[映画] ぜんぶ、フィデルのせい La Faute à Fidel Blame it on Fidel (2006年)

BlameitonFidel1960年代から70年代と言う時代は、全世界で社会が大きく激動した時代である。キューバでは1961年にカストロが社会主義宣言をし、インドシナ半島ではベトナム戦争が泥沼化し、中国では文化大革命が続行していた。チリでは、世界初の民主的な総選挙により、社会主義政権が確立する。西側諸国でもパリでは五月革命があり、ギリシャでは軍事政権に対するデモが続発する。アメリカでも反戦運動が高まり、日本では赤軍派や極左派による事件が相次いだ。スペインではスペイン内戦によってフランコによる独裁政治が続いていた。要するに第二次世界大戦後に解決できなかった問題が表面化して来た時だったのだ。

1970年。弁護士の父フェルナンドと、女性月刊誌『マリ・クレール』編集者の母マリーを持つ9歳のアンナは、パリで庭付きの広壮な邸宅に住みカトリックの名門ミッションスクールに通学している。バカンスはボルドーで過ごし、身の回りはフィデル・カストロが社会主義体制を確立したキューバから亡命してきた家政婦に面倒を見てもらう生活を送っていた。ある日、フランコ独裁政権に反対する、スペインに住む伯父が処刑され、スペインを逃れてきた伯母の家族がアンナの家にやってきて同居することになり、それをきっかけに父の態度が変わり始める。今まで祖国に対して何もしてこなかったことに負い目を感じていたフェルナンドは社会的良心に目覚め、マリーと共に突然チリに旅立ってしまう。そして戻ってきた二人はすっかり共産主義の洗礼を受けていて、ヒッピーのような風貌になってしまい、アンナは自分を取り巻くそんなすべての変化が気に入らない。キューバ人の家政婦は「ぜんぶ、フィデルのせいよ。」とアンナに言うが、その家政婦もクビになってしまう。フェルナンドは弁護士を辞め、チリの社会主義者アジェンデ政権設立のために働くことを、母は中絶運動を起こし女権の拡大することを決意する。両親の変化により、アンナの生活も以前とは180度変わってしまう。大好きだった宗教学の授業は受けられなくなり、大きな家から小さなアパートに引っ越すことになり、ベトナム人のベビーシッターが家にやってくるようになった。世界で初の民主的選挙によってアジェンデ大統領を首班とする社会主義政権が誕生したのもつかの間、アジェンデ大統領は暗殺されてしまう。深く悲しむ父を見て、自分の家族のルーツを訪ねたアンナは、自分の家はスペインの大貴族の家柄で、反王党派を残酷に弾圧していた家族で、フランコ政権下では親フランコ派であったとわかる。映画はカトリックの学校をやめて、公立学校に通学することを選んだアンナがその公立学校に初めて通学した日のショットで映画は終わる。

この映画の印象を一言で言えば、『headstrong』だなあという感じ。Headstrongというのは日本語では『理屈っぽい』とか『頑固』とか『頭でっかち』に近いのかもしれないが、回りに対して虚心坦懐に心を開いて何が起こっているかを素直に吸収し受け止めるというより、自分の主義主張でフォーカスしたレンズで、周囲を判断しまくるという態度である。たった一年の出来事を2時間弱の映画にしているのだが、その中に全世界の問題を都合よく全部マッピングしてやろうという大変忙しい映画なのである。

冒頭はフェルナンドの義兄の死と、妹の結婚式が同時進行する。自然死ではなく政治的な死であるから、家族のショックは大変かと思うとそうでもなく、結婚式は幸せに行われ、注意していないと伯父が処刑されたということもわからないくらいだ。家政婦は、キューバ人、亡命したギリシャ人、そしてベトナム人と次々と変わる。伯父の死でショックを受けて、今まで無視して来た自分の政治的信念に目覚めるのは結構なことなのだが、なぜその改革の相手が自分のルーツのスペインではなく、遠く離れたチリなのか?これは、この映画の監督のジュリー・ガヴラスの父コスタ=ガヴラス監督は、左翼系の思想を持ち、チリにおけるアメリカ政府の陰謀を描いた『ミッシング』で世界的な名声を得たが、娘はそれを都合よく利用していると思わずにはいられない。フェルナンドとマリーがチリに滞在したのは、2週間くらいの感じであるが、その後二人はこちこちの共産主義となって帰って来る。共産主義に洗脳するのがこんなに簡単なら、レーニンもスターリンもそんなに苦労しなくてもよかったのに、とつい思ってしまう。2,3ヶ月前に結婚して幸せ一杯のはずのフェルナンドの妹が突然中絶をしたいといいだし、マリーがフェミニストとして活躍し始める。えっ、もう赤ちゃんができたの?結婚したばかりなのに、もう結婚生活が不幸になったの、と思わずこちらも算数の引き算をしてしまう。もう一つおまけとして、マリーの書いた中絶解禁を求める「343人の宣言」記事が評判になり、彼女が自分より有名になったことに嫉妬するフェルナンドが「家政婦に子供の面倒を見させるより、もっと家庭に専念していい母親になれ」と怒り、社会主義者の家でも真の女性解放はないのだという嘆きまで描かれる。

ジュリー・ガヴラス監督が言いたいのは

「ごめんね、ママとパパは自分の問題で手一杯で、あなたを犠牲にしているかもしれないわ。でも、ママとパパは自分たちが正しいと思うことを精一杯必死で追求しているの。きっと大人になったらあなたはパパとママの気持ちがわかってくれるわ。」

「いいえ、パパやママが連帯とか団結なんて声を上げて言わなくっても、なんにも言わなくっても、手を差し出せば、人と人がつながっていく。そんなことがわかったわ。」

ということでないかとも思うのだが、それにしても、これを表現するために全世界の問題を背負い込む忙しい映画を作るのが一番最良の方法だったのかという疑問が残る映画であった。

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