[映画]  太陽に灼かれて Burnt by the Sun (1994年)

この映画の最初の2時間ほどは、ソ連の田舎にある芸術村で夏を過ごす家庭の団欒を描くことに終始し、まるでチェーホフの世界を眺めているようである。そうするうちに、一家の父親はロシア革命の伝説的な赤軍英雄のコトフ大佐であり、その若い妻はどうも元貴族の家系であり、彼女の一族がそこに召使と一緒に住んでいることから、この芸術村は妻の一家の別荘であったらしいと推測がつく。大佐は妻との間に ナージャという可愛らしい娘がいる。突然ディミトリという若くてハンサムな貴族風の芸術家が訪ねて来て、妻の家族に大歓迎される。そうこうしているうちに、ディミトリも元貴族で妻の嘗ての恋人であるということが知らされ、大佐以外は皆フランス語で楽しげに会話を始め、フランス語を知らない大佐はちょっと仲間はずれになる。これは恋の三角関係なのかと思っているうちに最後の20分で、ディミトリは実は秘密警察の一員であり、スターリンの命令でコトフ大佐を逮捕に来たという裏の背景がわかってくる。元貴族だから白軍派のはずなのに、ディミトリはなぜ赤軍の英雄のコトフ大佐を逮捕する権限を持っているのか、と観ている者は煙につつまれるはずだ。

ニキータ・ミハルコフがこの映画の監督、脚本、主演を勤めており、大佐の娘ナージャを演じた少女は彼の実の娘である。ニキータ・ミハルコフの兄は『僕の村は戦場だった』を監督したアンドレイ・タルコフスキーの親しい友人のアンドレイ・コンチャロフスキーである。ニキータ・ミハルコフの父はソ連国歌の作詞家であるセルゲイ・ミハルコフである。セルゲイ・ミハルコフによるソ連国歌は眩しいまでのスターリン崇拝の歌で、1944年に国歌となったが、セルゲイ・ミハルコフはスターリン批判の影響で1977年にはその歌詞の一部を書き換え、その後2001年には新しいロシアのために完全に歌詞を変更している。

スターリンの大粛清は1930年代に起こっているが、1953年のスターリンの死後、ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフにより公式にスターリン批判が始まり、スターリンの個人崇拝は公的に批判された。1964年のフルシチョフの失脚後、レオニード・ブレジネフの政権下では一時改革派の力が衰え、チェコに軍事介入するプラハの春事件を起こしたりというジグザグもあったが、1985年にはミハイル・ゴルバチョフによって再びスターリン批判が再確認され、多くの犠牲者たちの名誉が回復された。この映画は1994年に作られているから、或る程度の言論の自由も保証されているはずだが、この映画の中でのスターリン批判は非常に象徴的である。そのシンボリズムはフランコの弾圧を恐れて、批判の気持ちをシンボリズムに託し、恐ろしいほど美しく妖しい映像をつくったスペインの現代映画に似ている。

この映画も映像の美しさ、シンボリズムの怪しさには恐るべきものがある。映画の中で具体的な粛清の恐ろしさを最小限に押さえ、はかない美を描くことに徹底したのはなぜだろうか。私はニキータ・ミハルコフという人間を知らないので何ともいえないが、私が感じるのは、ニキータ・ミハルコフという人は政治的な人ではないのではないか、ということである。彼にとって美しい心や、何か美しいものが一番大切なのであり、革命という仮面を被った暴力行為や、粛清という名の殺人行為は、それが醜いから、美しくないから、憎いのである。しかし、彼自身は繊細な心で政治というものに引っかかってしまっても、それを器用に扱っていくという資質の人ではないと思う。彼を理解するためには、彼が「親友で、一番大切な心の友」と常に呼んでいた黒澤明のことを考えれば、わかりやすいのではないか。黒澤がスターリンの大粛清を映画化するとしたらどうしたであろうか?私の答えは、「黒澤はそんな映画を作らなかっただろう」ということだ。たとえスターリンの大粛清の真実を知っていたとしてもである。たとえ、たとえだが、もし作ったとしても、非常にシンボリックな映画になったであろう。こう考えるとこの映画の極端なシンボリズムにも納得がいくのではないか。

しかし、ニキータ・ミハルコフという人は正直に自分の気持ちを表現する人である。彼は ボスニア戦争で一方的に犯罪者的な判断を下されて国際的な悪漢にされてしまった感のあるセルビア人を支持し、「民族としての誇りを忘れないでほしい」と述べ、セルビアの対コソヴォ政策も支持している。またウラジーミル・プーチンのリーダーシップにも支持の姿勢を明らかにしている。他の人の思惑はとにかく、自分の感情を正直に認めるタイプの人のように思われる。彼の政治信念を彼の言葉を借りていえば「個人的な考えとして、私は1917年以降のいかなる政府も合法的とは認めていない。なぜなら彼らの権力は暴力と流血とによって得たものだからです。」ということになろうか。だから『太陽に灼かれて』は革命という名の“偽りの太陽”に灼かれた犠牲者たちに捧げられているのであろう。ある日突然、何の前ぶれもなく連行され、家族たちにもその後がどうなったのか知らされなかった人々。大衆の前での偽りの公開裁判で晒し者にされた後で処刑された人々。全く政治に関係ないのに、逮捕されて殺された人々。この映画はそういう人々へのニキータ・ミハルコフとしての鎮魂歌なのであろう。

大粛清は、当時のソビエト連邦(ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリンが1930年代にソ連邦でおこなった大規模な反対陣営に対する政治弾圧を指す。スターリンに対抗したと看做された者は全て見せしめ裁判でスパイ罪などの自白を強要され死刑の宣告を受けたもので、その対象は幹部政治家のみならず、一般党員や民衆にまで及んだ。その目的はスターリンが自分の政敵を殺すこと、なかなか進まぬ経済の発展への大衆の不満を「裏切り者への憎しみ」に向けてそらすことであった。この粛清はついには革命を成功させた赤軍の英雄や、尊敬されている芸術家、そして海外からソ連に安全を求めて亡命して来た共産主義者にまで及ぶことになった。

大粛清が1938年後半にようやく収まったのは、虐殺によって優秀な人間が殺され、国家機能に支障を来たすほどになり、またナチスの脅威が現実のものとなったので、国民の不満をナチスに対する憎しみに向けることが可能になったからである。1938年末になると、スターリンはこれまで大粛清の中心的組織であった秘密警察NKVDを批判し、弾圧することになった。皮肉なことに、あれだけたくさんの人間を死に追いやった秘密警察の関係者も次々と殺害され、NKVD関係の人間でスターリン時代を生き残れた者は殆どいなかったという。

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[映画] 僕の村は戦場だった Ivan’s Childhood(1962年)

この映画は、ロシアの作家ヴァドミール・ボゴモロブの短編小説『イワン』を、アンドレイ・タルコフスキー監督が映画化したものである。第二次世界大戦の独ソ戦によって両親を含めた家族をすべて失って孤児となった12才の少年イワンが、ドイツに対する憎しみの中でパルチザンに、そして後に偵察兵としてソ連軍に参加し、結局ナチスに処刑されてその短い一生を終える。特にドラマティックなストーリーの展開はないのだが、少年の記憶に残る平和な日々の詩情豊かで美しい回想シーンと、少年の前に広がる戦争の厳しい現実をくっきりとしたコントラストで描いていく。

この映画の特徴はオブジェ(物体)の美しさである。実際の戦闘のシーンとかドイツ兵は一切出てこず、それらは線香花火のような光や銃声だけで象徴的に表現される。水、闇、光、ランプ、廃墟、沼、浜辺、井戸、馬、白樺、鳥、林檎などそれぞれのオブジェが効果的に、時には奇抜な位置で配置され、人々の動きが意外な角度から映される。

スターリンが1953年に死亡して、当時のソ連支配化の人々にようやく安らぎの心が生まれ、西側の文化がソ連に急速に流れ込んで来て、大学では新しい映画論や芸術論が紹介され、新しい世代の映画人が育ちつつあった時代にこの映画は作られた。アンドレイ・タルコフスキーもそう言った戦後の新世代の若者の一人であった。彼はアメリカかぶれと批判されるまでに、アメリカの現代文化に興味があり、ジャズに傾倒し、また当時の西側諸国での大監督と言われていたジャン=リュック・ゴダール、黒澤明、フェデリコ・フェリーニ、オーソン・ウェルズ、イングマール・ベルイマンなどを熱心に研究していたという。

この映画はストーリーや主題よりも、むしろ斬新なオブジェや撮影角度に拘っているように見受けられるが、これは当時フランスで湧き上がりつつあったヌーヴェルヴァーグ「新しい波」の影響をもろに受けているといえるだろう。ヌーヴェルヴァーグはフランスの映画評論家を中心として50年代にフランスで起こった映画運動で、既存の映画監督を「つまらない」と酷評した評論家たちが、「俺たちがもっと面白い映画を作ってやろうじゃないか」という意気込みで始めた映画創作活動であり、フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールがその中心人物であった。

戦争の爪あとが厳しく残るフランスでは50年代、60年代には、戦争を起こした大人とかエスタブリッシュメントに対する反抗の姿勢が強かった。政治的には共産主義、思想的にはサルトルが率いる実存主義或いはそれに続く構造主義、映画ではヌーヴェルヴァーグ、そして多くの文化領域で新しい動きが勃興しつつあった。何と無しに退廃的な気持ち、エロティシズム、破壊的な行為、解決のない虚無的な気持ちなどが、新しいテーマであった。60年代における日本でのフランス文化の影響は多大なものがあり、日本でも「日本ヌーヴェルヴァーグ」というグループが生まれたが、その代表的な映画監督は、大島渚、篠田正浩、今村昌平、羽仁進、勅使河原宏、増村保造、そして蔵原惟繕などである。彼らは、青少年の非行、犯罪、奔放な性、社会の片隅に生きる女たち、底辺の人間たちなど、それまでの映画ではあまり対象にならなかったテーマを抉るようになり、またわかりにくい聴衆を突き放すような映画を作り、聴衆は彼らを「芸術家」とみなすようになった。

その当時は新鮮だったヌーヴェルヴァーグの映画だが、今見るとどうであろうか。その斬新さは次々と後から来る監督たちに模倣されてしまい、今では誰もが使う手法になってしまっているから、現代の聴衆にとってはどうしてヌーヴェルヴァーグの映画が革命的だといわれたのかわからないかもしれない。また現在サルトルやフランソワ・トリュフォーの名前を知っている人間がどれだけいるだろうか?現代の若者にとっては、「Sarutoru,who?」(去る取るなんて人、いたっけ?)であろうが、サルトルの名前はその響きの面白さから(猿とる)、60年代の日本でもテレビでコメディアンにギャグの一部として彼の名前が使われていたこともあるくらい、日本でも名前が知られていたのだ。今から60年前に新鮮な手法や思想を追求したというのは確かに偉大なことだと思うし、彼らの手法が現代の映画でまだメインストリームの手法として生きているということは、結局ヌーヴェルヴァーグの核心は現代まで生きていると言えるのではないだろうか。私たちは今でも「フランス映画は難解で、観る人間の心を冷たく突き放す」と一般論を述べる。現代のフランス映画はヌーヴェルヴァーグ的でないトーンが多いが、それでもやはり多くのフランス映画はヌーヴェルヴァーグの精神を基調にしている。ヌーヴェルヴァーグは戦後のフランス映画の基調を決めてしまうほどの影響力があったといえよう。

この『僕の村は戦場だった』という映画は、アンドレイ・タルコフスキーが多分意図していなかったであろう面白い問題点を結果として提起しているように思われる。

イワンは戦争孤児で、家族を殺されたことをきっかけにイノセントな少年から虚無的な少年に変わってしまう。彼が信じるものは『憎しみ』の感情だけである。もう何が起こってもこわくない。ドイツ兵は憎いが、ドイツ人だろうがロシア人だろうが、大人はもう誰も信用できない。この戦争を起こしたのは大人なのだから。

イワンは戦争で殺されたが、もし彼が生き残っていたらどんな若者になっていただろうか?もしかしたら、自分の上の世代の人間を憎む人間になっていたかもしれない。戦争の残酷な影響を受けたドイツやフランスでは50年代から60年代にかけて反体制運動が激しく巻き起こっていた。それらの中心になっていたのは、戦争時に子供だった世代であり、その世代が戦後生まれの新しい世代にエスタブリッシュメントを憎む気持ちを伝えたのだ。その未来を予感させるような、イワンを演じる少年のイノセントで幸せな笑顔から、暗い憎しみの表情への変化が非常に印象的な映画だった。

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[映画] ブリキの太鼓 The Tin Drum(1979年)

『ブリキの太鼓』は、ドイツの作家ギュンター・グラスが1959年に発表した長篇小説を基にして、フォルカー・シュレンドルフ監督により1979年に映画化されたものである。映画は原作の後半を省いているが、前半はかなり原作を忠実に再現しているという。ギュンター・グラスはこの本を含めて作家としての業績で1999年にノーベル賞文学賞を受賞しているし、この映画自体はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞、そしてアカデミー外国語映画賞を受賞している。私は原作を読んでいないので、この映画のみについて書いてみたい。

この映画はガラス板を爪で引っ掻く音を聞かされるような不愉快な映画である。映画の主人公は何らかの理由で体の成長が止まって幼年のままであるが、頭脳や感情は立派な大人である。「この映画は戦争に反対するために成長を止めた主人公の戦争反対の思いである」などというキャッチフレーズはとんでもない。一言で言えば、体が小さいから安心させて好き勝手をして、結構いい目をみて、自分が責任をとらなくてはならない時は子供だからと、のうのうと責任逃れをしている主人公の物語である。主人公はその特異性ゆえに、大人の自分に対する甘さ、自分を利用する大人の狡さを敏感に感じ取ってしまうのだろう。また、主人公は作者ギュンター・グラスの一部を投影しているような気がする。

ギュンター・グラスは小人ではないが、この映画・小説の主人公のオスカルのように、ポーランドとドイツの拮抗の狭間にあった自由都市ダンツィヒで、やはりオスカルのように、ドイツ人でナチス党員の父と少数民族として差別されていたカシューブ人の母の間で生まれていた。オスカルは、仲間の小人たちと小人サーカスに参加してナチスの高官たちを慰問し、結構いい思いをするのだが、実際にギュンター・グラスも若いころはナチスの活動を一生懸命やっていた。それは彼自身もあまり公表したくない過去だったのかもしれないが、彼がそれを告白した時は、ノーベル賞作家で平和支持者のように行動していたギュンター・グラスを理想化していた世界の読者はかなりショックを受けたそうだ。

成功した作家だから即完璧な人間であるわけはないから、それを期待するのは読者の身勝手なのではないだろうか。また真面目に人生を考えて醜い世界を変えようと思い共産主義に染まる若者が嘗て多かったから、理想主義でこの世の中をもっといいものにしようという情熱でナチスに走った純粋な人間もたくさんいただろう。単に過去の真摯な決心を今日的な観点から判断はできないのではないか。この映画は小説の途中で突然終わっているので、聴衆は「不愉快な思いで引きずり回されて、これで終わりなのか?」と思わされてしまう。しかし、原作はその後も続き、相変わらず現実を逃避している主人公がそれなりの成長を遂げ、過去を振り返るところで終わっているそうだ。現実逃避の真っ最中に終わる映画に比べて、その自分勝手な未熟さをもう一つ別の観点で振り返る原作は映画にない深さがあるのではないかと推測する。

この映画が作られた1970年代というのは世界的に迷いの時代であった。冷戦が深刻化しつつも、もはや社会主義が世界を変える唯一の救いだというのが幻想であると大多数の人間が気づき始めたときである。自由主義と社会主義の対立の他に、キリスト教国家とイスラム原理主義国家という新しい対立も芽生えてきた。米英ソがレーガン大統領、サッチャー首相、ゴルバチョフ書記長という現実的な指導者を選び、現実的な解決を探し始めた1980年とは全く違う、「途方に暮れた時代」なのである。甘いハッピーエンドを必ず選んでいたハリウッドでさえ、解決策も救いもなく、絶望的に聴衆を突き放す映画を作り始め、聴衆もそういうタイプの映画が深くて真実だと思い込んでいた時代に、この映画は作られている。40年経った今この映画を見る聴衆はどう思うだろうか。現在の聴衆はもっと心を癒す映画、徹底的に娯楽的な映画、或いは情報があり生き方に肯定的な影響を与えてくれる映画を望んでいるのではないか。この映画がリリースされた時の熱狂的な反応を理解するのはもう難しくなっているのではないかと思われる。

ダンツィヒは、バルト海に接する港湾都市で、ドイツの北東部端を分断しているポーランド回廊にある。この回廊は古来ドイツとポーランドの間で利権を巡り争われた地域であるが、第一次世界大戦でのドイツ敗戦を踏まえて、ドイツから分離されて国際連盟の管轄下に移された。ダンツィヒはベルサイユ条約でポーランド関税領域に組み込まれ、実質的には地続きではないがポーランドと強い関係が結ばれるようになった。ポーランドへ接続されている自由都市の鉄道線はポーランドにより管理されていたし、ポーランドの軍港もあったし、2つの郵便局が存在し,1つは都市の郵便局で、もう1つはポーランドの郵便局であった。この地域の住人は、ポーランド人とドイツ人が大半をしめ、カシューブ人やユダヤ人のような少数民族もいた。

最初はポーランド人の利益を守り、ポーランド国の勢力を伸ばすことが目的で建設されたダンツィヒであるが、次第にドイツ人やナチスの影響が強まり、1933年にナチスが選挙で勝利した後は反ユダヤ、反カトリック(ポーランド人やカシューブ人が対象)の法律が成立することになった。1939年、ダンツィヒのナチス党政府は、ダンツィヒのポーランド人の迫害を本格的に行うようになった。そして1939年9月1日、ダンツィヒにあるグダニスク湾に停泊していたドイツ戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタイン号が何の布告もなくダンツィヒのポーランド軍駐屯地に激しい艦砲射撃を開始して、第二次世界大戦が始まったのである。

ポーランド軍はポーランドの郵便局を要塞として抵抗した。ポーランドの郵便局はダンツィヒ市域ではなくポーランド領と見なされており、ポーランドへの直通電話の回線が引かれていた。従業員は大戦以前から武装し、また銃撃の訓練を受けていたといわれる。またここはポーランドの対独秘密情報組織が密かに活動していたという説もある。しかし彼らの必死の防戦もドイツ軍の攻撃には歯が立たず、結局郵便局のポーランド民軍は降伏した。

第二次世界大戦は、ダンツィヒでは非ユダヤ系ポーランド人住民の大半がドイツ民兵である自衛団等により虐殺され、ユダヤ系住民はホロコーストの対象となり強制収容所へと送られた。1945年3月、ダンツィヒはソ連赤軍により解放された。映画でオスカルの母がカシューブ人でドイツ人の夫とポーランド人の愛人の間を行ったり来たりするのは、そのダンツィヒの人種闘争を象徴しているのだろう。オスカルの実際の父はポーランド人の男である可能性が強いが、戸籍上では彼はドイツ人の子供なので、戦後オスカルは命からがらドイツに逃げ出すが、彼の祖母はダンツィヒに残り、オスカルと生き別れになる。祖母はカシューブ人なので、ドイツに受け入れてもらえなかったからである。

現代のダンツィヒはポーランド領でありグダニスクと呼ばれている。第二次世界大戦で殆ど廃墟になったが、現在は市民の努力にようり歴史的町並みが再現され、美しい街であり観光でも栄えているという。

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[映画] 暗い日曜日 Gloomy Sunday – Ein Lied von Liebe und Tod (1999年)

舞台はナチスの影が忍び寄る1930年代後半のハンガリー・ブダペスト。ラズロは高級レストランを経営するユダヤ人。美貌のウェイトレスのイロナとは「大人の仲」である。彼らはレストランのピアニストとしてアンドラーシュを雇ったが、会った瞬間にアンドラーシュとイロナの間に恋の火花が飛び交う。しかしイロナはラズロと別れることもできない。またラズロとアンドラーシュの間にも友情が育つので、三人は奇妙な三角関係に陥る。またドイツ人の若者ハンスはイロナに横恋慕するのだが彼女に拒絶されて自殺をはかる。彼を救ったのはラズロであった。

アンドラーシュは彼女のために『暗い日曜日』という曲を作曲して、その歌をイロナへの誕生日プレゼントとして贈る。この曲はラズロの力添えでレコードとして発表され大ヒットするのだが、その曲を聴きながら自殺する人々が続出した。やがて、ハンスがナチスの幹部としてブダペストに戻ってきたことにより、イロナとラズロとアンドラーシュの運命は暗転する。

この映画は単に甘ったるい作り事ではなく、一部事実に基づいている。映画の中で流される『暗い日曜日』は、1930年代にハンガリー人の作曲家シェレッシュ・レジェーにより作曲され、それに歌詞をつけたのは、彼がピアニストとして働いていたレストランのオーナーのヤーヴォル・ラースローであった。またこの曲を聴いて自殺する人が続出するという都市伝説までできた。イギリスやアメリカの放送局では一時放送禁止曲に指定されたこともある。またシェレッシュ・レジェーもこの映画の中のアンドラーシュのように自殺している。

この曲を聴いて自殺するというのは、都市伝説に過ぎないと思うが、この曲は世界大恐慌、第一次世界大戦の敗北、そしてナチスの支配という暗い30年間を送ったハンガリー人の気持ちの暗さを反映しているのではないか。

ハンガリーは19世紀後半からオーストリアとオーストリア=ハンガリー二重帝国を形成し、経済的にも文化的にも世界のトップに躍り出たが、第一次世界大戦で破れ、オーストリアとも切断され、領土の半分を奪われ屈辱的な経済制裁を受けなければならなかった。1920年に結ばれたトリアノン条約により、ハンガリーは二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残されることになった。国家としてこれ以上の屈辱があるだろうか?一方古来より領土争いなどでライバルであったチェコや北方のポーランドが共和国として独立し、この世の春を謳っている時だった。その苦い気持ちから、ハンガリーはドイツを結んで枢軸国の一員となった。ドイツの支持を追い風に1939年のスロバキア・ハンガリー戦争で領土を回復したし、ポーランドやチェコが後に辿ったドイツの一部となる、つまり地図上から国が消えてしまうという運命からは免れることができたが、ハンガリーの国民の大半は次第に枢軸国から脱退することを願うようになっていた。しかし、その時はすでに手遅れで、どうにもならなかったのだが。

結局枢軸国は第二次世界大戦で負けるのだが、一時はトルコ、ブルガリア、ルーマニア、チェコ、ポーランドの東欧とオランダ、ベルギー、ノルウェイ、フランスの北部までを支配し、スペインと英国以外はすべて枢軸国の支配化になっていた時期があった。スペインは参戦こそしなかったがドイツの『親友』であったから、中立のソ連を含めて英国以外のヨーロッパが殆どヒットラーの支配下に墜ちた時期もあったのである。

この映画は、単なるソープ・オペラだと思っていた。ソープ・オペラとは『昼メロ』とでも訳すべきか。洗剤会社が主婦の購買層をターゲットにして、昼に流す甘ったるいロマンティックな連続メロドラマのスポンサーになったことから、安っぽいメロドラマのことをソープ・オペラと言う。しかし、この映画は知性を売り物にする(はずの)映画批評家の仲で異常に評判がいい。何故なのだろうかと思って見てみてわかったのだが、この映画は宝塚の劇なのである。宝塚のショーの切符を買う時に、知的な批評や歴史的な事実の再現、或いは変な芸術至上主義を期待して買う人はいないだろう。2時間美しいものにうっとりして、楽しくすごせればそれでいいのだ。この映画はまさにそれである。

しかし、この映画はただ甘いだけでなく苦い汁もあり、結構食えない映画なのである。映画の中で一番憎むべき人物、自分が愛するイロナの体当たりの懇願も無視して、自分の命の恩人のラズロをユダヤ人収容所に平気で送ってしまうハンス。彼はユダヤ人を楽々助けれる状況にいたのである。事実数多くのユダヤ人を大金や大量の宝石などをもらって国外逃亡させている。その時に「何かあったら、私がたすけてあげたと証言してほしい」とダメ押しまでしているのである。いわば、『シンドラーのリスト』のシンドラーのような男である。スピルバーグの映画では英雄として描いていても、同じ人物を別の角度から見ると結構醜いですよ、という感じである。彼はナチスのSSであったにもかかわらず、ユダヤ人を助けた英雄だということで戦後も生き抜き、非常に成功した実業家として妻と共にブダペストに観光旅行で戻ってくる。

イロナは3人の男から愛されて、その3人を上手に操っている。まあ本人はそれが愛であるから、操るなどとはゆめゆめ思ってもいなかったのだろうが。アンドラーシュが自殺した後は彼の巨額のロイヤリティーは彼女のもとに譲られることになった。またラズロは自分の店を守るために、収容所に送られる前にイロナに店の権利を譲り、イロナはその伝説的なレストランを自分のものにするのである。またアンドラーシュは美男で天才的なピアニストではあるが、金に対する理解力もあって、金の交渉など現実的な面でも結構長けているのである。この映画ではそうした財政的な議論がちゃんと描かれている。ただ甘く切なく哀しいだけの映画ではないのである。

一番の極めつけはイロナの子供の育て方である。アンドラーシュとラズロが死んだあと、彼女が妊娠しているということが描かれる。アンドラーシュの子供であってほしいのだが、彼が死んだのはちょっと早すぎる感じである。イロナの子供は母を助けてずっとレストランの経営をしているので、聴衆は彼がラズロの子供だという印象を受ける。しかし一番の可能性があるのはこれがハンスの子供であるということだ。そうなるとイロナがその子供を育てたやり方がまことに見事である。最後に聴衆はハンスに裏切られて死んだラズロの恨みをやっとイロナが果たすのを目撃するのだが、もしイロナの子供の父親がハンスであるとしたら、これは結構恐ろしい復讐である。言葉は悪いが「たいしたタマだ」と言いたくなるのである。

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[映画] サラの鍵 Sarah’s key (2010年)

『サラの鍵』のテーマは二つある。一つはフランスでユダヤ人狩りが起こったという事実を知らせたいという使命感、そしてもう一つは過去の事実が現在でどういう意味を持っているのかという問いである。だから映画は1942年と現代を行き来し、最後にそれが繋がるようになっている。

サラはドイツ占領下で、ナチスに協力するヴィシー政権が統治するパリに住む10歳の女の子。ある日、仏警察がユダヤ人である彼女たちの家族を逮捕しにやってくるが、サラはとっさに気転をきかせて弟のミシェルをクローゼット(物置や押入れのような空間)に隠して鍵をかけ、「すぐに帰って来るから絶対に外にでないように」と言い聞かせて、自分は両親と共に連行される。強制連行させられたユダヤ人は猛暑の中、ヴェロドローム・ディヴェール(屋内自転車競技場)に押し込められトイレにも行かせてもらえない。そしてそこから仮収容所へ、そして最終的にはアウシュビッツに送られたのだ。サラは収容所から逃げ出し、弟をクローゼットから出すために鍵を持ってパリへ戻ろうとする。

ジュリアはフランス人と結婚してパリに住む有能なアメリカ人ジャーナリスト。1942年に起きたヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(略称としてヴェルディヴ事件と呼ばれることが多い)のことを記事にするようにという仕事をもらうが、その調査の過程で自分の夫の家族が所有しているアパートメントにユダヤ人が住んでいたということを発見する。そしてそのアパートメントに住んでいた両親はアウシュビッツで死んでいるが、その子供たちセラとミシェルはそこで死亡してはいないということを知り、その子供たちがどうなっているのかを調べようとする。しかし、そうすることにより夫の家族たちを苦しめることになってしまう。夫の祖父は空き屋になったサラのアパートメントをタダのような値段で手に入れ、誰も生還しなかったのでその家族は何も知らずにそのアパートメントで平和に暮らしてきたのだ。

フランス人がユダヤ人を強制連行してアウシュビッツに送ったという事実は、長い間公にされていなかった。しかし1995年に大統領に当選したシラクが大統領就任直後に、第二次世界大戦中フランス警察が行ったユダヤ人迫害事件であるヴェルディヴ事件に対して、初めてフランス国家の犯した誤りと認めたのである。しかしシラク大統領が公に認めるまでこの事件を知らなかった国民が大半だったという。

ヴィシー政権下は1940年7月に1927年からのフランスへの帰化人の手続きを見直すため委員会を結成して過去の帰化人の調査を行い、この結果、ユダヤ人を含む15,000人のフランス国籍を無効とすることを提言し、引き続きフランス内のユダヤ人の社会的階級を低下させ、市民権を剥奪することを可能にする法律を可決した。この結果ヴィシー政権はユダヤ系のフランス市民の安全には責任がなくなり、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に合法的に送ることが可能になった。同じ種類の法律は、その後アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった当時のフランス植民地にも適用された。

これが、「悪いのはすべてナチスなんだから、占領されたフランス人には責任がない!!」といえないのは、これらの法律がナチス・ドイツから強制されることなくヴィシー政権が自発的に採択したという証拠があるからだろう。

僅か70年前に国が真っ二つに別れて対立したという事実は、フランス人にとってはもう触れられたくない暗い過去なのではないだろうか。だからナチスに協力してフランスの北半分を統治したヴィシー政権は、本当のフランスではないと思いたいし、その政権がナチスに協力して行ったユダヤ人狩りに対しては「ヴィシー政権のやったことに責任は取れない」と言いたくなるのではないか。ヴィシー政権に対抗して、イギリスに亡命して対独徹底抗戦を貫いたド・ゴール(1959年から大統領1969年まで大統領)にとっては、自分の敵であるヴィシー政権がやったことに対するお詫びなどはできないのである。

ドゴールの後を継いだポンピドゥー大統領(1969年から1974年まで大統領)もミッテラン大統領(1981年から1995年まで大統領)もレジスタンスの闘士であり、やはり自分が過去に対する贖罪をする立場にはないと思っていたようだ。結局フランスの責任を始めて認め、「守るべき国民を敵に引き渡した」と謝罪したのは保守派のシラク大統領(1995年から2007年まで大統領)であった。

同じく保守派でまたユダヤ系であるサルコジ大統領(2007年から2012年まで大統領)は、反ユダヤ主義は糾弾したが、この事件をフランス政府の犯罪として認めるのには否定的であった。しかしサルコジを破って大統領に当選した左派オランド大統領は、左翼大統領として初めてヴェルディヴ事件を国家の罪と認めたのである。

この映画は、弾圧を乗り越えたユダヤ人がその後どう生きていったか、という問いを描いている。たとえ連合軍が勝利して戦争が終わったという所で映画が終わったとしても、釈放されたユダヤ人の人生はそこでは終わらないのである。サラがその後どうなったかを辿るのは悲しい旅である。弟を救うということだけを心の支えにして生き延びてきたサラの心は突然折れてしまう。サラの周囲には心優しい暖かい人々がたくさんいる。しかし、その愛もサラを救えなかったのである。そういう意味では救いのない悲しい映画なのだが、この映画を見終わって聴衆に救いがあるのは、ジュリアの探求の旅が、一見ジュリアの夫の家族やサラの家族に思い出したくない過去をほじくり返される苦痛を伴うのだが、やはり知ってよかったと家族がその苦い汁を飲み干すところが描かれていることだろう。またジュリアの旅は単なる他人の真実の探索ではなく、自分の人生の探索という結果になったということかもしれない。

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[映画] ノルウェイの森 (2010年)

村上春樹の『ノルウェイの森』の映画化に対して、4つの考え方があるのではないか。

1)村上春樹はよく知らないし興味がないので、映画も見に行かない。
2)村上春樹の『ノルウェイの森』には余りにも思い込みがあるので、映画化は見ない。
3)村上春樹の小説は読んだことがないが、この映画を見て村上の小説を読んだことにする。
4)村上春樹の『ノルウェイの森』には余りにも思い込みがあるので見たくないが、見ないと何かが終わらないような気がするので(ため息)見てみる。

結局3)と4)の人が映画館に行くのだろうが、3)の人は「何だ、村上って有名なだけで大したことないじゃなか」と思い、4)の人は「やっぱり、だめだったか」とうな垂れるのではないか?私の正直な感想は、国際映画界での自分の位置に野心満々なトラン・アン・ユン監督が、村上という名を使って世界の聴衆に自分の存在を確認させようとした映画である。だから直子を演じるのは日本人女優で一番名の知れている菊地凛子でなければならないし、彼女が最後までたくさんスクリーンに出てこなければならないのだろう。

村上の熱烈な読者は、映画を見る前から一人一人の登場人物のイメージを既に自分の心の中に作り上げているだろうから、キャスティングが難しいというのはわかる。しかし、この映画が聴衆をがっかりさせてしまう一つの原因は、菊地凛子が直子を演じていることだろう。菊地凛子という女優がだめなのではない。私の論点をはっきりさせるために敢えて言わせてもらえば、大女優だから演じられるだろうという理由で杉村春子や樹木希林に直子を演じさせるようなものである。菊地凛子は若いが、30代の菊池に10代の直子を演じさせるのは無理である。たかが10年というが、その10年の差が『ノルウェーの森』では致命的なのである。また菊地凛子はGo-Getter  (ほしいものはみんな手に入れてみせる!!!)のたくましい人である。汚れのない柔らかな雪が目の前でひそかに溶けていってしまい、水も残してくれないような直子とは全く資質が違うのである。

第二にレイコの描き方が無茶苦茶である。原作には主人公の女性はいない。(直子は主人公ではない)しかし、原作ではレイコは、主人公のワタナベに深い影響を与える非常に重要な人物であり、読者は小説の女性たちの中ではレイコに一番親近感を持つのではないか。彼女の人生は或る意味では悲劇ではあるが、彼女は直子を最後まで見捨てず、暖かい気持ちで直子とワタナベを繋ぎとめてくれた人間なのだが、映画では「何でこの人が出てくるのだろう」としか思えない描かれ方なのである。小説でレイコがワタナベに書く手紙は美しい。この小説はそれをすべて無視し、レイコを「わけのわからない変なおばさん」としてしか描いていない。

norwegianwood_jp私なりの小説『ノルウェイの森』の世界を一言で言えば、広々とした野原の中の大きな長方形である。右上の角に直子がいる。左下の角に緑がいる。直子の位置の延長には長い道がつづいていて、ワタナベはそこをレイコとゆっくり歩いて行く。その道に平行して小川が流れ、レイコと歩く道の対岸にはハツミが立っていて、ワタナベは遠目からハツミを横目で見て歩いているのである。そして長い散歩の果てに緑が対岸で待っている。レイコはそこで優しくワタナベの背中を押し、ワタナベが川を渡る勇気を与えてくれるのである。川の流れは激しいが、そこをふわふわとしかし波に押し流されもせずに永沢が水鳥のように軽々と浮いている。そしてワタナベが永沢の方に挨拶をしに近づこうとしたら、永沢は「お前、早く川渡れよ。じゃあ元気でな」と行ってふわふわと川を下っていくのである。

この映画はある意味で「通過」の物語である。それを人によっては「喪失」というかもしれないし、「大人になる」とでもいうかもしれない。英語で一番ぴったりの表現があるがそれはmaturityである。永沢にはそれがある。チェコ映画の『存在の耐えられない軽さ』の中に出てくる外科医のように、愛情と性交は全く別のものだと理解し、現実的なものの見方ができ、「え~、人生はこうであってくれなきゃイヤ」とごねる人間を横目で見てフンと笑い、自分を哀れまず、言い訳をしないで、批判精神はあっても人を非難しない男である。映画では彼の本質が全く描かれず、単なる傲慢な男としてしか描かれていなかったが。

緑は心のマチュリティーが自然に体内にある子である。彼女の人生は決して楽なものではなかったが、彼女には自己への哀れみはなく、むしら人生をたくましく生きて行く太い精神の二本足を持っている。彼女は決してそれを見せびらかさないが、ワタナベはそれを感じ取ってしまう。ワタナベはその意外さに足元をすくわれ、緑を本当に好きになってしまうのだ。その意外さも全く映画では描かれていない。正直言って、映画では直子は「私、濡れていたでしょ!」を繰り返すし、レイコはいきなりワタナベに「私と寝て!」という色情狂のようだし、緑は「う~んといやらしい映画に連れてってね」とねだる。大切な女性が皆、性欲過多のように描かれていて本当に残念だった。小説の中では性というものはもちろん重要な意味を持っているが、それはその背後にある更に重要なものの一環である。この映画はそれすら描いていない。

レイコは、ハツミや直子のように「こだわる」心を持っていたのだが、そのこだわる心を捨てようと決心した女性である。映画でレイコ役の女優がビートルズのノルウェーの森を歌っていたのだが、あまりのひどさにびっくりした。上手下手という以前に心のない歌い方だったからだ。

原作の『ノルウェイの森』はワタナベが川を横切る映画である。しかしそれは簡単な旅ではなかった。川を渡るということは、こちらの岸にある美しいものを捨てるように思われ、それを捨てることは自分自身を捨てると感じてしまうからだ。また川を渡ることは『責任感』の放棄なのでもある。ワタナベにとって『責任感』とは大人の社会で言われる「やらなきゃいけないことをやり、約束を守る」という単純なものではなく、自分を自分たらしめているものであり、それを捨てることは自分の一番大切なことを捨てるとまで思ってしまうものである。しかし結局ワタナベは川を渡ったのだろう。小説を読むと冒頭にそのことが示唆されている。しかし映画はそれには全く触れていない。

一言でいえば、この映画は、原作のエッセンスを表現するために描かなくてはならないディテールは全てカットされ、不必要なシーンが追加されているということである。映像はなかなか美しいのだが、よい映画はそれだけであってはならないはずだ。

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[映画]  存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being (1988年)

『存在の耐えられない軽さ』は、1968年に起きたソ連軍のチェコ自由運動の弾圧(プラハの春事件)の後フランスに亡命した作家ミラン・クンデラによる同名の小説・・・チェコスロバキアのプラハの春を背後に、激動の中で異なった運命を辿る四人の男女の運命を描く・・・の映画化である。

トマシュはプラハに住む若くてハンサムで優秀な外科医である。女性を愛し、女性に愛され、複数の女性と気軽に交際する男であるが、トマシュが自分を理解してくれる女性として認めて交際しているのは画家のサビーナだけであった。ある日、執刀のために小さな温泉のある村に行ったトマシュは、そこでテレサという娘に出会う。テレサはトルストイを愛読する文学少女であるが、その心を理解してくれる友人はだれもその村にはいないと思っていた。自分を待つトマシュがたくさんあるベンチの中で自分がいつも座っているベンチに座り自分を待っていてくれたこと、そしてトマシュにプラハの文化を感じ取ってトマシュに夢中になり、彼を追ってプラハに来てしまいう。独身主義であるかに見えたトマシュもテレサに惹かれて二人は結婚してしまう。

テレサはサビーナの影響を受け、写真家になろうとするが、時を同じくして、チェコに育ちつつある自由への渇望を弾圧するためにソ連軍が侵攻して、多くの人間が殺害される。サビーナ、トマシュとテレサはジュネーブに亡命する。テレサは、危険を冒して自分が撮影したソ連軍の弾圧の写真をスイスの雑誌社に見せるが、スイスでは人々はもうプラハの春事件には飽きており、もっと面白い写真を持って来いと言われてしまう。サビーナは真面目で良心的な大学教授ハンスと出会う。テレサは自分はサビーナやトマシュのように他国で強く生きていける人間でないと思い、チェコに戻ってしまう。そこでトマシュはサビーナのいる自由の国スイスに留まるか、抑圧があるがテレサが住む自分の故国チェコに帰るかの決断に迫られることになる。トマシュはチェコに戻ることを選ぶが、再入国の際にパスポートを取り上げられてしまい、それは再び自由圏に戻ることの許されない片道行路であったのだ。

トマシュがスイスにいる間にソ連軍の弾圧が成功して、プラハは全く違う街になってしまっていた。トマシュは反共産党分子であるとして外科医の仕事を剥奪され、清掃夫として生計を立てるようになる。テレサはプラハの変貌を嘆いて落ち込んでしまい、自殺まで考えてしまう。ふたりは田舎へ移住し、そこでの暮らしに馴染み、つつましいながら本当の幸福を探し当てるのだが、その瞬間に悲劇が起こる。

この映画の魅力は、トマシュとテレサそしてサビーナとハンスの人間性と関係が非常に精巧に美しく、説得力に満ちて描かれていることだろう。

トマシュとサビーナが会う時は必ず鏡が使われる。これはトマシュとテレサそしてサビーナとハンスの関係をうまく象徴している。四人の関係を私なりの絵で描けば、トマシュとテレサがベッドで寝ていて、その隣に大きな鏡がある。トマシュがその鏡を覗くとそこにはトマシュではなくサビーナが映っている。そしてサビーナの隣にはハンスが横たわっている。トマシュが鏡に近づくとサビーナも近づく。トマシュが鏡から遠ざかるとサビーナも遠ざかる。しかしトマシュは鏡を打ち破ってサビーナの元に行く必要はない。トマシュとサビーナは、魂で結びついた男と女のシャム双生児なのである。彼らは離れていようが、お互い他の人と一緒にいようが、心では永遠に結びついているのである。

しかし、トマシュが本当に愛しているのはテレサだけである。テレサはすべてを明るく照らす太陽のようで、彼女がいる限りは世界も他の女性も美しく見えるのであるが、彼女がいなくなると、世界が暗黒になり、他の女性はトマシュの視界には全く入って来なくなってしまう。トマシュは限りなく軽いが、ぶれない男である。プラハの春の前、浮き浮きと政治を語っていた友人に彼は「自分は全く政治には関心がない」と述べる男であった。しかしソ連の弾圧の中で、急に保身を図り、密告をし、自分が何を感じ叫んでいたかを隠す人々の中で自分を全く変えようとしないトマシュは反体制派として弾圧されてしまうのである。しかし、自分が愛していた仕事を奪われた後でも彼は相変わらずふわふわと軽く、しかしぶれずに生きていくのである。

テレサは都会で軽く生きている(ように見える)トマシュやサビーナに影響されて、自分もそうなろうと努力し、いろいろと実験してみるが、それで幸せにはなれず、結局自分は大地に根付いて生きて行く人間だとわかる。しかし、彼女は何気ない瞬間に、自分で意識せず非常に性的な魅力を体現する女性で、トマシュはそこに心底惹かれていく。

サビーナはトマシュに瓜二つの心を持っているのだが、トマシュが手術の刀を持っているのに対し、絵筆で世を渡っていく女性である。女なので、男よりももっと流浪に対して、肝がすわっている。自分がこの広い地球のどこで死んでしまうのかわからないが、野垂れ死にする直前まで絵筆を持って全力で生きまくってやる、という態度である。良心的で道徳的なハンスは、自分と全く違うサビーナにどうしようもなく惹き付けられてしまう。

私はたまたまこの『存在の耐えられない軽さ』と村上春樹の小節を基にした『ノルウェイの森』を同じ時期に見たのだが、この二つの映画が全く同じ時期(1960年後半)を背景に、非常に似たテーマを描いているのに、その描写と解決が根本的に違うのが面白いと思った。

『ノルウェイの森』では平和で、戦争に駆り出される怖れもなく、自由と身の安全と暮らして行けるお金を保証されている日本の社会で、何故か閉塞感を感じている若者たちが、社会主義こそが世を救う希望の光だと信じて学生運動に熱中している。もちろん村上春樹の投影である主人公はそんな同世代の若者の動きには共感できないのだが、彼の周りではやたらと友人たちが自殺して行く。その自殺する若者たちは、親の愛情もあるし、恵まれた環境に育っているのだが、まるでストッキングの穴がじわじわと広がって行くのを毎日ジクジクと見ているように、何かに拘って重く生きて行く。そして自殺してしまうのだ。主人公もそれに影響されてしまうが、放浪しまくって、泣きまくって、鼻水を出しまくって、大げさな人生の探求の果てに「僕は生きるんだ」と決意する。

『存在の耐えられない軽さ』では、言論の自由を奪われ経済的にも不公平な社会で生きる若者にとって、社会主義は悪であり、若者はチェコが自由主義の国になることを渇望している。トマシュはジクジクと拘る人間ではない。だから軽いのだが、彼は体制や他人を批判はしても非難することはない。そして、まるで白鳥が波立つ湖の上で、波浪にも影響されず静かに浮いているように生きていく。そして静かに自分の幸せを見つけるのである。ジュネーブでサビーナと二人きりで会った時、サビーナは更に西側に移住することを、トマシュはチェコに戻ることを決めているが、二人はそれは口に出さない。突然サビーナが「これが私たちが会える最後の時間になるかもしれない」と呟くと、トマシュは表情を1ミリ変えただけで「そうかもしれない」と頷く。それが永遠の別れである。しかし『存在の耐えられない軽さ』では誰も自殺しない。それぞれが全力を尽くして難しい時代を生きていくのである。

どちらの映画でもビートルズの曲が非常に重要な役割を帯びて流される。しかしビートルズの曲が若者に示すものが、二つの映画では全く違う。『存在の耐えられない軽さ』ではビートルズの曲は自由への憧れと渇望を象徴するものであるが、『ノルウェーの森』では正体のわからないメランコリーの象徴なのである。

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[映画]  厳重に監視された列車 Closely Watched Trains Ostře sledované vlaky (1966年)

この映画は、チェコ映画『英国王給仕人に乾杯』の原作者ボフミル・フラバルが書いた小説を、『英国王給仕人に乾杯』映画化時の監督イジー・メンツェルが映画化したもの。言い換えると、『英国王給仕人に乾杯』と『厳重に監視された列車』は同じ原作者と監督による映画である。『英国王給仕人に乾杯』のぬらりくらりした風刺とダークなブラックユーモアは共産党政権崩壊後の社会で初めて可能だったのかと思っていたが、『厳重に監視された列車』も負けず劣らずの厚顔無恥なまでの風刺悲喜劇である。これがチェコの共産政権の下で作られたことと、またイジー・メンツェルがこの映画を作った時は弱冠28歳であったということを考えると、イジー・メンツェル恐るべしとしか言いようがない。或いは、ボフミル・フラバルがすごいのかもしれない。

イジー・メンツェルは1930年代に堰を切ったように活躍したチェコ・ヌーヴェルヴァーグと言われる若手映画作家の一人である。『厳重に監視された列車』はアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。その受賞直後に起こった1968年のプラハの春におけるソ連軍の弾圧で多数の映画人は海外へ亡命したが、メンツェルはチェコに留まった。その後彼は1986年に『スイート・スイート・ビレッジ』で再びアカデミー外国語映画賞ノミネートされるのだが、1989年の共産政権が崩壊するまで彼にはキャリアの長いブランクがあった。

第二次大戦中のナチス・ドイツ占領下のチェコの小さな町の小さな駅で働く人々。駅長は鳩を飼うのに夢中。信号士フビチカはなぜか女にもてもてで駅長をうらやましがらせているが、それ以外の取り柄は全くない。老人の駅員はもうすっかり役立たずになっている。主人公のミロシュの祖父は催眠術師で、ドイツ軍のプラハ侵攻を催眠術で防ごうとして、ドイツ軍の戦車に潰されて死んだ。ミロシュの父は鉄道員だが早々と引退してしまったので、その代わりにミロシュが見習いとしてその駅で働き始める。ミロシュは可憐で若い車掌に密かに憧れているが、彼女の前で性的に男になることができず、それを苦にして自殺未遂までやらかしてしまう。

というわけで、他人から見たら、全く不完璧な男である男たちが駅でのらりくらりと働いているという話なのだが、実はこの時期はドイツ軍に敗北の陰が忍びよっており、またその駅を死者や武器を満載した列車が毎日通り抜けていくのだが、それはちょっと眼には全くわからないようになっている。そして何と!!!誰からみても無能だと思われているフビチカとミロシュと老駅員が重装備のドイツ軍の資財を運ぶ「厳戒輸送列車」を爆破するという英雄的なことをしでかしてしまう。しかし映画は悲しい結末で終わるのだが。

『厳重に監視された列車』は『英国王給仕人に乾杯』のように、だらしない主人公の行動に引っ張りまわされて笑っているうちに、その外側にある重い現実が浮き彫りにされるという物語である。

この映画は非常に男性の感性の映画である。男が男になるために、どんなに迷い苦労し努力するか、ということである。ミロシュにとって、性の経験をすることと、レジスタンスの行動をするということが、自分の男としての価値の証明であるかのようだ。未知の世界は怖いのだが、それを通り抜けないと男になれないと思い、その通過儀式として男は童貞を捨て、戦争に行くのだろうか、という皮肉な気持ちにさせる映画である。その通過儀式は女にはわからない道のりである。しかし女から見ると、「Relax(落ち着いて)!女はそれで男を判断したりしないわ!」と言いたくなるのではないか?女は、気弱で、戦争に行くことを拒否するが、レジスタントのパルチザンとしてとんでもないことをやってしまうミロシュに、案外心惹かれてしまうのではないか?

この映画は、無邪気さと陰謀、面白さと悲しみ、脳天気な平静さと戦争の残酷さ、イノセンスと成熟という相対立したコンセプトが常にバランスを持って話が進んでいくので、「どうなっているのか」「これからどうなるのか」「一体何が本当なのか」と聴衆を疑わせながら最後まで引っ張っていく。恐るべしである。

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[映画]  昔々、アナトリアで Once upon a time in Anatolia Bir Zamanlar Anadolu’da (2011年) 日本未公開

トルコの世界的監督ヌリ・ビルゲ・ジェイランの最新作である。この映画の粗筋を一言で言えば、トルコの首都アンカラ地域で起きた殺人事件の証拠の死体を捜しに行く警察官、検察官、検死外科医、殺人容疑者、部下の警官と発掘作業員たちクルーが、死体放棄場所であるアナトリアで過ごした一夜とその翌日の検死を描く。

ヌリ・ビルゲ・ジェイランの特徴がこの映画でも顕著で、特にドラマティックな展開はないが、相変わらず美しいシネマトグラフィーであり、それに惹きつけられる彼のファンの期待を裏切ることはないだろう。しかし、この映画は彼の従来の作品に比べると登場人物が多いし、一人一人のキャラクターを描写するために会話が多くなっている。またドラマティックではないにしても、従来の映画に比べたらストーリー性が強くなっていて、謎解きの要素もあるので結構長い映画なのに最後までぐっと見続けることができる。映画のテンポは観るものが一人一人の登場人物の心を消化できるように、ゆったりと進むが、それぞれの登場人物の心が複雑なので、これくらいの時間を貰えるのは却ってありがたい。また要所要所に非常に興味深いメタフォーが散りばめられている。木から落ちた林檎がころころと丘を転がり落ち、小川に落ちた後もずっと流れて行くシーンがカットなしのロングショットで映される。よくこんなシーンがとれたものだと感心してしまった。

この映画の特徴を一言で描写すれば、雨がぽつぽつ降っている水溜りに、雨粒で波紋が静かに幾つか生まれて、それが他の波紋と共鳴したり消しあったりして、いつまでも続いている、とでも言おうか。一つ一つの波紋は登場人物の心である。そして、映画を観終わったあと、聴衆の心に小さな石つぶてが静かに投げ込まれ、それがいつまでもさざなみ立っているのである。

単純な「行った、捜した、見つかった」というだけの筋なのだが、この映画の中に含まれるセンチメントは多層である。しかし私が一番強く感じたのは、「身近な女を幸福にできない男」のメランコリーであり、ニヒリズムである。

若くて結構ハンサムな外科医は離婚しており、子供もいないが、警察官はそれは却っていいことだという。こんな希望のない世界で子供を作るなんて罪だと。その警察官の子供は精神的に問題があり、それが夫婦間のいざこざになっており、彼は妻との関係に疲れきっている。検察官は全く自分の人生には問題がないという顔をして、自分が扱った面白い事件の話をしている。非常に美しい女性が子供を産んだあと、自分は死ぬと予告し、結局自分が予告したのと全く同じ日に変死したのだ。しかしその外科医はその死は自殺なのではないかと問いかける。外科医は自殺する人間の動機は他人に対する復讐なのだ、と静かに語る。その中で、観る者は、生後3ヶ月の赤ん坊を置いて自殺したのは、検察官の妻であるということを推測できるのだ。友人を殺したということで逮捕された男は、被害者と仲良く酒を飲んでいるうちについ「お前の子供は実は俺の子供だ」と口をすべらし、それがもとでの喧嘩で友人を殺してしまう。残された女は子供の実の父と育ての父を失ってしまうのだ。

この映画には女性は殆ど出てこない。唯一のキーパーソンは、警察の死体発見のクルーが夕食を取った貧しい村の村長の家で、蝋燭の光でお茶を提供した美しい娘だけである。全員が彼女のあまりの美しさに感嘆し、それぞれの人生の中で自分が不幸にしてしまった女性を思い起こすのであるが、誰も彼女に話しかける者はいない。娘が持つ蝋燭には蝿が光をもとめてぶんぶんと飛んでいる。しかし、男たちは「美しい女は不幸になるものだ」といって彼女から距離を置こうとする。

この映画は非常にクレバーな映画である。殺人事件がどこで起こったのか、聴衆は案外見過ごしてしまうのではないか。また良心的で知的で映画では肯定的に描かれている外科医が最後に下した決断は意外なものである。最後に窓から外を見やるその意思は一体何を見て、何を感じているのか。その行為に「男が遠い女に奉げる優しさ」があるのか?しかし、彼は自分に近い女に対してその優しさを奉げることができるのか。

というわけで、何ということのないストーリの中に謎かけと謎解きが混じっている、一筋縄でいかない映画なのである。この監督の映画を観るたびに、彼の映画の底に流れる虚無感は彼の性格によるものなのか、あるいは複雑な問題を抱えるトルコ社会の鬱屈さに影響されているのか、と考えてしまうのである。

トルコは地理的にも文化的にも、東西の要、ヨーロッパ文化とアジア文化の中間点である。アナトリアは小アジアとも呼ばれ、イスタンブールがギリシャや西欧文化への窓口であるとすれば、東方文化に繋がる地方でもある。ムスリムが多く、宗教心の強い地域である。チグリス川・ユーフラテス川の源流が始まる地域であり、古来から独自の文化が発達した。現在でも少数民族とされているクルド人が多数住む地域である。第一次世界大戦で破れて民族分断絶滅の危機に陥った時、民族運動の中心地になったのがアナトリアである。だからトルコの首都はこの地に近いアンカラにある。アナトリア地方は現在でも、貧しく、亜寒帯の厳しい気候を持ち、宗教的であり、風光明媚で国際的で経済的に発展しているイスタンブールとは対照的である。監督はアナトリアに対しての特別な気持ちがあるのだろうが、それは私にはわからないことである。

アナトリアはカッパドキアなどの世界遺産である奇観で知られるが、監督はその岩がごつごつした風景は避けて、草原がゆるゆるとどこまでも続き、道がくねくねと曲がり延びて行くようなロケ地を捜したという。この映画はそんな、どこまでもうねっている草原のような映画である。

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[映画]  この素晴らしき世界 Divided We Fall(2000年)

United we stand, divided we fallと言うのは、団結すれば立てるが、分裂すれば倒れるという意味である。通常はUnited We Standという言葉が人々の団結を訴える時に使われることが多いが、この映画は助け合わなければ負けるというDivided We Fallの側面を強調している。題の邦訳は原題とは全く違う。この邦題を考えた人は、ベトナム戦争に反対して、平和な世界を願って作られた『この素晴らしき世界』という曲を念頭においていたのかも知れない。その歌は ルイ・アームストロングによって歌われ、1987年の映画『グッドモーニング, ベトナム』で、戦時中のベトナムの牧歌的田園風景を映す印象的なシーンにバックグランドミュージックとして流された。

この映画はチェコ映画であり、ナチスの支配時の庶民の苦しみの生活を描くが、その後のソ連の進駐に対する批判も間接的に描く。2003年に公開された『Želary』(日本未公開)と時代背景やテーマがよく似ている。どちらもアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたのだが、ナチスの弾圧の中で自分の命を守るために見知らぬ人と結婚してしまう(Želary)とか、自分の妻を他の男の手により妊娠させてしまう(この素晴らしき世界)というちょっととんでもないことをしてしまうというのも似ている。どちらの映画でも底に流れるのは「ドイツもひどかったけれど、その後やって来たソ連もひどかった」というものである。

第二次世界大戦で独ソの対立の犠牲になったという点では、チェコはポーランドと似た運命を辿ったが、彼らは最初はソ連を敵視していたわけではない。帝政ロシアは海路を求めて南下策をとっていたので、ロシアは帝国主義の先進国である英国から警戒されていた。またロシアはバルカン半島の覇権を巡ってオーストリア・ハンガリー帝国とも対立関係にあった。しかしチェコやポーランドにとってソ連は、自分たちを支配しているオーストリア・ハンガリー帝国の敵、つまり敵の敵は味方かもしれない、くらいの気持ちを持っていたのではないか。ロシア人もチェコ人もポーランド人もスラブ人という同じ民族なのである。

ヨーロッパにはたくさんの民族と国家があったが、結局第二次世界大戦までヨーロッパの流れを決めていたのは、英仏伊独の四カ国であった。この四国は共産主義革命で生まれたソ連を非常に警戒していた。英仏はドイツ人国家がバルカン半島を巡って長年ロシアと対決しており、また領内に多数のスラブ人を抱えてその反抗に悩んでいたこともあり、独ソが絶対相まみえることのない宿敵であると知っていたので、ヒトラー率いるドイツがソ連と対立しているのは自分たちにとっても悪くはない状況だと思っていた。しかしヒトラーも馬鹿ではない。1939年8月23日に独ソ不可侵条約が秘密裏に締結され、9月1日早朝、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、9月3日に英仏がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まったのである。

この映画では、ナチスの支配下の小さな町で、ナチスの協力者になる者、密かにパルチザンになる者、ユダヤ人を匿う者などを描き、小さい町で隣人同士が誰も信じられないような環境で息を潜めて生きた庶民の物語である。全体を通してユーモラスなトーンを保ち、暴力的なシーンはないのが救いはあるが、それでもかなりしんどい状況である。

子宝に恵まれないヨゼフとマリアは、ユダヤ人のダヴィデをひょんなことから匿うはめになる。ダヴィデの父はヨゼフの上司であった。強制収容所から逃亡して町に戻ってきたダヴィデを発見したヨゼフは、ユダヤ人をみつけたら報告しなければならないという法令を破って彼に食事を与え、彼の逃走計画を助けるがそれが失敗してしまう。ダヴィデの存在を報告しなかったというだけで死刑ものなので、ヨゼフとマリアは「毒を食らわば皿まで」と覚悟してダヴィデを匿う決心をする。彼らの友人のホルストはドイツ人の妻を持つナチスの協力者である。ヨゼフは自分が疑われないように、意に反してホルストの部下になり、ナチスの協力者であるふりをする。ホルストはマリアに横恋慕したり、ヨゼフとマリアが何かを隠していることを気づく厄介な存在であるが、ナチスが彼らの家を家宅捜査しようとすると、自分の立場を利用して彼らを守ってくれる。

ナチスが敗れてソ連軍がやって来た。ヨゼフは裏切り者だとしてパルチザンに処刑されかかるが、自分はユダヤ人を匿うためにそうせざるを得なかったと弁明する。パルチザンはそれを証明するためにダヴィデに会うが、実はダヴィデが町に逃げ戻って来た時最初に彼を発見したのはそのパルチザンであった。そのパルチザンは慌てふためいてナチスの軍に大声で「ユダヤ人がいる!!!」と叫んだのだったが、その声がナチス軍に届かなかったので、ダヴィデは逃げることができたのだった。再開した二人はそのことを表に出すことなく、だまってうなずくのみであった。ホルストは裏切り者として処刑されようとしていたが、ヨゼフは自分の身の危険を犯してまで今度は彼を救おうとする。

この映画でソ連軍の兵士が「一体誰を信じていいのかわからない」とぼやくシーンがある。ソ連軍がヨーロッパの隣国に侵攻するのはこれが初めてである。彼らも、どのように振舞っていいのかわからなかっただろう。蛮行に走った兵士たちもたくさんいただろう。また表面的には歓迎してくれても、まだナチスの協力者は町に残っている。それらの人間をどうやって捜していくべきなのか。『Želary』でも村に入ってきたソ連軍を最初に歓迎はしたものの、若い兵士が村の女性をレイプし始めたり、疑心暗鬼になったソ連軍が村人と交戦を始めたことが描かれている。英米軍がイタリアやフランスを順調に解放した西部戦線と違い、ソ連がナチス支配下を開放した東部戦線はかなり複雑だったのである。

この映画は自分たちをナチスから守るためユダヤ人のダヴィデに頼んでマリアを妊娠させてもらったヨゼフが、無事生まれた赤ちゃんを抱き上げるところで終わる。何か聖書の受胎告知を思わせるシーンである。考えてみれば、ドイツが第二次世界大戦で戦った国はすべてキリスト教の国であり、キリスト教を生んだイエスはユダヤ人なのである。戦争を始める前に聖書をもう一回読んでほしいというメッセージであろうか?

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