[映画]  この素晴らしき世界 Divided We Fall(2000年)

United we stand, divided we fallと言うのは、団結すれば立てるが、分裂すれば倒れるという意味である。通常はUnited We Standという言葉が人々の団結を訴える時に使われることが多いが、この映画は助け合わなければ負けるというDivided We Fallの側面を強調している。題の邦訳は原題とは全く違う。この邦題を考えた人は、ベトナム戦争に反対して、平和な世界を願って作られた『この素晴らしき世界』という曲を念頭においていたのかも知れない。その歌は ルイ・アームストロングによって歌われ、1987年の映画『グッドモーニング, ベトナム』で、戦時中のベトナムの牧歌的田園風景を映す印象的なシーンにバックグランドミュージックとして流された。

この映画はチェコ映画であり、ナチスの支配時の庶民の苦しみの生活を描くが、その後のソ連の進駐に対する批判も間接的に描く。2003年に公開された『Želary』(日本未公開)と時代背景やテーマがよく似ている。どちらもアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたのだが、ナチスの弾圧の中で自分の命を守るために見知らぬ人と結婚してしまう(Želary)とか、自分の妻を他の男の手により妊娠させてしまう(この素晴らしき世界)というちょっととんでもないことをしてしまうというのも似ている。どちらの映画でも底に流れるのは「ドイツもひどかったけれど、その後やって来たソ連もひどかった」というものである。

第二次世界大戦で独ソの対立の犠牲になったという点では、チェコはポーランドと似た運命を辿ったが、彼らは最初はソ連を敵視していたわけではない。帝政ロシアは海路を求めて南下策をとっていたので、ロシアは帝国主義の先進国である英国から警戒されていた。またロシアはバルカン半島の覇権を巡ってオーストリア・ハンガリー帝国とも対立関係にあった。しかしチェコやポーランドにとってソ連は、自分たちを支配しているオーストリア・ハンガリー帝国の敵、つまり敵の敵は味方かもしれない、くらいの気持ちを持っていたのではないか。ロシア人もチェコ人もポーランド人もスラブ人という同じ民族なのである。

ヨーロッパにはたくさんの民族と国家があったが、結局第二次世界大戦までヨーロッパの流れを決めていたのは、英仏伊独の四カ国であった。この四国は共産主義革命で生まれたソ連を非常に警戒していた。英仏はドイツ人国家がバルカン半島を巡って長年ロシアと対決しており、また領内に多数のスラブ人を抱えてその反抗に悩んでいたこともあり、独ソが絶対相まみえることのない宿敵であると知っていたので、ヒトラー率いるドイツがソ連と対立しているのは自分たちにとっても悪くはない状況だと思っていた。しかしヒトラーも馬鹿ではない。1939年8月23日に独ソ不可侵条約が秘密裏に締結され、9月1日早朝、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、9月3日に英仏がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まったのである。

この映画では、ナチスの支配下の小さな町で、ナチスの協力者になる者、密かにパルチザンになる者、ユダヤ人を匿う者などを描き、小さい町で隣人同士が誰も信じられないような環境で息を潜めて生きた庶民の物語である。全体を通してユーモラスなトーンを保ち、暴力的なシーンはないのが救いはあるが、それでもかなりしんどい状況である。

子宝に恵まれないヨゼフとマリアは、ユダヤ人のダヴィデをひょんなことから匿うはめになる。ダヴィデの父はヨゼフの上司であった。強制収容所から逃亡して町に戻ってきたダヴィデを発見したヨゼフは、ユダヤ人をみつけたら報告しなければならないという法令を破って彼に食事を与え、彼の逃走計画を助けるがそれが失敗してしまう。ダヴィデの存在を報告しなかったというだけで死刑ものなので、ヨゼフとマリアは「毒を食らわば皿まで」と覚悟してダヴィデを匿う決心をする。彼らの友人のホルストはドイツ人の妻を持つナチスの協力者である。ヨゼフは自分が疑われないように、意に反してホルストの部下になり、ナチスの協力者であるふりをする。ホルストはマリアに横恋慕したり、ヨゼフとマリアが何かを隠していることを気づく厄介な存在であるが、ナチスが彼らの家を家宅捜査しようとすると、自分の立場を利用して彼らを守ってくれる。

ナチスが敗れてソ連軍がやって来た。ヨゼフは裏切り者だとしてパルチザンに処刑されかかるが、自分はユダヤ人を匿うためにそうせざるを得なかったと弁明する。パルチザンはそれを証明するためにダヴィデに会うが、実はダヴィデが町に逃げ戻って来た時最初に彼を発見したのはそのパルチザンであった。そのパルチザンは慌てふためいてナチスの軍に大声で「ユダヤ人がいる!!!」と叫んだのだったが、その声がナチス軍に届かなかったので、ダヴィデは逃げることができたのだった。再開した二人はそのことを表に出すことなく、だまってうなずくのみであった。ホルストは裏切り者として処刑されようとしていたが、ヨゼフは自分の身の危険を犯してまで今度は彼を救おうとする。

この映画でソ連軍の兵士が「一体誰を信じていいのかわからない」とぼやくシーンがある。ソ連軍がヨーロッパの隣国に侵攻するのはこれが初めてである。彼らも、どのように振舞っていいのかわからなかっただろう。蛮行に走った兵士たちもたくさんいただろう。また表面的には歓迎してくれても、まだナチスの協力者は町に残っている。それらの人間をどうやって捜していくべきなのか。『Želary』でも村に入ってきたソ連軍を最初に歓迎はしたものの、若い兵士が村の女性をレイプし始めたり、疑心暗鬼になったソ連軍が村人と交戦を始めたことが描かれている。英米軍がイタリアやフランスを順調に解放した西部戦線と違い、ソ連がナチス支配下を開放した東部戦線はかなり複雑だったのである。

この映画は自分たちをナチスから守るためユダヤ人のダヴィデに頼んでマリアを妊娠させてもらったヨゼフが、無事生まれた赤ちゃんを抱き上げるところで終わる。何か聖書の受胎告知を思わせるシーンである。考えてみれば、ドイツが第二次世界大戦で戦った国はすべてキリスト教の国であり、キリスト教を生んだイエスはユダヤ人なのである。戦争を始める前に聖書をもう一回読んでほしいというメッセージであろうか?

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