[映画]  Where Do We Go Now? (2011年)日本未公開

英語に poster child という言葉がある。もともとは、病気で苦しんでいる子供をポスターにして献金を募った時のモデルになった子供のことをいうのだが、今では一般的に何かの主張のために使われるモデルとなる存在をいう。わかり易い例をあげると、2008年の大統領選ではオバマ候補はアメリカのポスターチャイルドだと言われていた。アメリカという国家が人種差別をしていないということを強調するモデルだとみなされていたからである。

レバノンのナディーン・ラバキーが2007年の映画『キャラメル』で衝撃的な国際レビューを果たした時、彼女は中東のポスターチャイルドだと言われた。中東に一人すごい女性がいる。この女性を評価してあげれば、中東の女性を無視していることにはならないだろう、と。

オバマは4年間の政治的実績により、アメリカを成功裡に導いた。国民皆保険とか、同性愛の法的結婚とか、大変難しい、しかし国民の多数が密かに支持している問題を勇気を持って解決の方向に進め、また国際情勢の安定にも貢献した。今彼のことを「黒人だから嫌い」とか「黒人だから認めなきゃ」というアメリカ人はいないだろう。少なくとも私の周囲には一人もいない。オバマは実績によって人間として尊敬されているのである。4年後の今、彼はもはやポスターチャイルドではない。

翻って、ナディーン・ラバキーはどうであろうか。彼女の処女作『キャラメル』は甘酸っぱい女の子目線の恋愛物語。これを嫌いになるのが無理なくらい、心地よい映画である。彼女のチャレンジは、さて第二作はどこに行くかということである。第二作Where Do We Go Now? はレバノンの宗教的対立を描いている。

5年ぶりの映画製作終了後のインタビューに出席した彼女は、相変わらず眩しいくらいに美しい。しかし5年間に彼女の中にも大きな変化があった。一つは作曲家のカレド・ムザナルと結婚して一児の母となっており、母として、女としての自信に溢れている。「レバノンは戦争でずたずたにされました。母として自分の子供が戦争に出ていくのを防げるかどうかという想いでこの映画を作りました」と述べている。

もう一つの違いは、彼女の英語が素晴らしく上達したことである。『キャラメル』のインタビューではカタコトの英語しか喋れず、「アラビア語かフランス語だったら、流暢に話せるのに」と言いたげな悔しそうな顔をしていたが、5年後のインタビューでは実に流暢な英語を話すようになっている。質問に対して10倍どころか100倍くらいの量で話しまくる。見かねたご主人のカレド・ムザナルがナディーン・ラバキーの許可も得ず突然彼女からマイクを奪い、「すみません、うちのワイフはちょっとおしゃべりすぎてね。それに分裂気質のところもあるからね」と割り込み、彼女がきまずそうにうつむくシーンもあった。

「おしゃべりすぎで、分裂気質」という夫の言葉は期せずして、Where Do We Go Now? の欠点を集約しているような気がする。この映画は男たちが宗教の対立から暴力的になっていくのを、女のウィットで防ごうというのがテーマであるが、色々な人々が次々に登場してそれが誰であるのか混乱する中で、女性のお喋りが続き、何となくロマンスがあり、男性の目を暴力からそらすためにウクライナのダンサーたちを村に呼び、退屈なストーリーがあちこち飛んだ形で延々と続く。映画の終わりになると「あ、しまった!!映画の結論をつけなきゃ」という感じで、急遽女たち(キリスト教とムスリムの女性が仲良く)が大麻入りのケーキを男たちに食べさせ、彼らが眠っている間に男たちが隠している武器をこっそり穴に埋め、「ああ、これで当分抗争がないことを祈るわ」という感じで映画が終わる。「女たちは愛する人を埋葬しなければならぬ悲しい存在なのだ」という嘆きをユーモアを込めて描く、ドラマ、悲劇、コメディ、そしてミュージカルのごちゃ混ぜなのである。

女が共謀して男たちの戦争を食いとめるというテーマは、古代ギリシャ喜劇の『女の平和』を髣髴させる。事実多くの映画批評家はこの映画を『女の平和』と比較して論じている。ナディーン・ラバキーはギリシャ喜劇は全く念頭になかったと述べているが、私もそうだと思う。彼女が戦争をテーマに映画を作るとこうならざるを得なかったという気がする。

彼女の才能というか気質は、女の子の間で取りとめもなくお喋りがジャンプしていくような『キャラメル』では十分生きるが、戦争や宗教的対立のような深刻なテーマは彼女に向いていないし、苦手なのである。また彼女も本当にそういったテーマに興味がないような気がする。また英語になってしまって恐縮だが、政治的なテーマはnot her cup of tea (彼女に向いていない)ではないかという気がする。極端な言い方をすれば、この映画は「一人一人の女がそれぞれの夫や子供の戦意を抑えたら、この世に戦争というものがなくなるかもね」という気持ちで作られているように思われる。それは「女が戦争に反対することで、戦争に歯止めがかかるかもしれない。それは難しいことかもしれないけれど、何とか考えてみよう」というスタンスとは、一見似ていても、全く違うものである。その違いが「この映画には解決策がない」という批評に現れているのだと思う。誰だって、レバノンの将来に対する明確な解決策などはないのである。しかし敢えてそういう言葉を使って彼女の映画を批判するのは、そこに彼女の限界があると聴衆が感じるからである。この映画は『キャラメル』と同様軽い。その軽さは、政治的な圧力でそうせざるを得なかったのではなく、いい意味でも悪い意味でも彼女の資質である。

インタビュアーが「映画の中でのあなたの歌と踊りがとても素敵だった」と言うと彼女は「私は歌が下手だから」と何回も謙遜する。また彼女の踊りは、踊りといっても体を軽く動かすだけで、とても芸術表現としての踊りとはいえないのだが。するとまた、映画で音楽を担当した彼女の旦那様が突然マイクを奪い、「彼女の声にはあまり感心できなかったから、僕は吹き替えを採用することを主張したんだ。それでたくさんの女性歌手のオーディションをしたのだが、彼女は誰も気に入らなくて、自分の声を使うことを主張したので、彼女の声を使うことにした。でも彼女の声がおかしくないようにするためにいろいろ音響のトリックを使わなきゃならなかったので、大変苦労したんだ」と述べる。彼女は「そこまで暴露しなくても」と言った顔で聞いており、聞いているこちらが「あとで夫婦喧嘩をしなければいいが。」と感じてしまうほどであった。

この映画を観終わった後で、正直言ってナディーン・ラバキーはまだポスターチャイルドだな、という感をぬぐい得なかった。しかし、それは彼女の才能がないということではない。非常に層の薄いレバノンの映画界で彼女は唯一のトップ女流監督であり、唯一のトップ女優である。一挙に大物になってしまった彼女にとって、これからは正直な批評を貰うのも難しくなるかもしれない。でも、自分に忠告してくれる人を大切にして、若手にもどんどん活躍の機会を与えることによってレバノンの映画界を発展させていってもらいたいものである。

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[映画]  キャラメル Caramel (2007年)

キャラメルはレバノンの首都ベイルートの下町の、とある美容室で働く3人の若い女性と、その顧客の中年の女優の卵、 近所に店を構える老年に差し掛かった仕立て屋の5人の女性の友情とそれぞれのロマンスを描く。美容室での友情といえばアメリカ映画の『マグノリアの花たち - Steel Magnolias』を思い出してしまうが、それとよく似た女性目線の映画である。なぜ美容室が女性の友情物語の舞台になるのだろうか?

まず美容室は女性だけの場所である。普段男性に気兼ねをしている女性も、男性の介入がないので、本音をぶちまけることができる。普段は親、夫、子供に尽くしている女性もここではかしづいてもらえ、自分が客として主人公になれる場所でもある。また美容師の方も男性に遠慮せず、自分が一番のプロフェッショナルになれる場所である。また客の女性は普段隠している自分の弱点、シワやシミや白髪や薄くなった頭を見せなくてはならない場所であり、自分の弱点を晒した美容師には、もう自分の私生活や弱みや悩みを隠す必要はないと感じ、ついつい本音を分かち合い、女同士の友情(sisterhood)が生まれてしまうのであろう。

日本人女性にとっても『髪は女の命』であろうが、中東の女性の髪への思い込みは格別なのではないだろうか。私が米国に住み始めた時、外国から来た女性たちが集まる英会話のクラスに出席していたことがあった。そこには私以外にロングヘアーの綺麗な若い日本女性、アラビア、エジプト、イランなどから来た何人かの女性たちがいた。ある日、その日本人女性が「私の髪の手入れは・・・」と話し始めると、それまで退屈そうに子供を抱きながら聞いていた中東の女性たちが突然自分の子供を放り出すほどの勢いでソファからたちあがり、「その秘密を教えて!!」と彼女に走り寄ったのである。結局彼女の美髪の秘訣は海藻を毎日食べることだと聞いて皆「な~んだ」とがっかりした顔をした。今でも、彼女らの生き生きした好奇心に満ちた目の光が突然消えた瞬間を忘れることができない。

日本人にとってアラブの国、中東はどれも似たり寄ったりで、女性はベールと長いすそで体を隠しているというイメージを抱きがちだが、中東の国々はそれぞれ独自の歴史と文化をもっている。トルコやイランは勿論独自の長い伝統と高い文化を持っているが、レバノンもそうである。地中海に面して北アフリカや南欧の国々と貿易をし、古来よりキリスト教徒が多く、また近年はフランスの支配下に置かれていたレバノンは南欧との関係が強い。特にこの映画の主人公の殆どはキリスト教徒なので、彼女たちはベールをかぶらず自分たちの美しさを存分に誇示しているかのようだ。

また人々はレバノンは戦火の国だと思いがちである。歴史的にそれは真実であるし、この映画の製作と前後した2006年にはレバノンとイスラエルの間で交戦が起こっている。しかし、この映画には戦火の匂いは全くない。主演、脚本、監督をした若くて美しいナディーン・ラバキーがこの映画を作った意図は「レバノンをただ戦争の国として見てほしくない。私たちは等身大の人間で、誰もが直面する愛の悩みを持ち、普通に生きているのだ。そんな私たちのありのままの姿を見てほしい。」ということであろう。確かにここでは、不倫、老いへの怖れ、社会から純潔を求められることへの負担、同性に対する憧れ、家族の面倒をみなければならない義務、結婚への不安など女性としての共通の悩みがある。しかしこの映画の中のレバノンの女性としてのユニークさは、キリスト教徒としてヨーロッパ文化とムスリム文化の狭間に置かれてどっちつかずの谷間にいることの葛藤、近隣のムスリム人との位置関係、またいつ再開するかもしれない市街戦への怖れなどが、背後に見え隠れしていることであろう。

レバノンの先住民族はヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字の基となったフェニキア文字を発明したフェニキア人である。その後この地域は7世紀に、東方からのアラビア人に征服された。その後ここを支配したトルコ帝国からは自治権を得、西方からのキリスト教の影響も受けるようになった。第一次世界大戦でトルコが負けた後、この地はサイクス・ピコ協定によりフランス委任統治領となった。フランスはチュニジアやアルジェリアの統治ではかなり苦労したが、キリスト教国であったレバノンは統治しやすい地域ではあった。この委任統治は1941年6月8日のレバノンの独立宣言とともに終了した。この独立は英国の支持を受け、平和的なものであった。その後金融・観光などの分野で国際市場に進出して経済を急成長させ、レバノンの首都ベイルートはリゾート地としてにぎわい、『中東のパリ』と呼ばれるほどであった。

ヨルダン内ではキリスト教徒とイスラム教徒が何とか力関係のバランスを取っていたが、その微妙なバランスが崩れたのは、パレスチナ難民を匿っていた隣国のヨルダンがパレスチナ難民を追放したので、難民たちと過激派のPLOがレバノンに大挙流れ込んだのがきっかけである。1975年にかけて内戦が発生し、1982年にはレバノン国内のキリスト教徒と組んだイスラエル軍がレバノンに侵攻した。イスラエルに対抗するシリアや、イランの支援を受けた過激派のヒズボラなどの応戦と国際世論の反対で結局イスラエルは2000年にレバノンから撤退するのだが、その後も混乱は続き、レバノンは親米派、親シリア派、ヒズボラ容認派、否定派等複雑な派閥争いが続き国力が疲弊した。この映画が作成された2006年には、ヒズボラのテロ活動に怒ったイスラエルが報復のためにレバノンを攻撃するレバノン紛争が起こっている。結局イスラエルは国際連合安全保障理事会の停戦決議を受け入れて撤退し、シリアのレバノン支配の力はますます強まった。

監督のナディーン・ラバキーはこの映画では徹底的に『私は政治的ではない』という立場を貫いている。しかし、この映画の国際的な大ヒットで一躍有名になり、アラビアン・ビジネス誌の『世界で最もパワフルなアラブ人100人』で、女性のトップ5に選出されるまでになってしまった彼女はもはや『私は政治的ではない』に終始できる立場ではいられなくなったようだ。その後彼女はレバノンにおけるキリスト教徒とイスラム教徒の対立を描いた『Where Do We Go Now?』を製作した。この映画については、また別の記事で書いてみたいと思う。

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[映画] 灼熱の魂 Incendies (2010年)

カナダのケベックに住むジャンヌとシモーンの双子の姉弟の母ナワルが急死する。遺言によって、二人は初めてこれまで死んだものとばかり思っていた父が地球上のどこかに存命しているだけでなく、その存在すら知らなかった兄がいることを知る。ナワルは二人に対し、父と兄を探し出し、それぞれに手渡すように、二通の封書を弁護士に託していた。ジャンヌは母の最期の願いをきき遂げるべく、ナワルの出身地である中東に旅立ち、隠された母の過去を捜そうとする。その地はレバノンのように思われるが、映画でははっきりとどこか断定していない。父と兄はまだ生きているのか。もしそうなら、どこにいて、どんな暮らしをしているのか。

要するにこれは謎解きミステリーなのだが、レバノンらしい風景の中で、キリスト教徒とムスリムの激烈な対決と殺し合いというレバノン戦争らしき史実を背景にしているので、「これは現実に起こったことを基にした事実に近い話なんだな。」、或いは「作者の体験が基になっているのか。」という印象を持って映画に引き込まれてしまう。しかし、話が展開して行くうちに、これはあり得ないというほど、悲劇を超越した恐ろしい方向に話が展開し、「何だ、ギリシャ悲劇じゃあるまいし。」と興ざめた気持ちで映画を見終わった。これが事実だとしたら本当に恐ろしい話である。事実この映画の恐ろしさに打ちのめされた聴衆もたくさんいると思う。

しかし冷静に考えてみると、映画の中では、辻褄の合わないことが多すぎて、疑問がたくさん出てくる。母と兄の年齢が近すぎるし、母はある日突然意識を失って意識も戻らぬまま間もなく死亡したのだから、こんなミステリーを企んで、凝った手紙を残す時間があったはずがない。母は内戦でそれこそ何回死んでもおかしくない状況に陥り、周囲の人はどんどん死んでいくのに、彼女だけは不思議に生き延びる。また現実ではあり得ない奇跡的な偶然の出会いが多すぎる。30年前のことなのに、人々は母のこと、兄のことをよく覚えている。母のこの遺言の本当の意図はなんだったのかに説得力がない。ショッキングな事実を知って、狂ったようになってしまっているはずの母は、意識不明になっている中で、なぜか知性的なコントロールのでいろいろ深く考えているようなのである。辻褄があわないので、この映画そのものが『嘘』のような気すらしてくる。人間の深い悲劇を描いているのに、それが信じられなくなるのである。

映画を見終えた後、この映画はワジディ・ムアワッドが書いた戯曲を、デニス・ベレヌーブが映画化したということを知り、やっと納得した。ワジディ・ムアワッドは15歳だった1983年に、レバノン内戦の戦火を避けるためにレバノンを逃亡してカナダに移住した。彼はレバノン人だし、レバノンで何が起こったかを知っているから、この戯曲はレバノンらしい中東を舞台にしているが、その戯曲の意図は「レバノン戦争の悲劇を伝えたい」ということではないような気がした。

この戯曲があまりにもパワーフルなので映画化になったのだろうが、原作が舞台から映画に移った時、大きな転換を遂げる。演劇では、抽象的な観念が中東に舞台を借りていたのだが、映画はあまりにもリアルな手法を取っているのでこれは実際に起こったことを基にしており、政治的な主張やアジェンダがあるかのように思わせてしまうのだ。勿論故国を去らざるを得なかった人間なのだから、何らかの政治的アジェンダはあるだろうが、ワジディ・ムアワッドはギリシャ悲劇の源泉を辿り、現代のシェークスピアになりたいという芸術家としての野心から、この戯曲を書いたのではないか。或いはムスリムとキリスト教徒との交錯の中で人々が殺しあう源泉となっている『神』とは何かという議論を提示したかったのではないだ。いずれにせよ、彼の目指していたものは、事実を伝えるというより、中東を舞台として知的なゲームを展開するということだったような気がする。そしてそのゲームの鍵になるのは、『1+1=1』というスマートなフォーミュラだ。

確かに『芸術』は『作り物』ではあり、舞台も映画も『作り物』であることは間違いないが、両者の間には微妙な違いがある。舞台を見る人間にとって、些細な事実の食い違いはパワーフルな主題の下では、何と言うことはないし、聴衆は舞台に『リアリズム』を要求しない。舞台は現実を表現するには余りにも多くの制限があるからだ、しかし聴衆は映画に対してはしばしば『リアリズム』を要求するのである。ある種の戯曲はすんなりと映画に移行し、聴衆になんの違和感も与えないだろう。しかしこの映画は、あまりにもドキュメンタリータッチで作られているし現実に根を張っているように思わせるので、これが壮大なギリシャ悲劇なのだとすぐにはわからないのである。まあ、たとえそれがわからなくとも、映画の多くの聴衆はこの映画のパワフルさに圧倒され、感動できるだろうが。

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[映画] 戦場でワルツを Vals Im Bashir Waltz with Bashir (2008年)

2007年のイスラエル映画 『ボーフォート -レバノンからの撤退』とこの映画を併せて見ると、複雑なレバノン戦争の内情がよりよく理解できるだろう。『戦場でワルツを』はレバノン戦争の始まり、『ボーフォート -レバノンからの撤退』は2000年のイスラエルのレバノンからの最終撤退を描いている。

1982年、イスラエル軍は、隣国レバノンに攻め入った。その戦略的な意図は、レバノン内にある大規模なパレスチナ難民キャンプが反イスラエルのテロリストたちの隠れ場所になっているので、そのテロリストたちを根絶するためであった。またレバノンでは、キリスト教徒ファランヘ党がシリアの支援を受けていたイスラム勢力と対立していたが、イスラエルはそのファランヘ党のカリスマ的指導者バシールを擁して、親イスラエル政権をレバノンに設立することも意図していた。しかしそのバシールはレバノンの大統領選に当選したものの、直後に暗殺されてしまう。ファランヘ党は、この暗殺はパレスチナ・ゲリラの仕業とみなし、サブラ・シャティーラの難民キャンプでのパレスチナ人の大虐殺を実行する。イスラエルは長い間その虐殺の首謀者として世界の非難を浴びていたが、この映画はそれに対して新しい視点を当てている。

この映画の主人公であり監督でもあるアリ・フォルマンは当時19歳。イスラエル軍としてこのレバノン侵攻に従軍していた筈だが、時の記憶がまったくないと気付くところから、映画は始まる。当時行動を共にしていた何人かの戦友や上官、虐殺直後の現場を報道したジャーナリストなどにインタビューすることにより、記憶は次第に戻って来るが、自分は現場で見たあまりの恐怖で記憶を失ったことがわかってくる。

アリ・フォルマン監督は自分のメッセージを非常に率直に端的に表現している。曖昧でどっちつかずで、聴衆の映画のメッセージの受け止め方は人によって異なるということになるのを全力で防ごうとしているかのようだ。この映画には彼の「これだけはどうしても伝えて、わかってもらいたい。」という熱い情熱というか使命感がある。

メッセージの第一は、イスラエルのバシールを擁したレバノンへの内政干渉は間違いだったということである。この映画の原題は『バシールと踊るワルツ』である。ワルツはダンスの一種だが、『下心を持って誰かと結託する』という隠れた意味を持って使われることもある。イスラエルとしては、バシールによる親イスラエル国家を確立することで、イスラエルの平和を守ろうと意図したのだろうが、この内政干渉の失敗は、その後30年に渡る世界の対イスラエル不信感を生み、それはイスラエルにとって大きな負債となった。

メッセージの第二は、殆どのイスラエルの兵士たちはサブラ・シャティーラの虐殺には加担しておらず、何が起こったのかも知らなかったことだ。これを、『イスラエル人の自己弁護だ』と一概に非難できるだろうか。芸術家として自分が知っている真実を世に知らせないのなら、レバノン戦争で死んだ人々の死、それがパレスチナの難民であっても、若きイスラエルの兵士であっても、彼らの死は犬死になるのである。アリ・フォルマン監督はどちらが正義だとは語っていない。彼は映画の中で、イスラエルのコマンダーは何が起こったかを知っていたが、敏速にそれを止めようという行為に出なかったということも告発しているのである。彼の本当の意図は、過去に何が起こったのか正しく知り、理解することから正しい未来が始まるということなのだ。

メッセージの第三は、心からの反戦思想である。監督は19歳の時徴兵されてレバノンに送られた。周囲にたくさんの戦友がおり、タンクの中で守られていると確信し、美しい国レバノン、魅力的な都ベイルートに行けることにわくわくしていた。しかしその『ワクワク』感は戦争が始まった瞬間に打ち砕かれてしまう。それでも若者のロマンティシズムはまだ消えず、ここで死んだら自分を振った恋人に「どうだ、おまえが捨てた男は可愛そうに戦死したんだ」と復讐できるのだ、とさえ思う。そんな若者の感情がどんなに馬鹿げていたのか、という苦々しい監督の心が伝わってくる。

第四のメッセージは、第三のメッセージと関連しているが、他国へ侵略するのがいかに愚かで勝ち目のないことかということだ。監督は命からがらでレバノンから逃げ帰るのだが、故国イスラエルでは自分が死にかけたし、大勢の難民が殺戮されたのに、同年代の戦争に行かなかった若者は、ロック音楽に酔い、酒場で踊り、人生を楽しんでおり、「戦争?それって何?」という感じなのである。それは、ベトナムや、イラクや、アフガニスタンで地獄を見て帰国したアメリカ兵やソ連兵が感じる、どうしようもない疎外感と失望感と同じである。人々は他国が自国に攻め込んで来たら、全力で抵抗する。しかし、自国が他国で何をしているかは殆どわからなく、共感することも難しいのだ、たとえどんなに強力な軍隊が疲弊した他国に侵略しても、やはり他国に入って行くのは恐怖であるし、誰からの支持も得られない。結局それは絶対に勝てぬ戦いなのだ。

この映画はアニメーション・ドキュメンタリーである。この主題を描くには選択肢のない選択のメソッドだと思う。現情勢ではレバノンでのロケを敢行するのは不可能であろうし、30年前のベイルートを再現するのも無理であろう。破壊前のベイルートは美しい、誰でもがすぐわかる有名な観光都市であり、どこかで再現しても、それが嘘であるということはすぐにわかってしまう。しかしアニメーションでよかった。実際に起こったことはあまりにも恐ろしいからである。また美しい音楽が宝石のように、大切な場所に効果的に散りばめられている。

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[映画]  ボーフォート -レバノンからの撤退- Beaufort (2007年)

私たちは皆、イスラエルと言う国名を知っているし、第二次世界大戦でヒトラー率いるナチがユダヤ人に何をしたかを知っているが、現在のイスラエルがどういう国なのか、イスラエルの中で何が起こっているのか、イスラエルと隣国のパレスチナ自治政府、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアはどういう関係なのかは、日本人にはちょっと理解しがたい複雑さをもっている。だから、この映画を見ても、レバノンの南にあるボーフォートの砦で若いイスラエル兵たちが何をしているのかがわかりにくい。映画の中で、イスラエルの兵士たちは誰をも攻撃していないのに、絶え間なくどこからかミサイルが飛んできて、次々と若い兵士は死んでいくのである。

映画の舞台となった2000年のずっと以前を振り返ってみないと、この映画の背景はわかりにくいだろう。中東戦争勃発以来、ヨルダンはイスラエルに追われたパレスチナの難民を積極的に引き受けていたが、第三次中東戦争後、より中立路線を貫くため、国内のパレスチナ難民を海外追放するよう方向転換した。そのパレスチナの移民はレバノンに移り、キリスト教徒とムスリムの微妙なバランスの下に成り立っていたレバノンの国政に大きな混乱をもたらすが、シリアがその中でレバノンを左右する影響力を持つようになった。

1982年、カーター政権の仲介で成立したエジプトとの単独和平で後ろを固めたイスラエルは、突如混乱するレバノンに侵攻し、レバノンの首都ベイルートを包囲する。その真の目的は、レバノンからシリアと他のアラブの影響を排除し、レバノンを親イスラエル国家として転換させることであり、カリスマ性があり、親イスラエル、反シリアのレバノンの若手指導者バシール・ジェマイエルにレバノンの政権を任せることであった。バシールは1982年8月の大統領選挙において大統領に当選したが、翌9月に彼は暗殺される。これを機にレバノンはさらなる内戦に突入していくことになる。ボーフォートは12世紀に十字軍が建立した歴史的な城砦であり、イスラエルは激戦の中でこの城砦をイスラエル配下に置く。

イスラエル軍侵攻を受けてヒズボラという軍事結社がレバノン内に結成された。これは急進的シーア派イスラム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とした。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げているが、これをイランとシリアが支援しているといわれている。一方スンニ派のサウジアラビア・ヨルダン・エジプトなどはヒズボラの行動を批判している。ヒズボラは1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年のベイルートのアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃、1984年のベイルートでのアメリカ大使館への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。映画ではこのヒズボラがミサイルで遠隔からボーフォートのイスラエル軍を攻撃している。

冷戦下で、イスラエルをアラブ圏での反ソ連の拠点とする政略を取り、イスラエルを支持していたアメリカではあるが、1990年から世界情勢は変わり、今アメリカを脅かしているのはイラクだった。アメリカは、湾岸戦争へのシリア出兵の見返りとして、シリアにレバノンの内戦終結を一任する事となった。全世界からの批判の中で、イスラエルはレバノンからの撤退を進めた。2000年にはボーフォートはレバノン内で唯一のイスラエル拠点で監視所として機能してはいたが、イスラエル政府は遂にそこからの撤兵を決定する。

映画では、ここに送られたイスラエルの兵士は、十代で徴兵されたばかりで国際情勢もわかっていない若者が中心であるというように描かれている、撤退が決定しているので反撃も出来ず、司令部に撤退を懇願しても待てという返事ばかり。頼れる上官もいない中で仲間たちは次々に死んでいく。あと僅かで捨てる砦を何故俺たちは命を賭けて守っているのかという厭世気分、その若い兵士たちを統率するのはやはり若い司令官だが、その未熟な采配ぶりに不満を持つ兵士たち、イスラエルに戻り恋人と再会することを夢見る兵士たち、しかし何のかんのといってもお互いに友情を抱いて励ましあっている兵士たちをこの映画は描いている。

この映画の底を流れているのは、「たくさんの犠牲を払ったあの1982年の攻撃はなんだったのだろうか?」という問題提起である。世界はレバノンの混乱はすべてイスラエルのせいだと信じ、イスラエルの国際的立場は困難なものとなる。どこの国にも、歴史的な間違いだと他国から非難される暴挙、自分たちが振り返りたくない過去がある。ヒトラーのドイツ、フランコのスペイン、アルゼンチンのDirty War、日本の大東亜戦争などがその例である。たとえそれが歴史的な汚点であってもそれはもう起こってしまったことだし、その時点では最善の選択だと思って選んだ行為なのだ。祖国建国を第一の目的として奮闘してきたイスラエルの人々にとってレバノン内戦は大きな間違いだったかもしれない。しかし、複雑な力関係の中で自国の維持に全力を尽くすイスラエルの人々に、歴史から学んでこれからは最善の政策を取っていってほしい、それがこの映画を見たあとの率直な感想であった。

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