[映画] リンカーン Lincoln (2012年)

リンカーンは1809年に生まれ、1861年に第16代アメリカ合衆国大統領に選ばれ、64年に再選された。南北戦争が始まったのは彼が大統領に就任した直後の1861年、有名な奴隷解放宣言は1862年になされ、南北戦争は1865年にリンカーン率いる北軍の勝利で終わった。リンカーンは1865年4月15日に暗殺され56歳でこの世を去った。

スティーブン・スピルバーグの監督による『リンカーン』は、彼の波乱に満ちた人生の最後の4ヶ月を、奴隷制を廃止を規定したアメリカ合衆国憲法修正第13条の下院での可決に焦点を絞って描く。戦争のシーンは殆どなく、映画は奴隷解放の憲法的論議に終始する。スピルバーグらしくそこは平均的アメリカ人にはきちんとわかるように話を進めていくのだが、アメリカ史やアメリカ国憲法を詳しく知らない日本人にとっては映画の時代背景が少しわかりづらいのではないだろうか。また1862年の奴隷解放宣言と1865年の合衆国憲法修正第13条の違いがわかりにくいのではないだろうか。アメリカで奴隷が本当に解放されたのは1862年の奴隷解放宣言ではなく、1865年の合衆国憲法修正第13条の批准を以ってである。スピルバーグが『リンカーン』で憲法修正第13条可決決議をこの映画の中心にしたのも、それが理由であろう。

アメリカ合衆国憲法では憲法を修正するのには2つの方法でのみ可能であると規定してある。その一つはこの映画で描写されたように、コングレスの上院と下院でそれぞれ三分の二が修正に賛成の決議をし、その後一年以内に三分の四の州が批准すれば、修正が成立するというものである。一旦批准されてしまえば修正憲法は批准しなかった州をも拘束する。奴隷解放を憲法に入れるという修正案は既に1864年の四月に上院で可決されていた。この映画は1865年の一月三十一日に僅か二票差でその修正案が下院でも可決されたという瞬間をドラマティックに描いている。一旦修正案がコングレスで可決されてしまうと、批准は遥かに簡単である。賛成可決の翌日リンカーンの地元のイリノイ州が批准の一番乗りを挙げ、大半の州が雪崩れのように続き、合衆国憲法修正第13条は成立した。大統領はこの修正の過程に一切関しないというのが憲法上の建前であったが、合衆国憲法修正第13条はリンカーンが心から望み、その成立に全力を尽くしたことであった。その成立の最難関が下院での提案決議を通すことだったのである。だから、スピルバーグが『リンカーン』でその下院決議の経緯に話を絞ったのであろう。

それでは、1862年の奴隷解放宣言と1865年の合衆国憲法修正第13条の相異は何であろうか?

1783年のパリ条約で正式に独立したアメリカ合衆国だが、19世紀の半ばにはすでに北部と南部との間で国の将来の方向に関しての対立が深刻になっていた。南北戦争の原因を、近代化が進んだ北部は自由労働力を求めていたのに対して、プランテーションに依存する南部は重労働が可能な奴隷制を求めていたからという学者もいるだろう。またその頃までにヨーロッパでは奴隷制が廃止されていたので、北部の人間は人道的立場からも奴隷制の廃止を願っていたと見る人もいるだろう。しかし対立のもっと根本にあるのは、アメリカ政府により強大な決定権を与えるか、それとも州が各自で重要事項を決定する力を持つかという対立、あるいは奴隷制はこの国の建国の思想にそぐうものなのか反するものなのかという議論なのではないか。リンカーンもこの映画で「奴隷制がある限りはアメリカは近代国家にはなれないし、奴隷制は人間の平等を謳った建国の父の原理に反する」とはっきり述べている。この対立は北部を地盤とし、奴隷制拡大に反対していた共和党から出馬したリンカーンが大統領に選ばれた時、南部諸州(サウスカロライナ州、フロリダ州、ミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州およびテキサス州)が合衆国を脱退するというところまでエスカレートし、南北戦争が勃発したのである。

戦争開始で生じた問題は、北軍が戦いで占領した南軍の奴隷たちをどうするか?ということであった。リンカーンの率いる政府軍はその問題を「連邦に反抗的な南軍兵士が保持する奴隷を解放する(つまり、誰でも北軍に反抗したら持っている奴隷を解放しなければならない)」という法律で解決しようとした。それが1862年の奴隷解放宣言である。

ここには大きな問題がある。もし南軍がこの南北戦争に勝ったら、南部での奴隷制度は続くのである。たとえ北軍が勝ったとしても、北軍についたメリーランド州、デラウェア州、テネシー州、ケンタッキー州とミズーリ州では奴隷は合法であったが、この奴隷解放宣言は北軍という理由でその州の奴隷を解放の対象としていないのである。またバージニア州から離脱してウェストバージニア州となった48の郡もその対象ではなかった。(しかし結局メリーランド州、ミズーリ州、テネシー州、そしてウェストバージニア州は、それぞれ自主的に奴隷制を廃止したのだが。)北軍が勝ったとしても、1862年の奴隷解放宣言は戦争における所有物としての奴隷の所有権を暫定的に決めているのにすぎないのであるから、戦争の結果がどうであれ、人々の気持ちが変わったら、奴隷制が新しい形で復活することは可能なのであった。

南軍の州の奴隷のみを解放するという戦時における臨時の対応策である奴隷解放宣言と、合衆国全土の奴隷を永久に廃止するという合衆国憲法修正第13条の間には大きな飛躍がある。リンカーンも最初は奴隷制完全廃止には賛成ではなかった。その理由は、前述したように北軍の味方の州の中には、まだ奴隷制を認めている州もあった。そういう州は、奴隷制を廃止するために南軍と戦っていたのではなく、連合側(南軍)を連邦側(北軍)に引き戻し、合衆国を再び統一するために戦っていたのである。すべての奴隷を廃止を宣言すれば、連邦側の味方でありながら奴隷制を実施している州が、北軍を脱退してしまう恐れもあったからだ。そうなれば、北軍が戦力を失い、南軍が戦力を得ることになりかねない。リンカーンの奴隷解放宣言は、解放された南部の元奴隷たちが、兵隊となることを許可し、北軍は、新たな200,000人近くの黒人兵士たちを獲得し、南軍との戦いでは、さらに有利になった。

リンカーンは本当は奴隷制廃止に反対していたんだ!!などと言う人もいるが、私は、リンカーンは究極のゴールをじっと見据えて、その時その時のステップで一番正しく現実的な方法を取っていたのだと思う。彼の究極のゴールは奴隷制のない、南部北部を統一したアメリカ合衆国である。スティーブン・スピルバーグの『リンカーン』は、非常によく出来た映画である。アメリカ合衆国憲法修正第13条の下院での可決という事件を素材に選ぶことで、彼が明確で正しいゴールを持ちつつも現実的で着実なステップを踏める卓越した政治家であることをえがいている。同時に優しくユーモアがあり気心の知れた友人とのお喋りが大好きな人間性をもった人間であるリンカーンの素顔も描かれている。主要人物の好演が光っている。適材適所というか、スティーブン・スピルバーグの役者を見る眼の確かさが感じられるのである。

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