[映画]  人事部長の出張旅行 The Human Resource Manager (2010年)

この映画は『シリアの花嫁』で一躍イスラエルのトップ監督の一人に躍り出たエラン・リキルスによる製作である。

イエルサレムにあるイスラエルの大手製パン工場で働く出稼ぎ労働者の女性が、マーケットで自爆テロのため死亡するが、縁故者がいないので引き取り手もなく死体置き場に放置されていた。一人の新聞記者がそれを嗅ぎ付け、大企業の非人道さというテーマで記事にするという。パン工場の女社長は工場の評判が落ちないように、PRとして死体を彼女の母国で埋葬することを決定し、人事部長にそれに付き添えという出張命令を出す。記事をスクープした無礼な記者もそれを確認するために同行するという。

人事部長は、妻子と別居状態で、家庭崩壊の危機にある。娘の修学旅行の運転手をして娘との交流を考えていたのにそれもおじゃんになった。人事部長は記者と共に彼女の母国に到着するが、彼の夫はもう彼女と離婚しているので、遺体を引き取る権利がないという。彼女のティーネージャーの息子はぐれてしまい、家を追い出されたて仲間と路上で暮らしている。人事部長は、息子を連れ、1000キロ離れた村に住む祖母を訪ねていくがその途中でいろいろと思いがけないハプニングが起きる。

イスラエルの映画というと、日本人にも知られている映画はとしては『戦場でワルツを』 『ボーフォート レバノンからの撤退』『アジャミ』などの政治色の強い映画と、『迷子の警察音楽隊』や『ジェリー・フィッシュ』のようなイスラエルの庶民の心を描く路線とに大別できると思うが、これは後者である。『ジェリー・フィッシュ』では、建国者であるホロコースト世代から切り離されて建国の意義がぴんとこない若い世代の鬱屈した感情を描いているが、この映画も家族や人間関係や仕事に完全に幸せでない人事部長の心理を内面から描く。また『ジェリー・フィッシュ』と同じく、イスラエル人から無視されがちな外国人労働者の生活も一つのテーマになっている。

イスラエルでの低賃金労働は元来パレスチナ人に任せられていた。しかしパレスチナ人の自爆テロの増加、そしてパレスチナ人への隔離政策でパレスチナ人の入国が次第に困難になってくると、その労働を任せるために外国人労働者を雇うようになったのである。外国人労働者への無視というか冷たい視線はイスラエルに限らずどこの国でも共通であるかもしれないが、イスラエルではパレスチナ人に対する警戒心と上から目線が、その仕事を受け継いだ外国人労働者に受け継がれているという可能性もあるのではないか。

この映画は『シリアの花嫁』でも表現されたような、エラン・リキルス独自の強い主題が前面に押し出されている。それは、「国際社会におけるイスラエル人の良心を示すこと」である。人事部長は最初は仕事で従業員の故国に行ったのだが、次第に彼女の家族と生まれた国に対する理解と心の繋がりを深めて行く。そして彼女の家族から、イスラエルが彼女の選んだ祖国なのだから、そこに彼女を葬ってほしいという言葉まで引き出してしまうのだ。また彼の娘も修学旅行の運転手なんかどうでもいいから、その女性の死体の面倒をきちんと見てあげてほしいと主張するのだ。

自爆テロの犠牲者になった彼女が生まれた国は一体どこだったのだろうか。未だに社会主義政権の名残の官僚主義や賄賂が生きている国。虚無的なストリートキッズが町の隅々に隠れている、崩れかかったような活気のない首都。東方正教を信じている人々。馬が交通手段としてまだ残っている貧しい寒村。映画はこの国の名前を明示しないが、聴衆にはそれがルーマニアであることが次第にわかってくる。なぜルーマニアなのか

ルーマニアにもユダヤ人が多数住んでいた。彼らは他の国に住んでいるユダヤ人と同じく第二次世界大戦下でホロコーストの被害にあったが、それはポーランドチェコで起こったホロコーストのようには知られていなかった。その理由は、そのホロコーストがドイツのナチスの手によったものではないので、ドイツの非ナチ化の告発の対象にならなかったからである。ルーマニアのユダヤ人虐殺はルーマニア人の手でなされ、その後の40年に渡る社会主義政権の下では極秘にされ、或いは否定され、ルーマニアのユダヤ人ホロコーストが公式の話題になったのは、2000年代に入ってからであった。

第二次世界大戦でのルーマニアとドイツの関係は複雑である。ルーマニアは領土を巡ってソ連と争っていたので、第二次世界大戦ではドイツ側の枢軸国として参戦したが、次第に反ドイツの態度を強め、ドイツ敗戦の気配が見え始めると1944年には連合国側に鞍替えして、当時ドイツ支配下にあったチェコに対する攻撃を始めた。ユダヤ人への迫害は1940年ころから次第に顕著になったが、当時の政権の情勢により、ユダヤ人の迫害が緩和されたり厳しくなったりというジグザグを取り、また地域によってもその状態が異なったようだ。またユダヤ人虐殺の主導をしたのは、ルーマニアの各地域の指導者、ナチス、或いはソ連と混沌とした情報があり、すべてが明らかにされてはいない。第二次世界大戦後の社会主義政権の誕生後の秘密主義で肝心な情報が消滅してしまったのかもしれない。一番知られているのは1941年に起こったオデッサの虐殺であるが、その資料も十分とはいえないようだ。

ルーマニアのユダヤ人でイスラエルに移住した人も多いが、ドイツ圏でのホロコーストが色々な資料を保存して検証されているのに対し、ルーマニアでのそれは所謂unresolved issueである。しかしエラン・リキルスによるこの映画には告発の態度はない。ルーマニアの寒村を「地の果て」といって飛び出したこの女性は、首都に移り工学学士の学位を取得しても満足せず、イスラエルで自分の人生を試そうとした。イスラエルは、そんな女性を、自国を選んでくれたのなら、あなたを受け入れますよ、という広い心を持っているということをこの映画は伝えたいのではないか。

彼の思いを一言で言えば「イスラエル人を殺すために自爆テロをする人よ。あなたはイスラエル人を殺していると思っているが、結局イスラエルに暮らしている非ユダヤ人も犠牲にしているのだ。もうこんな行為はやめようではないか。イスラエル人は戦火を止める心の準備はできているのだ」というものではないか。国際的にはイスラエル人がテロに対する警戒をなかなか解かないのが問題であると非難されることがある。しかしユダヤ人は第二次世界大戦の終結から今日まで「どうして第二次世界大戦でのナチスの動きに対抗できなかったのか」「なぜ、そんな動きに気がつかずにナチスの収容所送還の命令にやすやすと従ったのか」といつも質問される続けるのである。彼らが歴史から学んだことは、常に疑いの心を持ち慎重になれということではないのかと思うのである。

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[映画] シリアの花嫁 The Syrian Bride (2004年)

『シリアの花嫁』はイスラエルが中心となり製作され、イスラエル人のエラン・リキルが脚本と監督を、パレスチナ人のスハ・アラフが脚本を担当し、俳優たちはパレスチナ系のイスラエル人を多用している。リキル監督は、イスラエル人としての視点から、国際的な映画聴衆を念頭に置いてこの映画を作っているように思われる。換言すれば、この映画はタイトルに『シリア』という言葉こそあれ、イスラエル人の想いを世界に伝えたいと思って作られた映画なのである。

この映画の舞台となっているのは、イスラエル、レバノン、ヨルダンおよびシリアの国境が接するゴラン高原の中のドゥルーズ派信徒の村である。イスラム教には大きく分けてシーア派とスンニー派の対立がある。スンニー派が多数派であり、シーア派の信者はイスラム教徒全体の10%から20%であると推定されている。シーア派はその発生以来、原則として多数派のスンニー派に対し少数派の立場にあり、多数派の攻撃から身を守るためシーア派の信徒は山岳地帯など外敵が容易に侵入できない地域に集団を形成することが多かった。シーア派が国内で多数派を維持している国はイランだけであるが、イラク、レバノン、イエメン、パキスタンなどでは比較的シーア派の信者が多いといわれている。時間の経緯と共にシーア派は更に細分化が進み、ドゥルーズ派はシーア派の一分派から更に分派したものだが、教義からみてシーア派とも異なることが多く、イスラム第三の宗派と呼ばれることもあるし、多くのイスラム教徒からドゥルーズ派はイスラムではないと言われることもある。

この地は政治的にも複雑である。1967年に起こった第三次中東戦争(六日戦争)はイスラエルとエジプト・シリア・ヨルダン・イラクの間に起こった戦争で、奇襲攻撃に成功したイスラエルは短期間のうちにヨルダン領のヨルダン川西岸地区、エジプト領のガザ地区とシナイ半島、シリア領のゴラン高原を占領して勝利した。ゴラン高原は1981年以降は民政化に置かれ、イスラエルはこの地のシリア人でイスラエル市民権を望む者には市民権を与えることになった。だが住民のシリアへの帰属意識が強いため、イスラエル市民権の申請をしない人々が多く、その結果彼らは無国籍となる。結婚などの理由でゴラン高原からシリアに出た人間は、一旦国境を越えると自動的にシリア国籍が確定するため、今度はイスラエル占領下にある自分の村へ帰れなくなるのである。国際世論はイスラエルのゴラン高原占拠を認めていないが、イスラエルはゴラン高原が戦略的に重要であり、またそこにあるガラリア湖が水源として貴重なのでゴラン高原を放棄しようとはしない。

六日戦争が急に起こりあっという間にイスラエルの勝利で集結してしまったので、ゴラン高原の住民の中には家族と離れ離れになってしまった者もいるだろう。この映画では、父ハメッドは親シリアの活動家であり、イスラエルの刑務所から仮釈放されたばかりという設定。三人いる息子の一人はシリア在住で、ゴラン高原に帰ることはできないので、話をしたい時は、軍事境界線をはさんだ「叫びの丘」と呼ばれる至近距離で拡声器を通じて家族と交信する。

ハメッドの長男はロシア留学中に知り合った女医と結婚したという理由で、村のドゥルーズ派の長老たちから宗教的に追放され、ハメッドからも勘当されている。長女はハメッドが選んだ男と結婚したが保守的なその夫から心が離れており、自立を求めてイスラエルの大学で学ぼうという意思を固めている。彼らの長女は親イスラエル派の家族の息子と恋仲である。次女は親戚で今シリアで人気のある俳優と結婚が決まり、シリアに出国の予定だが、一旦国境線を出てしまうと二度と家族のもとに戻ってこれないので、この結婚に迷いを感じている。次男は無国籍というパスポートを使用して、イタリアやフランスを飛び回ってビジネスをしている。次女やもう一人の息子と違い、交通の自由がある。長男も妹の結婚式のため一時ロシアから戻ってきたわけだから、交通の自由が認められているようだ。彼は結婚したので、ロシアのパスポートを持っているのかもしれないが、つまり一度国境を越えたら戻れないというのは、シリア国境に限られているようだ。

この映画は次女の結婚式が行われた一日の顛末を描く、劇中のテレビ報道では現アサド大統領の就任を伝えているので、物語は西暦2000年の出来事だということがわかる。映画の中でシリア人たちはアサド大統領の就任に興奮し、国民はアサド大統領は父や兄に比べたら、教育を受けた心の穏やかな人間だという期待を持って喜んだように描かれている。誰もその時点でアサド大統領が後に米国のメディアで「世界最悪の独裁者」ランキングの中の一人に選ばれるようになるとは思いもしなかっただろう。

この映画は家族愛をやるせなく描いた佳品である。しかしこの映画で一番印象に残ったのは、イスラエル人の映画に対する想いである。この映画ではイスラエルのゴラン高原占領の過去には全く触れず、現在のゴラン半島に住む人々の暖かい人間性を人種を超えて描く。登場するイスラエル人は善人でも悪人でもなく、自分の責任を淡々と果たす、ごく普通の等身大の人間である。国際世論で非難されることの多いイスラエルではあるが、そこに住むと決意した者にとっては、国際世論でイスラエルが肯定的に見られ、自分たちの支持が得られるように努力したいというのは悲願であろう。映画はそんなイスラエル人にとって、イスラエルの現状や自分たちの感情や考えを世界に伝える最善の媒体である。『戦場でワルツを』を製作したアリ・フォルマン監督も「イスラエルでは完全な表現の自由がある。何を言っても許されるのだ」と述べている。イスラエルの政府も映画人の活動を支援しているようだ。またユダヤ系のアメリカ人が多く活動しているハリウッドとの技術交流もあるだろう。イスラエルの映画活動は盛んであり、多くの秀作を生んでいる。何のかんの言っても、映画は国際的に非難されがちなイスラエル人が声をあげて自己主張でき影響を与えることができる数少ない機会なのである。

長女を演じた美貌の女優ヒアム・アッバスはイスラエル出身のパレスチナ人で、主にヨーロッパで活躍している。彼女はインタビューに答えて、「過去に何があったのかに執着しても何もうまれない。これからどうして生きていくかが大切なこと」とはっきり述べている。花嫁の父ハメッドを演じたパレスチナ人マクラム・J・クーリも思慮を重ねた結果イスラエル国籍を取得している。イスラエルは彼を尊敬し、クーリはイスラエルを代表する俳優として活躍している。イスラエルは自分を選んでくれた人に報いたいのである。

過去の歴史にこだわるのも一つの行き方であるが、前向きに中東の平和を考えるのもまた一つの行き方である。イスラエル国民は一人でも自分たちの立場を理解してくれる人が増えることを心から願っているのだろう。イスラエルの活発な映画界の背景にはそんな希望があると思う。

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[映画] アジャミ Ajami (2009年)

アジャミは、イスラエル一の大都市テル・アビブの南に隣接する町で、ここにはアラブ人が多数居住しており、ドラッグや暴力を含めた犯罪率の高い地域でもある。この映画は、アジャミのレストランで働く3人の若いイスラム教徒のアラブ人の従業員と、キリスト教アラブ人のコミュニティー実力者、1人のイスラエル人の警察官を中心に、彼が織り成す事件をそれぞれの観点から描いている。だから、同じ出来事を描いても、一人一人の見方でその事件が違って見える。

19歳のオマーは、叔父がベドウィンギャングと抗争したため、そのギャングから報復を誓われ弟のナスリと共に命を狙われることになる。勤めているレストランのボスの友人で、アジャミの町の有力者アブ・エリアスに依頼してベドウィンの法廷に抗争の調停を依頼するが、高額な調停金(日本円で500~1000万円くらい)を請求されてしまい、それが払えなければ殺されてしまうという怖れにおののく。

16歳のマレックはイスラエルに隣接するパレスチナ自治区西岸の人間だが、国境を越え不法労働者として密かにそのレストランで働き、そこで寝泊りしている。母の癌治療のために700万円ほどの経費が必要となった。アブ・エリアスは彼を可愛がっており、その一部は喜んで出費すると言ってくれたが、残りの費用をどうして探そうかと悩んでいる。

20代のビジは面倒見がよく明るいコックだが、弟がユダヤ人の市民を殺害して逃亡した後、非合法のドラッグを残していったので、その処理に頭を悩ませている。警察の家宅捜査を何とか切り抜けた後、ビジは殆どのドラッグを捨て、ドラッグの入っていた袋に小麦粉を入れてドラッグに見せかけた。しかし彼は僅かに残ったドラッグを吸引した結果、オーバードースのために死亡してしまう。

イスラエル人警察官ダンドは行方不明になっていた弟が死体で発見され、弟はアラブ人に殺害されたのだと疑っている。

アブ・エリアスはアラブ人の中でも少数派のクリスチャンである。彼は、自分が窮地を救ってあげたオマーが自分の娘と恋仲になったのに怒りを感じている。宗教の違う男女の恋愛は許されないからだ。

マレックとオマーはビジのアパートで見つけた白い粉がドラッグだと思いドラッグ・ディーラーに売りに行くが、実はこのドラッグ・ディーラーはイスラエルの警察のおとり捜査官であり、ダンドも背後で現場を見張っていた。彼はマレックが弟の遺品らしき高級懐中時計を持っているのに気づき逆上する。

その後に何が起こったのかはそれぞれの見方によって全く違ってくる。また、マレックとオマーは、なぜビジは死んで、誰に殺されたのかというのも、事実と相異することを信じており、それが悲劇に繋がって行く。

この映画はパレスチナ人とその社会の苦悩を描いているが、彼らはイスラエルの領域の中でその市民として生きているので、西岸地区のパレスチナ自治区に住むパレスチナ人とは異なる問題がある。その点をこの映画はユニークに描いていると思う。

私は人間として幸せに生きていくのに必要なことが三つあると思う。一つは家族の愛、もう一つは友人(社会的なサポート)そして第三は仕事(経済力)である。

この映画に登場してくる家族は皆それなりに愛情に満ちている。完璧ではないが、それぞれの親は何があっても子供を守ろうとしているし、子供も親を大切にすることが最大の価値だと思っている。その感情愛情は人間に普遍のものであろうが、アラブ人にとっては『家』がそれこそ一つの単位になっている。一家の中で1人犯罪や過ちを犯すとそれは家族全体の罪になる。また母親は家の中では強く愛情深いが、社会の主流となっている男社会で何が起こっているかがわからないので、大事が起こっても処理ができず、すべての難しい決断はティーンエージャーの男であるマレックやオマーに『家長』として押しかかってくるのである。

社会的サポートとは友情、コミュニティーのサポート、ひいては国家権力の保護という問題になる。西岸地区のようなパレスチナ自治領に住んでいるパレスチナ人は、パレスチナ人の同胞に囲まれ、政情不安定であっても一応自分たちを守ってくれるパレスチナという国家が背後にある。しかし、アジャミに住むパレスチナ人は自分たちが住んでいるイスラエル国家を頼ることができない。しかし、同じアラブ人同士といっても、自分たちの命をねらうギャングたちもいる。イスラエルの警察はそんなアラブ人同士の争いには干渉しないので、コミュニティーの中での解決を自分で捜さねばならぬが、それは容易なことではない。そんな彼らにとって、親戚や友人がいなければ、パレスチナの西岸地区に逃げて行くというのは選択肢ではないだろう。パレスチナ人だというだけで他に何の共通点のない人間は、友人にはなれない。アジャミで暮らすパレスチナ人にとっては、自分たちの親戚とそこで築き上げてきた友人たちだけが本当のサポート組織なのだ。

家族と友人に恵まれていても、それだけでは生きられない。生きていくためには食べて行くために何らかの職業が必要だ。アラブ人であっても、イスラエルにいる限りは高等教育を受けることも、職を得ることも十分可能だ。極端に言えばこの映画の二人の監督の1人、キリスト教パレスチナ系イスラエル市民のスカンダー・コプティのように高等教育を受け映画監督になるのも可能なのだ。

この映画がアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた時、スカンダー・コプティ監督は「この映画はイスラエルを代弁している。私はイスラエルの市民だが、イスラエルを代弁はしていない。私は自分を代弁しない国を代弁することはできないからだ。私はイスラエル代表チームメンバーではない。」と述べて波紋を巻き起こした。

イスラエルの文化スポーツ大臣のリモー・リブナトはこれを受けて「イスラエル人の出資なしに彼はこの映画を作ることはできなかっただろうし、ましてやアカデミー授賞式のレッドカーペットを歩くことすらできなかっただろう。映画の作成に参加した他の人々は皆自分をイスラエルの市民だと思っているのに。」と発言。またイスラエルリーガルフォーラムは「コプティ監督が発言を撤回しなければこのノミネーションは撤回されるべきだ。少なくとも、コプティ監督はイスラエルから金を受け取る前にもう少し慎重に考慮すべきだった。」と主張。共同監督を務めたイスラエル人のメナヘム・ゴラン監督も「コプティ監督には、出資者に対して、もっと尊敬の気持ちを持ってほしい。少なくとも、一緒に働いた私に対しての思いやりを持ってほしい。」と述べている。

コプティ監督はイスラエルの中での少数民族としての自分のアイデンティティーを失いたくないし、ここでイスラエル人と『仲良く』してアラブ人が置かれた問題を安易に解決したくないという思いがあるのだろう。しかしコプティ監督には、映画界の新しいスーパースターとして、イスラエルにいるパレスチナ人の立場を改善する機会を与えられているということを忘れないでほしいと思う。「イスラエル人が嫌いなら金をもらうな」「この国を憎むなら、出て行け」という言葉に左右されず、「どんどん金を貰って、どんどんいい作品を作って、アラブ人の状況を改善する映画を作って、歴史を変えてやる」という芸術家としての意気込みをこれからの彼に見たいと思うのである。少なくとも、彼はそうできる才能と機会に恵まれているのではないだろうか?

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[映画] パラダイス・ナウ Paradise Now (2005年)

パラダイス・ナウは2005年のフランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ合作映画で、自爆テロに向かう二人のパレスチナ人青年を中心に、パレスチナ人の視点からパレスチナ問題を描く。監督のハニ・アブ・アサドは、イスラエルのナザレで生まれ、19歳のときにオランダに移住したパレスチナ人である。

この映画は、自爆テロに向かう若者は怪物でも何でもなく普通の若者であるというスタンスに立っており、その任務を与えられた二人の若者サイードとハーレドは、パレスチナの西岸での希望のない生活の中で、テロをすることにより、パラダイスに行けると信じテロ活動に参加する。ハーレドはどんな仕事についてもクビになってしまう負け組みで、自爆テロで死ぬことが自分を英雄にする唯一の道だと思っている。彼の親友のサイードは頭もよく、女の子にももてるが、父が親イスラエル派であったが故に 『裏切り者』として同胞のパレスチナ人に処刑された過去を持つので、家族の汚名を除くために、自分は英雄として死ななければならないと思っている。

パレスチナ紛争は、第一次世界大戦時に自国の有利を図ろうとした英国の『三枚舌外交』に由来しているだろう。一枚目の舌として、英国は敵国オスマントルコ帝国に対抗するため、トルコの統治下にあったアラブ人たちに対して、オスマン帝国への武装蜂起の交換条件として、1915年にこの地域の独立を認めるフサイン=マクマホン協定を交わした。二枚目の舌として、英国はユダヤ人豪商ロスチャイルド家からの戦争資金援助を得るため、外相バルフォアを通じ1917年ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。三枚目の舌として、英国はサイクス=ピコ協定により、大戦後の中東地域の分割を同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも秘密裏に協議していた。結局、第一次世界大戦でアラブ軍・ユダヤ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含むパレスチナはイギリスの委任統治領となった。

第二次世界大戦後、英国は政情不安に揺るぐパレスチナの地を諦め、国際連合にこの問題の仲介を委ねた。1947年11月29日の国連総会では、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が、賛成33・反対13・棄権10で可決された。しかし、1948年2月アラブ連盟加盟国は、カイロでイスラエル建国の阻止を決議し、この地でのユダヤ人とアラブ人の対立が深刻となった。。1948年5月に英国のパレスチナ委任統治が終了すると同時にユダヤ人は、国連決議181号を根拠に、5月14日に独立宣言し国家としてのイスラエルが誕生した。同時にアラブ連盟5カ国 (エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク) の大部隊が独立阻止を目指してパレスチナに進攻し、第一次中東戦争が起こった。勝利が予想されたアラブ側は内部分裂によって実力を発揮できず、イスラエルは人口の1%が戦死するという激烈な攻防戦を展開して勝利するをおさめ、パレスチナの地に住んでいた70~80万人のアラブ人などが難民となった。現代に至るまで、何回かの中東戦争を含め、この地には数多くの紛争が起こっている。

1964年には、イスラエル支配下にあるパレスチナを解放することを目的としたパレスチナ解放機構(PLO)が結成された。1993年に結ばれたPLO とイスラエル間のオスロ合意により、パレスチナ自治政府が設立された。自治政府はヨルダンとイスラエルの間に存在するヨルダン川西岸地区と、エジプトよりのシナイ半島の北東部のガザ地区に分かれている。

この映画の舞台となったのは、ヨルダン川西岸地区である。この地域が将来どうなっていくかは予断を許さないが、現時点ではヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区と、パレスチナ自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区と、イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区の3地域に分かれている。特に第三の地域では、パレスチナ人の日常生活は大幅に制限されており、家屋・学校などの建築、井戸掘り、道路敷設など全てイスラエル軍の許可が必要となる。いずれの地域でもイスラエルが容易にパレスチナ人の交通を封鎖できるようになっている。

ハニ・アブ・アサド監督がパレスチナ人としてパレスチナ人の立場を尊重するスタンスを取っているのは明らかであるが、この映画は政治的なプロパガンダではない。彼の映画の撮り方は非常に慎重で、ユーモラスな場面も入れ、聴衆に西岸地区地区の素顔を知ってもらうということが彼の目的であるように思われる。彼の考えに一番近いのは、主人公のサイードが淡い恋心を描くスーハかもしれない。彼女は独立運動の英雄の娘で、パリに生まれ、モロッコで育ち、西岸地区に戻ってきた。彼女は暴力的な闘争に反対し、復讐の心を捨て非暴力的な人権運動によりパレスチナ地区の平和を実現させようと説くがその心はサイードには届かない。

映画の冒頭で、西岸地区に戻ってきたスーハの荷物を、チェックポイントでイスラエルの若い兵士が威嚇的にチェックするシーンが描かれる。しかし、映画の最後でサイードが自爆するバスに乗っているのは同じく若いイスラエルの兵士たちであるが、彼らは笑顔の美しい青年たちで、バスの中で皆優しそうに笑っている。彼らは本当に美しい青年たちである。しかし、この青年たちが次ぎの瞬間にはサイードと共に死んでいかなければならないのだ。ここにも、どちらが善悪かというプロパガンダではなく、できるだけ偏見なくパレスチナの素顔を知ってほしいという監督の思いが伝わってくる。

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[映画] 戦場でワルツを Vals Im Bashir Waltz with Bashir (2008年)

2007年のイスラエル映画 『ボーフォート -レバノンからの撤退』とこの映画を併せて見ると、複雑なレバノン戦争の内情がよりよく理解できるだろう。『戦場でワルツを』はレバノン戦争の始まり、『ボーフォート -レバノンからの撤退』は2000年のイスラエルのレバノンからの最終撤退を描いている。

1982年、イスラエル軍は、隣国レバノンに攻め入った。その戦略的な意図は、レバノン内にある大規模なパレスチナ難民キャンプが反イスラエルのテロリストたちの隠れ場所になっているので、そのテロリストたちを根絶するためであった。またレバノンでは、キリスト教徒ファランヘ党がシリアの支援を受けていたイスラム勢力と対立していたが、イスラエルはそのファランヘ党のカリスマ的指導者バシールを擁して、親イスラエル政権をレバノンに設立することも意図していた。しかしそのバシールはレバノンの大統領選に当選したものの、直後に暗殺されてしまう。ファランヘ党は、この暗殺はパレスチナ・ゲリラの仕業とみなし、サブラ・シャティーラの難民キャンプでのパレスチナ人の大虐殺を実行する。イスラエルは長い間その虐殺の首謀者として世界の非難を浴びていたが、この映画はそれに対して新しい視点を当てている。

この映画の主人公であり監督でもあるアリ・フォルマンは当時19歳。イスラエル軍としてこのレバノン侵攻に従軍していた筈だが、時の記憶がまったくないと気付くところから、映画は始まる。当時行動を共にしていた何人かの戦友や上官、虐殺直後の現場を報道したジャーナリストなどにインタビューすることにより、記憶は次第に戻って来るが、自分は現場で見たあまりの恐怖で記憶を失ったことがわかってくる。

アリ・フォルマン監督は自分のメッセージを非常に率直に端的に表現している。曖昧でどっちつかずで、聴衆の映画のメッセージの受け止め方は人によって異なるということになるのを全力で防ごうとしているかのようだ。この映画には彼の「これだけはどうしても伝えて、わかってもらいたい。」という熱い情熱というか使命感がある。

メッセージの第一は、イスラエルのバシールを擁したレバノンへの内政干渉は間違いだったということである。この映画の原題は『バシールと踊るワルツ』である。ワルツはダンスの一種だが、『下心を持って誰かと結託する』という隠れた意味を持って使われることもある。イスラエルとしては、バシールによる親イスラエル国家を確立することで、イスラエルの平和を守ろうと意図したのだろうが、この内政干渉の失敗は、その後30年に渡る世界の対イスラエル不信感を生み、それはイスラエルにとって大きな負債となった。

メッセージの第二は、殆どのイスラエルの兵士たちはサブラ・シャティーラの虐殺には加担しておらず、何が起こったのかも知らなかったことだ。これを、『イスラエル人の自己弁護だ』と一概に非難できるだろうか。芸術家として自分が知っている真実を世に知らせないのなら、レバノン戦争で死んだ人々の死、それがパレスチナの難民であっても、若きイスラエルの兵士であっても、彼らの死は犬死になるのである。アリ・フォルマン監督はどちらが正義だとは語っていない。彼は映画の中で、イスラエルのコマンダーは何が起こったかを知っていたが、敏速にそれを止めようという行為に出なかったということも告発しているのである。彼の本当の意図は、過去に何が起こったのか正しく知り、理解することから正しい未来が始まるということなのだ。

メッセージの第三は、心からの反戦思想である。監督は19歳の時徴兵されてレバノンに送られた。周囲にたくさんの戦友がおり、タンクの中で守られていると確信し、美しい国レバノン、魅力的な都ベイルートに行けることにわくわくしていた。しかしその『ワクワク』感は戦争が始まった瞬間に打ち砕かれてしまう。それでも若者のロマンティシズムはまだ消えず、ここで死んだら自分を振った恋人に「どうだ、おまえが捨てた男は可愛そうに戦死したんだ」と復讐できるのだ、とさえ思う。そんな若者の感情がどんなに馬鹿げていたのか、という苦々しい監督の心が伝わってくる。

第四のメッセージは、第三のメッセージと関連しているが、他国へ侵略するのがいかに愚かで勝ち目のないことかということだ。監督は命からがらでレバノンから逃げ帰るのだが、故国イスラエルでは自分が死にかけたし、大勢の難民が殺戮されたのに、同年代の戦争に行かなかった若者は、ロック音楽に酔い、酒場で踊り、人生を楽しんでおり、「戦争?それって何?」という感じなのである。それは、ベトナムや、イラクや、アフガニスタンで地獄を見て帰国したアメリカ兵やソ連兵が感じる、どうしようもない疎外感と失望感と同じである。人々は他国が自国に攻め込んで来たら、全力で抵抗する。しかし、自国が他国で何をしているかは殆どわからなく、共感することも難しいのだ、たとえどんなに強力な軍隊が疲弊した他国に侵略しても、やはり他国に入って行くのは恐怖であるし、誰からの支持も得られない。結局それは絶対に勝てぬ戦いなのだ。

この映画はアニメーション・ドキュメンタリーである。この主題を描くには選択肢のない選択のメソッドだと思う。現情勢ではレバノンでのロケを敢行するのは不可能であろうし、30年前のベイルートを再現するのも無理であろう。破壊前のベイルートは美しい、誰でもがすぐわかる有名な観光都市であり、どこかで再現しても、それが嘘であるということはすぐにわかってしまう。しかしアニメーションでよかった。実際に起こったことはあまりにも恐ろしいからである。また美しい音楽が宝石のように、大切な場所に効果的に散りばめられている。

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[映画]  ボーフォート -レバノンからの撤退- Beaufort (2007年)

私たちは皆、イスラエルと言う国名を知っているし、第二次世界大戦でヒトラー率いるナチがユダヤ人に何をしたかを知っているが、現在のイスラエルがどういう国なのか、イスラエルの中で何が起こっているのか、イスラエルと隣国のパレスチナ自治政府、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアはどういう関係なのかは、日本人にはちょっと理解しがたい複雑さをもっている。だから、この映画を見ても、レバノンの南にあるボーフォートの砦で若いイスラエル兵たちが何をしているのかがわかりにくい。映画の中で、イスラエルの兵士たちは誰をも攻撃していないのに、絶え間なくどこからかミサイルが飛んできて、次々と若い兵士は死んでいくのである。

映画の舞台となった2000年のずっと以前を振り返ってみないと、この映画の背景はわかりにくいだろう。中東戦争勃発以来、ヨルダンはイスラエルに追われたパレスチナの難民を積極的に引き受けていたが、第三次中東戦争後、より中立路線を貫くため、国内のパレスチナ難民を海外追放するよう方向転換した。そのパレスチナの移民はレバノンに移り、キリスト教徒とムスリムの微妙なバランスの下に成り立っていたレバノンの国政に大きな混乱をもたらすが、シリアがその中でレバノンを左右する影響力を持つようになった。

1982年、カーター政権の仲介で成立したエジプトとの単独和平で後ろを固めたイスラエルは、突如混乱するレバノンに侵攻し、レバノンの首都ベイルートを包囲する。その真の目的は、レバノンからシリアと他のアラブの影響を排除し、レバノンを親イスラエル国家として転換させることであり、カリスマ性があり、親イスラエル、反シリアのレバノンの若手指導者バシール・ジェマイエルにレバノンの政権を任せることであった。バシールは1982年8月の大統領選挙において大統領に当選したが、翌9月に彼は暗殺される。これを機にレバノンはさらなる内戦に突入していくことになる。ボーフォートは12世紀に十字軍が建立した歴史的な城砦であり、イスラエルは激戦の中でこの城砦をイスラエル配下に置く。

イスラエル軍侵攻を受けてヒズボラという軍事結社がレバノン内に結成された。これは急進的シーア派イスラム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とした。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げているが、これをイランとシリアが支援しているといわれている。一方スンニ派のサウジアラビア・ヨルダン・エジプトなどはヒズボラの行動を批判している。ヒズボラは1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年のベイルートのアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃、1984年のベイルートでのアメリカ大使館への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。映画ではこのヒズボラがミサイルで遠隔からボーフォートのイスラエル軍を攻撃している。

冷戦下で、イスラエルをアラブ圏での反ソ連の拠点とする政略を取り、イスラエルを支持していたアメリカではあるが、1990年から世界情勢は変わり、今アメリカを脅かしているのはイラクだった。アメリカは、湾岸戦争へのシリア出兵の見返りとして、シリアにレバノンの内戦終結を一任する事となった。全世界からの批判の中で、イスラエルはレバノンからの撤退を進めた。2000年にはボーフォートはレバノン内で唯一のイスラエル拠点で監視所として機能してはいたが、イスラエル政府は遂にそこからの撤兵を決定する。

映画では、ここに送られたイスラエルの兵士は、十代で徴兵されたばかりで国際情勢もわかっていない若者が中心であるというように描かれている、撤退が決定しているので反撃も出来ず、司令部に撤退を懇願しても待てという返事ばかり。頼れる上官もいない中で仲間たちは次々に死んでいく。あと僅かで捨てる砦を何故俺たちは命を賭けて守っているのかという厭世気分、その若い兵士たちを統率するのはやはり若い司令官だが、その未熟な采配ぶりに不満を持つ兵士たち、イスラエルに戻り恋人と再会することを夢見る兵士たち、しかし何のかんのといってもお互いに友情を抱いて励ましあっている兵士たちをこの映画は描いている。

この映画の底を流れているのは、「たくさんの犠牲を払ったあの1982年の攻撃はなんだったのだろうか?」という問題提起である。世界はレバノンの混乱はすべてイスラエルのせいだと信じ、イスラエルの国際的立場は困難なものとなる。どこの国にも、歴史的な間違いだと他国から非難される暴挙、自分たちが振り返りたくない過去がある。ヒトラーのドイツ、フランコのスペイン、アルゼンチンのDirty War、日本の大東亜戦争などがその例である。たとえそれが歴史的な汚点であってもそれはもう起こってしまったことだし、その時点では最善の選択だと思って選んだ行為なのだ。祖国建国を第一の目的として奮闘してきたイスラエルの人々にとってレバノン内戦は大きな間違いだったかもしれない。しかし、複雑な力関係の中で自国の維持に全力を尽くすイスラエルの人々に、歴史から学んでこれからは最善の政策を取っていってほしい、それがこの映画を見たあとの率直な感想であった。

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[映画] 迷子の警察音楽隊 The Band’s Visit (2007年)

イスラエルの空港に、友好親善のコンサートのためにエジプトから送られた警察音楽隊が到着する。国を代表して送られた警察の音楽隊なのに、何となくおっとりした、たった8人のバンドメンバーで、何だかおもちゃの兵隊のようにみえる。護衛もマネージャーもいないということで、はてな(?)という感じがする。何かの間違いで送迎の車も来ないが、イスラエルに知る人もなく置き去りにされたとわかっても誰もあわてない。なぜ?

楽団長は、一番若いバンドメンバーの男(唯一若く、一番英語がうまいらしく、イケメンでさっそくイスラエルの女の子にモーションをかけている)に、コンサートの町に行く道順を捜させるが、この男の隊員がが目的地の町の名前の子音のp とbの一字微妙に違う場所へのバスを尋ねてしまったので、その間違ったバスから降りた楽団員たちは、砂漠の中のポツンとした、目的地とは全く違う集落に残されてしまうが、相変わらず楽団長を含めた団員たちはおっとりとした態度を崩さない。その集落の唯一の食堂らしき場所には、女性オーナーとそこで時間潰しをしている男Aと男Bがいる。オーナーから食事をご馳走された時、この村にはホテルもなければ最終バスはさっき彼らを置いていったバスだと知らされる。オーナーも男たちも団員がエジプトから来たということを知っても「あ、そう?」という感じで、そこには劇的な憎悪も政治的な議論もなく、そこの人々は団員たちよりももっとのんびりしている感じ。なかなか魅力的なオーナーの骨折りで、楽団長と若い団員は彼女の自宅へ、副団長らしき男と他の二人は男A の自宅へ、他の団員三人は男Bの場所で一夜をすごすことになる。

女性は、単調な暮らしの中で、文化国のエジプトから音楽家がやって来たことにちょっと興奮したのか、車でちょっとの距離の町に洒落た場所があるので一緒にいってみたないかという。おしゃれをした彼女が楽団長と来たのは、ハイスクールの食堂のような、がらんとただ広い殺風景な場所。これはジョーク?と思うがその食堂の端には、昔日本の大衆デパートの屋上に置いてあったような木馬があるので、やはりその場所は人々にとっては、心弾んで食事をする場所なのだろう。食事をしているうちに、楽団長はその女性は心の優しい女性だが、若いころは将来のことを建設的に考えず時間を過ごし、少し若くなくなった今周囲には自分にふさわしい男性がいなくなっているということに気づき、何か目にみえない寂しさを抱えている女性であることに気づく。楽団長も誰にもいえない悲しい家族の過去を抱えている。エジプトでは他の人には言えないことでも、何故かこの女性には素直に話しができてしまうのだ。

若い団員は同世代の男Bとその友達と一緒に、車で町へ遊びに行くので、興奮している。しかし男の子が一緒に連れて来た二人の女の子は今いち可愛くない。町のディスコに行ったものの、これこそ高校の体育館を5分の一にしたような狭さで、全然カッコよくない。男Bは女性経験もなく、誰にも相手にされないで傷ついている一緒に来た女の子を義理でもやさしくエスコートしてあげなきゃということも知らない。ここで若い団員が男Bの助っ人をせざるを得なくなる。

副隊長らが招かれた男A の家では、彼の両親と妻と彼の赤ちゃんが住んでいる。誰も楽団員がアラブ!!!の国から来たなどと眉を吊り上げず、自分たちの日常の毎日がどうであるかを淡々と語り始める。父親はなかなか洒落た男で、楽団員と歌を歌い瞬間でもそのディナーを楽しむのである。父親はまだ妻とのなり染めのロマンスを覚えているが、母親の方はもう「そうだったけ?」という感じ。彼女にとっては一年間も失業している息子の方が気になっているのだ。息子たちも恋愛で結ばれたらしいが、もうその情熱はさめているようで、いつそのお嫁さんが逃げていっても不思議ではない。もしそんなことが起こったら、彼らの赤ちゃんはどうなるのだろうか、とふと思わせる。最初はイスラエルに置き去りにされた楽団員、まるで星の王子様のように地球に舞い降りた彼らがどうなるだろうか、という感じで見始めた観衆も、いつか自然とイスラエルの小さな町に住む人たちの暮らしに対して関心が向いてくるようになってくるのである。

一夜明けて楽団員は感謝の思いをこめてこの町を去っていく。彼らはどうやら無事目的地に着いたらしく、群衆の前で演奏している団員を描いてこの映画は終わる。何も起こらなかったじゃないか、と言いたくなる人もいるだろうが、実はこの映画80分の短い中に数え切れない程の内容を散りばめた意外な秀作なのである。見る人の人生経験や、知識、教養あるいは興味でどのような解釈も取れるし、そのどれもが正しいのかもしれない。まるで一人一人の心を移す鏡のような映画である。

私もこの映画を見て色々な思いを持ったがその一つを書かせてもらうと、この映画の底を流れるのはアメリカのハリウッドの映画に対する知的批判であろう。ハリウッド映画が提供する、ロマンスと美貌のキャラクターの出会いと殴りあいとドラマチックな終末が必ずしも秀作の条件とはいえないじゃないかと監督は優しく語っているようだ。イスラエルの一部の人たちはハリウッドとのコネクションで、ドラマチックなホロコーストや中東の対立の巨大制作費の映画を作ってくれている。でもそれだけがイスラエルのすべてじゃないよ、と言いたいのではないか。イスラエルに住んでいる若者も、自分がどきどきするような結婚相手をみつけるのも大変だが、結婚できても、安定した生活が続くとも限らない。ただでさえ人生楽ではないのに、他国との紛争やテロがあるのは耐え難い。いろいろな考えの人がイスラエルに住んでいるだろうが、大多数の人はイスラエルという国以外には自分の住む国はないのが事実で現実だとわかっているのではないか。イスラエルの建国が一番正しい方法だったかどうかはわからないが、たくさんの人の尽力で、先住民を追放するという大きな犠牲を払って自国を得た彼らにとっては、過去はどうあろうとも、自分の国を最も他者の犠牲を少なくする中で守りたいと思うのが本当の気持ちではないか。そうでなければ、過去のいろいろな犠牲は何だったのかということになる。

私にもユダヤ人の親友がいる。彼女は非ユダヤ人と結婚し、プロフェッショナルな仕事を持ち、シナゴーグでの人間関係を楽しみ、異文化の友人たちとの友情を楽しみ、、民主党の大統領を支持し、毎年外国旅行に行き、退職後のための貯金もきっちり貯め、お金が余ればケニヤの女子の高等教育を支持する基金に寄付する。彼女にとってアメリカが唯一楽しく安全に住める国であるが、その彼女の子供がイスラエルに強い興味を持ち、遂にイスラエルに留学してしまった。彼女曰く「イスラエルに住みたいという気持ちを持つ子には育てたくなかったけど、行きたいというのを止めることはできないわ。実際住んでみると本当のイスラエルの姿がわかるでしょうから、これは彼にとっては必要な過程だと、自分を納得させているの。息子に対しては、心配な気持ち半分、立派な決心をしてくれたという誇りが半分ということかしら。」

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