[映画] 名もなきアフリカの地でNowhere in Africa  Nirgendwo in Afrika (2001年)

1938年、ドイツに住むユダヤ人の少女レギーナは母イエッテルと共に、ナチスの迫害から逃れるため先に英国領ケニアへ移っている父ヴァルターの元へ向かった。ヴァルターはドイツでは弁護士であったが、今は英国人の植民者が経営する農地のマネージャーとしての仕事を得、粗末な家に住み、慣れない農業に従事していた。レギーナは一家の料理人のオウアになつき、ケニアの生活に瞬く間に溶け込んでいったが、イエッテルは現実が受け入れられず、夫には不平不満をこぼし、夫婦の仲は口論も絶えなかった。1939年、ついに英国とドイツが交戦を開始し、ヴァルターの一家は敵国人として収容所に送られ、ヴァルターは敵国人という理由で農場のマネージャーの職を解雇されてしまう。しかしケニヤにいるユダヤ人の人々は、ナチに迫害されているユダヤ人は英国人の敵ではないと英国政府に説得して結局収容所から釈放される。

レギーナとイエッテルが送られた収容所として使用されたのはナイロビの最高級ホテルで、ドイツ人の女性はそこで最高級の接待を受ける。当時のケニヤでは白人と現地人とでは滞在する場所が違っており、敵国人とはいえ白人の女性を現地人が泊まる場所に送ることが出来ず、そういうことになったのであろうが、そこに当時のケニヤの隠されたアパルトヘイトを彷彿させる。

美しいイエッテルに好意を寄せる英国兵の助けで、ヴァルターは新しい英国人の雇用主を見つけることができ、家族はその農場に移る。オウアも移って来て良好な環境の下で新しい生活が始まる。ヴァルターは英国兵として志願することを許され、イエッテルの反対を押し切って大戦に参戦する。レギーナは英国人のための寄宿舎で勉強を始める。イエッテルはヴァルターが戦争に行っている間に新しい農場で生き生きと働き始め、ヴァルターはイエッテルが自分の友人のジュスキントと親しい関係にあるのではないかと疑うようになる。事実ジュスキントはイエッテルに求愛していたのである。

戦争は英国の勝利で終わった。ヴァルターは英国軍に奉仕したので帰還兵としてドイツに帰国することが可能になり、またドイツから判事の仕事のオファーが来ていた。帰国を希望するヴァルターに対してイエッテルはアフリカに滞在することに固執する。二人が決断を下したところでこの映画は終わる。

戦乱や人種の迫害の中で自分の故国をどう選ぶかということに関して、この映画は面白い観点を提供しているし、これはなかなかいい映画なのだが、一つ観衆に不快感というか不可解感を与えるのはイエッテルの描かれ方であろう。ケニヤに到着早々「こんな所に住むなら死んだ方がましよ!」と叫び、オウアを見下した態度を取りヴァルターに「君のオウアに対する態度は、ナチのユダヤ人に対する態度と同じだね。」と非難される。「肉が食べられないなんて考えられない。」という不満に応えてヴァルターが仕方なく鹿を撃ち殺すと「動物を殺すなんて!」と非難する。あれだけケニヤを嫌っていたはずなのに、いざヴァルターが帰国を許されて祖国の復興に尽くそうというと、「自分の家族を殺した国など信用できない」といって帰国を拒否する。しかし自分が妊娠したのを知ると「この国の人が怖い」といって帰国に賛成する。また行く先々で自分が男性の関心を惹くのを自覚している風があり、実際にその情事の現場を娘のレギーナにも目撃されてしまう。

このイエッテルの人格の矛盾は、この映画は三層の視点から成っているということに起因しているだろう。一つは原作者シュテファニー・ツヴァイク(映画ではレギーナとして描かれている)の子供の目、もう一つは大人になってこの自伝を書いたシュテファニー・ツヴァイクの大人の眼、さらにもう一つはこれを映画化したカロリーヌ・リンク 監督の視点である。

シュテファニー・ツヴァイクは母を嫌っているわけではないが、原作となった伝記では彼女を常に我がままなユダヤ人のお姫様のように回想している。彼女にとって人格形成の基盤となったのは、常に前向きに人生を開拓して行く父(ヴァルター)と無限の愛を注いでくれたコック(オウア)、そして自分が通った英国の寄宿舎であった。

映画で父ヴァルターを演じたのは、旧ソ連領のグルジア生まれでオーストリアに移民してきた美青年俳優のメラーブ・ニニッゼであるが、インタビューでシュテファニー・ツヴァイクは「メラーブが父とそっくりなので驚きました。その顔立ち、哀愁と郷愁を心に秘めながら、力強く情熱的に前向き生きているところなど、父そのものです。彼のドイツ語は東方訛りがあり、父と同じドイツ語を話します。」と雄弁に語っているのに、母を演じた女優に関しては「全く似ていません。」と素っ気無く、母がどういう人間かというのにも言及していない。

オウアに関しては、自伝を書いたのはオウアのモデルになる素晴らしい人がいたということを記録したかったからだと述べているくらいだ。映画ではヴァルターが「自分が兵役にいる間は君はナイアビで暮らせる。」というのに対してイエッテルは「私はこの農場を守るわ。」と大見得をきるのだが、実際は母は父が戦場に行ったあとナイアビに移ったらしい。しかしそのコックは自分の故郷を離れて、母に従ってナイアビに移ってずっと彼女の面倒をみてくれたという。

少女レギーナの視点では、父と母は太陽と大地みたいなもので、その間に恋愛関係があるというのは全く考慮の外であっただろう。しかしカロリーヌ・リンク監督はこの映画をラブ・ストーリーとして作製したのである。ヴァルターを演じたメラーブ・ニニッゼは次のように述べている。「ある日、ニニッゼ監督が私に対して、『違う、この映画はラブ・ストーリーなのよ!』と叱責しましたが、それで私はこの映画の解釈がわかり、それ以後演技の方針が決まりました。」

つまり、メラーブ・ニニッゼはこの映画はもっと政治的なものだと解釈していたのだ。しかしカロリーヌ・リンクの意図はこの映画を「裕福なユダヤ人の家庭で育ったお嬢様のようなイエッテルがアフリカの大地の中で自立する女として成長していく過程を大人の恋愛を混ぜながら描いたドラマ」として再現したのであり、それはアフリカという大地を素直に吸収して生きていくという少女が中心の視点から大きくずれてきており、中心人物はイエッテルに移り、作者の女性の自立や恋愛観をイエッテルに投影させようという意図が結果として、映画では矛盾した人間となっているようである。

シュテファニー・ツヴァイクの書いたものを読むと、映画では描かれなかったいろいろな事情がわかり興味深い。なぜユダヤ人がドイツを逃げなかったのかという質問には、当時は国外に逃亡するのには高額な資金が必要で、多数のユダヤ人はそれを捻出できなかったという可能性も示唆している。彼女の父がケニヤに逃亡したのは別に深い理由はなく、入国の費用が1人50ポンドと格安であった上に、ナイロビではユダヤ人のコミュニティーが強く、ケニヤが比較的安全な場所であったからだという。

ケニヤでも、父はすでに確立している植民地の統治制度の中間マネージャーとして赴任したのであり、一からの出発ではない。つまり植民地の英国人白人の支配機構の中間管理職としての立場である。農場に仕事がある限りは、支配者階級の一つとして現地人の労働を監督するわけで、収入や身分が保証されているし使用人も使えるので、イエッテルがそこに留まりたいと思うのもわかる気がするが、ヴァルターはケニヤで才能のない農場者として果てるよりも、自分の才能を生かしてもう一度祖国で自分を試してみたいという気持ちになるのもわかる。あるいは父はドイツにおけるユダヤ人の末路を見抜くだけの力がある人だったから、平和で優しいケニヤにもやがて民族主義や独立運動の波が吹き荒れるということを洞察していたのかもしれない。

シュテファニー・ツヴァイクの父にとって、自由の国アメリカへの移民は選択肢ではなかった。彼は英語が話せないので、たとえアメリカに渡っても弁護士として生きて行くのは40歳を過ぎてからではまず不可能であり、彼はどんなに苦しくても祖国ドイツで自分の人生を再構築することにしたという。彼は自分に命を与えてくれたケニヤに対する感謝を生涯忘れることはなかったという。

祖国として自分が暮らす国を選ぶ基準は、まず国家が自分の生命を保証してくれること、そして自分の才能が生かせる環境であること、自分が主人公として環境をコントロールできること、自分の愛する家族に囲まれていること、言語がわかること、好きな食べ物が簡単に入手できることなどがあるだろう。日本人がこれだけたくさんの基準を一瞬で簡単に満たして『日本』という国を祖国として選べるということは、何という幸せなことであろうか。この世界には祖国を選べない人もたくさんいるのである。

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[映画]  ノー・マンズ・ランド No Man’s Land (2001年)

ノー・マンズ・ランド (無人地帯)とは、戦時に敵味方両軍が対峙して膠着状態にある地域のことで、そこは原則として無人地帯として保たれていなくてはならない。この映画の舞台は1992年から1995年まで続いたボスニア戦争のいつか、敵対するセルビア軍とボスニア軍の間に位置するノー・マンズ・ランドの塹壕に迷い込んでセルビア軍に銃撃された二人のボスニア兵士、それを斥候に行った一人のセルビア兵士、重傷を負ったこの三人を助けようとする国連軍のフランス人軍曹マルシャン、その軍曹を助ける爆弾専門の国連軍のドイツ人軍人、現場をスクープしようとする英国人の女性レポーター、リヴィングストンの半日を描いている。

新米のセルビア兵士ニノは上官から、もう一人の老兵と共に無人地帯に侵入したらしいボスニア兵士たちの様子を見に行けという危険な業務を任されるが、その上官は安全な場所にこもったままだ。老兵は無人地帯に倒れているボスニア兵士のツェラが死んでいると思い、彼の体の下に地雷をくっつける。もし仲間のボスニア兵士が彼の体を持ち上げると地雷が爆発するようになっている。しかし老兵は、負傷しながらも密かに隠れていたもう一人のボスニア兵チキに殺されてしまう。地雷のために動けないツェラ、負傷したチキとニノの三人は塹壕の中で生存のための彼らなりの戦いを開始せざるを得なくなる。

チキとニノは戦争では敵同士ではあるが、同じ言葉を話し、平和時は同じ町に住み、なんと共通の知人までいることがわかる。その共通の知人の女性のことを話す時の二人は思わず顔をほころばせる。何とか相手をやっつけて塹壕から逃げ出そうとする二人だが、相手が困っている時は思わず優しい思いやりをみせてしまったりするのだ。

この映画はボスニア戦争の背景を描こうとしているのではなく、具体的で典型的な個人たちを描くことにより、ボスニア戦争だけではなく、戦争とはどういうものかという本質を抽象的に描こうとしている。塹壕で最初は、チキはセルビア側が、ニノはボスニア側がこの戦争を始めたと思い、相手を責めているが、段々二人とも一体何のために自分たちがここにいて、誰がこの戦争を始め、何のために自分が命令に従わなければならないのかという疑問を持ち始める。マルシャン軍曹は、国連軍の中立を守るという立場は何もしないことではなく、負傷兵を可能な限り助けなくてはならないという使命に燃えているが、遠隔で安全な地から命令を下している上官は面倒に巻き込まれたくないと人ごとのようである。リヴィングストン記者は、何が戦場で起こっているかを世界に知らせるのが自分の報道人としての使命だと思うと共に、誰もがスクープしない現状をスクープしてやるんだという野心に燃えて、危険を覚悟で塹壕に近づいて行く。彼女の映像を英国で受け取っているテレビ局の同僚達は「もっとおいしい映像を送ってくれ。」と彼女に注文するのだが、実際の塹壕での生死を賭けたチキとニノの戦いの映像を見ると、凍り付いてしまうのだった。リヴィングストンたちの映像が世界の聴衆の目に公になると、国連軍もそのダメージコントロールをせざるを得なくなる。やはりそのポリティックスの犠牲になるのは現場の兵士たちだ。自分の上官が嘘をついて去っていくのを、マルシャン軍曹は悲しく見つめる。

この映画は立場の違うチキ、ニノ、ツェラ、マルシャン軍曹とリヴィングストン記者を同じ距離で、誰に対しても聴衆が共感を描けるように描いている。ボスニアとセルビアのどちらが悪者なのかなどは問題ではない。敵対する陣営の兵士が、そして中立の国連軍とジャーナリストがお互いに理解しようという一瞬が次々に現れては消えていく。それは映画を見ている人間に「戦いをやめて、皆無事に家に帰って!!!」と祈らせるのに十分だ。そういう聴衆の祈りに対して、この映画の結論はあまりにも残酷であり悲しい。しかし、ボスニア戦争の現実は安易なハッピーエンドは許さない。安易なハッピーエンドは却って戦争に従事した兵士、死んだ人々を弔うことにはならないだろう。この悲しい結末を見ることにより、聴衆はもっと平和を深く願うことになるに違いない。この映画にはそれだけの力があるのだ。

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