[映画]  昔々、アナトリアで Once upon a time in Anatolia Bir Zamanlar Anadolu’da (2011年) 日本未公開

トルコの世界的監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの最新作である。この映画の粗筋を一言で言えば、トルコの首都アンカラ地域で起きた殺人事件の証拠の死体を捜しに行く警察官、検察官、検死外科医、殺人容疑者、部下の警官と発掘作業員たちクルーが、死体放棄場所であるアナトリアで過ごした一夜とその翌日の検死を描く。

ヌリ・ビルゲ・ジェイランの特徴がこの映画でも顕著で、特にドラマティックな展開はないが、相変わらず美しいシネマトグラフィーであり、それに惹きつけられる彼のファンの期待を裏切ることはないだろう。しかし、この映画は彼の従来の作品に比べると登場人物が多いし、一人一人のキャラクターを描写するために会話が多くなっている。またドラマティックではないにしても、従来の映画に比べたらストーリー性が強くなっていて、謎解きの要素もあるので結構長い映画なのに最後までぐっと見続けることができる。映画のテンポは観るものが一人一人の登場人物の心を消化できるように、ゆったりと進むが、それぞれの登場人物の心が複雑なので、これくらいの時間を貰えるのは却ってありがたい。また要所要所に非常に興味深いメタフォーが散りばめられている。木から落ちた林檎がころころと丘を転がり落ち、小川に落ちた後もずっと流れて行くシーンがカットなしのロングショットで映される。よくこんなシーンがとれたものだと感心してしまった。

この映画の特徴を一言で描写すれば、雨がぽつぽつ降っている水溜りに、雨粒で波紋が静かに幾つか生まれて、それが他の波紋と共鳴したり消しあったりして、いつまでも続いている、とでも言おうか。一つ一つの波紋は登場人物の心である。そして、映画を観終わったあと、聴衆の心に小さな石つぶてが静かに投げ込まれ、それがいつまでもさざなみ立っているのである。

単純な「行った、捜した、見つかった」というだけの筋なのだが、この映画の中に含まれるセンチメントは多層である。しかし私が一番強く感じたのは、「身近な女を幸福にできない男」のメランコリーであり、ニヒリズムである。

若くて結構ハンサムな外科医は離婚しており、子供もいないが、警察官はそれは却っていいことだという。こんな希望のない世界で子供を作るなんて罪だと。その警察官の子供は精神的に問題があり、それが夫婦間のいざこざになっており、彼は妻との関係に疲れきっている。検察官は全く自分の人生には問題がないという顔をして、自分が扱った面白い事件の話をしている。非常に美しい女性が子供を産んだあと、自分は死ぬと予告し、結局自分が予告したのと全く同じ日に変死したのだ。しかしその外科医はその死は自殺なのではないかと問いかける。外科医は自殺する人間の動機は他人に対する復讐なのだ、と静かに語る。その中で、観る者は、生後3ヶ月の赤ん坊を置いて自殺したのは、検察官の妻であるということを推測できるのだ。友人を殺したということで逮捕された男は、被害者と仲良く酒を飲んでいるうちについ「お前の子供は実は俺の子供だ」と口をすべらし、それがもとでの喧嘩で友人を殺してしまう。残された女は子供の実の父と育ての父を失ってしまうのだ。

この映画には女性は殆ど出てこない。唯一のキーパーソンは、警察の死体発見のクルーが夕食を取った貧しい村の村長の家で、蝋燭の光でお茶を提供した美しい娘だけである。全員が彼女のあまりの美しさに感嘆し、それぞれの人生の中で自分が不幸にしてしまった女性を思い起こすのであるが、誰も彼女に話しかける者はいない。娘が持つ蝋燭には蝿が光をもとめてぶんぶんと飛んでいる。しかし、男たちは「美しい女は不幸になるものだ」といって彼女から距離を置こうとする。

この映画は非常にクレバーな映画である。殺人事件がどこで起こったのか、聴衆は案外見過ごしてしまうのではないか。また良心的で知的で映画では肯定的に描かれている外科医が最後に下した決断は意外なものである。最後に窓から外を見やるその意思は一体何を見て、何を感じているのか。その行為に「男が遠い女に奉げる優しさ」があるのか?しかし、彼は自分に近い女に対してその優しさを奉げることができるのか。

というわけで、何ということのないストーリの中に謎かけと謎解きが混じっている、一筋縄でいかない映画なのである。この監督の映画を観るたびに、彼の映画の底に流れる虚無感は彼の性格によるものなのか、あるいは複雑な問題を抱えるトルコ社会の鬱屈さに影響されているのか、と考えてしまうのである。

トルコは地理的にも文化的にも、東西の要、ヨーロッパ文化とアジア文化の中間点である。アナトリアは小アジアとも呼ばれ、イスタンブールがギリシャや西欧文化への窓口であるとすれば、東方文化に繋がる地方でもある。ムスリムが多く、宗教心の強い地域である。チグリス川・ユーフラテス川の源流が始まる地域であり、古来から独自の文化が発達した。現在でも少数民族とされているクルド人が多数住む地域である。第一次世界大戦で破れて民族分断絶滅の危機に陥った時、民族運動の中心地になったのがアナトリアである。だからトルコの首都はこの地に近いアンカラにある。アナトリア地方は現在でも、貧しく、亜寒帯の厳しい気候を持ち、宗教的であり、風光明媚で国際的で経済的に発展しているイスタンブールとは対照的である。監督はアナトリアに対しての特別な気持ちがあるのだろうが、それは私にはわからないことである。

アナトリアはカッパドキアなどの世界遺産である奇観で知られるが、監督はその岩がごつごつした風景は避けて、草原がゆるゆるとどこまでも続き、道がくねくねと曲がり延びて行くようなロケ地を捜したという。この映画はそんな、どこまでもうねっている草原のような映画である。

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[映画] 別離 A Separation (2011年)

見終わった後、すごい映画を観てしまったという想いが残り、胃がドンと突かれたようで言葉もなかった。こんな経験はめったにあるものではない。

この映画はイランの中産階級の夫婦の離婚裁判から始まる。妻のシミンは11歳のテルメーの将来を考えて海外移住を望んでおり、やっとのことで出国のビザが降りた。しかし夫のナデルはアルツハイマー(認知症)の父を置いて出国することができず、二人は離婚の道を選ぶ。しかし娘の親権をどちらが取るかということで、二人は争うことになり、その期間、シミンは実家に戻ることになる。

シミンは友人の妹である労働者階級のラジエーをヘルパーとして雇うが、彼女はナデルの父をベッドに縛り付けて外出してしまう。それを発見して激怒したナデルはラジエーを家から追い出してしまうが、その晩ラジエーは流産してしまう。ラジエーの夫のホッジャトは刑務所帰りの短気で暴力的な男で、ナデルを殺人罪で告訴すると共に、ナデル一家やナデルのために簡易裁判所で証言してくれた女教師を威嚇するという行動にでる。

この映画は階層や宗教心の深さの違う2組の夫婦の法廷での争いと、シミンとナデルの親権闘争という2つの主題を巧みな構成と全く無駄のない見事なストーリー展開で、一分も息をつくことを許さぬサスペンスで聴衆を最初から最後まで引っ張り続ける。一言で言えば、どこにでもいる人間の日常で簡単に起こり得る事件の謎解きである。トルコの監督で元写真家のヌリ・ビルゲ・ジェイランが完璧な画像を提供するのに対し、脚本家の経験豊かなこのイラン映画の監督アスガル・ファルハーディーは、完璧なストーリーテラーといえるだろう。しかし、この映画の本当の素晴らしさは、そのプロットの奥深くに隠されたメッセージである。

アスガル・ファルハーディーの作風を一言で言えば、聴衆に対する信頼である。ハリウッド映画によくある、bad guy, good guy の明らかな役分けや、プロットに対する至れり尽くせりの解説やhappy endingはここには全くない。監督がスプーンを聴衆の口まで運んできちんと食べさせてあげる映画ではないのである。聴衆はナデルがホッジャトと示談したのか、またそれが決裂して刑務所に送られたのか、あるいは流産の責任が彼にないと証明されて無罪放免になったのかはっきりとわからない。また親権はテルメーの選択に任されるが果たして彼女がどちらを自分の親として選ぶのかはわからない。またラジエーは本当にナデルのお金を盗んだのか、ナデルの父を縛り付けたのか、誰がナデルの父の酸素ボンベを開けて危険な状況を生み出したのか、シミンはどの国に移民しようとしているのか、などは全く説明されていない。監督の意図は、そんな説明は重要なことではないし、その解決は読者の考える力に任されていると主張したいようなのである。

アスガル・ファルハーディーはインタビューに答えて、「医者が診て余命一ヶ月の患者がいるとする。イラン人の医者は患者にあなたはまだ死なないと告げ、患者の親族のみに真実を告げるだろう。しかしスウェーデンの医者なら、患者に直接はっきりと余命一ヶ月だと告げ、心の準備をさせるだろう。どちらが正しい医者だとはいえない。大切なことは、あなたがどちらの医者を選ぶかということだ。」と述べている。彼はどこにでも起こり得る、どちらの結論にもなりえる事件を語ることにより、聴衆が何かを感じてくれることを祈っている。たとえ、聴衆の結論が彼の意図と違うことであっても、構わないのだ。聴衆がそれぞれの心で考え、感じてくれる限りは。

では彼がプロットの奥で伝えたいメッセージは何か?私はそれはイスラム教原理主義の名のもとに女性の生き方を縛っている社会への批判であると思う。ラジエーは宗教心の強い女性で、失禁したナデルの父の体を清めるためにも、宗教のオーソリティーに電話をかけ男性の老人の体を触っていいかどうかを尋ねなければならない。オーソリティーがそれを認めたのかどうか映画ではわからない。多分だめだと言ったのだろうが、ラジエーは老人を放っておくことができない。4歳になるラジエーの娘は「大丈夫。お父さんに告げ口しないわ」と言い母を安心させる。ラジエーがナデルのために流産したと100%思えないのにナデルのせいだと主張したのも、夫に殴り殺されるのを恐れたからである。しかし、嘘をついて多額の示談金をもらうと自分の娘に将来恐ろしい報いが来るとの怖れから、自分の危険を冒してまで真実を告げるのである。シミンも自分の娘がイランで朽ち果てるのを恐れて、すべてを捨てて海外移住をしようとしている。女の子を持つ母親がしなければならない難しい決断をこの映画は描いている。アスガル・ファルハーディーにも娘がおり、この映画ではシミンとナデルの娘テルメーを演じている。賢こそうな少女でベルリン映画祭でも最優秀女優賞を受賞している。アスガル・ファルハーディーも娘の将来に対する夢と、イランという体制の中で娘を育てなければならないという不安を同時に抱いているのであろう。

イランの現体制を批判する映画人は亡命したり、或いは刑務所に送られたりしている。アスガル・ファルハーディーも、2009年に起きた大統領選挙でマフムード・アフマディーネジャードの再選に反対する緑の運動に参加した芸術家を弁護したことにより、映画人としての活動権を剥奪された過去を持つ。彼はその後国内に留まりその制限の中で映画を作ることを決心しているようであるが、政府から弾圧されないように、ぬらりくらりと、うまく映画を作ることに成功している。まず、表立った宗教的な批判もないし、登場人物が体の接触をしないようにしている。すべての体制批判は、主人公のシミンを通して暗喩されるが、彼女は知的階級で少々身勝手な女性にも見えるような描かれ方をされている。「私はこんな環境で子供を育てたくありません!」と堂々と判事の前で述べる彼女だが、その環境とは頑固な夫との家庭を指すのかそれともイランの社会を暗喩しているのかは聴衆の解釈に任せられている。また繰り返し繰り返し、「シミンさえ海外移住という野望を持たなければ、こんな事件は起きなかったのだ。」という嘆きが囁かれる。しかしこの映画で本当に子供のためを思って行動しているのは、シミンとラジエーという二人の若い母親であり、シミンは実は非常に賢く他人の幸せを第一におき、自分を犠牲にする女性だということがわかってくる。ナデルの父も認知症でありながら、シミンに感謝しているというところが繊細に描かれている。

別離は第84回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、イスラエルから出品され最終候補にノミネートされたFootnoteを破り、アカデミー賞を受賞した。イラン国内では宿敵イスラエルを破ったと大変な興奮だったそうだ。アスガル・ファルハーディーもこれでイランの体制内でも映画を作りやすくなったかとは思うが、「どうだ、イランは俺のおかげでイスラエルに打ち勝ったんだ」とは思ってほしくない。彼はそんな人ではないと信じたい。彼のオスカー受賞のスピーチは素晴らしかったからだ。

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[映画]  Where Do We Go Now? (2011年)日本未公開

英語に poster child という言葉がある。もともとは、病気で苦しんでいる子供をポスターにして献金を募った時のモデルになった子供のことをいうのだが、今では一般的に何かの主張のために使われるモデルとなる存在をいう。わかり易い例をあげると、2008年の大統領選ではオバマ候補はアメリカのポスターチャイルドだと言われていた。アメリカという国家が人種差別をしていないということを強調するモデルだとみなされていたからである。

レバノンのナディーン・ラバキーが2007年の映画『キャラメル』で衝撃的な国際レビューを果たした時、彼女は中東のポスターチャイルドだと言われた。中東に一人すごい女性がいる。この女性を評価してあげれば、中東の女性を無視していることにはならないだろう、と。

オバマは4年間の政治的実績により、アメリカを成功裡に導いた。国民皆保険とか、同性愛の法的結婚とか、大変難しい、しかし国民の多数が密かに支持している問題を勇気を持って解決の方向に進め、また国際情勢の安定にも貢献した。今彼のことを「黒人だから嫌い」とか「黒人だから認めなきゃ」というアメリカ人はいないだろう。少なくとも私の周囲には一人もいない。オバマは実績によって人間として尊敬されているのである。4年後の今、彼はもはやポスターチャイルドではない。

翻って、ナディーン・ラバキーはどうであろうか。彼女の処女作『キャラメル』は甘酸っぱい女の子目線の恋愛物語。これを嫌いになるのが無理なくらい、心地よい映画である。彼女のチャレンジは、さて第二作はどこに行くかということである。第二作Where Do We Go Now? はレバノンの宗教的対立を描いている。

5年ぶりの映画製作終了後のインタビューに出席した彼女は、相変わらず眩しいくらいに美しい。しかし5年間に彼女の中にも大きな変化があった。一つは作曲家のカレド・ムザナルと結婚して一児の母となっており、母として、女としての自信に溢れている。「レバノンは戦争でずたずたにされました。母として自分の子供が戦争に出ていくのを防げるかどうかという想いでこの映画を作りました」と述べている。

もう一つの違いは、彼女の英語が素晴らしく上達したことである。『キャラメル』のインタビューではカタコトの英語しか喋れず、「アラビア語かフランス語だったら、流暢に話せるのに」と言いたげな悔しそうな顔をしていたが、5年後のインタビューでは実に流暢な英語を話すようになっている。質問に対して10倍どころか100倍くらいの量で話しまくる。見かねたご主人のカレド・ムザナルがナディーン・ラバキーの許可も得ず突然彼女からマイクを奪い、「すみません、うちのワイフはちょっとおしゃべりすぎてね。それに分裂気質のところもあるからね」と割り込み、彼女がきまずそうにうつむくシーンもあった。

「おしゃべりすぎで、分裂気質」という夫の言葉は期せずして、Where Do We Go Now? の欠点を集約しているような気がする。この映画は男たちが宗教の対立から暴力的になっていくのを、女のウィットで防ごうというのがテーマであるが、色々な人々が次々に登場してそれが誰であるのか混乱する中で、女性のお喋りが続き、何となくロマンスがあり、男性の目を暴力からそらすためにウクライナのダンサーたちを村に呼び、退屈なストーリーがあちこち飛んだ形で延々と続く。映画の終わりになると「あ、しまった!!映画の結論をつけなきゃ」という感じで、急遽女たち(キリスト教とムスリムの女性が仲良く)が大麻入りのケーキを男たちに食べさせ、彼らが眠っている間に男たちが隠している武器をこっそり穴に埋め、「ああ、これで当分抗争がないことを祈るわ」という感じで映画が終わる。「女たちは愛する人を埋葬しなければならぬ悲しい存在なのだ」という嘆きをユーモアを込めて描く、ドラマ、悲劇、コメディ、そしてミュージカルのごちゃ混ぜなのである。

女が共謀して男たちの戦争を食いとめるというテーマは、古代ギリシャ喜劇の『女の平和』を髣髴させる。事実多くの映画批評家はこの映画を『女の平和』と比較して論じている。ナディーン・ラバキーはギリシャ喜劇は全く念頭になかったと述べているが、私もそうだと思う。彼女が戦争をテーマに映画を作るとこうならざるを得なかったという気がする。

彼女の才能というか気質は、女の子の間で取りとめもなくお喋りがジャンプしていくような『キャラメル』では十分生きるが、戦争や宗教的対立のような深刻なテーマは彼女に向いていないし、苦手なのである。また彼女も本当にそういったテーマに興味がないような気がする。また英語になってしまって恐縮だが、政治的なテーマはnot her cup of tea (彼女に向いていない)ではないかという気がする。極端な言い方をすれば、この映画は「一人一人の女がそれぞれの夫や子供の戦意を抑えたら、この世に戦争というものがなくなるかもね」という気持ちで作られているように思われる。それは「女が戦争に反対することで、戦争に歯止めがかかるかもしれない。それは難しいことかもしれないけれど、何とか考えてみよう」というスタンスとは、一見似ていても、全く違うものである。その違いが「この映画には解決策がない」という批評に現れているのだと思う。誰だって、レバノンの将来に対する明確な解決策などはないのである。しかし敢えてそういう言葉を使って彼女の映画を批判するのは、そこに彼女の限界があると聴衆が感じるからである。この映画は『キャラメル』と同様軽い。その軽さは、政治的な圧力でそうせざるを得なかったのではなく、いい意味でも悪い意味でも彼女の資質である。

インタビュアーが「映画の中でのあなたの歌と踊りがとても素敵だった」と言うと彼女は「私は歌が下手だから」と何回も謙遜する。また彼女の踊りは、踊りといっても体を軽く動かすだけで、とても芸術表現としての踊りとはいえないのだが。するとまた、映画で音楽を担当した彼女の旦那様が突然マイクを奪い、「彼女の声にはあまり感心できなかったから、僕は吹き替えを採用することを主張したんだ。それでたくさんの女性歌手のオーディションをしたのだが、彼女は誰も気に入らなくて、自分の声を使うことを主張したので、彼女の声を使うことにした。でも彼女の声がおかしくないようにするためにいろいろ音響のトリックを使わなきゃならなかったので、大変苦労したんだ」と述べる。彼女は「そこまで暴露しなくても」と言った顔で聞いており、聞いているこちらが「あとで夫婦喧嘩をしなければいいが。」と感じてしまうほどであった。

この映画を観終わった後で、正直言ってナディーン・ラバキーはまだポスターチャイルドだな、という感をぬぐい得なかった。しかし、それは彼女の才能がないということではない。非常に層の薄いレバノンの映画界で彼女は唯一のトップ女流監督であり、唯一のトップ女優である。一挙に大物になってしまった彼女にとって、これからは正直な批評を貰うのも難しくなるかもしれない。でも、自分に忠告してくれる人を大切にして、若手にもどんどん活躍の機会を与えることによってレバノンの映画界を発展させていってもらいたいものである。

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[映画]  血と蜂蜜の国で In the land of blood and honey (2011年) 日本未公開

ハリウッドの人気女優で、国際連合の難民問題に関する機関UNHCRの親善大使であるアンジェリナ・ジョリーが初めて監督を務めた作品で、ボスニアを舞台に、ボスニア戦争に翻弄されたボシュニャク人・ムスリム人の女性とセルビア軍の隊長の恋愛の末路を描くメロドラマ。2013年に日本で公開の予定だと聞く。

個人的にはアンジェリナ・ジョリーという女優は好きだし、彼女が、難民や天災で苦労している人々や、中東の女性の教育や里親制度の振興のために多額の寄付をしているということにはいつも感心と尊敬の念を抱いているし、彼女の勇気ある行為を応援しているのだが、この映画はあまり感心できなかった。以下私の感想を簡単にまとめてみたい。

まずこの映画では英語が使用されていることだ。これは映画の最大の配給先のアメリカでは字幕のある映画は嫌われているという現状では仕方ないことかもしれないし、出演する俳優の英語は非常に流暢なのだが、やはり彼らが話すボスニア語とセルビア語を聞きたい。でなければ、この映画の真実味が減ってしまうような気がする。

この映画は結局はハリウッド映画である。主人公を演じる女優は最初はさすがにスカートとセーターを着ているが、セルビア人隊長の恋人に匿われるあたりから、段々肌の露出が激しくなり、アンジェリナ・ジョリーがレッド・カーペットに着るようなドレスを着始め、あれ?彼女はムスリムではないの?こんな服着て、どこでこんな素敵なお洋服手に入れたの?とふと思ってしまう。この女優は顔立ちも何となくアンジェリナ・ジョリーに似ている。出演者の感情表現も怒れば物を投げつけるというようなハリウッド的な演技指導がなされている。

映画はセルビア人が一方的に悪者という描き方である。戦争に至った歴史的な背景とかは描かれてはいない。次から次へと残酷なシーン(セルビア兵によるボシュニャク人へのレイプとか、ボシュニャク人女性を盾にして、ボスニア兵を撃ちまくるセルビア人の兵士)などが出てくる。ボスニア人の兵士は善良に描かれているが、セルビア人たちはいつも醜く描かれており、敵を射撃する時もにたらにたら笑っていたりする。ボスニア戦争では、ボシュニャク人とセルビア人のどちらのサイドも生存の危機を感じたから戦争をしているのであり、どちらの陣営も相手が最初に戦争を仕掛けたと主張している。しかしこの映画ははっきりとセルビア人が悪だと描いている。残酷なシーンはそれを証明するために示されているかのようである。そこには、複雑な対立が存在する中で、善玉悪玉をはっきりさせることにより聴衆を満足させるというハリウッド映画の手法が使われていると思う。

アンジェリナ・ジョリーは親善大使として世界各国を訪問している。この映画も彼女がボスニア・ヘルツェゴビナを訪れた時の感銘を基にして作られていると思う。やはり自分が見たことを全世界に伝えたいという強い正義感というか、願望を感じたのだろう。彼女がショックを受けたのは、セルビア軍によるボシャニック人絶滅の意図が殺人のみならずレイプという行為でもなされていたということだろう。しかしボスニア戦争は非常に複雑な戦争であり、若く、また外国人の彼女がそれを基にした映画を作成するのは難しいし勇気がいることだったと思う。彼女はこれを作る時「私はボスニアについては何も知らない。でも私は愛に対しては自分なりの想いがあるから、愛を主軸にしてボスニア戦争を描きたい。」と思ったのではないか。一言で言えばこの映画は「戦争さえなければ幸せに家族を構成していたかもしれないが、戦争で運命を狂わされた男と女の物語」であろう。

しかし二人の間に本当に愛があるのだろうか。セルビア人の男ダニエルとボシュニャク人の女アイラは戦争が始まる直前に一度会い、その時お互いに好意を抱く。ダニエルはアイラがどんな人間で何をしているのかも知らない。戦争が始まり、アイラは他のボスニア人の女たちとともにセルビア軍に連行され危うくレイプされそうになるが、その女を連行した部隊の隊長がダニエルで、彼は兵士に「もう十分楽しんだだろう」といいアイラがレイプされるのを止める。ダニエルは何とセルビア軍の最高の将校の息子だという設定なのである。その後もアイラは「自分の所属品だから」と部下に述べ、彼女だけには手を出させないようにする。挙句の果ては逃亡の手はずを整えて彼女を逃がす。アイラは逆にスパイとしてダニエルの部隊に戻ってくる。彼女は大きな個室を与えられダニエルが自ら運んでくる夕食を取るという毎日である。ダニエルの父の命令でアイラをレイプした自分の部下を怒りのあまり射殺してしまい、アイラには軍の秘密をぺらぺら喋ってしまう。そんなダニエルを見ていると「戦争の理由がどうであれ、あなたは自分の部下と祖国に責任のある立場でありながら、なぜ自分の立場をわきまえた行動ができないのか」といらいらしてしまう。結局ダニエルはアイラがスパイであることを発見し、彼女を射殺し自分は国連軍に「私は戦争犯罪人である」と言って自首して出るのである。

国連が一見内戦に見えるボスニア戦争に介入したのは、これが人種撲滅というヒューマニティに反する戦いだったからである。しかしダニエルが自ら戦争犯罪人であると宣言することでこの映画が終結するというのは果たしてアンジェリナ・ジョリーの訴えに対する最善の終わり方であったかどうか?またこの映画による一方的なセルビア人への断罪を聴衆はどう受け止めるだろうか。セルビア人が全員殺人者であるわけないし、虐殺が行われていることを知らなかった者が大多数であるだろう。映画では「すべてのセルビア人が悪者ではない」と短いせりふで語っているが、それは残虐な延々とした画像の中ではかき消されてしまうのである。

同様に映画では、ダニエルの父である将校にセルビア人の歴史、悲しい民族の歴史、を短く語らせているのであるが、それがまるで歴史の教科書を棒読みさせているような演出で彼が語ったことは聴衆の心に残らないのが残念である。

バルカン半島はトルコの支配下にあったが、19世紀後半、オスマントルコ帝国の衰退に伴い、1875年にこの地の支配を巡りロシアとトルコの間で露土戦争が起こった。戦後、ロシアの南下政策を不安視する英国の支援により、オーストリアがボスニア、ヘルツェゴビナの支配を強め、1908年にオーストリアはボスニア、ヘルツェゴビナ両地域を併合した。ボスニア、ヘルツェゴビナの隣国で大セルビア主義のもとで拡大を意図するセルビアはオーストリアと対立し、これが第一次世界大戦の一因となった。

第一次世界大戦後、オーストリアの敗戦により、セルビア主体のセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国がバルカン半島に建国され、ボスニア、ヘルツェゴビナはその一部となった。しかし第二次世界大戦時、ナチスドイツは傀儡政権であるクロアチア国によりバルカン半島を支配することを企み、セルビアを弾圧した。クロアチア人の民族主義組織ウスタシャによって、セルビア人はユダヤ人や反体制派などとともに迫害を受け、また強制収容所に送られて殺害された。これに対してセルビア人の民族主義団体チェトニクを結成して、反クロアチアの運動が起きた。

第二次世界大戦後はバルカン半島にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立し、カリスマのある指導者チトーのもとで多民族をまとめた連合国が誕生した。この時代は民族間の緊張の少ない状態が続き、都市部では多民族の混住、民族間の結婚なども進んだ。ユーゴスラビアは他のソ連の衛星国とは一戦を画し、体制批判的な映画も製作され、1984年にはサラエボオリンピックも開催された。民族紛争が再開するのは、ソ連の崩壊の後、ユーゴスラビア内の諸国が独立の選択をせまられた1990年以降であった。ボスニア地方ではセルビア主体のユーゴスラビアから独立を望むクロアチア人やボシュニャク人が独立を主張するのに対し、ボスニアに住むセルビア人はユーゴスラビアからの独立を望まなかったことからボスニア戦争が始まった。後にクロアチア人とボシュニャク人の間でも抗争が始まり、三つ巴の紛争となった。

1994年にはアメリカ合衆国やNATOによる軍事介入がはじまり、1995年に国際連合の調停で和平協定デイトン合意に調印し、紛争は終結した。アンジェリナ・ジョリーはこの映画の正確を期すために、当時のクリントン政権の国務次官補であり、デイトン合意に尽力したリチャード・ホルブルックを始めとする外交の専門家たちやボスニア戦争を取材した報道陣にも映画の内容の監修を頼んだという。リチャード・ホルブルックはオバマ政権下で、アフガニスタン・パキスタン問題担当特使に任命され、アフガニスタン紛争収拾活動に携わったが、2010年特使在任のまま病気のため、この映画の完成の前に死去した。

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[映画] 戦火の馬  War Horse (2011年)

『戦火の馬』は、1982年に出版されたマイケル・モーパーゴによる児童小説を基にして、2007年からニック・スタフォードの脚色により戯曲化されロンドンの劇場で好評を得ていた『軍馬ジョーイ』を、スティーヴン・スピルバーグ監督により2011年に映画化されたものである。映画のロンドン・プレミアでは、ケンブリッジ公爵ウィリアム王子とキャサリン妃が出席した。スティーヴン・スピルバーグの絶妙な語りと、どこで泣かせるかを完璧に心得たツボを抑えた演出、そして最初から最後まで計算され尽くした美しい画像は、黒澤明の力量を彷彿させる。

この映画は戦争用に売られた馬を通じて、その持ち主のイギリスの小作農家の少年、馬に乗って戦死する英軍将校、脱走兵として処刑されるドイツの少年兵たち、戦火でドイツ軍に親を殺され自分の農場を略奪されるフランス人の少女とその祖父、そしてその他の戦争に翻弄される英独仏の人々を描く。言い換えると、馬という美しい動物を最大限に利用して観客を引っ張り、人々が都合よく登場しては殺される映画である。

この映画で一番興味深いと思ったのは、騎兵隊が第一次世界大戦を最後として消滅して行く、つまり馬が戦争の役に立たなくなったという背後には戦争の技術の革命があるというメッセージである。スピルバーグは別にそれを伝えるためにこの映画を作ったわけではないだろうが。

歴史上、騎兵は戦術的に重要な兵種と考えられてきた。高速度で馬と共に移動できるし攻撃性も強いので、奇襲・突撃・追撃・背面攻撃・側面攻撃・包囲攻撃など、幅広い用途に使われた。また敵陣の偵察などにも効果的に活用された。19世紀前半のナポレオン戦争時代に、騎兵は全盛を迎え、戦場を駆け抜けて突撃する騎兵隊はナポレオンの勝利に大きく貢献した。しかし1870年に起こった普仏戦争ではフランス騎兵隊がプロイセン軍の圧倒的火力の前に全滅し、フランスはプロイセン軍に敗北を遂げる。

この背後にあるのは新しい武器の導入である。南北戦争(1861年から1865年)あたりから、機関銃やライフルの使用が始まり、それから身を守るために塹壕が掘られ、戦争は個人戦から、集団による打撃戦へと変化していった。突撃してくる馬は相手側による格好の射的となり、また狭いノーマンズランドに対峙して持久戦に持ち込むという地形の中でもはや馬が闊歩する時代ではなくなった。馬を維持するコストを考えると、騎兵は勝率効果の低い高コストの戦術となってしまったのだ。英軍を率いる将校たちは貴族の出身で、近代戦や機関銃に対する知識は叩き込まれていても、心の奥底ではまだ古い時代の騎士が馬に乗って名誉を重んじて勇敢に戦うことに憧れる精神が残っており、この映画では、騎兵で奇襲をかけた英軍が、徹底的に近代化したドイツ軍の機関銃に壊滅されるということがリアルに描かれている。

馬と象とラクダは古来から人類の友人であり、貴重な労働を提供してくれる存在だった。高い知能を持ち、一度飼い主と信頼尊敬の関係を築くと忠誠に尽くしてくれる。しかしただ穏やかなだけではなく、怒ると信じられないような強さも見せる。人類にとって、馬そして犬は永遠に友人であり続けるだろう。この映画を観て、主人公の馬に泣かされた人も多いだろうが、私は最初から最後まで醒めた気持ちを感じざるを得なかった。その理由を述べてみよう。

まず、馬を前面に押し出すために使われる登場人物の描き方が浅いというか不可解である。少年の親は、馬の購買を競っている自分の地主に負けたくないという意地で、大金を叩いてこの馬を買うが、借金が払えなくなるという状況に追いやられ、腹立ち紛れに自分が買った馬を射殺しようとする。この無茶苦茶な馬の紹介シーンが最初にでてくるので、その後はいかに馬が美しい演技をしても同感ができなくなってしまうのである。この馬は軍部に理不尽に徴収されたのではなく、父親が自分の借金の穴を埋めるために自ら軍に売りに行くのである。これは一例であるが、とにかく登場人物の描き方が浅い。ノーマンズランドを挟んで敵対する英独軍の兵士が馬を助けるために一時仲良くなるというシーンは『戦場のアリア』を彷彿させるが、『戦場のアリア』ではそれが映画の主題であるからその顛末を丁寧に描いているが、『戦火の馬』では映画の数多いエピソードのてんこ盛りの一つに過ぎず、とにかく唐突な感じがするのである。たくさんの負傷兵をかかえている野戦病院は人間の負傷兵で溢れかえっているが、軍医が「馬を助けるために出来る限りの手を尽くそう」というくだりでは、涙がでてくるより「ウ~ム、何故?」と思ってしまった。

次にこの映画では英独仏の登場人物が皆英語をしゃべるので、話のわけがわからなくなる時がある。ドイツ兵の将校のドイツ語の掛け声にあわせて行進する兵士が英語でしゃべっているので、捕虜になった英兵?と思ったらドイツ兵である。フランスの農場を略奪する軍隊も英語を話すので、英軍が味方のフランス人を虐待しているの?とびっくりするが、これはどうあってもドイツ軍という設定でなくてはならないのだろう。スピルバーグが全員に英語を話させているのは、アメリカでのこの映画の興行の成功を狙ったからに違いない。アメリカ人は字幕のある外国映画が好きでない。これは「洋画は実際の俳優のしゃべる声を聞いて、その微妙さを味わいたい」と思い、吹き替えよりも字幕を好む日本人にはわかりにくいかもしれないが、私はアメリカ人の映画のディスカッションサイトで「なんでこの映画、吹き替えじゃないの?字幕なんて面倒くさくて観る気もしない」と文句を言っているアメリカ人の投稿を何回か読んでいるので、そう思うのである。(今のところ)世界のナンバーワンであるアメリカ人は、世界中の人が英語を話すのが当然だと思っているという気持ちがどこかにあるのだろう。

ハリウッド映画は音楽を効果的に使う。この映画でも音楽は確かに美しいのだがスピルバーグは使いすぎているような気がする。今までずっと成功していたジョン・ウィリアムズとのコラボではあるが、音楽の力は認めるとしても、これは濫用というレベルに来ているのではないか。特に音楽をあまり使用しない非ハリウッド映画を見たあとでスピルバーグの映画を観ると「はい、ここで泣いてください」と言われているような気がして「Enough(やり過ぎ)!」と感じてしまう。しかし、兵士をバグパイプで送り出すシーンでは思わず鳥肌がたった。スピルバーグにまんまと嵌められたと思った一瞬であった。

またシンボル的な小細工が鼻につく。たとえば、主人公の少年の父はアル中だが、実はボーア戦争で名誉の負傷をしたということが明らかになる。その名誉のペナントを少年が馬に結びつけ、ペナントは友情の象徴として次々に馬の所有者の手で守られ、馬と共に少年のもとに戻ってくる。私はそのペナントを見るたびに「どうだ、すっごくカッコいいシンボルを考え付いただろう」という得意げなスピルバーグのドヤ顔がちらついてしまったのである。

聴衆の反応は「感激した。泣けた」というものと「小手先の映画の泣かせる技術に心が醒めた」との二つに分かれる映画ではあると思う。

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[映画] マネーボール Moneyball (2011年)

マネーボールはマイケル・ルイスによるノンフィクション『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男』を基に映画化されたものである。映画会社からこの本の映画化権の購入を打診された時のマイケル・ルイスの率直な反応は「それは構わないけど、こんな統計学を書いた本を映画化して面白い映画ができるのかね~」というものだった。しかし、実際に完成した映画を見たあとで、彼は自分の著作が非常に面白くしかも自分が主張したいことをすべて正確に表現しているのに、ただ感嘆したという。

ブラッド・ピットはこの映画によりアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、それが賞を取るだろうと予想されていたレオナルド・ディカプリオを抑えてのノミネーションだったので、「何故?」という声がファンから上がった。FBIのJ.エドガー・フーバー長官の40年に渡る肖像を見事に演じきったレオナルドの演技力に比べて、『マネーボール』の中のブラッドはあのいつものチャーミングな『ブラビ顔』のままで、全く地のままである。いったい彼は演技をしているの?ちょっと不公平なんじゃない?レオがかわいそう!という感じである。しかし、この映画を面白くしているのは、間違いなくブラッド・ピットに負うことが多いし、この映画は現代のアメリカというものについていろいろ考えさせてくれる映画なのである。今日の生き方に関連しているという点では、『J.エドガー』よりも遥かに大きいと思う。

舞台は2001年、カリフォルニア州オークランドに本拠を置くアスレチックスは貧乏チームである。本人の意思で自由に動けるフリーエージェントでスター選手でもあるジョニー・デイモン、ジェイソン・ジアンビ、ジェイソン・イズリングハウゼンはさっさとアスレチックスを抜け出し、もっと高額の俸給をオファーしたチームに移ってしまった。ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンは乏しい予算の中で勝つ方法を模索していた。

ある日、トレード交渉のため、クリーブランド・インディアンズのオフィスを訪れたビーンは、イエール大学卒業のスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ブランドは各種統計から選手を客観的に評価するセイバーメトリクスを用いて、他のスカウトとは違う尺度で選手を評価していた。ビーン早速ピーター・ブランドを自分のチームにリクルートして、周囲の反対を押し切り、セイバーメトリクスを基に低予算で勝つという戦略を考案する。

ビーンの作戦を一言で言えば、当時普通であった、『スター性』のような主観的な基準に合致した選手に膨大な俸給をオファーしてリクルートするのではなく、出塁率、長打率、選球眼、慎重性など統計学的に得点に貢献する確率が高い要素を持っている選手を選抜し、その中で従来の主観的な評価では無視されていた選手を安価でリクルートすることである。若い選手を『将来性』という主観的な基準でリクルートするのではなく、選手生命の盛りを過ぎた選手でも何か貢献度の高い要素があればチャンスを与える。こうすることによってビーンが率いるオークランド・アスレチックスは毎年のようにプレーオフ進出を続け、2002年には年俸総額が1位のニューヨーク・ヤンキースの1/3程度だったにもかかわらず、全球団で最高の勝率を記録した。映画では2002年に突如アスレチックスが強くなったように描かれていたが、実はアスレチックスはワールドリーグでは勝てないが、プレイオフでは常に勝ち続けており、他球団はアスレチックスの強さはどこから来ているのか不思議がっていたという。アスレチックスの戦略は統計学に則っていたので、数回で勝負するワールドリーグと違い長期戦のプレイオフで勝っていたということは、ビーンの戦略の結果であることを示唆している。

この映画は単なる野球映画ではなく、いろいろな意味で現代のアメリカにとって重要なことを描いていると思うが、その中で私が強調したいことは次の三点である。

まず最初は、この映画は良くも悪くも、アメリカの会社のマネージメントの特質をよく描いているということである。野球業界のストラクチャーを説明すると、オーナー、ジェネラルマネージャー、そして監督である。金を出すのはオーナー、選手をリクルートしたり、チームの構想を作るのはジェネラルマネージャー、実戦の指揮を取るのは監督である。監督が一戦一戦の技術的な戦力に終始するのに対し、ジェネラルマネージャー、はもっと長期的な展望を構想し、さまざまな会見で積極的にメディアに登場する球団の顔でもあり、球団を統率するカリスマ性、経営感覚、契約更改やトレードにおける交渉力、選手の能力を見極める眼力など総合的な能力が求められる。ジェネラル・マネージャーは会社のCEOに相当する。トップダウンの経営方針のもと、ビーンは容赦なく解雇やトレードを行い、その権力たるや大したものである。しかし一方ではビーンは統計学という客観的な基準を設定し、選手にそれに沿った努力をするように求めた。だから高給を取っている選手を解雇する時でもその理由をはっきり説明できたし、主観的な『人気』という基準に外れて不遇な立場に置かれていた地味な選手に活躍する機会を与えてやる気を起こさせたのである。CEOが独裁的な権力を持ち、その手腕が会社の経営の良し悪しに直接影響するというのはいかにもアメリカ的である。

第二にこの映画はアメリカに蔓延している、富の配分の不公平に対する批判でもある。プロ野球でもそうだが、映画の世界でも俳優に対する報酬は非常に不公平である。1980年後半から、トム・クルーズやジュリア・ロバーツのような人気俳優が莫大な出演料を請求するようになり、他の俳優たちも彼らに右へ倣えをし始めた。今日でも、例えばクリスティン・スチュワートはまだ21歳だが、一本の映画で20億円相当の出演料を要求するという。これは他の50人から100人くらいの実力のある俳優の給料の総額に相当するだろう。つまり、ハリウッドはちょっと人気のある若い女優に一つ仕事を与える代わりに他の有能な100人の俳優の仕事を奪っているのである。この不均衡は最近ではハリウッドでも見直されつつあり、給料の割りに出演作の興行収入が高い俳優なども具体的に統計学的に割り出されているという。その『安上がりな実力俳優』の例として、マット・デーモンとかナオミ・ワッツとかが挙げられている。ブラッド・ピットでさえ、「看板俳優が法外な金額を吹っかける時代は終わった。」と明言している。彼も、ちょっと人気が出ると出演料を吹っかける風潮を抑えないと、映画界が衰退して行くと憂慮しているのだろう。

もう一つは個人の幸福とは何かという問題である。ビーンは、かつて超高校級選手としてニューヨーク・メッツから1巡目指名を受けたスター候補生だった。スカウトの言葉を信じ、高給に魅了され、名門スタンフォード大学の奨学生の権利を蹴ってまでプロの道を選んだビーンだったが結局成功せず、スカウトに転進し、第二の野球人生を歩み始めた男である。アスレチックスでの成功の後ボストンのレッド・ソックスから12.5億円相当という歴史上最高額の俸給でリクルートされるが、自分は金で人生の選択をしないと決めているので、そのオファーを断った。彼はカリフルニアに住む娘と離れたくなかったし、オークランド・アスレチックスを愛していたからである。オークランドは全米で最も洗練された街サン・フランシスコと学問の中心地バークレーに挟まれた街である。独自の文化をもち、全米でもっとも政治的にリベラルな街であるが、その大きな部分は貧しい黒人の居住地で、黒人のティーンネージャーが警察に射殺されるという事件も稀ながら起こる。オークランド・アスレチックスは地元の誇りであり、気軽な娯楽であり、若者の心を高め目標になる存在である。ビーンはそのチームを金のために見捨てることはできなかったのである。同時に自分のセイバーメトリクスは既に注目されて第二第三のビーンが出現しつつあった。自分の勝手知ったアスレチックスを去って、また新しい競争人生を始める理由はなかった。

映画の中でビーンの娘が父がクビになるのではないかと心配するシーンがでてくるが、その心配はない。その後もビーンの成功は続き、彼の契約は2019年まで更新されているからだ。ビリーはスポーツイラストレーター誌が選んだ2000年代のトップスポーツマネージャにも選ばれ、野球界でのトップマネージャーとしても認められたのである。

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[映画]  危険なメソッド A Dangerous Method (2011年)

私達は誰でも心理学者のフロイドとユングの名前は知っているし、フロイドの夢診断のことも知っている。しかし、二人の療法の詳細は心理学でも勉強しない限りはわかりようがないし、この二人の関係とか二人を生み出した当時の状況というのは案外知られていないのではないだろうか。この映画はフロイドとユングの友情とその決別、そして二人に師事した女性精神家医ザビーナ・シュピールラインとの関係を描く。

ザビーナはロシアの西端にあるロストフに住む富裕なロシア系ユダヤ人の家族に生まれたが、精神病を患い1904年にスイスのチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院した。ここで彼女を治療したのが若い精神科医のユングであった。ユングはルター教会牧師の息子であり、富裕な出自の妻を持ち、真面目で身持ちの堅い、そして美しい風貌と知性に恵まれた男性だったが、同時に第六感的能力のような超自然的直感の鋭い男でもあった。彼は、ザビーナも自分のような鋭い直感を持ち、また非常に優秀な頭脳の持ち主であることがわかる。ユングの治療によりザビーナの病は治癒し、彼女は大学の医学部に進学し精神科医をめざすようになる。

ユングは、ジークムント・フロイドがザビーナの症状に似た患者を、当時革新的であった無意識の解明という観点から治療しているのを知り、1907年頃から親交を結ぶようになった。フロイトはユングのことが気に入り、自分の弟子で精神が病んでいるオットー・グロスの治療を依頼する。個人セッションで彼を治療しているうちに、オットーの退廃的な人生観は優等生で道徳的に一夫一妻制度に凝り固まっていたユングを激しく揺さぶり、ユングは自分に正直であろうとして、ザビーナへの愛を認め、彼女と愛人関係になる。またザビーナの卓越な知性はユングの理論に大きな影響を与えていく。

しかし1913年あたりから、ユングとフロイドは袂を分かつことになる。フロイトはユングの超能力への傾倒はオカルトであり、学問としての心理学から離れていくと怖れ、逆にユングは夢判断をすべて無意識の性への願望に結びつけるフロイドに疑いを持ち始める。それ以後二人は学者として敵対することになる。同時に精神科として成長したザビーナは愛人以上の関係をユングに求め始め、それが原因で二人は別れることになる。ザビーナがユングの後自分の師として選択したのは、フロイドであり、フロイドは自分とザビーナは同じユダヤ人なので、よく理解できると彼女に述べる。しかし、ユングがザビーナの後に選んだ愛人はやはりユダヤ人のトニ・ウルフであった。この映画はユングとフロイトが決別する第一次世界大戦前夜で終わっている。

フロイドがユダヤ人であったということが、ユングとフロイドの関係を興味深いものにしている。1911年にはフロイドとユングが中心になり国際精神分析協会が設立されたが、その初代会長になるのはフロイトでなくユングであるのは、ユダヤ人以外を会長に選ばなければならなかったからだといわれている。フロイトはアシュケナジー(東欧系ユダヤ人)であり、当時はアシュケナジーは大学で教職を持ち、研究者となることが困難であったので、フロイトも市井の開業医として生計を立てつつ研究に勤しんでいた。

アシュケナジーとは、ユダヤ人の中でドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々を指す。もう一つのグループ、中東に居住していたユダヤ人はセファルディムと呼ばれる。アシュケナジーは当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ仲買商人だったが、ヨーロッパ・イスラム間の直接交易が主流になったこと、ユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから、定住商人へ、さらにはキリスト教徒が禁止されていた金融業へと移行した。シェークスピアの『ベニスの商人』ではアシュケナジーの商人が登場する。アシュケナジーは1290年には英国から、1394年にはフランスから追放され、東欧へ移民して行った。彼らは神聖ローマ帝国では迫害されたが、ポーランド王国では既に1264年に「カリシュの法令」によりユダヤ人の社会的権利が保証されていたのでポーランドはユダヤ人にとって非常に住みやすい安全な国となった。経済的にもポーランド王国は専門職移民であるユダヤ人を経済的な利益があるとして歓迎したのである。ユダヤ人はポーランドを基点としてさらに東方のウクライナやロシアに移って行った。

1938年、アドルフ・ヒトラー率いるナチスがアシュケナジーの学者を精神科医の学会から追放した時、ユングは学会の会長であり、自分が永世中立国の住民であるという立場を生かし、ドイツ帝国内のアシュケナジー医師を受入れ身分を保証することを決定し、フロイトに打診した。しかし、フロイトは「自分の学問の敵であるユングの恩義を’受け入れることは出来ない」と言って援助を拒否した。フロイト自身はその直後にロンドンに亡命したが、亡命できなかったアシュケナジーの医師たちは仕事を失い、大部分は強制収容所のガス室に送られ殺されたのである。

ザビーナについては、彼女は1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、ロシア革命後の1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、モスクワにて幼稚園を設立した。しかし1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。

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[映画] ソハの地下水道 In Darkness W ciemności (2011年)

この映画は、ナチス・ドイツに支配された1943年の旧ポーランドの街リヴィウ(或いはリヴォフとも表記される)で、ユダヤ人を地下に匿ったリヴィウ市の下水道整備工ソハの実話を基にしている。ソハは、地下の下水道でナチスの迫害から逃れて潜んでいるユダヤ人たちに出会う。日当を貰うという約束ででユダヤ人に食料を運び、彼らを助けることになったが、ソハの行動は自分だけではなく家族の命を危険にさらすことになっていく。

映画ではドラマ性を持たせるために、ソハは窃盗などをする小悪党で、ユダヤ人を匿ったのも最初は金目当てであり、妻からユダヤ人を助けるのには反対されていたが、彼らを匿る過程で、次第にユダヤ人への同情がわき、ユダヤ人たちが財産を全部使い果たした後は無料で、自分の命を冒してまで彼らを助けたように描かれている。しかし、私がいろいろ関係した情報を調べていく中で、それは必ずしも事実ではなかったかもしれないという気がしてきた。彼は最初からユダヤ人に同情的で、妻や友人と力を合わせて、自分の意思で彼らを助けたという可能性がある。金銭を受け取ったのは、ソハも非常に貧しい生活を送っており、他人を助ける余分のお金は持ち合わせていなかったので、ユダヤ人の食物を買うためには彼らの金が必要だったのではないか。後にユダヤ人のお金が尽きた時、彼は自分のお金で食物を買って彼らに提供している。こういう生活が14ヶ月続いたのだ。

どちらが真実かはわからないし、それは重要なことではないだろう。重要なことは、何故自分と家族の命を失う危険を冒してまでソハはユダヤ人を助けたのであろうかということたろう。それを私なりに考えてみたい。

ソハが住む町リヴィウはポーランドの中でも東端で、古来から西のポーランド王国と東のキエフ公国の間で争奪が繰り返されていた地域である。17世紀まで、リヴィウはウクライナ・コサックやオスマン帝国などの相次ぐ襲撃を受け、1704年には大北方戦争でカール12世の率いたスウェーデン軍に占領され、町は破壊された。

1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィウはオーストリア帝国の支配下に置かれた。オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、公用語はドイツ語とされた。それを憎むポーランド人は1848年には民衆蜂起を起こし、その後ポーランド人は徐々に、この地で自治を認めらるようになった。リヴィウはポーランド文化の中心地でもあったが、同時にここにはウクライナ人も居住し、ロシア帝国に支配されている他のウクライナ地方と違い、ここでは、ウクライナ文化も守られていた。第二次世界大戦でのオーストリアの敗北の後1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が消滅すると、西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィウはその首都とされた。

それに対してポーランド人の住民が蜂起し、ポーランド・ウクライナ戦争が起こった。戦闘は本土からのポーランド軍の全面的支援を受けたポーランド人側の圧勝に終わり、再びリヴィウにポーランドの支配が復活した。ウクライナ人民共和国のディレクトーリヤ政府は、リヴィウにいるウクライナ人の味方につかず、自分の背後にあるロシアの赤軍に対抗するために、ポーランドからの協力をとりつけた代わりに、ポーランドのリヴィウに対する支配を認めた。

1920年に革命に成功したソビエト赤軍がリヴィウを襲った。ポーランドは武装した住民が赤軍を撃退し、ウクライナの意向を無視してソビエト側との講和に入った。これは反ソという原理で同盟を結んだウクライナ人民共和国に対する裏切りであった。

これらの複雑な情勢を簡単にまとめると、リヴィウでは古来からポーランド人とウクライナ人の対立があり、ウクライナ人はロシア、そして革命後のソ連とは天敵であった。反対にポーランド人は古来からドイツ人に対しての憎しみがあった。ウクライナ人はリヴィウでの覇権を得るためにドイツ人と結託し、ポーランド人は逆にロシア人と結びついたということである。

第二次世界大戦において、ドイツは1939年9月1日にポーランドに侵攻し、リヴィウは9月14日にドイツ軍に占領された。その後リヴィウは短期間ソ連に占領されるが、結局ドイツがこの地を占領することになる。ドイツ軍は共産主義者とユダヤ人を壊滅することを目的とした。リヴィウのウクライナ人の一部は、反ソ親ナチの運動を起こしナチに協力した。ドイツ占領の中で、ポーランド人は苦しい生活を迫られる。映画の中でポーランド人たちがドイツ兵を殺したという容疑で何人も処刑されているシーンがでてくるが、ポーランド人にとってナチによるユダヤ人の迫害は『明日は我が身』であると思われたのであろう。そこには共感がある。しかし、それでも危険を冒してユダヤ人を守ったソハの決心の源泉を測ることはできない。

第二次世界大戦後、一帯はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の領土とされた。その際に、ポーランド人の住民の大部分がポーランドに逃亡した。

1945年、第二次世界大戦の終了直後、ソハが彼の娘と一緒に自転車に乗っている時、ソ連の軍トラックが彼の娘に向かって進んできた。娘をトラックから守ったソハは、トラックに轢かれて死亡した。彼の葬式で「彼が死んだのは、ユダヤ人を匿まって、神の怒りに触れたからだ。」と言った人もいたという。映画をドラマチックにするために、ソハは卑小な人間として描かれているが、私はそれを信じない。彼がどういう人間だったかというのは私には問題でない。彼が何をしたかというのが大切であり、この映画によって人々は彼のことを語り続けるだろう。

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[映画]  マリリン 7日間の恋 My Week with Marilyn (2011年)

アメリカでのこの映画の批評は一般的に「マリリン・モンローを演じるミッシェル・ウィリアムズは素晴らしいが、映画自体は大したことがない。」というものであったが、その批評にもめげず観てみてびっくり。なかなか素敵で面白い映画であり、観た後もいろいろ楽しい会話ができる映画だった。

イギリスの監督サイモン・カーティスはマリリン・モンローに関する映画を作りたく、プロデューサーのデイビッド・パーフィットに話を持ちかけたが彼の反応は「マリリン・モンローについては世界中の人が知っている。今更、何か新しいものが出てくるのか?」とういうものだった。サイモンはドキュメンタリ映画作家の故コーリン・クラークの回想録が、マリリンがローレンス・オリビエと英国で共演した時のことを短く綴っているのに着眼し、デイビッド・パーフィットもそのユニークな視点が気に入リ、エイドリアン・ホッジが脚本を担当した。しかし、そんな地味な映画に製作費を出してくれる会社がなかなか見つからず、彼らはハリウッドの大物ハービー・ワインスタインに財政の交渉に行った。ハービーはコーリン・クラークの原作を読んだことがあるが、それは全く地味な本でまさかこれが映画化の対象になるとは思っていなかったが、エイドリアン・ホッジの脚本は案外よくできていると思い、また自分が高く評価しているミッシェル・ウィリアムズにマリリン・モンローを演じさせてみたいと思い、映画制作費を捻出することに同意したという。

この映画が素晴らしいのは、その当時の英国と米国の映画界の対比が適切に描かれていることだろう。一方には、英国王室シェークスピア劇団で徹底的に演技の基礎をたたきこまれたローレンス・オリビエがいる。彼は、1947年にナイト位を授けられ、自身が製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度の米国アカデミー作品賞、主演男優賞を受賞して名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がた。片やマリリン・モンローは1957年に『王子と踊子 』でローレンス・オリビエと共演した時は、セックス・シンボルとして世界一の人気女優になっていた。この映画は古典的なメソッドで叩き上げられたローレンス・オリビエと、専門的な演技の訓練を受けていないが、ツボに嵌ると天才的な演技を見せてしまうマリリン・モンローの対比をうまく描いている。それに付け加えて、ローレンス・オリビエの妻で一時代前のスーパースターだったヴィヴィアン・リーの内面の葛藤もあり興味深い。ヴィヴィアン・リーは『王子と踊子 』の舞台版では踊り子を演じていたが、映画で同じ役を演じるには年を取りすぎていると夫のローレンス・オリビエに言われてしまい、またマリリン・モンローの余りにも素晴らしい映画版での演技に、思わず感嘆し同時に嫉妬するという、何となく悲しい女優の業も描かれている。ローレンス・オリビエですら、演技力では表現しえないマリリンのオーラに感嘆し嫉妬してしまうくらいなのだ。余談になるが、製作者はローレンス・オリビエにはレイフ・ファイン(『ナイロビの蜂』『イングリッシュ・ペイシャント』)、ヴィヴィアン・リーには、キャサリン・ゼータ・ジョーンズを希望していたという。キャサリン・ゼータ・ジョーンズには中年のヴィヴィアン・リーを是非演じてもらいたかった。彼女はその時夫のマイケル・ダグラスが癌の闘病中で、仕事ができる状態ではなかったのでそのオファーを断った。代役のジュリア・オーモンドは往年の大女優のヴィヴィアンのオーラが全く出せていなかったのが残念。

ミシェル・ウィリアムズが描くマリリン・モンローがまた素晴らしい。歌い方とか動き方とか、彼女の雰囲気をよく出しているが、もっと素晴らしいのはマリリン・モンローが世間が思い勝ちな白痴美ではなく、意外と頭がよく自分のイメージを壊さないように結構そこはプロフェッショナルに徹しているところをうまく描いていることだ。やはり、ハリウッドでトップを張って行くのは大変なことだが、それを頑張って維持していこうという野心も感じさせるし、それだからこそ精神的にも大変で薬に頼ってしまうのもわかるし、名声で寄って来る男ではなく本当に自分を愛してくれる人を捜す気持ちもよくわかる。しかし、そんなあれやこれやがあっても、自分が築き上げてきたスターダムを捨てて普通の生活にはもう戻ることもできないジレンマもうまく表現されている。

ミシェル・ウィリアムズは文句なく美しく、現実にマリリンを演じる女性としては、彼女以外は考えられないような気すらする。しかし、やはり物足りない。ミシェル・ウィリアムズを見ていると、マリリン・モンローの方がもっと綺麗だったよ、もっとセクシーだったよ、もっと可愛かったよ、もっと悲しかったよ、と誰もが思うのではないだろうか。ミシェル・ウィリアムズを通じて、聴衆は図らずしも、マリリン・モンローがどんなに超越した存在だったかということを思い知らされる。ミシェル・ウィリアムズはそう思ってマリリンを熱演したのではないだろうが、図らずも彼女の好演はマリリン・モンローが誰にも真似ができない別世界の存在だということを、知らせてしまったのではないだろうか。

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[映画]  J・エドガー J. Edgar (2011年)

『J・エドガー』は、FBI(アメリカ連邦捜査局)の初代長官としてカルビン・クーリッジからリチャード・ニクソンまでの8人の大統領に仕えたジョン・エドガー・フーバー(J・エドガー)の半生を描いたバイオ・ピック(伝記映画)である。映画の評判は今一つ芳しくなかったが、それよりもエドガーを演じたレオナルド・ディカプリオがアカデミー賞にノミネートされなかったことが話題になった。

アカデミー賞は、各映画会社が、アカデミー賞を取れそうなテーマを選びそれにそって監督・脚本・キャスト・スタッフを厳選して作品を仕上げ、娯楽大作が重なる夏休み、サンクスギビング、クリスマスを除いた時期を選んで公開され、計画的にベネチア、カンヌ、ベルリン、トロントなどの映画際に出品され、ほぼ映画会社が敷いたラインに乗って、受賞に向けて計画通りにすべてが進むようになっている。票を投じるのは同業者の俳優や製作者といったアカデミーの会員であり、基本的には映画会社が強力にプッシュしてくるアカデミー賞受賞予定作の中から同業者の投票によって選ばれる。よって、アカデミー賞を受賞するためには、映画会社の協力な後押しがあり尚且つ同業者にそれなりに尊敬されていることが鍵になる。

この映画は巨匠クリント・イーストウッドが監督し、『ミルク』でアカデミー賞を獲得したダスティン・ランス・ブラックが脚本を担当し、何よりもバイオ・ピックであるということで、「レオナルドは今度こそアカデミー賞を取るだろう」という前評判も高かったのである。

実在の人物を演じるとアカデミー賞を獲得する確率が高いというのは、ほぼ事実といっていいだろう。最近の受賞者を見ても、主演俳優賞にはメリル・ストリープ(マーガレット・サッチャー)、サンドラ・バロック(リー・アン・トロイ)、マリオン・コティヤール(エディット・ピアフ)、ヘレン・ミレン(エリザベス二世)、リース・ウィザースプーン(ジューン・カーター)、シャーリーズ・セロン(アイリーン・ウォース)、ニコール・キッドマン(バージニア・ウルフ)、ジュリア・ロバーツ(エレン・ブローコビッチ)、コリン・ファース(イギリス王ジョージ6世)、ショーン・ペン(ハービー・ミルク)、フォレスト・ウィテカー(イディ・アミン)、フィリップ・シーモア・ホフマン(トルーマン・カポーティ)、ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズ)、助演俳優賞にはクリスチャン・ベール(ディッキー・エクランド)、メリッサ・レオ(アリス・ウォード)、ケイト・ブランシェット(キャサリン・ヘプバーン)などがいる。なぜ実在の人物を演じるとオスカーを受賞する確率が高いかというと、聴衆は実在の人物を知っているから、俳優は単に演技力だけではなく、その人間に似せなくてはいけないし、聴衆やオスカーの投票者の目も厳しくなり、その厳しい審査に合格した俳優には御褒美をあげようという気持ちになるからだろう。

現代を代表する俳優に成長したレオナルド・ディカプリオは、オスカーを貰いたいという気持ちを決して隠さない。インタビューに答えて彼は「オスカーは俳優として一生に一度はもらいたい賞です。オスカーなんて興味がないと言っている人がいるとしたら、その人は嘘をついているとしか思えません。」と述べている。事実彼は『J・エドガー』の企画があると知って、是非出たいと自分から熱望したという。それくらい、彼はこの映画をオスカー受賞のまたしてもない機会と思っていたのだ。彼の演技も高い評価を得た。それなのに、なぜ彼はノミネートされなかったのか。

一言で言えばこの映画の脚本の出来が悪かったということ、そしてそのせいで興行成績が 振るわず、映画会社の方もオスカーの後押しをあきらめたということであろう。

もう一つの理由はレオナルド・ディカプリオの演技力には全く問題がないのだが、彼とJ・エドガーの資質の差である。J・エドガーは権力を守るための悪行が自然と身についた男だ。自分を守るためにはどんなことでもできるし、赤狩りや暗殺の時代を乗り越えた彼は70年代の市民運動の勃発の前に権力の最盛期に死んだ。彼の目は生臭く、まるでそこからメタンガスが湧き出てくるようだ。歴史的には彼は興味深い人間だが、人間的には映画で描く価値があるほどの魅力とか、彼の人生から学ぶ何か美しい潔いものがあるとは思えない。

反対にレオナルド・ディカプリオは非常に純粋な人である。今ハリウッドで一番稼いでいる俳優のくせに、贅沢をしているという話は全く伝わって来ない。パーティーで遊びまくるわけでもなく、自分の財産の一部は自然保護の活動に寄付している。ハリウッドの俳優仲間を引き連れて偉そうにしているわけではなく、自分の親友は、子役時代からずっと友情を保っているトビー・マグワイアとルーカス・ハースという忠誠な男である。有力な映画監督を尊敬し、彼らからも尊敬され、一緒に仕事をしたいと思われている。大スターであるのに女性関係も派手ではない。とにかく、これだけ大物なのに、悪い話が全く伝わって来ない俳優なのである。

逆境の中でひたむきに生き、常にその生涯には悲劇が伴っている役が彼の本領ではないのか。『ギルバート・グレイプ』『タイタニック』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ディパーテッド』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』『ブラッド・ダイヤモド』『シャッター アイランド』など全て悲しいが、聴衆はその中にレオナルド・ディカプリオ演ずる主人公に同感を感じざるを得なくなるのである。レオナルドはJ・エドガーの悪辣さを演じようとするあまりに、段々その目が狂気に満ちてくる。何の努力もなしにワルになれるJ・エドガーと大違いである。残念ながら、二人の間には演技力を超えた人間としての資質の差がありすぎる。

レオナルド・ディカプリオの演技力を疑う者はいない。オスカーを狙いたかったら、自分の資質に近い人物を演ずることを目指すべきだと思う。「レオナルド・ディカプリオはオスカーを狙うにはまだ子供過ぎる。もう少し辛抱しなければ。」と童顔のレオを見ていたオスカーの会員も、実は彼はもう40代であるということに気がついて少々驚いているのではないだろうか。

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