[映画] 悲しみのミルク The Milk of Sorrow La Teta Asustada (2009年)

ペルーの首都リマ近郊の貧民屈に住むファウスタは、母が毎日のように歌う彼女のレイプの経験を聴いて育つ。母は80年代に内戦が激しかったアンデスの山地の出身で、インカ帝国をつくった民、ケチュア族の血を引く。夫が虐殺され、自分も残虐にレイプされた後、リマに逃げ込んできたのだ。20前後のファウスタの母であるから40代であると思われる母は、もう老婆のようである。ファウスタはその歌で喚起されたレイプの怖れから、自分もレイプされることを防ぐためにジャガイモを自分の体内に入れる。ジャガイモが体を蝕んでいくが、ファウスタはそれを取り出すのを頑固に拒む。

ある日母が死んだ。母の死体を故郷のアンデスの山に葬る費用を稼ぐために、ファウスタはその貧民屈に隣接する最高級住宅街に住む女性の家でメイドとして働き始める。その女主人はファウスタが即興で歌う悲しい歌を聴くことと交換に真珠を一粒づつくれる。彼女は世界的なピアニストで、ファウスタが歌う歌を基にピアノソナタを作曲する。その曲を発表して絶賛を浴びた後、彼女はファウスタを解雇する。男性に対して異常な恐怖心を持ち、自分に好意をもってくれる善良な庭師をも拒絶したファウスタだが、遂にジャガイモを体内から除去する手術を受ける。映画はファウスタが美しいアンデスの山に母の死体を埋葬するところで終わるのだが、最後の最後で(多分)庭師の愛情に反応する彼女が描かれている。

この映画は1980年代にペルーで起こった毛沢東主義者グループ「センデル・ルミノソ」と、それを弾圧する政府軍との間に起こった紛争を遠い背景にしている。センデル・ルミノソはアンデスの山間部を中心に勢力を強めた。センデル・ルミノソと政府軍の抗争のなかで、数多くの村人の殺人やレイプが起こった。しかしこの映画はその惨状を描く社会ドラマではない。映画には一切暴力は出てこない。見ている方としては、母はセンデル・ルミノソのゲリラをかくまった罪で政府軍に報復されたのかと思ってしまうが、同時にセンデル・ルミノソは、現代史では『南米のポル・ポト』と言われているように残虐の窮みを尽くしたとも伝えられており、映画ではどちらが母を陵辱したのかは一切語っていない。

この映画は映像的には非常に美しいが、何故か心にいつまでも突き刺さる。現実の恐ろしさが、目に見える暴力の代わりに体内にあるジャガイモというもので象徴されているので、その悲しみがずっと目に見えず漂ってい来るのだろう。同時に、これは幼い少女が育って行く過程を描いた寓話だとも言える。母のレイプを歌う子守唄はずっと大人になるまでファウスタを引き摺り、彼女は笑うこともできず、通りを歩く時も壁の陰に隠れて歩く。恐怖を抱いたら鼻から出血するし、人を愛することも怖くてできない。しかし、彼女は最終的にはその母の呪縛を乗り越えて生きていこうと決心する。

この映画がアカデミー賞最優秀外国語映画賞に最終候補5作の一つとしてノミネートされた時、ペルー政府は狂喜したという。この映画が世界中の人に観られて、ペルーの観光収益が増えると踏んだからだ。アカデミー賞最優秀外国語映画賞は各国の政府からの推薦によって出品される。この映画はペルーの暗黒の時代も描かれているが、ペルーの政府はそれはもう過去のことであり、政府は平和を達成することに成功したし、現代のペルーの人民は幸せだということをこの映画はアピールできるだろうと思ったのだろう。

ペルー国内を疲弊させた紛争を最終的に終結させたのは、日系人大統領のアルベルト・フジモリであった。当時はセンデロ・ルミノソはペルーの大部分を占領し、パンアメリカンハイウェイや主要幹線道路を押さえてリマは包囲され、センデロ・ルミノソによる革命が間近に迫っているかの感があった。左派のアラン・ガルシア大統領に失望していた国民は1990年に行われた大統領選挙で、ペルーの将来の重大な決意を迫られていた。国際ペンクラブの会長を務め、国際的な文学賞を多数受賞しているマリオ・バルガス・リョサが大統領の本命だと思われていたが、蓋をあけてみるとダークホースのフジモリが当選した。彼が当選したのには色々な原因があるだろうが、日系人のフジモリが、スペイン系の支配層とインディオ系の貧民層の対立の間で人種的にニュートラルであったこと、裕福なスペイン系国民の支持を得たことがあげられる。マリオ・バルガス・リョサは、左翼ではあるがスペイン系なので、地盤であるインディオ系の完全な支持が得られなかったことと、彼の社会主義的な経済政策が現実的ではないとみなされたことが敗因であろう。

マリオ・バルガス・リョサは後にノーベル文学賞を受賞した。この映画の監督を務めたクローディア・リョサはマリオ・バルガス・リョサの姪である。

この映画はペルー国内で大ヒットし、ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞しアカデミー賞にノミネートされた後は世界的な賞賛をあびた。しかし、国内でのこの映画に対する批判もある。ファウスタと叔父の家族が住むスラムは、リマ近郊でプエボロ・ホベン(新興の町)と呼ばれる貧民街。それに隣接する最高級住宅地に住む裕福なスペイン系のピアニスト。コンサートを控えスランプに陥った音楽家は、真珠と引き換えの約束でファウスタの歌を自分の曲として発表した上、ファウスタを解雇する。かつての支配-被支配の構造を示唆するようなエピソード。監督のクローディア・リョサはスペイン系であり、スペインやアメリカで高等教育を受けた女性。いわば映画のピアニストに当たる階層なのだが、彼女はインディオの立場でこの映画を作ろうとしている。しかし、どんなに良心的で芸術的な映画を作っても、インディオとかつて呼ばれたペルー人の一部の心の中で彼女を完全に受け入れられないものがあるようなのだ。その批判は、インディオ主義者の中にまだ根付く、彼女の叔父のマリオ・バルガス・リョサのエリート的な白人のインディオに対する博愛主義に対する嫌悪であろう。その批判にはインカ帝国をつくった民、ケチュア族のことは、ケチュア族のみがわかるという民族主義がまだペルーには息づいていることを知らされる。

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