[映画] ツォツィ Tsotsi (2005年)

原作は1960年代の南アフリカを舞台にしているらしいが、この映画自体はアパルトヘイト廃止後の南アフリカを描いている。貧困の黒人コミュニティーと豊かな中産階級の黒人の対比が描かれ、またエイズ問題や異様に高い犯罪率もちらっと描かれ、アパルトヘイト以後アフリカのポスターチャイルドだった南アフリカの別の一面を描いている。マンデラ大統領のリーダーシップの下、公平な社会をめざして順調に繁栄してきたと信じる者にとって、南アフリカにたいする見方をちょっと変えてしまう映画かもしれない。

一言で言えば、後先の考ええもなく強盗を働く、親無しの不良少年ツォツィが、自分が奪った車の中で赤ん坊を見つけ、悪戦苦闘してその子を育てることによって、人間味を育てていくという話である。わが子を授かった親はその瞬間から子供を守ろうという本能を与えられる。しかし、親の愛を全く知らず、窃盗や強盗を繰り返してきた年若い少年に子供を守ろうという本能が生まれるだろうか?それを信じる者にとってこれは素晴らしい映画になり得るだろうが、それを信じられない者にとっては、この映画自体も信じられなくなるのではないか?

赤ん坊を育てるのに手を焼いたツォツィが、近所の赤ちゃんを育てている若い女性を銃で脅して、自分の赤ちゃんに授乳するように頼むことにより、その女性と親しくなる。彼女の夫は工場からの帰り道に誰かに襲われたらしく行方不明になっている。ツォツィや彼のようなならず者に殺害された可能性すらあるのだ。しかし、その若い女性は格段生活に困っている風でもないし家の中もこざっぱりしている。これが現実的なのかどうかで、この映画が真実味がある傑作なのか、あるいはアフリカを描いた御伽噺なのかと感じる分かれ目になるのかもしれない。どちらにしても、非常に悲しい映画ではある。

映画は3種類の終わり方を用意している。オフィシャルのエンディングは赤ん坊を親元に返しにいったツォツィが逮捕されるところで終わる。2番目のエンディングは肩を警察官に撃たれたツォツィが命からがら逃亡するシーンで終わる。三番目のエンディングはツォツィが胸を警察官に撃たれ死亡することで終わる。私はオフィシャルのエンディングがベストだと思う。そこに何らかの希望があるからだ。もし二番目の終わり方だと、「一体この映画は何がいいたいのか。」と聴衆に思わせてしまうだろう。三番目の終わり方だとあまりにも悲しいのだ。

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