[映画]  昔々、アナトリアで Once upon a time in Anatolia Bir Zamanlar Anadolu’da (2011年) 日本未公開

トルコの世界的監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの最新作である。この映画の粗筋を一言で言えば、トルコの首都アンカラ地域で起きた殺人事件の証拠の死体を捜しに行く警察官、検察官、検死外科医、殺人容疑者、部下の警官と発掘作業員たちクルーが、死体放棄場所であるアナトリアで過ごした一夜とその翌日の検死を描く。

ヌリ・ビルゲ・ジェイランの特徴がこの映画でも顕著で、特にドラマティックな展開はないが、相変わらず美しいシネマトグラフィーであり、それに惹きつけられる彼のファンの期待を裏切ることはないだろう。しかし、この映画は彼の従来の作品に比べると登場人物が多いし、一人一人のキャラクターを描写するために会話が多くなっている。またドラマティックではないにしても、従来の映画に比べたらストーリー性が強くなっていて、謎解きの要素もあるので結構長い映画なのに最後までぐっと見続けることができる。映画のテンポは観るものが一人一人の登場人物の心を消化できるように、ゆったりと進むが、それぞれの登場人物の心が複雑なので、これくらいの時間を貰えるのは却ってありがたい。また要所要所に非常に興味深いメタフォーが散りばめられている。木から落ちた林檎がころころと丘を転がり落ち、小川に落ちた後もずっと流れて行くシーンがカットなしのロングショットで映される。よくこんなシーンがとれたものだと感心してしまった。

この映画の特徴を一言で描写すれば、雨がぽつぽつ降っている水溜りに、雨粒で波紋が静かに幾つか生まれて、それが他の波紋と共鳴したり消しあったりして、いつまでも続いている、とでも言おうか。一つ一つの波紋は登場人物の心である。そして、映画を観終わったあと、聴衆の心に小さな石つぶてが静かに投げ込まれ、それがいつまでもさざなみ立っているのである。

単純な「行った、捜した、見つかった」というだけの筋なのだが、この映画の中に含まれるセンチメントは多層である。しかし私が一番強く感じたのは、「身近な女を幸福にできない男」のメランコリーであり、ニヒリズムである。

若くて結構ハンサムな外科医は離婚しており、子供もいないが、警察官はそれは却っていいことだという。こんな希望のない世界で子供を作るなんて罪だと。その警察官の子供は精神的に問題があり、それが夫婦間のいざこざになっており、彼は妻との関係に疲れきっている。検察官は全く自分の人生には問題がないという顔をして、自分が扱った面白い事件の話をしている。非常に美しい女性が子供を産んだあと、自分は死ぬと予告し、結局自分が予告したのと全く同じ日に変死したのだ。しかしその外科医はその死は自殺なのではないかと問いかける。外科医は自殺する人間の動機は他人に対する復讐なのだ、と静かに語る。その中で、観る者は、生後3ヶ月の赤ん坊を置いて自殺したのは、検察官の妻であるということを推測できるのだ。友人を殺したということで逮捕された男は、被害者と仲良く酒を飲んでいるうちについ「お前の子供は実は俺の子供だ」と口をすべらし、それがもとでの喧嘩で友人を殺してしまう。残された女は子供の実の父と育ての父を失ってしまうのだ。

この映画には女性は殆ど出てこない。唯一のキーパーソンは、警察の死体発見のクルーが夕食を取った貧しい村の村長の家で、蝋燭の光でお茶を提供した美しい娘だけである。全員が彼女のあまりの美しさに感嘆し、それぞれの人生の中で自分が不幸にしてしまった女性を思い起こすのであるが、誰も彼女に話しかける者はいない。娘が持つ蝋燭には蝿が光をもとめてぶんぶんと飛んでいる。しかし、男たちは「美しい女は不幸になるものだ」といって彼女から距離を置こうとする。

この映画は非常にクレバーな映画である。殺人事件がどこで起こったのか、聴衆は案外見過ごしてしまうのではないか。また良心的で知的で映画では肯定的に描かれている外科医が最後に下した決断は意外なものである。最後に窓から外を見やるその意思は一体何を見て、何を感じているのか。その行為に「男が遠い女に奉げる優しさ」があるのか?しかし、彼は自分に近い女に対してその優しさを奉げることができるのか。

というわけで、何ということのないストーリの中に謎かけと謎解きが混じっている、一筋縄でいかない映画なのである。この監督の映画を観るたびに、彼の映画の底に流れる虚無感は彼の性格によるものなのか、あるいは複雑な問題を抱えるトルコ社会の鬱屈さに影響されているのか、と考えてしまうのである。

トルコは地理的にも文化的にも、東西の要、ヨーロッパ文化とアジア文化の中間点である。アナトリアは小アジアとも呼ばれ、イスタンブールがギリシャや西欧文化への窓口であるとすれば、東方文化に繋がる地方でもある。ムスリムが多く、宗教心の強い地域である。チグリス川・ユーフラテス川の源流が始まる地域であり、古来から独自の文化が発達した。現在でも少数民族とされているクルド人が多数住む地域である。第一次世界大戦で破れて民族分断絶滅の危機に陥った時、民族運動の中心地になったのがアナトリアである。だからトルコの首都はこの地に近いアンカラにある。アナトリア地方は現在でも、貧しく、亜寒帯の厳しい気候を持ち、宗教的であり、風光明媚で国際的で経済的に発展しているイスタンブールとは対照的である。監督はアナトリアに対しての特別な気持ちがあるのだろうが、それは私にはわからないことである。

アナトリアはカッパドキアなどの世界遺産である奇観で知られるが、監督はその岩がごつごつした風景は避けて、草原がゆるゆるとどこまでも続き、道がくねくねと曲がり延びて行くようなロケ地を捜したという。この映画はそんな、どこまでもうねっている草原のような映画である。

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[映画]  冬の街 Uzak Distant (2002年)  うつろいの季節(とき)İklimler Climates(2006年) 共に日本未公開

『冬の街』 と『うつろいの季節(とき)』はトルコの映画監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの製作、脚本、監督による映画である。ジェイランの名声は国際的に非常に高い。『冬の街』ではカンヌ映画祭 グランプリを、『うつろいの季節(とき)』(Climates) (2006年) ではカンヌ国際映画祭 国際批評家連盟賞、Üç Maymun  (Three Monkeys)(2008年)ではカンヌ映画祭映画祭監督賞及び米国アカデミー賞外国語最優秀映画賞のショートリストに、Bir Zamanlar Anadolu’da (Once Upon a Time in Anatolia)(2011年)では再びカンヌ映画祭 グランプリを受賞している。その他にも『カサバ – 町』(Kasaba  Small Town )ではベルリン映画祭カリガリ賞と東京映画祭シルバー賞を、『うつろいの季節(とき)』はSKIPシティ国際シネマ映画祭も受賞している。つまり彼の作品の殆どすべてが著名な国際賞を軒並み獲得しているということで、大変な確率である。しかし彼の作品は一つも日本で公開されていないというのが興味深い。

ジェイランの映画の特徴を一言で言えば、恐ろしいまでに美しいシネマトグラフィーである。映画の一瞬一瞬のすべてが絵画になり得るほど、計算されつくした画像。一瞬の狂いもなく完璧な位置に鳥が飛び、ハエが舞い、ネコが飛び出てきて、人が登場する。雲の色、山の翳り、海の波の動き、建物と路上の色合い、鏡の効果的な使用、外装が剥げかかった電車、廃船の赤い支柱と雪の色のコントラストなど、全く見事である。ライティングにも細心の注意が払われている。音声も繊細で、雑音のような音が効果的に挿入されている。

ジェイランの映像や音声に対するこだわりは、彼の略歴を見れば納得がいくだろう。彼は大学で電気工学を勉強し、またアルバイトで写真を撮り生活の足しにしていた。映画人として成功する前は、写真家というキャリアも持っていた。彼は自分の映画の製作、脚本、監督をやるが、同時に撮影や音響の監督やフィルムの編集までやる。非常にテクニカルな人なのである。

彼は演技に対しても非常にこだわりのある人である。何気ない『男が車から降りて来て声をかける』というだけのシーンでも、数人の役者にそれぞれ10回くらい演技をさせる。そういった50回くらいの取り直しでも、気に入らなければ最終の編集で容赦なく切り捨ててしまう。『冬の街』でも『うつろいの季節(とき)』でも雪のシーンが大きな部分を占めている。イスタンブールでは雪など滅多に降らないのだから、たまたま運がよかったのか。それとも雪が降るまでじっと待っていたのか?

演出でも、彼はかなりマイクロ・マネージメント(細かいところまで、口うるさく指導するタイプ)である。女優がドアを開けて自分の部屋に入って来るという7秒位のシーンでも、1秒の動きに関しても首の傾げ方、唇の上げ方など微に入り細を穿つという感じで口を出す。彼自身の中にはクリアーなイメージがあり、俳優に自分のイメージと同一のものを作り出すことを要求している。俳優によってはかなり厳しい、或いは一緒に働くのはちょっとしんどいと思う人もいるのではないか。

彼の映画の主題は『inner world-心の内面』である。彼は決して政治的な芸術家ではない。少なくとも彼の作品を見る限りそうである。しかし全世界的に激動の70年代に青春を過ごした彼にとって、政治的な動乱は自分と無縁のものではなかった。彼は1976年にイスタンブール工業大学に入学したが、その時期はトルコが政治的に不穏な時期で大学は十分機能しておらず、1977年にはタスキム広場の虐殺が起こった。この事件の真実はあまり公表されていないが、その日は労働者の祝日であり、社会主義者や非合法の共産主義者たちが集まっての集会が予定されていたという。イスタンブール工業大学は学生運動の中心地で勉強ができる環境ではなく、ジェイランはその後再受験してボガジック大学に転校した。兵役を終え、あちこち旅行していた彼が本格的に映画人になろうと決心したのは30代半ばであった。

初期の作品、『冬の街』や『うつろいの季節(とき)』をみていると、これは彼の内面の自伝なのではないかと思わされる。その中で描かれているのは、自己中心的で女性や自分自身にもコミットメントできない孤独な男である。どちらの映画でも主人公の男は外見のいい、知的な職業を持った男である。そんな男に惹かれて寄って来る女性はいるのだが、男は本気で添い遂げようとはしない。女性に自分のすべてを奉げるよりもっと面白いことが人生にありそうな気がして女性を拒絶してしまう。しかし男は結局自分を満足させてくれるものをみつけることができないのだ。別れた女には未練がある。しかしだからと言って誠心誠意で女性を取り戻そうという気力もわかないのである。

主人公の孤独はイスタンブールという都会に住む人間の孤独でもある。イスタンブールに住んでいる住民の多数は田舎から職を求めて移住してきた人々である。彼らは田舎で助け合っていた共同体というものを、イスタンブールという大都会で失っている。しかし彼らは根っからの都会人ではないのである。主人公はふらふらと都会を彷徨う根無し草である。

主人公の孤独はまたトルコという国の孤独さを象徴しているかのようでもある。

オスマン朝は、15世紀にビザンチン帝国を滅ぼして、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てた。しかし19世紀になると、帝国は衰退を示し始め、帝国支配化の各地では、諸民族が次々と独立して行った。第一次世界大戦の敗北により英仏伊、ギリシャなどの占領下で、トルコは完全に解体された。この国家の危機に対して憂国のトルコ人たちは国家の独立を訴えて武装抵抗運動を起こした。卓越した指導者ムスタファ・ケマル(アタテュルク)の下でトルコは1922年にトルコ共和国を立て直すことに成功し、民族断絶の危機を乗り越えた。

トルコは宗教と政治を分離する世俗主義を取り、近代化を図った。トルコはソ連に南接するという立地条件と歴史的にロシアと対抗して来たという過去の経緯から、第二次世界大戦後の冷戦では反共の防波堤として西側から重用された。また冷戦終結後アメリカとイスラム原理主義国家との対立が深まった現代では、イスラム国と西側諸国との間の緩衝地帯としても重用されている。トルコもヨーロッパの仲間入りをしたいという切望はあるだろう。しかし、ヨーロッパではまだ反トルコ感情は残っているし、イスラムの仲間として反イスラムの目で見られることもある。しかしイスラムの国から見ると、トルコはイスラムを切り捨てた国なのである。

トルコ国内での混乱もある。宗教と政治を切り離す立場を取る国民が多数派なのだが、イスラムの復活を望む人も多い。社会主義者もいるし軍部の影響も強い。国際的には慎重に問題を起こさぬよう努める紳士の国ではあるが、国内のバランスはかなり微妙なのである。

ジェイランは、『冬の街』や『うつろいの季節(とき)』で共演した自分より遥かに若い女優のエブル・ジェイランと結婚し子供も生まれて落ち着いた家庭人になっているようだ。『うつろいの季節(とき)』は自分の子供に奉げる作品だとしているが、心の平安を得るに至るまでの孤独の日もあったのだろう。これらの映画を観たあといつまでも波打つのはそのどうしようもない孤独感である。

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[映画] Three Monkeys (日本未公開)(2008年)

トルコという国名を知っていてもそこから来た人、そこに住む人と直接会った経験のある人は意外と少ないかもしれない。私は運よく何人かのトルコ人と友達になることができた。彼らにより、私なりのトルコという国に対するイメージができたような気がする。

トルコ人は非常に親日的である。実際に日本人に会ったことのない若い子でも、親とかメディアとか社会一般から日本人は立派な民族だと教えられている。欧米人は日本人と’中国人の区別がつかない人が大半だが、実際に日本人に会ったトルコ人は「中国人と日本人の区別はすぐつく」という。日本人はトルコ人はイスラムやアラブの文化圏だと思い勝ちだが、彼らにとって一番文化的に近い国はギリシャである。「ヨーロッパやアメリカの人間はギリシャ人を古代文化の創設者として尊敬するが、僕たちは野蛮なイスラム人だと下に見ている」という不満も聞いた。国民はイスラム教徒が大部分だが、圧倒的多数のトルコ国民にとってイスラム教はもはや生活の中での大きな役割を占めていない。むしろ、一部の狂信的イスラム教者が台頭して政治をコントロールするようになるのを恐れている。

イラン、イラク、シリアといった国に隣接するので、そのへんは賢くこれらの国を刺激しないように友好的な態度を保つ努力をしているが、やはりトルコとしてはヨーロッパやアメリカと仲良くして、彼らの基準で生きていきたいというのが本音ではないだろうか。トルコはイランと共にイスラム圏の中でアラビア語を第一言語にしない数少ない国なのである。

既に経済的・政治的にもヨーロッパの一員として積極的に参加し、コペンハーゲン基準ではヨーロッパに分類されている。トルコ政府の公式見解では自国をヨーロッパの国としており、サッカー協会やオリンピック委員会などではヨーロッパの統一団体に属し、NATO、欧州評議会、西欧同盟、南東欧協力プロセス、南東欧協力イニシアティヴ、欧州安全保障協力機構など諸々のヨーロッパの地域機関に加盟しており、ヘルシンキ宣言にも署名し、現在欧州連合(EU)へ加盟申請中である。数年前にトルコ人の友人との間でトルコのEU申請が話題になったが、ヨーロッパ人の間ではやはり、イスラム国家ということでトルコへの警戒心が非常に強く、簡単にどんどんEU加盟をゆるされる東欧の国とは待遇が違うとこぼしていた。今イスタンブールが東京と共に2020年のオリンピック開催地の最終候補地に残っている。これはトルコ人がトルコが美しく立派な国家であることを示す絶好の機会であるはずなのだが、どうも隣国のシリアの不穏な動きがマイナスに働きそうで、残念である。実際に現時点では、シリアの行動を認めないトルコはシリア国境で局地的にシリアと小競り合いが起こっている。これはトルコの求めるものではないであろうに。

このThree Monkeysを作成したヌリ・ビルゲ・ジェイランはトルコを代表する監督であり、過去何作もベルリン国際映画祭賞やカンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。特にこのThree Monkeysはカンヌ国際映画祭 監督賞も受賞しているという国際的なスーパースターであるが、その作品はすべて日本未公開であるのが非常に残念である。また監督自身も50代半ばにしてなかなかの美男子であり、日本に招いたら人気を呼びそうなのだが。

政治家セルヴェットは選挙運動に疲れて車を運転中に誤って通行人をひき逃げしてしまう。スキャンダルを恐れた彼は、自分のもとで働く運転手のエユップを言いくるめて、金銭を見返りにセルヴェットの起こしたひき逃げ事件の罪を押し付け、エユップは刑務所に入ることになった。エユップが刑務所に入っている間に彼の妻ハジェルはセルヴェットと親密な関係になってしまう。この情事は息子に感づかれてしまい、またハジェルがセルヴェットとの関係に本気になってしまったことで、彼らの人生が恐ろしい方向に歪んでしまうというのがThree Monkeysのあらすじである。

この映画を見て面白いと思ったのは、この映画は非常にウェットである。欧米の映画で見慣れているような、動物的なカラッとした暴力的なところが全くない。家庭の危機を描いているのに登場人物が声を荒らげたり暴力を振るったりすることもない。皆何か心の中で感情を抑えて悲しそうなのである。また皆それなりに不幸なのだが、それは自分の愚かな選択の積み重ねであり、誰1人として建設的な解決策を出そうとしていない。「悲しいの?みんなあなたのせいでしょう」と声をかけたくなるのである。携帯電話の着信の音楽も悲しげである。何故か日本の演歌に似ている。演歌の源泉は韓国だとよく言われるが、遠い源泉は案外トルコじゃないのかと思ったりもする。とにかくウェットで悲しいトーンが最初から最後まで漂う。この監督が欧米に人気があるのは、この哀調が非常にユニークだからだろう。それは欧米人が日本に感じるものと似ているのだろうが、この映画はもっと鬱々と悲しい。

もう一つヌリ・ビルゲ・ジェイランの名声を生んだのはその画像の美しさであろう。映画は大部分がイスタンブールのはずれの貧しい地域の貧しいアパートを撮っているのだが、そのシネマトグラフィーが恐ろしく美しい。これは実際に見てもらわないとわかってもらえないだろう。日本未公開というのは重ね重ね残念である。

特筆するほどの内容もなく淡々とした語りの映画であったが、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の作品をもっと見てみたいと思った。不思議な魅力があるのである。

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