この映画は英国映画ではなく、チェコ映画である。英国王はもとより、英国も全く登場しない。エチオピアの皇帝がちょっと顔を出すだけである。だから『英国王のスピーチ』のような映画を期待してこれを観ると???と言う感じになるのではないか。
この映画は美しくグロテスクな映像の風刺喜劇である。しかし、主人公の人生やその時代から、この映画はある意味でチェコの近現代史ともいえる。この映画は第一次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国が解体され、チェコ・スロヴァキア共和国が誕生した1918年から、ヒトラーがズデーデン地方を併合し、その後チェコがドイツの保護領とされてしまった1939年をへて、ソ連の後押しを受けた共産党政権が成立した「二月事件」の起こった1948年を描き、1968年あたりで映画は終わる。チェコ共産党の支配下で発言の自由を奪われていたボフミル・フラバルがこっそり1970年ころ書いた小説をもとに、やはり共産党政権下で製作の自由を奪われていた監督イジー・メンツェルが、共産政権崩壊後2006年に映画化したものである。イジー・メンツェルは1967年に、同じボフミル・フラバル原作の映画化『厳重に監視された列車』がアカデミー外国語映画賞を受賞しているが、その後、1989年に共産主義政権が崩壊するまで長いキャリアのブランクがある。
チェコの映画といえば、最初はドイツに痛めつけられて、次はソ連に支配されて、苦しい迫害の20世紀だった・・・というトーンになるのかと思えば、この映画は違った角度から20世紀のチェコの歴史を描いている。この映画で何回ともなく語られているのがチェコのズデーテン地方である。
チェコの歴史は複雑である。チェコの中心はボヘミア地方であるが、ここは11世紀からドイツ人の植民によりドイツ化が進み、また北のポーランド王国、南のハンガリー王国とに支配されるという複雑な支配闘争が続いた。結局1618年から始まった三十年戦争にでチェコ人貴族が敗れたので、ボヘミアに置けるドイツ人の支配権が確立されたが、歴史的にボヘミア地方ではドイツ人とチェコ人の間には対立関係が強かった。チェコは伝統的に反ドイツ汎スラブでロシアに対する親近感が強かったのだが、この地域は結局オーストリア・ハンガリー帝国の一部となった。ボヘミアには炭田が多く、その豊富な石炭を使いドイツ系資本家からの資本によって起こされた産業革命による工業が著しく発展し、ボヘミア地方は中央ヨーロッパ有数の工業地帯となった。
ズデーテン地方は、ボヘミアの西の外縁部でドイツ国境の地域であり、古来よりドイツ人が多く居住していた区域であり、ドイツ人とチェコ人の対立が最も激しい地域であった。ドイツ人住民はチェコ人の多数派の支配の下で、職業の選択などの差別に甘んじていた。1918年の第一次世界大戦でのドイツ・オーストリアの敗戦の結果、オーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコはスロヴァキアと合体してチェコ・スロヴァキアが独立国家を形成した。チェコは反独が主流であったが、ロシアに近いスロヴァキアでは逆に反ロシア親ドイツの気が強かった。チェコはズデーテン地方に侵略し、この地をドイツから奪い取った。この映画でもチェコ人がドイツ人を苛めているシーンがたくさん出てくる。その苛めはユーモアたっぷりに描かれているのだが、注意深く見ると残酷である。チャップリンの映画のような軽快さと巧みな動きで聴衆を見事にひきつけるのだが、裏に毒があり、またいろいろと考えさせられるものがある。
1938年3月にオーストリア併合を達成したヒトラーにとって次の領土的野心はチェコスロバキアであり、ヒトラーはズデーテン地方に居住するドイツ人が迫害されているという口実を使って、ズデーテン地方の支配権を得ようとした。当時チェコは領域を巡って、隣国のポーランドやハンガリーとも紛争中であった。この状況を利用して、ドイツはズデーテン地方の主権を得、その勢いに乗ってチェコを併合してしまったのである。
この映画では鏡が効果的に使われている。鏡は何かを反射するものである。この映画はチェコのメインストリームでない主人公が風刺たっぷりに映し出すチェコの素顔である。主人公は誰にも注目されない地味な小柄なチェコ人には珍しいブロンドの男である。チェコが独立して好景気に沸いていた時は貧しい男である。他のチェコ人がドイツ人を苛めている時、唯一ドイツ人を助けてあげる男であり、ドイツ人の女性と結婚までしてしまう。ナチスの支配が始まり他のチェコ人が弾圧され始めると、妻のおかげで高給ホテルや高給レストランでいい仕事につける。高給ホテルは一見優雅の極みではあるのだが、そこに来る金持ちや高給軍人や政治家たちはそこで本性を曝け出す。ホテル従業員は「すべてを見た上で、何も見なかった振りをする」ということに徹底しているので、そこに来る金持ち連中はホテルの従業員などの目を全く気にしない。主人公を描くことで鏡のようにその時代時代の人間を描いていくのである。第二次世界大戦でドイツが敗北し共産革命が成立した時主人公は大富豪だったのでその罪により15年間刑務所に入れられるという人生を送る。釈放された後、主人公はズデーテン地方に送られ重労働に課せられる。
主人公が到着した時はズデーテン地方は廃墟となっていた。第二次大戦後すべてのドイツ人は強制的に国外追放になったのだ。追放されたというのが一番いい待遇で、もっと恐ろしいこと、たとえば略奪や虐殺のようなものが起こっただろうということが示唆されている。主人公がこの廃墟のような山の中で静かに人生を振り返るというところで映画が終わる。主人公の若い時と老年期を演じた役者は別人で二人は似ていない。主人公の人間性が変わったというために二人の役者を使ったのだろう。この映画は主人公の青年期から初老にかけての35年くらいを描く。普通なら一人の役者が十分演じることができる年数ではあるのだが。
この映画はチェコ近代史にとって汚点のような、あまり触れられたくないズデーテン問題をチェコ人として取り上げている。画像美しき喜劇にはしているが、ズデーテン問題を主題にするのはかなり勇気のいることである。特に原作の著者ボフミル・フラバルはズデーテン問題が公的に解決される遥か以前の1970年代にこの作品を書いているという、その作家としての良心には感嘆する。それを思うとこの軽快なコメディは、自分を含めたチェコ人に「ナチスの被害者となる状況は、自分から作り出したのではないか?隣人とのちょっとした人種の違いで憎しみを持ち続けた自分たちは、心の狭い人間ではなかったのか?」という恐ろしい問題提起をしているのではないだろうか。