[映画] ソハの地下水道 In Darkness W ciemności (2011年)

この映画は、ナチス・ドイツに支配された1943年の旧ポーランドの街リヴィウ(或いはリヴォフとも表記される)で、ユダヤ人を地下に匿ったリヴィウ市の下水道整備工ソハの実話を基にしている。ソハは、地下の下水道でナチスの迫害から逃れて潜んでいるユダヤ人たちに出会う。日当を貰うという約束ででユダヤ人に食料を運び、彼らを助けることになったが、ソハの行動は自分だけではなく家族の命を危険にさらすことになっていく。

映画ではドラマ性を持たせるために、ソハは窃盗などをする小悪党で、ユダヤ人を匿ったのも最初は金目当てであり、妻からユダヤ人を助けるのには反対されていたが、彼らを匿る過程で、次第にユダヤ人への同情がわき、ユダヤ人たちが財産を全部使い果たした後は無料で、自分の命を冒してまで彼らを助けたように描かれている。しかし、私がいろいろ関係した情報を調べていく中で、それは必ずしも事実ではなかったかもしれないという気がしてきた。彼は最初からユダヤ人に同情的で、妻や友人と力を合わせて、自分の意思で彼らを助けたという可能性がある。金銭を受け取ったのは、ソハも非常に貧しい生活を送っており、他人を助ける余分のお金は持ち合わせていなかったので、ユダヤ人の食物を買うためには彼らの金が必要だったのではないか。後にユダヤ人のお金が尽きた時、彼は自分のお金で食物を買って彼らに提供している。こういう生活が14ヶ月続いたのだ。

どちらが真実かはわからないし、それは重要なことではないだろう。重要なことは、何故自分と家族の命を失う危険を冒してまでソハはユダヤ人を助けたのであろうかということたろう。それを私なりに考えてみたい。

ソハが住む町リヴィウはポーランドの中でも東端で、古来から西のポーランド王国と東のキエフ公国の間で争奪が繰り返されていた地域である。17世紀まで、リヴィウはウクライナ・コサックやオスマン帝国などの相次ぐ襲撃を受け、1704年には大北方戦争でカール12世の率いたスウェーデン軍に占領され、町は破壊された。

1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィウはオーストリア帝国の支配下に置かれた。オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、公用語はドイツ語とされた。それを憎むポーランド人は1848年には民衆蜂起を起こし、その後ポーランド人は徐々に、この地で自治を認めらるようになった。リヴィウはポーランド文化の中心地でもあったが、同時にここにはウクライナ人も居住し、ロシア帝国に支配されている他のウクライナ地方と違い、ここでは、ウクライナ文化も守られていた。第二次世界大戦でのオーストリアの敗北の後1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が消滅すると、西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィウはその首都とされた。

それに対してポーランド人の住民が蜂起し、ポーランド・ウクライナ戦争が起こった。戦闘は本土からのポーランド軍の全面的支援を受けたポーランド人側の圧勝に終わり、再びリヴィウにポーランドの支配が復活した。ウクライナ人民共和国のディレクトーリヤ政府は、リヴィウにいるウクライナ人の味方につかず、自分の背後にあるロシアの赤軍に対抗するために、ポーランドからの協力をとりつけた代わりに、ポーランドのリヴィウに対する支配を認めた。

1920年に革命に成功したソビエト赤軍がリヴィウを襲った。ポーランドは武装した住民が赤軍を撃退し、ウクライナの意向を無視してソビエト側との講和に入った。これは反ソという原理で同盟を結んだウクライナ人民共和国に対する裏切りであった。

これらの複雑な情勢を簡単にまとめると、リヴィウでは古来からポーランド人とウクライナ人の対立があり、ウクライナ人はロシア、そして革命後のソ連とは天敵であった。反対にポーランド人は古来からドイツ人に対しての憎しみがあった。ウクライナ人はリヴィウでの覇権を得るためにドイツ人と結託し、ポーランド人は逆にロシア人と結びついたということである。

第二次世界大戦において、ドイツは1939年9月1日にポーランドに侵攻し、リヴィウは9月14日にドイツ軍に占領された。その後リヴィウは短期間ソ連に占領されるが、結局ドイツがこの地を占領することになる。ドイツ軍は共産主義者とユダヤ人を壊滅することを目的とした。リヴィウのウクライナ人の一部は、反ソ親ナチの運動を起こしナチに協力した。ドイツ占領の中で、ポーランド人は苦しい生活を迫られる。映画の中でポーランド人たちがドイツ兵を殺したという容疑で何人も処刑されているシーンがでてくるが、ポーランド人にとってナチによるユダヤ人の迫害は『明日は我が身』であると思われたのであろう。そこには共感がある。しかし、それでも危険を冒してユダヤ人を守ったソハの決心の源泉を測ることはできない。

第二次世界大戦後、一帯はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の領土とされた。その際に、ポーランド人の住民の大部分がポーランドに逃亡した。

1945年、第二次世界大戦の終了直後、ソハが彼の娘と一緒に自転車に乗っている時、ソ連の軍トラックが彼の娘に向かって進んできた。娘をトラックから守ったソハは、トラックに轢かれて死亡した。彼の葬式で「彼が死んだのは、ユダヤ人を匿まって、神の怒りに触れたからだ。」と言った人もいたという。映画をドラマチックにするために、ソハは卑小な人間として描かれているが、私はそれを信じない。彼がどういう人間だったかというのは私には問題でない。彼が何をしたかというのが大切であり、この映画によって人々は彼のことを語り続けるだろう。

English→

3 thoughts on “[映画] ソハの地下水道 In Darkness W ciemności (2011年)

  1. お早うございます。 コメントをお寄せいただいた「映画横丁758番地」です。
    当方のスカスカぶりに比べたら、いちごさんの作品紹介の充実ぶりには少々驚かされ、正直なところその迫力に圧倒される思いがあります。
    次回記事を楽しみにしています。
    また、トラコミュ「映画で歴史を探ろう」の方、いちごさんの再開を喜んでいます。
    ---------------------------------
    <ご提案>
    記事中に「日本ブログ村」の「映画バナー」を貼っておかれてはどうでしょうか?
    当方が訪問した際の「足跡」にもなりますし、ランキングにも登場することで読者が
    増えるかもしれません。

  2. Pingback: [映画]  危険なメソッド A Dangerous Method (2011年) | 人と映画のタペストリー

  3. Pingback: [映画]  カティンの森 Katyń (2007年) | 人と映画のタペストリー

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *