[映画] Four Days in September, Que É Isso, Companheiro? (1997年) 日本未公開

『Four Days in September』は、ブラジルの左翼過激派集団MR-8が、1969年9月に駐ブラジルのアメリカ大使チャールズ・エルブリックを誘拐し、四日間彼を人質に取り、獄中にいる自分たちの仲間15人の釈放を要求した事件を描く。この映画の基になっているのは、その事件の首謀者で後にジャーナリスト・政治家として活躍することになるフェルナンド・ガベイラが1979年に出版したメモワールである。彼は現在では、1995年からリオ・デ・ジャネイロで国会議員を勤めている実力者である。MR-8は中産階級の若い子弟や大学生や知識階級を中心に生まれた。MR-8が当初目指したものは、当時ブラジルを支配していた軍部政権を倒し、マルクス主義を標榜し、人民の自由を許す政権を樹立することであった。「未経験の子供たちの革命ごっこ」が心もとないので、スペイン内戦フランコと戦っていた筋金入りの革命家が彼らを支援にくるというシーンもあり、ここに当時のスペインと南米のつながりを見ることができる。

1960年代から70年代にかけて、南米の多くの国では軍部が政権を握っていた。ブラジルの隣国のアルゼンチンでは、1960年代には軍部とゲリラの間での抗争が激化した。1973年にはスペインに追放されていたペロンが選挙で大統領に選ばれ帰国したが、1年後の彼の死でアルゼンチンは再び混乱に陥る。1976年にホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍がクーデターを起こし、再び独裁政権がアルゼンチンに生まれた。ビデラ政権は国民に対する強い抑圧、弾圧を進め、周辺の軍事政権と協調した「汚い戦争」でペロン信奉者や左翼を大弾圧した。

チリでは1970年の大統領選挙により、アジェンデ大統領を中心とする社会主義政権が誕生した。これは民主的選挙によって成立した社会主義政権であったが、その政権は不安定であった。社会的混乱の中で1973年、アメリカ合衆国の後援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍らの軍事評議会がクーデターを起こして1974年にピノチェトは軍事独裁体制を敷いた。ピノチェト軍政は徹底的に反体制派の市民を弾圧し、これはやはり「汚い戦争」と呼ばれた。

ボリビアでは、民族革命運動党(MNR)が1952年に市民革命を起こし社会改革および経済改革を行っていたが、1964年にMNRは分裂して、軍部がクーデターを起こし革命政権は幕を閉じた。

ブラジルでは1946年に新憲法が制定されたが、なかなか民主主義が定着せず、ほかの南米の国のように政治経済での不安が続いていた。1964年にアメリカ合衆国の支援を受けたカステロ・ブランコ将軍が、クーデターによって軍事独裁体制を確立した。この時期には「ブラジルの奇跡」と呼ばれたほどの高度経済成長が実現したが、、軍事政権による人権侵害も大きな問題となった。『Four Days in September』はこの時代を背景にしている。

それまでスペインあるいはポルトガル領だった南米が独立したのは、ヨーロッパ大陸でナポレオン戦争が起こり、ナポレオン率いるフランスが両国を攻撃し、またフランス革命の自由平等の思想が南米まで伝わったからである。しかし南米では、独立し次第に共和制に移行した後でも、まだ貴族制は或いは大地主制が残り、貧富の格差あるいは西欧系の子孫と原住民との差別などの問題があった。また政治は独裁制あるいは軍部政権になりがちであった。こうした専制政治に対抗する人々がその精神的支柱として選んだのが、マルクス主義であった。

当時アメリカ合衆国とソ連は冷戦で対立していたので、米国は南米に広がる共産主義の脅威を非常に恐れた。そして、マルクス主義に傾く民族主義者に対抗するため、それを抑圧する専制政権を支援した。自由主義を標榜する米国としては、共産主義と専制主義の選択を迫られて、人民の権利を弾圧する専制主義の政府を選んだのである。半面、自由を求める人民はマルクス主義を指導原理に選んだのである。マルクス主義が自由を保障すると言うのは今では信じがたいが、南米の民族主義者にとって、米国は大地主や貧しい人々を搾取している資本主義の象徴であり、金持ちを守る恐ろしい専制権力と結びついているものだったのだろう。南米の民族主義者を独裁政府を援助することによって排撃しようとした米国は「世界の嫌われ者」になってしまう。

映画での外交官チャールズ・エルブリックの描かれ方は好意的である。自分はここで殺されてしまうかもしれないと覚悟した彼は、アメリカ政府の政策に「私個人としては」反対であると語る。彼は、アメリカのベトナム戦争への介入は誤りであったとも述べる。1969年の段階では作者のフェルナンド・ガベイラは社会革命の情熱に燃えていたが、後に彼は、大使誘拐事件を起こした自分は間違いを犯したと公式に認めている。フェルナンド・ガベイラはチャールズ・エルブリックの処刑役に任命されるが、それは彼にとってもつらい仕事であったと、この映画は語っている。

ブラジルに赴任する前にチャールズ・エルブリックが赴任したのはユーゴスラヴィアであった。南米とは逆に東欧のソ連の衛星国では、共産主義こそ人々の自由を奪うものだと信じている人々がいた。ハンガリーでの動乱はソ連に鎮圧され、1968年に起こったプラハの春もソ連に鎮圧された。ソ連に対して一歩置いた行動を取っていたユーゴスラヴィアの指導者チトーは、当時のアメリカの大使であるチャールズ・エルブリックに「今、同じことがユーゴスラヴィアで起こったら、アメリカ合衆国はどうするか」と尋ねたという。チャールズ・エルブリックは「ユーゴスラヴィアの独立と尊厳を守るために助けます。今、私たちの助けが必要ですか?」と答えたという。チトーは「今はまだ必要ではありませんが、その言葉に感謝します」と述べたらしい。そのあとすぐに、チャールズ・エルブリックはブラジルの大使としてリオ・デ・ジャネイロに赴任し、MR-8に誘拐されたしまったのだ。

1980年代のソ連の崩壊による冷戦の終結で、もはやマルクス主義はアメリカの脅威ではなくなり、アメリカの対南米政策は劇的な方向転換を遂げた。もはや、南米の専制国家はアメリカの必要悪ではなくなったのである。

English→