[映画]  The Way I Spent the End of the World、 Cum mi-am petrecut sfârşitul lumii(2006年)日本未公開

この映画は、ルーマニアの首都ブカレストに住む17歳のエバの1989年の人生のスケッチである。1989年はルーマニアでは共産党書記長のニコラエ・チャウシェスクが処刑され、共産主義独裁政権が倒された年であるが、この映画は、反抗的で無表情で無愛想で、なげやりでいい加減にみえる(しかし外見は可愛らしくて、ボーイフレンドと話す時だけはちょっと笑顔をみせる)エバが、社会主義政権の有力者の息子アレクサンドラと付き合いつつも、ニコラエ・チャウシェスク暗殺未遂の容疑で両親が行方不明になっているアンドレーにも興味を示し、二人でドナウ川を渡ってユーゴスラビアへの亡命を企む。結局エバは「や~めた」と言って川を横断するのを中断し、一人でブカレストに帰って来て、怒った両親から、一家の立場を安全にするためにアレクサンドラともっと仲良くしてほしいと頼まれる。エバはアレクサンドラが最近購入したぼろアパート(しかしルーマニアの水準では高級アポートかもしれない)に目を奪われる。結局二人は何となく男と女の関係になってしまい、帰宅したエバは得意満面で「私たち婚約したわ!!」と宣言するのだが、その直後に流血革命が起こり、それまで鬱屈として体制の言いなりになっていたかに見える大人たちが、突然嬉々として破壊活動を始める。この映画は流血革命のあと上流階級から滑り落ちたアレクサンドラの一家、無事ユーゴスラビア経由でイタリアに辿りついたアンドレー、得意満面に国際路線の客船搭乗員としてキャリアを追求するエバを短く描いて終わる。

エバは最初から最後まで無表情で傲慢で、彼女の内面は全く描かれていない。政権の中枢を象徴するアレクサンドラと反体制の象徴のアレックスを行き来し、双方のハンサムな若者をそれなりに好きなのだから、ティーンネージャーの愛とはこういうものだろうと思わせる。ソ連の衛星国の中でも後進国のルーマニアの荒涼とした様子、首都ブカレストでさえ荒れ果てており、両親が何をしているのかわからないが、いつも暗鬱な顔をして疲れていて、子供に対する関心もない。暮らし向きは悪くないはずだが、家の中も荒れ果てている感じだし、食事もスープとパンだけという粗末さだ。政治議論は全くなく、政治に係わることも恐れている大人たちだが、その荒廃した日常生活の描写が、行き着く所まで行き着いたルーマニアの独裁社会主義政権の停滞の実態を表し、説明の言葉も必要ない。

ルーマニアの映画界は1980年後半から新しい活動の兆しをみせ、2000年代にはカンヌ映画祭を中心に注目を浴びるようになった。そのテーマは社会主義国から自由経済国家体制への移行や、チャウシェスク体制の批判が中心であるが、編集未完成のようなドキュメンタリー風のミニマリストの作品が多いようだ。これを「新鮮」というか、「アマチュアリズム」というかは議論の分かれるところであるが、洗練された映画技巧を誇るポーランドやチェコやハンガリーの映画を観たあとでは、ルーマニアの映画はまだこれからだという感じがする。カンヌでルーマニア映画が一時もてはやされ、この映画でエバを演じたドロティア・パトレは主演女優賞までもらっているが、これはルーマニアに対する応援という西欧諸国の気持ちもあるのだろう。この映画もストーリが唐突であり、冬と夏が何回も繰り返されるので何年かにわたってのお話だと思っていたら、たった一年である。そのへんの正確さに期すという態度はない。またエバを演じるドロティア・パトレが老け顔で30歳くらいに見え、母親を演じる若作りの女優と全く似ていないし、二人は姉妹か友達という感じに見える。確かに両女優とも結構美人なのだが、これでいいのだろうかと思ってしまう。何となく気分のままに、細かいことに拘らず作った映画という感じで、世界には凝りに凝って作る監督が多い中で、さてルーマニアの映画はこれからどういう方向に行くのだろうかと思わされる。

1989年というのは、中国で天安門事件が起こり共産主義の徹底が強化された年であるが、東欧では比較的平和的に共産主義独裁国家が倒された年でもある。1978年にポーランド出身のヨハネ・パウロ2世がローマ教皇に就任した時は、誰もこれが冷戦の終結に繋がる一歩だとは思わなかっただろうが、実際にヨハネ・パウロ2世が冷戦の終結になした貢献は偉大なものなのではないか。ポーランド人は何か心の中で信じるもの、精神的な希望を感じたのである。同時に現実的でカリスマのある労働運動の指導者レフ・ヴァウェンサ(日本ではワレサと呼ばれた)議長の登場である。彼が『連帯』という言葉で風向きを変えようとした時、東欧を見つめる世界の大半の人間は「ああ、またハンガリー動乱やプラハの春が今度はポーランドで繰り返されるのか」と思っただろう。しかし、ヴァウェンサの態度は異なっていた。彼は非常に二枚腰で柔軟であり、モスクワの反応を用心深く確認しながら一進一退で、非暴力を主張し穏健に辛抱強くポーランドの民主化を進めて行ったのだ。

ハンガリーも同じ「大人の国」であった。もとから、ハンガリーは自国はオーストリアのような精神の先進国であるという自負があった。1985年年にソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ政権が始めた「ペレストロイカ」でソビエト連邦が持っていた東側諸国の共産党国家に対する統制、いわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」が撤廃されると、ハンガリーは巧みにこの動きを利用して、1989年5月にハンガリーとオーストリア間の国境を開放した。6月にはポーランドで選挙によって非共産党政権が、そして10月にはハンガリーでも非共産党政権が樹立された。

ハンガリー・オーストリア国境を東ドイツ市民が大挙して集団越境し、オーストリア経由で西ドイツに亡命することが可能になった今、ベルリンの壁の存在意義は喪失した。11月10日にベルリンの壁は破壊されたのである。それはチェコスロバキアやルーマニアにおいて、民主化を要求する市民たちを大いに励ました。チェコスロバキアでは11月17日にビロード革命と呼ばれる無血革命が起こった。しかしルーマニアでは独裁者ニコラエ・チャウシェスクの処刑という血生臭い結果となった。

ニコラエ・チャウシェスクは1967年から1989年までの22年間ルーマニアの独裁者であった。最初はプラハの春の鎮圧に反対してソ連支援の軍隊を出すことを拒絶したり、 ユーゴスラビアと共に親西側の態度を表明し、IMF やGATTに加入し西側経済にも同調し、イスラエルをソ連衛星国の中で唯一承認して外交関係を立ち上げ、東側諸国が軒並みボイコットした1984年のロサンゼルスオリンピックにおいても、ルーマニアは唯一ボイコットをせず参加した。ニコラエ・チャウシェスクは西側諸国では非常な好印象を持たれていたし、国民の支持も高かったのである。しかし残念ながら、権力の座に長くいすぎたようである。彼は次第にルーマニアの国家体制を北朝鮮の朝鮮労働党や中国共産党の方向に向けようとし始めた。

ニコラエ・チャウシェスクの不人気を決定的にしたのは、彼の経済政策の失敗である。西側諸国から人気のあったルーマニアであるから、西側からの資金援助を得ることは容易であったが、これは両刃の刃であった。ルーマニアはその多額の融資の返還に苦しみ、国内経済を犠牲にしルーマニア人の生活が大変貧窮したのである。国内では食糧の配給制が実施され、無理な輸出が優先されたのでルーマニア国民は日々の食糧や冬の暖房用の燃料にも事欠くようになり、停電が頻繁になった。この辺はこの映画でも描かれている。

2012年の「中東の春」ではTwitterによる交信がリアル・タイムで機能し、革命を推進したが、1989年の「東欧革命」ではテレビが大きな役割をしめている。ルーマニアの国民はテレビを通じてハンガリーで、ポーランドで、チェコスロバキアで、東ドイツで何が起こっているかを知ることができた。この様子もこの映画で詳しくうかがうことができる。

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[映画]  存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being (1988年)

『存在の耐えられない軽さ』は、1968年に起きたソ連軍のチェコ自由運動の弾圧(プラハの春事件)の後フランスに亡命した作家ミラン・クンデラによる同名の小説・・・チェコスロバキアのプラハの春を背後に、激動の中で異なった運命を辿る四人の男女の運命を描く・・・の映画化である。

トマシュはプラハに住む若くてハンサムで優秀な外科医である。女性を愛し、女性に愛され、複数の女性と気軽に交際する男であるが、トマシュが自分を理解してくれる女性として認めて交際しているのは画家のサビーナだけであった。ある日、執刀のために小さな温泉のある村に行ったトマシュは、そこでテレサという娘に出会う。テレサはトルストイを愛読する文学少女であるが、その心を理解してくれる友人はだれもその村にはいないと思っていた。自分を待つトマシュがたくさんあるベンチの中で自分がいつも座っているベンチに座り自分を待っていてくれたこと、そしてトマシュにプラハの文化を感じ取ってトマシュに夢中になり、彼を追ってプラハに来てしまいう。独身主義であるかに見えたトマシュもテレサに惹かれて二人は結婚してしまう。

テレサはサビーナの影響を受け、写真家になろうとするが、時を同じくして、チェコに育ちつつある自由への渇望を弾圧するためにソ連軍が侵攻して、多くの人間が殺害される。サビーナ、トマシュとテレサはジュネーブに亡命する。テレサは、危険を冒して自分が撮影したソ連軍の弾圧の写真をスイスの雑誌社に見せるが、スイスでは人々はもうプラハの春事件には飽きており、もっと面白い写真を持って来いと言われてしまう。サビーナは真面目で良心的な大学教授ハンスと出会う。テレサは自分はサビーナやトマシュのように他国で強く生きていける人間でないと思い、チェコに戻ってしまう。そこでトマシュはサビーナのいる自由の国スイスに留まるか、抑圧があるがテレサが住む自分の故国チェコに帰るかの決断に迫られることになる。トマシュはチェコに戻ることを選ぶが、再入国の際にパスポートを取り上げられてしまい、それは再び自由圏に戻ることの許されない片道行路であったのだ。

トマシュがスイスにいる間にソ連軍の弾圧が成功して、プラハは全く違う街になってしまっていた。トマシュは反共産党分子であるとして外科医の仕事を剥奪され、清掃夫として生計を立てるようになる。テレサはプラハの変貌を嘆いて落ち込んでしまい、自殺まで考えてしまう。ふたりは田舎へ移住し、そこでの暮らしに馴染み、つつましいながら本当の幸福を探し当てるのだが、その瞬間に悲劇が起こる。

この映画の魅力は、トマシュとテレサそしてサビーナとハンスの人間性と関係が非常に精巧に美しく、説得力に満ちて描かれていることだろう。

トマシュとサビーナが会う時は必ず鏡が使われる。これはトマシュとテレサそしてサビーナとハンスの関係をうまく象徴している。四人の関係を私なりの絵で描けば、トマシュとテレサがベッドで寝ていて、その隣に大きな鏡がある。トマシュがその鏡を覗くとそこにはトマシュではなくサビーナが映っている。そしてサビーナの隣にはハンスが横たわっている。トマシュが鏡に近づくとサビーナも近づく。トマシュが鏡から遠ざかるとサビーナも遠ざかる。しかしトマシュは鏡を打ち破ってサビーナの元に行く必要はない。トマシュとサビーナは、魂で結びついた男と女のシャム双生児なのである。彼らは離れていようが、お互い他の人と一緒にいようが、心では永遠に結びついているのである。

しかし、トマシュが本当に愛しているのはテレサだけである。テレサはすべてを明るく照らす太陽のようで、彼女がいる限りは世界も他の女性も美しく見えるのであるが、彼女がいなくなると、世界が暗黒になり、他の女性はトマシュの視界には全く入って来なくなってしまう。トマシュは限りなく軽いが、ぶれない男である。プラハの春の前、浮き浮きと政治を語っていた友人に彼は「自分は全く政治には関心がない」と述べる男であった。しかしソ連の弾圧の中で、急に保身を図り、密告をし、自分が何を感じ叫んでいたかを隠す人々の中で自分を全く変えようとしないトマシュは反体制派として弾圧されてしまうのである。しかし、自分が愛していた仕事を奪われた後でも彼は相変わらずふわふわと軽く、しかしぶれずに生きていくのである。

テレサは都会で軽く生きている(ように見える)トマシュやサビーナに影響されて、自分もそうなろうと努力し、いろいろと実験してみるが、それで幸せにはなれず、結局自分は大地に根付いて生きて行く人間だとわかる。しかし、彼女は何気ない瞬間に、自分で意識せず非常に性的な魅力を体現する女性で、トマシュはそこに心底惹かれていく。

サビーナはトマシュに瓜二つの心を持っているのだが、トマシュが手術の刀を持っているのに対し、絵筆で世を渡っていく女性である。女なので、男よりももっと流浪に対して、肝がすわっている。自分がこの広い地球のどこで死んでしまうのかわからないが、野垂れ死にする直前まで絵筆を持って全力で生きまくってやる、という態度である。良心的で道徳的なハンスは、自分と全く違うサビーナにどうしようもなく惹き付けられてしまう。

私はたまたまこの『存在の耐えられない軽さ』と村上春樹の小節を基にした『ノルウェイの森』を同じ時期に見たのだが、この二つの映画が全く同じ時期(1960年後半)を背景に、非常に似たテーマを描いているのに、その描写と解決が根本的に違うのが面白いと思った。

『ノルウェイの森』では平和で、戦争に駆り出される怖れもなく、自由と身の安全と暮らして行けるお金を保証されている日本の社会で、何故か閉塞感を感じている若者たちが、社会主義こそが世を救う希望の光だと信じて学生運動に熱中している。もちろん村上春樹の投影である主人公はそんな同世代の若者の動きには共感できないのだが、彼の周りではやたらと友人たちが自殺して行く。その自殺する若者たちは、親の愛情もあるし、恵まれた環境に育っているのだが、まるでストッキングの穴がじわじわと広がって行くのを毎日ジクジクと見ているように、何かに拘って重く生きて行く。そして自殺してしまうのだ。主人公もそれに影響されてしまうが、放浪しまくって、泣きまくって、鼻水を出しまくって、大げさな人生の探求の果てに「僕は生きるんだ」と決意する。

『存在の耐えられない軽さ』では、言論の自由を奪われ経済的にも不公平な社会で生きる若者にとって、社会主義は悪であり、若者はチェコが自由主義の国になることを渇望している。トマシュはジクジクと拘る人間ではない。だから軽いのだが、彼は体制や他人を批判はしても非難することはない。そして、まるで白鳥が波立つ湖の上で、波浪にも影響されず静かに浮いているように生きていく。そして静かに自分の幸せを見つけるのである。ジュネーブでサビーナと二人きりで会った時、サビーナは更に西側に移住することを、トマシュはチェコに戻ることを決めているが、二人はそれは口に出さない。突然サビーナが「これが私たちが会える最後の時間になるかもしれない」と呟くと、トマシュは表情を1ミリ変えただけで「そうかもしれない」と頷く。それが永遠の別れである。しかし『存在の耐えられない軽さ』では誰も自殺しない。それぞれが全力を尽くして難しい時代を生きていくのである。

どちらの映画でもビートルズの曲が非常に重要な役割を帯びて流される。しかしビートルズの曲が若者に示すものが、二つの映画では全く違う。『存在の耐えられない軽さ』ではビートルズの曲は自由への憧れと渇望を象徴するものであるが、『ノルウェーの森』では正体のわからないメランコリーの象徴なのである。

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[映画]  厳重に監視された列車 Closely Watched Trains Ostře sledované vlaky (1966年)

この映画は、チェコ映画『英国王給仕人に乾杯』の原作者ボフミル・フラバルが書いた小説を、『英国王給仕人に乾杯』映画化時の監督イジー・メンツェルが映画化したもの。言い換えると、『英国王給仕人に乾杯』と『厳重に監視された列車』は同じ原作者と監督による映画である。『英国王給仕人に乾杯』のぬらりくらりした風刺とダークなブラックユーモアは共産党政権崩壊後の社会で初めて可能だったのかと思っていたが、『厳重に監視された列車』も負けず劣らずの厚顔無恥なまでの風刺悲喜劇である。これがチェコの共産政権の下で作られたことと、またイジー・メンツェルがこの映画を作った時は弱冠28歳であったということを考えると、イジー・メンツェル恐るべしとしか言いようがない。或いは、ボフミル・フラバルがすごいのかもしれない。

イジー・メンツェルは1930年代に堰を切ったように活躍したチェコ・ヌーヴェルヴァーグと言われる若手映画作家の一人である。『厳重に監視された列車』はアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。その受賞直後に起こった1968年のプラハの春におけるソ連軍の弾圧で多数の映画人は海外へ亡命したが、メンツェルはチェコに留まった。その後彼は1986年に『スイート・スイート・ビレッジ』で再びアカデミー外国語映画賞ノミネートされるのだが、1989年の共産政権が崩壊するまで彼にはキャリアの長いブランクがあった。

第二次大戦中のナチス・ドイツ占領下のチェコの小さな町の小さな駅で働く人々。駅長は鳩を飼うのに夢中。信号士フビチカはなぜか女にもてもてで駅長をうらやましがらせているが、それ以外の取り柄は全くない。老人の駅員はもうすっかり役立たずになっている。主人公のミロシュの祖父は催眠術師で、ドイツ軍のプラハ侵攻を催眠術で防ごうとして、ドイツ軍の戦車に潰されて死んだ。ミロシュの父は鉄道員だが早々と引退してしまったので、その代わりにミロシュが見習いとしてその駅で働き始める。ミロシュは可憐で若い車掌に密かに憧れているが、彼女の前で性的に男になることができず、それを苦にして自殺未遂までやらかしてしまう。

というわけで、他人から見たら、全く不完璧な男である男たちが駅でのらりくらりと働いているという話なのだが、実はこの時期はドイツ軍に敗北の陰が忍びよっており、またその駅を死者や武器を満載した列車が毎日通り抜けていくのだが、それはちょっと眼には全くわからないようになっている。そして何と!!!誰からみても無能だと思われているフビチカとミロシュと老駅員が重装備のドイツ軍の資財を運ぶ「厳戒輸送列車」を爆破するという英雄的なことをしでかしてしまう。しかし映画は悲しい結末で終わるのだが。

『厳重に監視された列車』は『英国王給仕人に乾杯』のように、だらしない主人公の行動に引っ張りまわされて笑っているうちに、その外側にある重い現実が浮き彫りにされるという物語である。

この映画は非常に男性の感性の映画である。男が男になるために、どんなに迷い苦労し努力するか、ということである。ミロシュにとって、性の経験をすることと、レジスタンスの行動をするということが、自分の男としての価値の証明であるかのようだ。未知の世界は怖いのだが、それを通り抜けないと男になれないと思い、その通過儀式として男は童貞を捨て、戦争に行くのだろうか、という皮肉な気持ちにさせる映画である。その通過儀式は女にはわからない道のりである。しかし女から見ると、「Relax(落ち着いて)!女はそれで男を判断したりしないわ!」と言いたくなるのではないか?女は、気弱で、戦争に行くことを拒否するが、レジスタントのパルチザンとしてとんでもないことをやってしまうミロシュに、案外心惹かれてしまうのではないか?

この映画は、無邪気さと陰謀、面白さと悲しみ、脳天気な平静さと戦争の残酷さ、イノセンスと成熟という相対立したコンセプトが常にバランスを持って話が進んでいくので、「どうなっているのか」「これからどうなるのか」「一体何が本当なのか」と聴衆を疑わせながら最後まで引っ張っていく。恐るべしである。

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[映画]  この素晴らしき世界 Divided We Fall(2000年)

United we stand, divided we fallと言うのは、団結すれば立てるが、分裂すれば倒れるという意味である。通常はUnited We Standという言葉が人々の団結を訴える時に使われることが多いが、この映画は助け合わなければ負けるというDivided We Fallの側面を強調している。題の邦訳は原題とは全く違う。この邦題を考えた人は、ベトナム戦争に反対して、平和な世界を願って作られた『この素晴らしき世界』という曲を念頭においていたのかも知れない。その歌は ルイ・アームストロングによって歌われ、1987年の映画『グッドモーニング, ベトナム』で、戦時中のベトナムの牧歌的田園風景を映す印象的なシーンにバックグランドミュージックとして流された。

この映画はチェコ映画であり、ナチスの支配時の庶民の苦しみの生活を描くが、その後のソ連の進駐に対する批判も間接的に描く。2003年に公開された『Želary』(日本未公開)と時代背景やテーマがよく似ている。どちらもアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたのだが、ナチスの弾圧の中で自分の命を守るために見知らぬ人と結婚してしまう(Želary)とか、自分の妻を他の男の手により妊娠させてしまう(この素晴らしき世界)というちょっととんでもないことをしてしまうというのも似ている。どちらの映画でも底に流れるのは「ドイツもひどかったけれど、その後やって来たソ連もひどかった」というものである。

第二次世界大戦で独ソの対立の犠牲になったという点では、チェコはポーランドと似た運命を辿ったが、彼らは最初はソ連を敵視していたわけではない。帝政ロシアは海路を求めて南下策をとっていたので、ロシアは帝国主義の先進国である英国から警戒されていた。またロシアはバルカン半島の覇権を巡ってオーストリア・ハンガリー帝国とも対立関係にあった。しかしチェコやポーランドにとってソ連は、自分たちを支配しているオーストリア・ハンガリー帝国の敵、つまり敵の敵は味方かもしれない、くらいの気持ちを持っていたのではないか。ロシア人もチェコ人もポーランド人もスラブ人という同じ民族なのである。

ヨーロッパにはたくさんの民族と国家があったが、結局第二次世界大戦までヨーロッパの流れを決めていたのは、英仏伊独の四カ国であった。この四国は共産主義革命で生まれたソ連を非常に警戒していた。英仏はドイツ人国家がバルカン半島を巡って長年ロシアと対決しており、また領内に多数のスラブ人を抱えてその反抗に悩んでいたこともあり、独ソが絶対相まみえることのない宿敵であると知っていたので、ヒトラー率いるドイツがソ連と対立しているのは自分たちにとっても悪くはない状況だと思っていた。しかしヒトラーも馬鹿ではない。1939年8月23日に独ソ不可侵条約が秘密裏に締結され、9月1日早朝、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、9月3日に英仏がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まったのである。

この映画では、ナチスの支配下の小さな町で、ナチスの協力者になる者、密かにパルチザンになる者、ユダヤ人を匿う者などを描き、小さい町で隣人同士が誰も信じられないような環境で息を潜めて生きた庶民の物語である。全体を通してユーモラスなトーンを保ち、暴力的なシーンはないのが救いはあるが、それでもかなりしんどい状況である。

子宝に恵まれないヨゼフとマリアは、ユダヤ人のダヴィデをひょんなことから匿うはめになる。ダヴィデの父はヨゼフの上司であった。強制収容所から逃亡して町に戻ってきたダヴィデを発見したヨゼフは、ユダヤ人をみつけたら報告しなければならないという法令を破って彼に食事を与え、彼の逃走計画を助けるがそれが失敗してしまう。ダヴィデの存在を報告しなかったというだけで死刑ものなので、ヨゼフとマリアは「毒を食らわば皿まで」と覚悟してダヴィデを匿う決心をする。彼らの友人のホルストはドイツ人の妻を持つナチスの協力者である。ヨゼフは自分が疑われないように、意に反してホルストの部下になり、ナチスの協力者であるふりをする。ホルストはマリアに横恋慕したり、ヨゼフとマリアが何かを隠していることを気づく厄介な存在であるが、ナチスが彼らの家を家宅捜査しようとすると、自分の立場を利用して彼らを守ってくれる。

ナチスが敗れてソ連軍がやって来た。ヨゼフは裏切り者だとしてパルチザンに処刑されかかるが、自分はユダヤ人を匿うためにそうせざるを得なかったと弁明する。パルチザンはそれを証明するためにダヴィデに会うが、実はダヴィデが町に逃げ戻って来た時最初に彼を発見したのはそのパルチザンであった。そのパルチザンは慌てふためいてナチスの軍に大声で「ユダヤ人がいる!!!」と叫んだのだったが、その声がナチス軍に届かなかったので、ダヴィデは逃げることができたのだった。再開した二人はそのことを表に出すことなく、だまってうなずくのみであった。ホルストは裏切り者として処刑されようとしていたが、ヨゼフは自分の身の危険を犯してまで今度は彼を救おうとする。

この映画でソ連軍の兵士が「一体誰を信じていいのかわからない」とぼやくシーンがある。ソ連軍がヨーロッパの隣国に侵攻するのはこれが初めてである。彼らも、どのように振舞っていいのかわからなかっただろう。蛮行に走った兵士たちもたくさんいただろう。また表面的には歓迎してくれても、まだナチスの協力者は町に残っている。それらの人間をどうやって捜していくべきなのか。『Želary』でも村に入ってきたソ連軍を最初に歓迎はしたものの、若い兵士が村の女性をレイプし始めたり、疑心暗鬼になったソ連軍が村人と交戦を始めたことが描かれている。英米軍がイタリアやフランスを順調に解放した西部戦線と違い、ソ連がナチス支配下を開放した東部戦線はかなり複雑だったのである。

この映画は自分たちをナチスから守るためユダヤ人のダヴィデに頼んでマリアを妊娠させてもらったヨゼフが、無事生まれた赤ちゃんを抱き上げるところで終わる。何か聖書の受胎告知を思わせるシーンである。考えてみれば、ドイツが第二次世界大戦で戦った国はすべてキリスト教の国であり、キリスト教を生んだイエスはユダヤ人なのである。戦争を始める前に聖書をもう一回読んでほしいというメッセージであろうか?

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[映画]  英国王給仕人に乾杯! I served the king of England (2006年)

この映画は英国映画ではなく、チェコ映画である。英国王はもとより、英国も全く登場しない。エチオピアの皇帝がちょっと顔を出すだけである。だから『英国王のスピーチ』のような映画を期待してこれを観ると???と言う感じになるのではないか。

この映画は美しくグロテスクな映像の風刺喜劇である。しかし、主人公の人生やその時代から、この映画はある意味でチェコの近現代史ともいえる。この映画は第一次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国が解体され、チェコ・スロヴァキア共和国が誕生した1918年から、ヒトラーがズデーデン地方を併合し、その後チェコがドイツの保護領とされてしまった1939年をへて、ソ連の後押しを受けた共産党政権が成立した「二月事件」の起こった1948年を描き、1968年あたりで映画は終わる。チェコ共産党の支配下で発言の自由を奪われていたボフミル・フラバルがこっそり1970年ころ書いた小説をもとに、やはり共産党政権下で製作の自由を奪われていた監督イジー・メンツェルが、共産政権崩壊後2006年に映画化したものである。イジー・メンツェルは1967年に、同じボフミル・フラバル原作の映画化『厳重に監視された列車』がアカデミー外国語映画賞を受賞しているが、その後、1989年に共産主義政権が崩壊するまで長いキャリアのブランクがある。

チェコの映画といえば、最初はドイツに痛めつけられて、次はソ連に支配されて、苦しい迫害の20世紀だった・・・というトーンになるのかと思えば、この映画は違った角度から20世紀のチェコの歴史を描いている。この映画で何回ともなく語られているのがチェコのズデーテン地方である。

チェコの歴史は複雑である。チェコの中心はボヘミア地方であるが、ここは11世紀からドイツ人の植民によりドイツ化が進み、また北のポーランド王国、南のハンガリー王国とに支配されるという複雑な支配闘争が続いた。結局1618年から始まった三十年戦争にでチェコ人貴族が敗れたので、ボヘミアに置けるドイツ人の支配権が確立されたが、歴史的にボヘミア地方ではドイツ人とチェコ人の間には対立関係が強かった。チェコは伝統的に反ドイツ汎スラブでロシアに対する親近感が強かったのだが、この地域は結局オーストリア・ハンガリー帝国の一部となった。ボヘミアには炭田が多く、その豊富な石炭を使いドイツ系資本家からの資本によって起こされた産業革命による工業が著しく発展し、ボヘミア地方は中央ヨーロッパ有数の工業地帯となった。

ズデーテン地方は、ボヘミアの西の外縁部でドイツ国境の地域であり、古来よりドイツ人が多く居住していた区域であり、ドイツ人とチェコ人の対立が最も激しい地域であった。ドイツ人住民はチェコ人の多数派の支配の下で、職業の選択などの差別に甘んじていた。1918年の第一次世界大戦でのドイツ・オーストリアの敗戦の結果、オーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコはスロヴァキアと合体してチェコ・スロヴァキアが独立国家を形成した。チェコは反独が主流であったが、ロシアに近いスロヴァキアでは逆に反ロシア親ドイツの気が強かった。チェコはズデーテン地方に侵略し、この地をドイツから奪い取った。この映画でもチェコ人がドイツ人を苛めているシーンがたくさん出てくる。その苛めはユーモアたっぷりに描かれているのだが、注意深く見ると残酷である。チャップリンの映画のような軽快さと巧みな動きで聴衆を見事にひきつけるのだが、裏に毒があり、またいろいろと考えさせられるものがある。

1938年3月にオーストリア併合を達成したヒトラーにとって次の領土的野心はチェコスロバキアであり、ヒトラーはズデーテン地方に居住するドイツ人が迫害されているという口実を使って、ズデーテン地方の支配権を得ようとした。当時チェコは領域を巡って、隣国のポーランドやハンガリーとも紛争中であった。この状況を利用して、ドイツはズデーテン地方の主権を得、その勢いに乗ってチェコを併合してしまったのである。

この映画では鏡が効果的に使われている。鏡は何かを反射するものである。この映画はチェコのメインストリームでない主人公が風刺たっぷりに映し出すチェコの素顔である。主人公は誰にも注目されない地味な小柄なチェコ人には珍しいブロンドの男である。チェコが独立して好景気に沸いていた時は貧しい男である。他のチェコ人がドイツ人を苛めている時、唯一ドイツ人を助けてあげる男であり、ドイツ人の女性と結婚までしてしまう。ナチスの支配が始まり他のチェコ人が弾圧され始めると、妻のおかげで高給ホテルや高給レストランでいい仕事につける。高給ホテルは一見優雅の極みではあるのだが、そこに来る金持ちや高給軍人や政治家たちはそこで本性を曝け出す。ホテル従業員は「すべてを見た上で、何も見なかった振りをする」ということに徹底しているので、そこに来る金持ち連中はホテルの従業員などの目を全く気にしない。主人公を描くことで鏡のようにその時代時代の人間を描いていくのである。第二次世界大戦でドイツが敗北し共産革命が成立した時主人公は大富豪だったのでその罪により15年間刑務所に入れられるという人生を送る。釈放された後、主人公はズデーテン地方に送られ重労働に課せられる。

主人公が到着した時はズデーテン地方は廃墟となっていた。第二次大戦後すべてのドイツ人は強制的に国外追放になったのだ。追放されたというのが一番いい待遇で、もっと恐ろしいこと、たとえば略奪や虐殺のようなものが起こっただろうということが示唆されている。主人公がこの廃墟のような山の中で静かに人生を振り返るというところで映画が終わる。主人公の若い時と老年期を演じた役者は別人で二人は似ていない。主人公の人間性が変わったというために二人の役者を使ったのだろう。この映画は主人公の青年期から初老にかけての35年くらいを描く。普通なら一人の役者が十分演じることができる年数ではあるのだが。

この映画はチェコ近代史にとって汚点のような、あまり触れられたくないズデーテン問題をチェコ人として取り上げている。画像美しき喜劇にはしているが、ズデーテン問題を主題にするのはかなり勇気のいることである。特に原作の著者ボフミル・フラバルはズデーテン問題が公的に解決される遥か以前の1970年代にこの作品を書いているという、その作家としての良心には感嘆する。それを思うとこの軽快なコメディは、自分を含めたチェコ人に「ナチスの被害者となる状況は、自分から作り出したのではないか?隣人とのちょっとした人種の違いで憎しみを持ち続けた自分たちは、心の狭い人間ではなかったのか?」という恐ろしい問題提起をしているのではないだろうか。

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[映画]  コーリャ 愛のプラハ Kolya (1996年)

この映画は1988年、当時のチェコスロバキアで、冷戦の雪解けの動きを受けて共産党政府を比較的平和に打倒した、そのビロード革命に至る激動の時代に生きたチェコ人の初老の音楽家とロシア人の男の子の心の交流を描いた物語である。

かつてのトップチェリストであったロウカは、今は落ちぶれて色々なアルバイトをやって生計を立てている。気が進まない中で、金目当てにチェコのパスポートを狙う子持ちのロシア人の女性と偽装結婚するが、その女性はコーリャという5歳の男の子を叔母のもとに残して西ドイツに亡命してしまう。しかしその叔母は突然亡くなってしまい、ロウカがコーリャの面倒を見ざるを得なくなる。最初はお互いにぎこちない感じだったが、二人の間には次第に親しみの心が湧いてくる。しかしロウカの兄も西側に亡命していることもあり、偽装結婚でロシア人の亡命を助けたのではないかと疑う秘密警察が調査を始め、またコーリャをロシアの孤児施設に送ろうとするソーシャル・サービスの女性も現れて・・・という感じで話が展開して、チェコスロバキアがビロード革命に成功して、ソ連の支配を打倒するというところで話が終わる。

コーリャを演じる少年があまりにも可愛らしいし、話は軽快なユーモアとウィットと共に進んで行くので、この映画は少年とチェリストの心温まる愛情物語であると思われがちだが、この映画で描きたいのはソ連の支配に対するチェコ人の反感、その中で一日一日を生きる人々の生活、激動の時代を生きた市井の人々の感情などではないだろうか。可愛らしいコーリャは映画を魅力的にするために使われているのであり、コーリャは大人の眼から見て可愛い子供であるが、その内面についての描写が平板であるという印象を受ける。ロウカの人間描写にしても、彼は女にだらしないいい加減な男だというように描かれている。体制の中で地位を奪われた男、女たらしに見せかけているのか、それが地なのかわからない複雑な男の内面などはあまり掘り下げられていない。ロウカがいい加減な男に描かれているのは、最初のいい加減さと最後の愛情深さのコントラストを強くしたいのであろう。しかし、外面の可愛らしさだけを強調された子供と戯画的に作られた大人の間で愛情ができあがっていく過程がどうも説得力がない。もしこれが愛情物語であるのなら、かなり頭で作った物語であると言わざるを得ない。

映画の中では何回もこれでもかと言う程ラジオや新聞の折々の時勢の報道が入り、外界で何が起こっているかを聴衆に確認させる。人々の会話はソ連の駐在兵がどれだけうっとおしいかということに終始する。やはりこの映画は「ソ連の圧政下で人々はどういう気持ちで暮らしていたのか?」「チェコ人はナチスを憎んだ。しかしその後にやって来たソ連も同じように悪かった。」ということを、ビロード革命の勝利の後、記録しておきたいという意図で作られたように感じられる。アレクサンデル・ドゥプチェク書記長を中心とした1968年の改革運動「プラハの春」が、ソビエト連邦を中心としたワルシャワ条約機構の軍事介入で潰された以後、チェコスロバキアは東ドイツと並ぶ秘密警察国家となり、密告を恐れた人々は息を潜めたように暮らさざるを得なかったのである。

しかし時代は間違いなく動いていた。1989年には遂に隣国ハンガリーがオーストリアとの国境を開放するに至った。東ドイツの人々はハンガリーまではなんとか旅行できるので、ハンガリーに入国してそこから何とかしてオーストリアとの国境を越え、そこから更に西ドイツに移ろうと考えるようになった。ちょうどこの映画のコーリャの母のように、ロシアから入国可能なチェコに移り、チェコのポスポートを使用してそこから西ドイツに亡命しようと企んだようにである。ハンガリーのパスポートを持たない東ドイツの住民も、ハンガリーまで行けば何とかして国境を越えられるのではないかと期待して多数の東ドイツ市民がハンガリーに移動して来た。

1989年の8月にショプロンというハンガリー内で一番オーストリアに近い町で「民主フォーラム」が主催する汎ヨーロッパ・ピクニックが開かれた。この集会に参加すれば国境を越えられるという噂が広まり、多数の東ドイツ市民がこの町に集まり次々と国境を越え始めたが、ハンガリーの当局は彼らを止めなかった。このニュースは東ドイツ中に広がり、さらに多くの東ドイツ市民がオーストリアや西ドイツに接するハンガリーやチェコスロバキアの国境地帯に押し寄せた。東ドイツではこのニュースに刺激されてますます自由を求める市民運動が高まり、ついに1989年11月10日にベルリンの壁は倒されたのである。11月17日にはチェコスロバキアでビロード革命が勃発し、共産党政権が崩壊していくのである。ソ連はもうそれに介入することもなかった。あの「プラハの春」の屈辱が繰り返されることはなかったのである。

この映画でロウカを演じたズディニェク・スヴェラークがこの映画の脚本も書き、彼の息子のヤン・スビエラークが監督を務めている。ヤン・スビエラークはこの映画のメガホンを取ったときは僅か30歳であり、ビロード革命が起こった時、彼は23歳の学生だったのである。この映画はソ連体制化で自分がどんな暮らしをしていたのかを息子を含めた若い世代に伝えたい、そして自分の息子の将来に希望を持ちたいというズディニェクの父としての想いが込められているように思われる。ズディニェク・スヴェラークが「プラハの春」を経験したのは彼が32歳の時であった。

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