[映画] ペレ Pelle the Conqueror (1987年)

この映画はブラジルの往年の名サッカー選手ペレのお話ではない。これは、デンマークの共産主義者でプロレタリア作家でもあるマーティン・アンダーソンによって1906年から1910年までに出版された4部作の小説のうちの一つ『勝利者(征服者)ペレ』を原作とし、1987年に映画化されたものである。

少年ペレは父に連れられて祖国スウェーデンを離れ、スウェーデンと目と鼻の先にあるデンマーク領のボーンホルム島に移住し、ある大きな農場で、牛小屋で牛と共に住みながら牛の世話をするという仕事にありつく。そこでの生活は過酷を極め、何か人生の希望が芽生えるとそれがすぐ挫折するということの連続で、映画には最初から最後まで半永久的な絶望感が溢れている。そして最後に、もう人生の希望を諦めた父を残し、ペレが一人新天地を求めて農場を脱出するところで終わる。冷たい風と凍った海の画像を二時間半見せ続けられて、寒々とした気持ちで映画館を出る人が多いのでは、と思わせる映画である。異国でお金もない少年が、家族も友人もいない、下手をすると一晩で凍死しかねない寒い国でこれからどうして生きていくのかと思わせる。原題は『勝利者(征服者)ペレ』だそうだが、一体何が勝利なのだろうか、と皮肉な気持ちになってしまう。

この映画は「深刻なテーマなのだから、いい映画なんでしょう」と頭で納得し、はらはらさせる展開と美しいシネマトグラフィーで何とか2時間半を乗り切り、「アカデミー最優秀外国語賞とカンヌ最高賞を受賞している数少ない外国映画なんだから、きっと名作なんでしょう」と思い込まされ、でも誰かに目をまっすぐに覗かれて「本当にこの映画が好き?心から感動した?」と聞かれたら、「実はあまりこの映画は好きではなかった」と答えてしまいそうな映画である。

何がいけないかと言えば、登場人物の描き方の画一性と矛盾である。画一性については、同じころの農場労働者の生活を描いたハネケ監督の『白いリボン』と比べてみればいい。『ペレ』では、悪いのはすべて農場主に依頼され農場主を管理する中間管理職のマネージャーである。マネージャーは雇用人にろくに満足な食事も与えず、雇用人を精神的肉体的に虐待する。農場主は経営をそんな鬼のようなマネージャーにまかせっきりで、遊び歩いている。とにかく、支配階級は一律に醜くて、残酷なのである。反対に『白いリボン』を見ていると、経営者は小作農に思いやりがあるわけではないが、自分の農場の生産性を高めるためあらゆる努力をしており、小作農が健康で生産的であるために気を配っている。小作農たちも身分の格差は苦々しく思いつつも、自分たちに仕事をくれ、家族を食べさせてくれる領主は、好きではないにしても尊敬できる存在であり、その領主がいなくなったりすれば自分たちの明日がどうなるかわからないという不安もある。いわば共生共存の関係なのである。また『白いリボン』では、小作農たちが純真無垢な存在だとは一言も言っていない。支配階級は一律に悪で、労働者は常に被害者であると訴える『ペレ』は、死ぬまでマルクス主義と共産主義を信じて疑わなかった作者マーティン・アンダーソンの気持ちを受け継ぎ、やはり階級闘争の理論で貫かれているのである。

人間の描き方の矛盾といえば、主人公のペレは勤勉で性格がいい子なので、結構農場の大人には好かれているが、自分よりももっと貧しい少年を「お金をあげるから、鞭で打たせろ」などといって、その子を自分が飽きて鞭打つのが面倒になるまで、結構厳しく打ちまくっているので、これを見て気持ちが悪くなる聴衆もいるのではないか。その貧しい子は貧しいなりに牛の扱い方をペレに教えてくれたりする、優しい生活力のある子である。その子がいつのまにか、白痴的な少年に描かれ始めている。また、映画の中での子供同士のいじめが凄惨である。私は結構北欧の映画は見ている方だと思うが、その中には子供同士のいじめのシーンが意外に多い。もちろん、子供の世界でのいじめは場所と時間を超えて常に存在するものなのかもしれない。しかし、なぜこれほどまでに、映画を作るときに「いじめ」を前面に押し出す必要があるのだろうか。また、農場労働者の生活の汚さを2時間半見せられてちょっと気持ちが暗くなる。ペレと父は自分たちの大便の排泄まで牛小屋でやり、夜はその横の小部屋で寝るのである。教会用の一張羅以外は着替えもあまりなく、洗濯もしていない服をいつも着ている。よく、伝染病や感染症にかからないものだと思う。移民だから、彼らは特別虐待されてでもいるのだろうか。

ペレは農場主の夫人に気に入られ、マネージャーになる訓練を受けるポジションに抜擢される。聴衆はようやくペレとその父が幸せになれるのかとほっとするが、ペレは父の「これでようやくお前も楽な仕事につけた。口先で労働者にああしろ、こうしろと言うだけでいいんだからな。ありがたいことだ。」という言葉を聴いたあと、そのポジションを受け入れるのをやめて農場から逃亡することを決心する。つまり、ここで示唆されているのは、「醜い搾取階級に入ることをやめて、闘うことを決心したペレは本当の意味で征服者であり、勝利者であるのだ」というメッセージではないのだろうか。そこには、苦しいけれどまじめに仕事を成し遂げて、一歩ずつ人生の階段を登っていくというメッセージはない。一歩下がってこの悲惨さが現実だったと認めたとしても、社会福祉のモデル国となった1987年のデンマークやスウェーデンでこの階級闘争の映画を作る今日的価値は一体なんなのだろうと思ってしまう。

「征服者」という意味には、農場でペレを可愛がってくれた同僚の労働者のエリックがいつも言っていたように、「まずアメリカに移民して、それから世界を征服するんだ」という言葉によっているのかもしれない。18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命に続き、西ヨーロッパでは一連の農業技術上の改革が起こり、貨幣経済が浸透し、ヨーロッパの社会体制にも大きな変化が起こっていた。自給自作の自営農であった者たちの多くは、自営農から賃金労働者に転落した。貧富の差がますます厳しくなり、アイルランド人、ドイツ人、スカンジナビア人、イタリア人などがどんどん新天地アメリカへの移民をしていた。これは政治的迫害で移民したフランス人やドイツ人、宗教的迫害で移民したロシア系ユダヤ人とはちょっと異なる理由かもしれないが、それらの移民は皆、閉塞し始めたヨーロッパにない可能性を求めて新天地をめざしたのである。

島を飛び出したペレのその後を、同時代を生きた同年代の同じく架空の人物『タイタニック』のジャック・ドーソン(レオナルド・ディカプリオが演じた)と重ね合わせることもできるだろう。ジャック・ドーソンは1912年に20歳で、アメリカでの活躍を夢見て、タイタニックに搭乗した。彼は、アメリカ移民を夢見る二人のスウェーデン人と競ったポーカー・ゲームで競り勝って、タイタニック号の無料搭乗券切符を手にしたのである。

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[映画] 愛と哀しみの果て Out of Africa (1985年)

『愛と哀しみの果て』はアイザック・ディネーセンにより1937年に出版された『アフリカの日々』を基にしている。アイザック・ディネーセンは男性の名だが、実は本名がカレン・ブリクセンという女性である。彼女は男女二つの名前を使い分け、デンマーク語と英語でたくさんの本を出版しており、アカデミー外国語映画賞を受賞した『バベットの晩餐会』の原作者でもある。『愛と哀しみの果て』はアカデミー賞の作品賞を受賞しているが、映画の作り方は完璧ではなく、人間関係の説明がないので原作を読んでいないと取り残されてしまうことがあるし、ちょっと映画が冗長すぎる嫌いがある。しかしケニヤの映像は素晴らしいし、映画の稚拙さを補って余りある原作の魅力というか素晴らしさを感じてしまう。

『アフリカの日々』は基本的には彼女の自叙伝である。映画では冒険好きでデンマークに物足りない裕福な家の出身の女主人公(1885年生まれ)が、没落した男爵の息子と身分と財力を交換するような結婚をして、新天地のケニヤに旅立つ。実際、カレン・ブリクセンも1913年にスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住している。映画通り夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻し、離婚後は単身でコーヒー園の経営を続けるが失敗し、1931年にデンマークに帰国した。

カレンの夫となるブロア(ブリクセン男爵)は1886年生まれのスウェーデン貴族である。彼はカレンとは遠縁に当たる。彼には一卵性双生児の兄がおり、映画ではこの兄が実はカレンの恋人であったという設定になっている。この双子の兄は1917年に飛行機事故で死亡した。コーヒー農園の資本はすべてカレンの両親から出資されていたので、離婚に際しコーヒー農園はカレンの所有となり、ブロアはサファリ・ツアーの会社を始める。20世紀初頭のヨーロッパの貴族は、経済力と母国の帝国主義の成功の追い風をうけ、起業に情熱を燃やすものが多かったようだが、何かこれは現代の起業家の精神に似ているものを感じる。ブロアの会社の顧客には、英国の皇族や貴族がたくさんいたという。彼は、カレンとの離婚後、1936年に探検家のエバ・ディクソンと結婚した。1938年にエバが死亡したので、ブロアはスウェーデンに帰国し、そこで没した。

ブロアとの離婚後、カレンが親しくなったのがデニス・フィンチ・ジョージア候である。彼は1887年に非常に由緒ある名門貴族の家に生まれた。23歳の時にケニヤの西部に土地を買い、そこを基にして、共同出資者と狩猟会社を始めた。彼もブロアと同じ貴族起業家であり、同じ境遇にある名門貴族出の起業家のバークレー(コール候)とも親しく付き合っていた。この4人が映画の主要人物である。1925年にカレンとブロアが離婚した後、デニスはカレンと親しくなり、やはり自分が始めたサファリ会社の仕事の合間にカレンのコーヒー園でカレンと時間を過ごすことになった。彼のサファリ会社の顧客もやはり、英国の王族や名門貴族が多かった。登場人物はすべて貴族階級の青年たちなのだが、ハリウッドの人気俳優が演じる彼らは、なんとなく金鉱で一儲けしてやろうというアメリカのカウボーイにしか見えないのが、ちょっと残念だが。

映画では、カレンとデニスが破局したのは、デニスが結婚という関係を望まなかったこと、そして別の女性が現れたからだということになっているが、それも事実らしい。1930年からデニスはベリル・マッカムという牧場経営者と親しくなり、二人で飛行機の操縦も学び、ケニヤ中を飛び回り始めた。結局デニスは、カレンが農場を閉じてデンマークに帰国しようと決心した時に飛行機事故で死亡してしまう。

この映画の素晴らしさは、当時のヨーロッパの支配階級出身の伸び伸びとした、怖いものなしの若者の開拓者精神を生き生きと描いていることだ。しかし同時にその特権はいつまでも続かないだろう、という予兆のようなものも漂っているのが見事だ。この映画では、自分の特権を顧みずアフリカに飛び出して、自らの手を汚して自分の運命を試す若者の勇気というものを感じるのだが、それだけ帝国主義というものが健在だったのだろう。この時はヨーロッパの帝国主義の最後の閃光だったのかもしれないが。

カレンは不実な夫により梅毒を移されてしまい、それで一生苦しみ、また全財産を投資したコーヒー農場も失敗してしまうのだが、誰を批判もせずすべてを受け入れて生きていく。その生き方が見事である。この精神は『バベットの晩餐会』にも感じられるものである。ここには作者の人間性が自ずとにじみ出ているのであろうか。

カレンはケニヤの原住民、たとえばキクユ族、マサイ族、ソマリ族などの違いを細かに観察している。当時のケニヤの植民者はキクユ族を利用してケニヤの殖民をすすめている。キクユ族は農耕に順応し、首長が白人入植者に友好政策を取り、白人に土地を奪われた後そこでの小作労働や家内労働に従事した。また、若者はミッション系の学校で教育を受けたので、英語も堪能になった。カレンの言葉を借りれば、キクユ族は「反抗心を持たず、羊のように我慢強い土地の人たちは、権力も保護者もないまま、自分たちの運命に耐えてきた。偉大なあきらめの才能によって、今もなお彼らは耐えている」と描写されている。ソマリ族は、すでにムスリムに改宗しており、植民者はソマリ族はいつ反抗するかわからないと警戒しており、キクユ族のような信頼を感じていなかった。マサイ族は狩猟民族であることを諦めず、孤高の道を選んでいた。映画では、キクユ族の人間でさえ、マサイ族は得体の知れない不気味な民族で、彼らを恐れていたことを描いている。

ケニヤ独立の中心となったのは、植民者のことを経験と勉強により理解していたキクユ族であった。ケニヤ独立の動きはすでに1919年にキクユ人のハリー・ツクがナイロビで東アフリカ協会を立ち上げるなどの形で起こっていた。1924年には青年層を中核とするキクユ中央協会(KCA)が成立し、植民地政府と同調する首長勢力と対決し、そのKCAの急進派の動きが1952年のマウマウ戦争に発展し、これにより白人入植者が撤退し始める。民族主義・独立の動きはケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) に結集されて行き、ケニヤの独立が達成されたのは1963年であった。

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[映画]  バベットの晩餐会 Babettes gæstebud、 Babette’s Feast(1987年)、ラヴェンダーの咲く庭で Ladies in Lavender (2004年)

最近立て続けに非常によく似た映画を二本観た。『バベットの晩餐会』と『ラヴェンダーの咲く庭で』である。『バベットの晩餐会』は1871年のパリーコミューン事件前後の50年に渡る時期を描くし、映画『ラヴェンダーの咲く庭で』は1936年の英国を舞台にしており、『バベットの晩餐会』より約20年後に作られているので、映画として大成功だった『バベットの晩餐会』の物まねなのだろうか、とも思ったが、この二つの映画が描く時代の精髄とか、映画の精神の色彩があまりにも似ている。二つの映画から受ける印象は20世紀初頭の北欧の空気なのである。

調べてみると『バベットの晩餐会』の原作者カレン・ブリクセンは1885年に生まれて1962年に没しており、『ラヴェンダーの咲く庭で』の原作者ウィリアム・ジョン・ロックは1863年生まれで1930年に没している。同世代とは言わないが、同時代に生きている。道理で、その感性が似ているはずだ。『ラヴェンダーの咲く庭で』は原作の時代を20年間新しくしているが、実際の原作は1916年に出版されており、『バベットの晩餐会』の原作よりも若干早い時期に出版されている。つまりこの映画が表現している時代の空気は、第一次世界大戦前のまだ帝国主義が健在なヨーロッパで、その経済的な繁栄は楽しみつつも、北欧の田舎で政治的な荒波には揉まれておらず、隣人の共同体がしっかりして、人々が善意でお互いを助け合っていた、よき時代のヨーロッパの心なのである。カレン・ブリクセンもウィリアム・ジョン・ロックもそういった時代は近い未来に消え去るだろうという予感は感じていたのであろう。何か儚さの予感のようなものを感じさせる。原作は読んでいないので、この二つの映画を比較して、その相似点と相違点を書いてみたい。

まず映画として似ているのは、両方とも父親の死後独身で同じ家に暮らしている仲のいい老姉妹の物語である。二人が暮らしているのは北海に沿った海辺の美しい寒村である。『バベットの晩餐会』ではデンマークのユトランド半島、『ラヴェンダーの咲く庭で』は英国という設定であるが、映画の風景は全くそっくりである。女中が買い物籠をさげて丘を下りて、漁師が浜辺に乗りつけた小船に魚を買いに行くという毎日も似ている。毎日判で押したような、父を懐かしみ日々の無事を感謝していく姉妹の生活が、漂流者のような芸術的な異邦人(『バベットの晩餐会』ではパリの一流レストランの女シェフだったバベット、『ラヴェンダーの咲く庭で』ではミステリアスなポーランド人の天才バイオリニストのアンドレー)の出現で生活が一気に活気つき、姉妹は半ば忘れかけていた自分の若かりし頃を振り返るというのも似たテーマである。

作者として似ているのは、カレン・ブリクセンもウィリアム・ジョン・ロックもアフリカで長い間生活していたということだ。ウィリアム・ジョン・ロックは英国人だが2歳の時にトリニダード・トバゴに移住し、1881年にケンブリッジ大学に入学するために英国に帰国した。一方カレン・ブリクセンはデンマーク人であるが、1913年に父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住した。夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻して離婚し、1931年にデンマークに帰国した。アフリカ在住時代の思い出を綴った『アフリカの日々(Out of Africa)』が 『愛と哀しみの果て』として映画化され、アカデミー作品賞を受賞した。『バベットの晩餐会』はアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。

それでは相違点は何か。原作を読んでいないので、映画化されたものだけに関していえば二人の姉妹の過去の振り返り方の差である。『バベットの晩餐会』では、姉妹の心には過去に対する後悔は全くない。美しい姉妹だから思いを寄せる男性はたくさんいたが、独身を保ったのは村で教会を立ち上げた父を助けるためであり、年老いて信者が老人ばかりになり傾きかかった教会を死ぬまで維持しようと心に決めている。何も欲はないし自分から求めるものはないが、人生の果てで自分に思いを寄せてくれた男たちの暖かい魂が姉妹を守ってくれているかのようだ。パリ・コミューンで家族全員を虐殺されて身寄りのなくなったバベットをパリからデンマークに送ってくれたのも、姉妹に想いを寄せた男なのである。バベットも姉妹のもとで暮せることを感謝して、ずっと姉妹と人生を共にしようとする。信じる心があり欲のない人間が得ることのできる静かな幸せを『バベットの晩餐会』は描いている。

『ラヴェンダーの咲く庭で』は逆に漂流した若くて魅力的な男性によって、姉妹のの妹の方の老女が自分の中に隠されていた異性への欲望に気づく物語である。若者は漂流して死にかかった自分を助けてくれた老女に感謝の気持ちを持ち、母を慕うのに近い気持ちで老女を慕うのであるが、やはり恋愛感情を持つのは自分の年に近い若い女性であるし、自分のキャリアに対する野心もあり、片田舎にくすぶっていることはできない。妹は「あの人が手に入らないなんて、人生不公平!!と嘆く。他人から見たら滑稽でグロテスクに見える老女の感情も、老女からみれば真剣で尊い感情なのだ。

映画としては『バベットの晩餐会』の方がはるかに優れており、『バベットの晩餐会』は多分映画史に残るだろう。悔やまない、妬まない、受け入れる、感謝するという、幸せを得るための心構え、言うのは容易いがなかなか身についてくれない人生態度を、年老いてなお美しい女優たちが示してくれる。

『ラヴェンダーの咲く庭で』で老姉妹を演じているのがジュディ・デンチとマギー・スミスである。アカデミー賞受賞者で英国女王から女爵士を授けられた彼女たちは勿論大女優である。しかし『ラヴェンダーの咲く庭で』の姉妹たちは原作ではずっと若く、原作の精髄は、40代のもはや若いとはいえないが、まだ十分女性である独身の女性が、若い男性に恋心を触発され、自分の失われた青春時代を渇望する物語である。監督のチャールズ・ダンスも、40代の女性の心の翳りと発揚を70代のジュディ・デンチとマギー・スミスに演じさせることの懸念はあったが、「まあ、彼女たちは女神に近い名優だからできるだろう」と思って二人をキャストしたという。これは演技というものを冒涜しているアプローチだと思う。極端にいえば役柄は黒木瞳か松島菜々子の年代だけど、まあ神に近い名優だから70代の杉村春子や山田五十鈴が黒木瞳を演じられるだろう、と言っているようなものである。

70代の彼女たちが40代を演じるのはちょっと無理だから、映画は結局老女の物語になってしまっている。映画を見ている人が、主人公は実は40代だと理解するのはまず不可能だろう。というわけで、映画は、70代の女性が嫉妬混じりに20代の男性を家の中に拘束し、同年代の女性との交際を妨げ、いつまでも繋ぎとめておこうと企む(というか淡い希望を持つ)というものになっている。ジュディ・デンチとマギー・スミスへの尊敬が、結果としてこんな映画になってしまったのは皮肉である。

原作は読んだことがないが、私としての『ラヴェンダーの咲く庭で』の主人公のイメージは、何らかの理由で独身である、若いともいえないが老境でもない40代の女性が、自分の子供ほど若くないが、かといって自分の相手としても社会的には受け入れられない年下の男性へ惹かれていく想いを抑制する「つかの間の緊張の美」である。彼女が独身であったのは、自分のふさわしい世代の男性が戦死して数が少なくなっているとか、出会いの機会がなかったとか何か社会的な理由があるような気がする。何歳になっても人を想う気持ちがあってもいいが、40代女性を70代のの女優が演じることにより、原作の精神が変わってしまったように想われる。つまり、この映画の原作は時代背景こそ似ていても全く異なった女性の心を描いたのだが、『ラヴェンダーの咲く庭で』の二人の女優の名演のために映画が結果として似てしまったということらしい。

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[映画]  アフター・ウェディング Efter brylluppet After the Wedding (2006年)

『アフター・ウェディング』を見始めて、「あ、これは 『未来を生きる君たちへ』に似ている!」と思ったが、やはり両方ともデンマークの女流監督スサンネ・ビアの作品であった。テーマは違いこそすれ、彼女の映画の作り方には何か共通性がある。まず抽象的な観念が先に来て、それにさまざまなストーリを木に竹を接ぐように足していくのである。

デンマーク人ヤコブはインドで孤児院を運営しているが、破産寸前の状態に陥ってしまう。そんな時、母国デンマークのある会社から寄付の申し出がある。しかしそれにはヤコブがコペンハーゲンを訪れてCEOと面会するという条件がついていた。ヤコブはコペンハーゲンでその会社のCEOのヨルゲンに会うが、ヨルゲンに彼の娘アナが週末に結婚するので、式に来るようにと招待される。結婚式に出席したヤコブはそこで、20年振りに元恋人のヘレンに再会するが、ヘレンはヨルゲンの妻となっていた。そしてヤコブは、アナが自分の実の娘であるということを知って衝撃を受ける。この出会いは、癌で余命いくばくもないヨルゲンが自分の死後の家族のことをヤコブに任せるために仕組んだことであり、孤児院への彼の莫大な寄付はヤコブがデンマークに住むということを条件にしたものであった。そこで、ヤコブは血の通った自分の娘を選ぶか、自分が愛するインドの孤児たちを選ぶかという決断に迫られるのであった。

この映画はアナの結婚式の週末前後のほんの短い時間を描いているが、数々のコンセプトが所狭しと詰められている。インドの貧しさを忘れてはいけないというプロパガンダ、生みの親か育ての親か、母国は自分が生まれた国なのか選んだ国なのか、激情的な愛と穏やかな愛とどちらが深い愛か、真の優しさは悲しい事実を知らせることなのか知らせないことなのか、青臭い理想主義者で生きるか、問題解決ができる現実主義者として生きるか、人としての家族に対する責任感とは何か、とにかく色々な概念や理屈が所狭しと押し詰まっている。結婚したアナの婿がさっそく浮気をし、それがアナに見つかるというおまけもあるが、これは挙式後まもなく起こっているという慌しさである。

あまりにもたくさんの概念を2時間の映画に詰め込むので、ストーリーには色々破綻或いは非現実的な所がでてきている。ヘレンはヤコブと別れた直後にアナを身ごもっていることに気がつくが、彼女はヤコブを捜そうという努力もしていないかのようだ。「あなたがデンマークに帰って来てくれるのを待っていたのに、結局あなたは帰って来なかった」というロマンチックな言葉でその状況をぼかすのみである。20年後にまだ愛のほとぼりがあるくらいの二人なら、なぜもっと相手を取り戻そうという努力をしなかったのか?ヨルゲンにしても、一代で身をなした大富豪で多くの友人に囲まれており、死後自分の家族を助けてくれる人もいるはずだし、弁護士に依頼して子供のための遺産管理もできるはずなのに、なぜ見も知らず、人間的にどれだけ信用できるかどうかわからないヤコブに死後の自分のヘレンとの間にできた幼い双子を含めた自分の家族の世話を頼むのか?またヨルゲンは、ヤコブに自分の死後はヘレンと一緒になってほしいと示唆するのだが、20年も離れていて、違う方向に歩いて来た二人がなぜ突然一緒にならないといけないのだろうか。まだ美しく経済力もあり自立心の強いヘレンは未亡人になっても伴侶は必要なく、もし必要となったら自分で自分の事位決められそうなものであるが、なぜ20年前の恋人なのか。

しかし何よりも、ヨルゲンがどうしてそういとも簡単にインドにいるヤコブを見つけたのかという疑問が残る。ずっとヤコブのことを知っていて彼の動きを観察していたのなら何とも言えず不気味であるが、映画では、癌で余命いくばくもないことを知ったヨルゲンが(運よく)ヤコブを捜し出してコンタクトしたように描かれている。これが不自然なのだ。自分が癌で長く生きられないと知った人間がまずすることは、ヨルゲンがやったように財政の整理をして、残った人間が困らないようにすることだろう。しかし、その次に考えることは、残り少ない時間を自分にとって一番大切な家族との一分一秒を大切に過ごすことだろう。死を初めて身の回りに感じた時、今まで自分が当たり前と思っていたすべてのことが全く違って見え、人生に対する見方が根本的に変わってしまうだろうが、自分の知らない人間に対して突然に思いを寄せるというのは、あまりにも不自然である。

スサンネ・ビアは作品の中にアフガニスタンやスーダンなど第三国を絡ませるが、彼女自身は撮影が始まるまで、その国に実際行ったことはないという。彼女は、自分が得た情報で、何らかの良心が目覚めるタイプの人間だとしか言いようがない。この映画は感動的なメロドラマを狙っているようだし、アナとヤコブが親子としての感情を築いていくシーンなどはかなり美しいのだが、この映画は都合よく美しいストーリーを回そうとして、細部は無理をして辻褄を合わせている部分が多過ぎて、いったんそれが鼻につき始めるとどうも感情移入ができにくくなり、製作者の美しい意図はわかるが、感動が今ひとつ湧かない映画なのが残念だった。

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[映画]  未来を生きる君たちへ Hævnen In a Better World (2011年)

原題はデンマーク語で『復讐』、英訳がIn a Better World、日本語訳は『未来を生きる君たちへ』であり、英語と日本語の題は原題の直訳ではないが、それぞれ多層のテーマを持つこの作品を象徴しているようで、興味深い。

アントンはスウェーデン人医師であるが、デンマークに住む妻マリアナと別居中で、アフリカ(多分スーダン)の難民キャンプで働いている。彼らの息子エリアスは学校でいじめにあっている。或る日、彼のクラスにロンドンからクリスティアンが転校してくる。妻の死後彼の父クラウスは、クリスティアンを連れて、デンマークの祖母の元に生活の基盤を移したのだ。いじめっ子に対して無抵抗のエリアスに対して、戦わなければいつまでもいじめ続けられるだけだと説くクリスティアンは、いじめっ子の大将をぶちのめしてしまう。それにより、いじめっ子はクリスティアンに一目置くようになる。母を失ったクリスティアンと、離婚で父を失うかもしれないエリアスは、お互いに親近感を抱き深い友情が芽生える。

クリスティアンとエリアスは、エリアスの父アントンが一方的に理不尽にある男に殴られるのを目撃する。仕返しをするべきだと主張する少年たちに、アントンは暴力に対して暴力で返せば、その暴力は果てしなく膨らんでいくのだと諭す。アフリカに帰ったアントンは反乱軍将軍に腹を裂かれた若い妊婦の手当てをするが、彼女は手当ての甲斐もなく死んでしまう。そこへその将軍が傷の手当を求めてやってくる。キャンプの医療団は彼の手当てを拒否したが、アントンは医者としての責務から彼の手当てをする。手当て後、将軍はその傲慢な態度を明らかにし、死んだ妊婦に対しての侮蔑の態度に出たので、ついにアントンは怒り頂点に達し、「ここから出て行け!」と怒鳴ってしまう。アントンの言葉に、今までアントンへの敬意のため行動を慎んでいた難民たちは将軍を殴り殺してしまう。

デンマークではクリスティアンが、アントンを殴った男の車を仕返しに彼の車を爆破しようとする。エリアスはその行為に懐疑的だったが、クリスティアンに引きづられて行動を共にする。爆破寸前に見知らぬ母子がジョッギングの途中で車に近づいてのを見て、エリアスは彼らを救おうと飛び出して、自分が爆破されてしまう。警察に取り調べられたクリスティアンはエリアスが死んだのだと信じ、自分も投身自殺を図ろうとする。

『復讐』- この映画は復讐とそれが生むものを描いている。マリアナは夫のアントンが浮気したのが許せない。それにより、アントンはアフリカに渡り、エリアスは悲しい思いをし、自分を助けてくれたクリスティアンに安らぎを見出すが、それが爆破事件に繋がっていく。クリスティアンは、自分の父は末期癌で苦しんでいた母の死を望んだのだと信じ、母の死を止めきることができなかった父が許せない。そのどこにも向けられない怒りは、いじめっ子や理不尽に人を殴る男への復讐の気持ちに繋がっていく。復讐を否定するアントンも、若い妊婦の腹を裂きそれを面白がった反乱軍の将軍が許せない。妻を殺されたアフリカ人の男は将軍を殴り殺す。どんなに些細なことに見えても、残虐なことでも、程度の差あれ傷ついた人々は復讐の気持ちを抱くのだとこの映画は述べている

『In A Better World』- In A Better Worldこれは『理想的には』とでも訳すべきか?皆理解し合って暴力がないのが理想的な世界だが、これはあくまでも理想であり現実では人々は傷つけあっている。あるいは、この題は、戦火の中の非条理のスーダンに比べると、欧州の中でも落ち着いた社会と言われるデンマークは平和と安静に満ちた世界かもしれないが、その中にもいろいろな形で暴力は潜んでいるということを暗示するのか。暴力には暴力を持って戦うのか?無視をするのか?許すのか?それとももっといい方法があるのか?映画は回答を与えることなく終わる。

『未来を生きる君たちへ』- 暴力に対して大人はそれはいけないというが、それは偽善であるかもしれない。大人たちも自分の問題に対処するので手が一杯なのだ。こんな大人たちを見ることによって、君たち次の世代はもっと違うように生きていってほしい。

私がこの映画を見て一番強く感じたのは、「人生一歩先はわからない」ということだ。この物語の登場人物は少数だが少なくとも6人死んでもおかしくはない状況を描いている。ジョッギングをして偶然車の傍を通りかかった親子、それを守ろうとしたエリアス、飛び降り自殺の寸前でアントンに救われるクリスティアン、クリスティアンが制裁したいじめっ子、反乱軍に恨みをかってしまったアントン、またアントンだって自分を殴った男に逆恨みされて殺される可能性だってあるのだ。親たちは一生懸命子供を育てようとする。しかし毎日の激務や自分なりの悩みに手一杯で、子供のことに思いが及ばない間に、子供たちは思いがけない方に流れていってしまうのだ。幸いにも身近な人は死なないですんだが、どんなに小さい過ちでもそれが悲惨な結果にたどり着く可能性があることをこの映画は示している。

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