの決心ができないので、神に祈って神の声を聞こうという者もいる。しかし、彼らには神の答えが返ってこない。

撤退か滞在か?修道士の中で意見が分かれても、誰も政府軍の軍隊に守ってもらおうとは思わない。自分たちにとって神の声が決断の基準であり、武力で殺戮し合っている政府軍と過激派の基準で生きて行こうとは思わないのだ。結局、その迷いは「狼に襲われた時、羊を置き去りにして逃げるべきか」という質問に尽きることになる。村人たちはムスリムであっても、修道士たちが自分たちに与えてくれたものに感謝し、村は修道士たちを頼りにして成り立っている。それがわかった修道士たちは、何事が起ころうと自分たちのここでの奉仕は無駄ではなかったと心から思えるようになり、死を覚悟してこの村に残ろうとする。この映画はアルジェリアで1996年に起こった、首を切られて処刑された修道士たちの実話を基にして作られている。

北アフリカのフランス植民地のうちチュニジアとモロッコは1956年に独立を果たした。しかし、フランス保護領として君主国の組織が維持されていた両国と異なり、フランス本土の一部として扱われ、多くのヨーロッパ系市民を抱えるアルジェリアに対してはフランス世論も独立反対の声が強く、フランス政府は独立を認めなかった ヨーロッパ系アルジェリア人は終始ヨーロッパ人としての特権の維持を求め、アルジェリアに住むベルベル人やアラブ人との協力を最後まで拒み、そのことがこれらのアルジェリア人が融和した国家を目指す穏健な独立運動の発展を阻害した。アルジェリアは 1954年から1962年に渡る激烈な アルジェリア戦争を経て、フランスから独立したが、独立に伴い、100万人のヨーロッパ系アルジェリア人は大挙してフランスに逃亡した。フランスに協力したムスリムのアルジェリア人でフランスに亡命できなかった者は報復により虐殺された。

独立後アルジェリアは、憲法を持ち、中立政策を取り、経済の立て直しにも成功し、順調に建国を進めているかのように見えたが、1980年代後半にはインフレが進行し、食糧難や失業などの社会不安を生み出した。このような状況を背景として、若年層を中心にイスラーム主義への支持が高まり、こうしたイスラーム主義者のなかには武装闘争を展開するものも現れた。

1990年に行われた地方選挙では、失業者の支持を得てイスラム救国戦線(FIS)が全コミューンの半数以上で勝利し、FISが勝利したコミューンでは厳格なイスラム教統治が行われ、禁酒や男女の分離、そしてフランス化した中間層が主流をなすアルジェリア社会の批判が行われた。1991年に行われた初の総選挙の結果、FISは8割の議席を得て圧勝し、彼らは憲法を無効とした。これに対し、自由を求める学生団体、女性団体、社会主義組織はFISを批判し、FISと反目する軍部が翌1992年にクーデターで政権を握った。ヨーロッパ諸国がクーデターを支持したこともあり、1月にムハンマド・ブーディアフを議長とした国家最高委員会が設置され、3月にブーディヤーフはFISを非合法化して弾圧、選挙は無効とされた。しかしブーディアフは6月に暗殺された。

政府による弾圧に対し、イスラーム主義者は1992年に武装イスラーム集団を結成し、警察、軍部、知識人、自由主義者を対象にテロを繰り広げた。1994年1月にゼルアールが暫定大統領に就任したが、ゼルアール時代にイスラーム主義組織のテロは激しさを増し、アルジェリアは大混乱に陥った。1999年の大統領選でブーテフリカ元外相が文民として34年ぶりに当選し、武装解除や出頭した過激派に恩赦を与える和解案を打ち出し、内戦は終息に向かった。アルジェリア民族解放戦線など大統領派の中道右派の2政党と穏健イスラム政党・平和のための社会運動は3党で連立政権を形成し、5月実施の総選挙で過半数を維持した。政府、軍部、イスラーム主義勢力によるアルジェリア内戦で約20万人が死亡したとされる。

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