[映画]  未来を生きる君たちへ Hævnen In a Better World (2011年)

原題はデンマーク語で『復讐』、英訳がIn a Better World、日本語訳は『未来を生きる君たちへ』であり、英語と日本語の題は原題の直訳ではないが、それぞれ多層のテーマを持つこの作品を象徴しているようで、興味深い。

アントンはスウェーデン人医師であるが、デンマークに住む妻マリアナと別居中で、アフリカ(多分スーダン)の難民キャンプで働いている。彼らの息子エリアスは学校でいじめにあっている。或る日、彼のクラスにロンドンからクリスティアンが転校してくる。妻の死後彼の父クラウスは、クリスティアンを連れて、デンマークの祖母の元に生活の基盤を移したのだ。いじめっ子に対して無抵抗のエリアスに対して、戦わなければいつまでもいじめ続けられるだけだと説くクリスティアンは、いじめっ子の大将をぶちのめしてしまう。それにより、いじめっ子はクリスティアンに一目置くようになる。母を失ったクリスティアンと、離婚で父を失うかもしれないエリアスは、お互いに親近感を抱き深い友情が芽生える。

クリスティアンとエリアスは、エリアスの父アントンが一方的に理不尽にある男に殴られるのを目撃する。仕返しをするべきだと主張する少年たちに、アントンは暴力に対して暴力で返せば、その暴力は果てしなく膨らんでいくのだと諭す。アフリカに帰ったアントンは反乱軍将軍に腹を裂かれた若い妊婦の手当てをするが、彼女は手当ての甲斐もなく死んでしまう。そこへその将軍が傷の手当を求めてやってくる。キャンプの医療団は彼の手当てを拒否したが、アントンは医者としての責務から彼の手当てをする。手当て後、将軍はその傲慢な態度を明らかにし、死んだ妊婦に対しての侮蔑の態度に出たので、ついにアントンは怒り頂点に達し、「ここから出て行け!」と怒鳴ってしまう。アントンの言葉に、今までアントンへの敬意のため行動を慎んでいた難民たちは将軍を殴り殺してしまう。

デンマークではクリスティアンが、アントンを殴った男の車を仕返しに彼の車を爆破しようとする。エリアスはその行為に懐疑的だったが、クリスティアンに引きづられて行動を共にする。爆破寸前に見知らぬ母子がジョッギングの途中で車に近づいてのを見て、エリアスは彼らを救おうと飛び出して、自分が爆破されてしまう。警察に取り調べられたクリスティアンはエリアスが死んだのだと信じ、自分も投身自殺を図ろうとする。

『復讐』- この映画は復讐とそれが生むものを描いている。マリアナは夫のアントンが浮気したのが許せない。それにより、アントンはアフリカに渡り、エリアスは悲しい思いをし、自分を助けてくれたクリスティアンに安らぎを見出すが、それが爆破事件に繋がっていく。クリスティアンは、自分の父は末期癌で苦しんでいた母の死を望んだのだと信じ、母の死を止めきることができなかった父が許せない。そのどこにも向けられない怒りは、いじめっ子や理不尽に人を殴る男への復讐の気持ちに繋がっていく。復讐を否定するアントンも、若い妊婦の腹を裂きそれを面白がった反乱軍の将軍が許せない。妻を殺されたアフリカ人の男は将軍を殴り殺す。どんなに些細なことに見えても、残虐なことでも、程度の差あれ傷ついた人々は復讐の気持ちを抱くのだとこの映画は述べている

『In A Better World』- In A Better Worldこれは『理想的には』とでも訳すべきか?皆理解し合って暴力がないのが理想的な世界だが、これはあくまでも理想であり現実では人々は傷つけあっている。あるいは、この題は、戦火の中の非条理のスーダンに比べると、欧州の中でも落ち着いた社会と言われるデンマークは平和と安静に満ちた世界かもしれないが、その中にもいろいろな形で暴力は潜んでいるということを暗示するのか。暴力には暴力を持って戦うのか?無視をするのか?許すのか?それとももっといい方法があるのか?映画は回答を与えることなく終わる。

『未来を生きる君たちへ』- 暴力に対して大人はそれはいけないというが、それは偽善であるかもしれない。大人たちも自分の問題に対処するので手が一杯なのだ。こんな大人たちを見ることによって、君たち次の世代はもっと違うように生きていってほしい。

私がこの映画を見て一番強く感じたのは、「人生一歩先はわからない」ということだ。この物語の登場人物は少数だが少なくとも6人死んでもおかしくはない状況を描いている。ジョッギングをして偶然車の傍を通りかかった親子、それを守ろうとしたエリアス、飛び降り自殺の寸前でアントンに救われるクリスティアン、クリスティアンが制裁したいじめっ子、反乱軍に恨みをかってしまったアントン、またアントンだって自分を殴った男に逆恨みされて殺される可能性だってあるのだ。親たちは一生懸命子供を育てようとする。しかし毎日の激務や自分なりの悩みに手一杯で、子供のことに思いが及ばない間に、子供たちは思いがけない方に流れていってしまうのだ。幸いにも身近な人は死なないですんだが、どんなに小さい過ちでもそれが悲惨な結果にたどり着く可能性があることをこの映画は示している。

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