[映画] ニュールンベルグ裁判 Judgment at Nuremberg (1961年)

ニュールンベルグ裁判は史実である。しかしこの映画は、史実の中の歴史的なエッセンスを基に物語を作成し、冷戦下のアメリカの良心という観点から、第二次世界大戦後の世界を描こうとした試みであるといえるだろう。

第二次世界大戦終了後、戦勝国である米英仏露の軍部指導者は、ドイツの戦争犯罪人を裁くためにニュルンベルクに集まった。1945年に開始された前期の裁判は戦争を導いたドイツの最高クラスの指導者を一方的に断罪し、厳しい判決が下されたが、この映画の舞台となった1948年のニュルンベルク継続裁判になると、裁判を取り巻く世界情勢が微妙に変わっていた。米英仏にとっての脅威はもはやドイツではなく、ソ連であった。ソ連軍はドイツ東部を占拠し、さらにドイツ全土の占拠を視野に置いていると思われた。米英仏はソ連がドイツを支配下に置けば、全ヨーロッパがなし崩しに共産化すると判断し、今や米英仏の関心は、ドイツ人を裁くよりドイツをソ連から守り、共産化されることを防ぐことであった。

映画はアメリカの地方裁判所の判事ヘイウッド(スペンサー・トレイシー)が、ニュルンベルク継続裁判の一つのケースの主任判事に任命され、ニュールンベルグに赴く所から始まる。彼が任命された理由は、このケースはドイツの最高クラスの法律家を裁くものであり、特に国際的に高名で敗戦当時はナチの法務大臣であったエルンスト・ヤニング博士(バート・ランカスター)が被告の一人であったので、誰もその裁判の判事になりたがらず、無名で実直なヘイウッド判事にその任務が押し付けられたのであった。

ヘイウッド判事とニュルンベルクに滞在しているアメリカの軍人たちは、ドイツの伝統とその文化の奥深さに感動する。戦後の貧しさの中でも人々は美味しいビールを飲み、酒場では美しい合唱を楽しみ、ピアノやオペラの演奏に心を震わせる。人々の心は優しく、「ドイツ人は世界が信じるような獣ではない」と一人一人が証明しようとしているかのようだ。戦勝国として入って来た軍人たちは、「僕たちは、まるで美しい宮殿に土足で踏み入るボーイスカウトのようなものだな」と自嘲してしまうのである。戦争さえなければドイツはアメリカ人にとっての文化的憧れであっただろうに。そんなヘイウッド判事や、検事を勤めるローソン大佐(リチャード・ウィドマーク)に国家のトップから、裁判を早々に切り上げて、ドイツを味方につけるために厳しい判決をくださないようにという暗黙のプレッシャーがかかってくる。

ローソン大佐を迎え撃つ被告の弁護士ロルフ(この映画でアカデミー賞主演男優賞を受賞したマクシミリアン・シェル)は鋭い理論でローソン大佐の主張を次々に論破していく。ローソン大佐はユダヤ人の強制収容所を解放した自分の経験から、ユダヤ人の連行を文書の上で承認した法律学者を徹底的に裁こうとする。反対にロルフは「ドイツと独ソ不可侵条約を結んだソ連、虐殺や不法占領を行ったソ連の戦争責任はどうなのか。共産主義を抑えるためにヒットラーに同意した英国のチャーチルの戦争責任はどうなのか」と激昂する。それは、ニュールンベルグ裁判で戦勝国の横暴を黙って耐えなければならなかったドイツ人の無念を代弁していたのである。

裁判の最大の焦点はヤニング博士がニュルンベルク法の基で犯罪を犯したかどうかであった。ニュルンベルク法はナチが作った法律で、ユダヤ人とドイツ人の交流を犯罪として定義している。ヤニング博士は判事として、少女イレーネ・ホフマン(ジュディ・ガーランド)と交際したという罪状でユダヤ人の老人を死刑に、その罪状を否定するイレーネを偽証罪で懲役に課していたのだ。

ヘイウッド判事は人々の予測に反して被告全員に有罪判決を下し、終身刑に課した。彼は検察側は実際の犯罪が行われたことを『beyond a reasonable doubt』まで証明し、被告たちの名による執行命令の文書がない限りはこの犯罪が行われなかったから、被告たちは実際に手を下さなかったが法的な共謀者であるという理論であった。これに対し、裁判の副審を勤めた米国人の判事は弁護士ロルフの理論に同意し、被告はドイツの国家法であるニュルンベルク法に従ったまでであり、もしこの法律に従わなければ被告は国家に対する謀反の罪を犯すことになったとし、主審であるヘイウッド判事の判決に反論を加えた。

ここには英米で行われている普通法(Common Law)と独仏で行われている成文法の解釈の対立という図式もみられる。ヘイウッド判事は普通法の国米国で法律を学んでいるから、裁判官による判例を第一次的な法源とし、裁判において先に同種の事件に対する判例がある時はその判例に拘束されるとする判例法主義の立場から有罪判決に至った。しかしもちろん英米にも成文法があるから、裁く領域に成文法が存在する場合には成文法の規定が普通法よりも優先する。成文法は基準がは明確だし、ナポレオン法典のように長期間模範になる法律もあるが、ニュルンベルク法はどうであるだろうか?狂った指導者が狂った成文法を作ることは可能であることを、ニュルンベルク法は示唆しているのではないだろうか。たとえば、米国でも新しい法律を作ることは可能である。しかし、その法律は議員の多数の賛成を得なくてはならないし、もしそれが憲法に反対していたら司法から否決されるのである。

ヘイウッド判事の有罪判決はドイツ人もアメリカ人も失望させた。人々は被告はニュルンベルク法に従っただけであり、責められるのは法律そのものだと信じていた。また同時期の他の裁判は概ね被告が無罪となり、たとえ有罪であったとしても刑が非常に軽かったからだ。ロルフはヘイウッド判事に面と向かい「被告は全員5年以内に無罪放免されるだろう。アメリカ人はきっと近い将来ソ連軍に不法裁判で裁かれるような事態に置かれるかもしれないから、せいぜい心せよ」という言葉を投げかけて去って行く。ヤニング博士の要望で個人として彼と対面したヘイウッド判事は「あなたは有罪だ。なぜならば、イレーネ・ホフマンの裁判に臨む前にあなたは既に有罪判決を決めていたからだ」と述べる。ヘイウッド判事も、無罪判決を下したら、自分の判決が判例となり、将来文書で死刑を宣告した人間は自分の判例を根拠にして無罪になるという拡大解釈が起こるのを防ぎたかったのであろう。

マレーネ・ディートリッヒがニュールンベルグ裁判で処刑された将軍の未亡人として出演している。彼女の夫は戦後すぐの戦勝国の集団リンチのようなニュールンベルグ裁判で有罪となったが、もし裁判が1948年に行われていたら無罪になった可能性もあると映画では示唆されている。ヘイウッド判事と友情を育てた夫人は、夫妻ともにヒットラーを憎み、夫はドイツ国民を守るために戦ったのであり、国民の大部分はナチが何をやっていたのかは知らされていなかったと述べ、ドイツ国民の魂をヘイウッドに伝えようとする。

マレーネ・ディートリッヒの生涯がこの将軍夫人のキャラクターを生んだと言えよう。ドイツ出身の彼女は渡米後、ユダヤ人監督スタンバーグとのコンビでハリウッドのトップスターになった。アドルフ・ヒトラーはマレーネが気に入っておりドイツに戻るように要請したが、ナチスを嫌ったマレーネはそれを断って1939年にはアメリカの市民権を取得したため、ドイツではディートリッヒの映画は上映禁止となる。その後彼女は身の危険を冒してまで、アメリカ軍人の慰問に尽くした。

戦後アメリカを訪問した女優の原節子はマレーネ・ディートリッヒに紹介された時の感想を次のように述べている。映画ではとても美しく見えるのですが、実際に会ったディートリッヒはさばさばとあっさりした人で、顔も平板で映画での怪しい美しさが感じられませんでした。綺麗な人という印象は全くありませんでした・・・・

マレーネ・ディートリッヒの美しさは、そのたぐい稀なプロフェッショナリズムと人生への決意から来ているのではないだろうか。ディートリッヒがこの映画で若く美しい未亡人を演じた時、彼女は既に60歳であったのだ。原節子ももちろん戦争中は(他の日本人がそうであったように)大変苦労したであろうが、マレーネ・ディートリッヒがどれだけのものを乗り越えて来たのかを考えることはなかったであろうと思わされるような彼女の発言であった。

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[映画] マネーボール Moneyball (2011年)

マネーボールはマイケル・ルイスによるノンフィクション『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男』を基に映画化されたものである。映画会社からこの本の映画化権の購入を打診された時のマイケル・ルイスの率直な反応は「それは構わないけど、こんな統計学を書いた本を映画化して面白い映画ができるのかね~」というものだった。しかし、実際に完成した映画を見たあとで、彼は自分の著作が非常に面白くしかも自分が主張したいことをすべて正確に表現しているのに、ただ感嘆したという。

ブラッド・ピットはこの映画によりアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、それが賞を取るだろうと予想されていたレオナルド・ディカプリオを抑えてのノミネーションだったので、「何故?」という声がファンから上がった。FBIのJ.エドガー・フーバー長官の40年に渡る肖像を見事に演じきったレオナルドの演技力に比べて、『マネーボール』の中のブラッドはあのいつものチャーミングな『ブラビ顔』のままで、全く地のままである。いったい彼は演技をしているの?ちょっと不公平なんじゃない?レオがかわいそう!という感じである。しかし、この映画を面白くしているのは、間違いなくブラッド・ピットに負うことが多いし、この映画は現代のアメリカというものについていろいろ考えさせてくれる映画なのである。今日の生き方に関連しているという点では、『J.エドガー』よりも遥かに大きいと思う。

舞台は2001年、カリフォルニア州オークランドに本拠を置くアスレチックスは貧乏チームである。本人の意思で自由に動けるフリーエージェントでスター選手でもあるジョニー・デイモン、ジェイソン・ジアンビ、ジェイソン・イズリングハウゼンはさっさとアスレチックスを抜け出し、もっと高額の俸給をオファーしたチームに移ってしまった。ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンは乏しい予算の中で勝つ方法を模索していた。

ある日、トレード交渉のため、クリーブランド・インディアンズのオフィスを訪れたビーンは、イエール大学卒業のスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ブランドは各種統計から選手を客観的に評価するセイバーメトリクスを用いて、他のスカウトとは違う尺度で選手を評価していた。ビーン早速ピーター・ブランドを自分のチームにリクルートして、周囲の反対を押し切り、セイバーメトリクスを基に低予算で勝つという戦略を考案する。

ビーンの作戦を一言で言えば、当時普通であった、『スター性』のような主観的な基準に合致した選手に膨大な俸給をオファーしてリクルートするのではなく、出塁率、長打率、選球眼、慎重性など統計学的に得点に貢献する確率が高い要素を持っている選手を選抜し、その中で従来の主観的な評価では無視されていた選手を安価でリクルートすることである。若い選手を『将来性』という主観的な基準でリクルートするのではなく、選手生命の盛りを過ぎた選手でも何か貢献度の高い要素があればチャンスを与える。こうすることによってビーンが率いるオークランド・アスレチックスは毎年のようにプレーオフ進出を続け、2002年には年俸総額が1位のニューヨーク・ヤンキースの1/3程度だったにもかかわらず、全球団で最高の勝率を記録した。映画では2002年に突如アスレチックスが強くなったように描かれていたが、実はアスレチックスはワールドリーグでは勝てないが、プレイオフでは常に勝ち続けており、他球団はアスレチックスの強さはどこから来ているのか不思議がっていたという。アスレチックスの戦略は統計学に則っていたので、数回で勝負するワールドリーグと違い長期戦のプレイオフで勝っていたということは、ビーンの戦略の結果であることを示唆している。

この映画は単なる野球映画ではなく、いろいろな意味で現代のアメリカにとって重要なことを描いていると思うが、その中で私が強調したいことは次の三点である。

まず最初は、この映画は良くも悪くも、アメリカの会社のマネージメントの特質をよく描いているということである。野球業界のストラクチャーを説明すると、オーナー、ジェネラルマネージャー、そして監督である。金を出すのはオーナー、選手をリクルートしたり、チームの構想を作るのはジェネラルマネージャー、実戦の指揮を取るのは監督である。監督が一戦一戦の技術的な戦力に終始するのに対し、ジェネラルマネージャー、はもっと長期的な展望を構想し、さまざまな会見で積極的にメディアに登場する球団の顔でもあり、球団を統率するカリスマ性、経営感覚、契約更改やトレードにおける交渉力、選手の能力を見極める眼力など総合的な能力が求められる。ジェネラル・マネージャーは会社のCEOに相当する。トップダウンの経営方針のもと、ビーンは容赦なく解雇やトレードを行い、その権力たるや大したものである。しかし一方ではビーンは統計学という客観的な基準を設定し、選手にそれに沿った努力をするように求めた。だから高給を取っている選手を解雇する時でもその理由をはっきり説明できたし、主観的な『人気』という基準に外れて不遇な立場に置かれていた地味な選手に活躍する機会を与えてやる気を起こさせたのである。CEOが独裁的な権力を持ち、その手腕が会社の経営の良し悪しに直接影響するというのはいかにもアメリカ的である。

第二にこの映画はアメリカに蔓延している、富の配分の不公平に対する批判でもある。プロ野球でもそうだが、映画の世界でも俳優に対する報酬は非常に不公平である。1980年後半から、トム・クルーズやジュリア・ロバーツのような人気俳優が莫大な出演料を請求するようになり、他の俳優たちも彼らに右へ倣えをし始めた。今日でも、例えばクリスティン・スチュワートはまだ21歳だが、一本の映画で20億円相当の出演料を要求するという。これは他の50人から100人くらいの実力のある俳優の給料の総額に相当するだろう。つまり、ハリウッドはちょっと人気のある若い女優に一つ仕事を与える代わりに他の有能な100人の俳優の仕事を奪っているのである。この不均衡は最近ではハリウッドでも見直されつつあり、給料の割りに出演作の興行収入が高い俳優なども具体的に統計学的に割り出されているという。その『安上がりな実力俳優』の例として、マット・デーモンとかナオミ・ワッツとかが挙げられている。ブラッド・ピットでさえ、「看板俳優が法外な金額を吹っかける時代は終わった。」と明言している。彼も、ちょっと人気が出ると出演料を吹っかける風潮を抑えないと、映画界が衰退して行くと憂慮しているのだろう。

もう一つは個人の幸福とは何かという問題である。ビーンは、かつて超高校級選手としてニューヨーク・メッツから1巡目指名を受けたスター候補生だった。スカウトの言葉を信じ、高給に魅了され、名門スタンフォード大学の奨学生の権利を蹴ってまでプロの道を選んだビーンだったが結局成功せず、スカウトに転進し、第二の野球人生を歩み始めた男である。アスレチックスでの成功の後ボストンのレッド・ソックスから12.5億円相当という歴史上最高額の俸給でリクルートされるが、自分は金で人生の選択をしないと決めているので、そのオファーを断った。彼はカリフルニアに住む娘と離れたくなかったし、オークランド・アスレチックスを愛していたからである。オークランドは全米で最も洗練された街サン・フランシスコと学問の中心地バークレーに挟まれた街である。独自の文化をもち、全米でもっとも政治的にリベラルな街であるが、その大きな部分は貧しい黒人の居住地で、黒人のティーンネージャーが警察に射殺されるという事件も稀ながら起こる。オークランド・アスレチックスは地元の誇りであり、気軽な娯楽であり、若者の心を高め目標になる存在である。ビーンはそのチームを金のために見捨てることはできなかったのである。同時に自分のセイバーメトリクスは既に注目されて第二第三のビーンが出現しつつあった。自分の勝手知ったアスレチックスを去って、また新しい競争人生を始める理由はなかった。

映画の中でビーンの娘が父がクビになるのではないかと心配するシーンがでてくるが、その心配はない。その後もビーンの成功は続き、彼の契約は2019年まで更新されているからだ。ビリーはスポーツイラストレーター誌が選んだ2000年代のトップスポーツマネージャにも選ばれ、野球界でのトップマネージャーとしても認められたのである。

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[映画]  ミッシング Missing (1982年)

この映画は1973年、チリの軍事クーデター直後の混乱の中で失踪したアメリカ人ジャーナリスト チャールズ・ホーマンの行方を追う父と妻が、チャールズはクーデターの背後にあったCIAの係わりを知ったために処刑されたのではないかという結論に至るまでの数日間の首都サンチエゴでの捜索を描いている。

チャールズ・ホーマンは実在の人物で、1942年生まれなので、1946年生まれのクリントン大統領やブッシュ大統領(息子)とほぼ同世代である。この世代はアメリカの団塊の世代として、ベトナム反戦運動やヒッピー運動に深く影響を受けた世代である。映画では、チャールズ・ホーマンは好奇心は強いがちょっと軽はずみな児童文学作家として描かれているが、実際のチャールズ・ホーマンはハーバード大学を卒業後、しっかりとジャーナリズムの訓練を受けたライターであった。この映画はトム・ホーサーがチャールズ・ホーマンの死を調査して1978年に出版した本を基にしている。

米ソ対立による世界的冷戦の中、チリでは長い間、伝統的保守層や軍部の右翼と人民戦線系の左翼が対立を続け、社会不安が続いていた。軍部の中でもチリ陸軍司令官のレネ・シュナイダーは進歩派であり議会制度による民主主義を掲げていたが、1970年にそのシュナイダーは反シュナイダー派の軍部により暗殺された。彼の暗殺によって国民の軍部に対する怒りが爆発し、左翼と右翼の間で浮動票となっていた人々が左翼に投票することを選んだので、人民戦線系サルバドール・アジェンデが大統領に当選し、チリ史上初の自由選挙による社会党政権が成立した。

アメリカはこの社会党政権に大きな脅威を抱き、CIAもアジェンデ政権を打倒する姿勢を見せ、合衆国などの西側諸国は経済封鎖を発動、彼らはチリ国内の反共的である富裕層の反政府ストライキも援助した。またアジェンデ政権の急激な農地改革や国営化政策により、インフレが進行し、物資が困窮し、社会は混乱した。しかしアジェンデ政権はこれらの混乱は反対派の陰謀であると説き国民の団結を図ることに成功し、1973年の総選挙で、人民連合は更に得票率を伸ばした。

1973年9月11日に、アウグスト・ピノチェト将軍が陸海空軍と警察軍を率いて大統領官邸を襲撃した。アジェンデ大統領はクーデター軍と大統領警備隊の間で砲弾が飛び交う中、最後のラジオ演説を行なった後、自殺した。これがチリ・クーデターである。チリ・クーデターの結果、クーデターの首謀者であったピノチェト将軍が大統領に就任し、チリはピノチェト大統領による軍事独裁下に置かれることになった。その後16年の長きに亘る軍事政権下で、数千人から数万人の反体制派の市民が投獄・処刑された。

1973年 クーデターが起こった時、チャールズ・ホーマンはたまたま美しい保養地のビニャ・デル・マールに滞在していたが、そこでは実は密かにクーデターの計画がなされていた。ビニャ・デル・マールでチャールズ・ホーマンが誰とコンタクトをし、何を知ったのかは不明だが、9月17日、彼は突然クーデター派のチリ軍部に逮捕され、首都サンチアゴの国立競技場に拉致された。クーデター後、競技場は臨時の刑務所として使用されていたのだ。彼はそこで拷問を受け、処刑されたと伝えられる。アメリカ人なのに彼が反クーデターの犯罪者として処刑されるには、CIAの隠れた同意があったはずだというのが、この映画の主張である。彼の死体を競技場の壁に埋めたと主張するチリ当局に対して、ホーマンの家族は死体引渡しを求めた。実際に死体が米国の妻のもとに届けられたのは6ヶ月後で、その時は死体の腐敗が激しく、本人と判断するのが不可能だったいう。ホーマンの妻は後にDNA鑑定を依頼し、その死体がホーマンのものではなかったことを知った。

ホワイトハウスは、社会主義の脅威から南米を守る砦としてピノチェト将軍を支持していたが、1989年の ベルリンの壁の崩壊冷戦が終わった時点で、反人権的独裁国家を支持する理由がもうないと判断し、最終的には米国は1990年にピノチェトの軍政を切り捨てる方向に移った。

チャールズ・ホーマンの誘拐と処刑はニクソンが大統領であった時に起こっている。その後ホワイトハウスは一貫して、CIAのチリクーデター介入を否定してきたが、クリントン政権は隠された秘密公文書を調査し、1999年に初めてCIAがチリのクーデタに参与していたことを認め、証拠文書を公開した。チャールズ・ホーマンの死についてもクリントン下の政府関係者は「非常に残念なことだ」と述べ、駐チリアメリカ大使館がクーデター後の大混乱の中、アメリカ市民を守ろうと全力を尽くしたのは事実だが、ホーマンに関してはその必死の努力が及ばなかった可能性があることを示唆している。

チャールズ・ホーマンの未亡人、ジョイス・ホーマンは2001年にチリの法廷にアウグスト・ピノチェトに対して夫の殺人の罪で訴訟を起こした。その裁判の調査過程で、チャールズ・ホーマンはチリの民主制を追及し、軍部の反対派に暗殺された進歩派軍人レネ・シュナイダーの生涯を調査していたことがわかり、レネ・シュナイダーを暗殺したアウグスト・ピノチェト派にそれを嫌われ殺害された可能性が示唆された。2011年にチリ政府は退役海軍軍人レイ・デイビスをチャールズ・ホーマンに対する殺人罪の判決を下した。

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[映画]  マリリン 7日間の恋 My Week with Marilyn (2011年)

アメリカでのこの映画の批評は一般的に「マリリン・モンローを演じるミッシェル・ウィリアムズは素晴らしいが、映画自体は大したことがない。」というものであったが、その批評にもめげず観てみてびっくり。なかなか素敵で面白い映画であり、観た後もいろいろ楽しい会話ができる映画だった。

イギリスの監督サイモン・カーティスはマリリン・モンローに関する映画を作りたく、プロデューサーのデイビッド・パーフィットに話を持ちかけたが彼の反応は「マリリン・モンローについては世界中の人が知っている。今更、何か新しいものが出てくるのか?」とういうものだった。サイモンはドキュメンタリ映画作家の故コーリン・クラークの回想録が、マリリンがローレンス・オリビエと英国で共演した時のことを短く綴っているのに着眼し、デイビッド・パーフィットもそのユニークな視点が気に入リ、エイドリアン・ホッジが脚本を担当した。しかし、そんな地味な映画に製作費を出してくれる会社がなかなか見つからず、彼らはハリウッドの大物ハービー・ワインスタインに財政の交渉に行った。ハービーはコーリン・クラークの原作を読んだことがあるが、それは全く地味な本でまさかこれが映画化の対象になるとは思っていなかったが、エイドリアン・ホッジの脚本は案外よくできていると思い、また自分が高く評価しているミッシェル・ウィリアムズにマリリン・モンローを演じさせてみたいと思い、映画制作費を捻出することに同意したという。

この映画が素晴らしいのは、その当時の英国と米国の映画界の対比が適切に描かれていることだろう。一方には、英国王室シェークスピア劇団で徹底的に演技の基礎をたたきこまれたローレンス・オリビエがいる。彼は、1947年にナイト位を授けられ、自身が製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度の米国アカデミー作品賞、主演男優賞を受賞して名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がた。片やマリリン・モンローは1957年に『王子と踊子 』でローレンス・オリビエと共演した時は、セックス・シンボルとして世界一の人気女優になっていた。この映画は古典的なメソッドで叩き上げられたローレンス・オリビエと、専門的な演技の訓練を受けていないが、ツボに嵌ると天才的な演技を見せてしまうマリリン・モンローの対比をうまく描いている。それに付け加えて、ローレンス・オリビエの妻で一時代前のスーパースターだったヴィヴィアン・リーの内面の葛藤もあり興味深い。ヴィヴィアン・リーは『王子と踊子 』の舞台版では踊り子を演じていたが、映画で同じ役を演じるには年を取りすぎていると夫のローレンス・オリビエに言われてしまい、またマリリン・モンローの余りにも素晴らしい映画版での演技に、思わず感嘆し同時に嫉妬するという、何となく悲しい女優の業も描かれている。ローレンス・オリビエですら、演技力では表現しえないマリリンのオーラに感嘆し嫉妬してしまうくらいなのだ。余談になるが、製作者はローレンス・オリビエにはレイフ・ファイン(『ナイロビの蜂』『イングリッシュ・ペイシャント』)、ヴィヴィアン・リーには、キャサリン・ゼータ・ジョーンズを希望していたという。キャサリン・ゼータ・ジョーンズには中年のヴィヴィアン・リーを是非演じてもらいたかった。彼女はその時夫のマイケル・ダグラスが癌の闘病中で、仕事ができる状態ではなかったのでそのオファーを断った。代役のジュリア・オーモンドは往年の大女優のヴィヴィアンのオーラが全く出せていなかったのが残念。

ミシェル・ウィリアムズが描くマリリン・モンローがまた素晴らしい。歌い方とか動き方とか、彼女の雰囲気をよく出しているが、もっと素晴らしいのはマリリン・モンローが世間が思い勝ちな白痴美ではなく、意外と頭がよく自分のイメージを壊さないように結構そこはプロフェッショナルに徹しているところをうまく描いていることだ。やはり、ハリウッドでトップを張って行くのは大変なことだが、それを頑張って維持していこうという野心も感じさせるし、それだからこそ精神的にも大変で薬に頼ってしまうのもわかるし、名声で寄って来る男ではなく本当に自分を愛してくれる人を捜す気持ちもよくわかる。しかし、そんなあれやこれやがあっても、自分が築き上げてきたスターダムを捨てて普通の生活にはもう戻ることもできないジレンマもうまく表現されている。

ミシェル・ウィリアムズは文句なく美しく、現実にマリリンを演じる女性としては、彼女以外は考えられないような気すらする。しかし、やはり物足りない。ミシェル・ウィリアムズを見ていると、マリリン・モンローの方がもっと綺麗だったよ、もっとセクシーだったよ、もっと可愛かったよ、もっと悲しかったよ、と誰もが思うのではないだろうか。ミシェル・ウィリアムズを通じて、聴衆は図らずしも、マリリン・モンローがどんなに超越した存在だったかということを思い知らされる。ミシェル・ウィリアムズはそう思ってマリリンを熱演したのではないだろうが、図らずも彼女の好演はマリリン・モンローが誰にも真似ができない別世界の存在だということを、知らせてしまったのではないだろうか。

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[映画]  J・エドガー J. Edgar (2011年)

『J・エドガー』は、FBI(アメリカ連邦捜査局)の初代長官としてカルビン・クーリッジからリチャード・ニクソンまでの8人の大統領に仕えたジョン・エドガー・フーバー(J・エドガー)の半生を描いたバイオ・ピック(伝記映画)である。映画の評判は今一つ芳しくなかったが、それよりもエドガーを演じたレオナルド・ディカプリオがアカデミー賞にノミネートされなかったことが話題になった。

アカデミー賞は、各映画会社が、アカデミー賞を取れそうなテーマを選びそれにそって監督・脚本・キャスト・スタッフを厳選して作品を仕上げ、娯楽大作が重なる夏休み、サンクスギビング、クリスマスを除いた時期を選んで公開され、計画的にベネチア、カンヌ、ベルリン、トロントなどの映画際に出品され、ほぼ映画会社が敷いたラインに乗って、受賞に向けて計画通りにすべてが進むようになっている。票を投じるのは同業者の俳優や製作者といったアカデミーの会員であり、基本的には映画会社が強力にプッシュしてくるアカデミー賞受賞予定作の中から同業者の投票によって選ばれる。よって、アカデミー賞を受賞するためには、映画会社の協力な後押しがあり尚且つ同業者にそれなりに尊敬されていることが鍵になる。

この映画は巨匠クリント・イーストウッドが監督し、『ミルク』でアカデミー賞を獲得したダスティン・ランス・ブラックが脚本を担当し、何よりもバイオ・ピックであるということで、「レオナルドは今度こそアカデミー賞を取るだろう」という前評判も高かったのである。

実在の人物を演じるとアカデミー賞を獲得する確率が高いというのは、ほぼ事実といっていいだろう。最近の受賞者を見ても、主演俳優賞にはメリル・ストリープ(マーガレット・サッチャー)、サンドラ・バロック(リー・アン・トロイ)、マリオン・コティヤール(エディット・ピアフ)、ヘレン・ミレン(エリザベス二世)、リース・ウィザースプーン(ジューン・カーター)、シャーリーズ・セロン(アイリーン・ウォース)、ニコール・キッドマン(バージニア・ウルフ)、ジュリア・ロバーツ(エレン・ブローコビッチ)、コリン・ファース(イギリス王ジョージ6世)、ショーン・ペン(ハービー・ミルク)、フォレスト・ウィテカー(イディ・アミン)、フィリップ・シーモア・ホフマン(トルーマン・カポーティ)、ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズ)、助演俳優賞にはクリスチャン・ベール(ディッキー・エクランド)、メリッサ・レオ(アリス・ウォード)、ケイト・ブランシェット(キャサリン・ヘプバーン)などがいる。なぜ実在の人物を演じるとオスカーを受賞する確率が高いかというと、聴衆は実在の人物を知っているから、俳優は単に演技力だけではなく、その人間に似せなくてはいけないし、聴衆やオスカーの投票者の目も厳しくなり、その厳しい審査に合格した俳優には御褒美をあげようという気持ちになるからだろう。

現代を代表する俳優に成長したレオナルド・ディカプリオは、オスカーを貰いたいという気持ちを決して隠さない。インタビューに答えて彼は「オスカーは俳優として一生に一度はもらいたい賞です。オスカーなんて興味がないと言っている人がいるとしたら、その人は嘘をついているとしか思えません。」と述べている。事実彼は『J・エドガー』の企画があると知って、是非出たいと自分から熱望したという。それくらい、彼はこの映画をオスカー受賞のまたしてもない機会と思っていたのだ。彼の演技も高い評価を得た。それなのに、なぜ彼はノミネートされなかったのか。

一言で言えばこの映画の脚本の出来が悪かったということ、そしてそのせいで興行成績が 振るわず、映画会社の方もオスカーの後押しをあきらめたということであろう。

もう一つの理由はレオナルド・ディカプリオの演技力には全く問題がないのだが、彼とJ・エドガーの資質の差である。J・エドガーは権力を守るための悪行が自然と身についた男だ。自分を守るためにはどんなことでもできるし、赤狩りや暗殺の時代を乗り越えた彼は70年代の市民運動の勃発の前に権力の最盛期に死んだ。彼の目は生臭く、まるでそこからメタンガスが湧き出てくるようだ。歴史的には彼は興味深い人間だが、人間的には映画で描く価値があるほどの魅力とか、彼の人生から学ぶ何か美しい潔いものがあるとは思えない。

反対にレオナルド・ディカプリオは非常に純粋な人である。今ハリウッドで一番稼いでいる俳優のくせに、贅沢をしているという話は全く伝わって来ない。パーティーで遊びまくるわけでもなく、自分の財産の一部は自然保護の活動に寄付している。ハリウッドの俳優仲間を引き連れて偉そうにしているわけではなく、自分の親友は、子役時代からずっと友情を保っているトビー・マグワイアとルーカス・ハースという忠誠な男である。有力な映画監督を尊敬し、彼らからも尊敬され、一緒に仕事をしたいと思われている。大スターであるのに女性関係も派手ではない。とにかく、これだけ大物なのに、悪い話が全く伝わって来ない俳優なのである。

逆境の中でひたむきに生き、常にその生涯には悲劇が伴っている役が彼の本領ではないのか。『ギルバート・グレイプ』『タイタニック』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ディパーテッド』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』『ブラッド・ダイヤモド』『シャッター アイランド』など全て悲しいが、聴衆はその中にレオナルド・ディカプリオ演ずる主人公に同感を感じざるを得なくなるのである。レオナルドはJ・エドガーの悪辣さを演じようとするあまりに、段々その目が狂気に満ちてくる。何の努力もなしにワルになれるJ・エドガーと大違いである。残念ながら、二人の間には演技力を超えた人間としての資質の差がありすぎる。

レオナルド・ディカプリオの演技力を疑う者はいない。オスカーを狙いたかったら、自分の資質に近い人物を演ずることを目指すべきだと思う。「レオナルド・ディカプリオはオスカーを狙うにはまだ子供過ぎる。もう少し辛抱しなければ。」と童顔のレオを見ていたオスカーの会員も、実は彼はもう40代であるということに気がついて少々驚いているのではないだろうか。

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[映画] 日はまた昇る  The Sun Also Rises (1957年)

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『日はまた昇る』という邦題は、「人生苦しいけれど、明日は素晴らしい日が待っているよ。」といった復活を期待するという意味に取られがちな日本語訳であるが、実際は第一次世界大戦後の何とも言えない気持ちの空白期に「あ~今日も飲んで、食べて、恋して終わった。何も新しいことはない。こんな自分に関係なく地球は回っていて、明日もまた何事もなく太陽が昇るんだな~」という変わらぬ日常生活に対するやるせなさを表している。

ヘミングウェーは第一次世界大戦で傷ついた肉体と精神をアメリカの田舎生活の中でなかなか理解してもらえず、自分の第二の故郷になったイタリアに移り住もうとするが、友人に「どうせヨーロッパに行くのなら、文化の中心のパリに行け」とアドバイスされ、駐在記者の仕事を見つけてパリに住む。そこには自分と同じように、大戦で何らかの傷を受け、人生を変えられてしまった若者たちがたくさんいた。「日はまた昇る」は、自分の投影である主人公が仲間たちとスペインのパンプローナへ闘牛とお祭を見物に行き、闘牛という競技の美しさに魅了されるという物語である。

正直いってこの映画は、闘牛シーンと牛を町の通りに雄牛を放すシーン以外は、全く映画としての魅力に欠けているのだが、やはり一番の問題は20代の迷える若者たちを演じる俳優たちが皆40代の役者であるということだろう。原作では主人公たちは、若くて、何となく失望していて、何をしたらいいかわからなくて、恋をするのが『フルタイム・ジョブ』(それだけが全て)であるような生活を送っている。それに対してそれを演じる俳優たちは、ハリウッドでも成功し、ポケットにもお金がたくさん詰まっており、撮影がおわったら家族や友達と一緒に楽しく食事でもしようという態度が顔もにありありと出ており、生活や将来に対する不安など何も感じられない。ホルモンに突き動かされて、衝動的に恋をしてしまう自分を止められない若者を演じている俳優に「いい年をして何バカなことやってるの」と言いたくなるような映画なのが残念である。

ヘミングウェーほどアメリカの良さを感じさせる作家はいないだろう。アメリカの原点である「正直さ、実直さ、勤勉さ」を象徴するイリノイ州の生まれ。イリノイ州出身の政治家はアブラハム・リンカーン、ヒラリー・クリントンそしてオバマ大統領であるといえば、イリノイ人の価値観がわかるだろう。ヘミングウェーは美男子で正義感が強く、誰にでもわかる簡潔な英語で気持ちを表現する文体を確立させた。健康な体を持ち、スポーツが好きで、特に狩猟、釣り、ボクシングを好んだ。健康な男だが、繊細な気持ちや頽廃感も理解する幅広い人間性を持っていた。

彼の人生観を決めてしまったのは第一次世界大戦の経験である。アメリカのある世代にとってベトナム戦争がそうであったように、彼のすべての問題意識は第一次世界大戦に始まり、第一次世界大戦に終わる。その後の第二次世界大戦も彼にとっては第一次世界大戦ほどのインパクトを持たない。彼が一番戦争というものを理解でき、それに影響を受ける10代後半に起こった戦争が第一次世界大戦だったからだ。アメリカにとっても、ヘミングウェーは1950年代以前の『古き良きアメリカ』を象徴する作家でもあった。

アメリカの映画を見ていると、1950年代以前と1970年以降では映画が全く違っているのに気づく。1950年以前の映画は『絵空事の学芸会』のようで、現代的なテーマとの共通性はない。しかし1970年代に作られた映画、たとえばゴッド・ファーザーとかディア・ハンターのような映画は今見ても、現代に繋がる何かがあり、そのテーマが古くなっていないことに驚かされる。その1950年と1970年の間に横たわる1960年代は、ケネディ大統領とキング牧師の暗殺、ベトナム戦争の悪化、ウオーター・ゲート事件があった。その後で、もはやアメリカは同じではなかったのだ。ヘミングウェーは1961年に自殺しているが、それは『古き良きアメリカ』の終焉を象徴しているように思われる。たとえ彼が生き続けたとしても、第一次世界大戦を知っているヘミングウェーがベトナム戦争によって深い影響を受けたとは思えない。

ヘミングウェーがこよなく愛した闘牛はスペインの国技であったが、牛を殺すということに対する動物愛護の反対派の影響もあり闘牛の人気は落ち始めた。1991年にカナリア諸島で初の「闘牛禁止法」が成立し、2010年7月には反マドリッドの気が高いカタルーニャ州で初の闘牛禁止法が成立、2011年にはカタルーニャ最後の闘牛興行を終えている。スペインの国民の75%は闘牛には興味がないと答えており、いまやスペイン人はサッカーに熱狂する。かつては、田舎をライオンや象を連れてまわり、動物を実際に見たことのない人々を喜ばせていたサーカスも、動物の愛護運動の反対で斜陽化し、2011年には英国最後となるサーカス象が正式に引退を迎え、新しい住処となるアフリカのサファリパークに移送されたということがニュースになった。スペインの国王ファン・カルロス一世は2012年、非公式で訪れていたボツワナで、ライオン狩りをしていたことが大きく報道され、国王自身が世界自然保護基金の名誉総裁の職にあったにも関わらず、動物のハンティングを行ったことについて世界的な批判を受けることとなり、その基金の名誉総裁を解任されるに至った。現在最も人気のあるスポーツはサッカーとか、バスケットボールとか、テニスとか、陸上競技であり、ボクシングや狩猟を趣味とする人間は減っているだろう。日はまた毎日同じように昇っているのだが、やはり時代は変わっているのである。

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[映画]   ムッソリーニとお茶を Tea with Mussolini (1999年)

『ムッソリーニとお茶を』は1935年から1945年にかけてイタリアのフロレンスで暮らした英国人及びアメリカ人婦人と、彼らと深く関わり合う一人のイタリア人の少年・青年ルカの生活を描いたコメディータッチの映画である。ムッソリーニ率いるファシストの台頭、英米のイタリアへの宣戦布告後の英米人の強制収用所での生活、ユダヤ人狩、パルチザンの動きなどが中心なのだが、銃声も殺人もほとんどなく、最初から最後まで映画は上品なお茶とビスケットの香りを失わないという不思議な映画である。実はこの映画の脚本、監督を担当したゼッフィレッリは、自分の経験をルカに投影させているというのだから、案外映画の内容は正確なのかもしれない。ゼッフィレッリは戦争当時反ファシズムのパルチザンとして反戦活動をしていたという。

第二次世界大戦の前夜、フィレンツェのコロニー(外国人居留区)に、元駐伊外交官未亡人のレディ・ヘスターをリーダーとする英国婦人たちのグループがあった。アメリカ人の歌手エルサもそのグループと親しいが、誇り高い昔気質のヘスターはアメリカのエルサを成金として嫌っていた。グループの一員のメアリはイタリア人のビジネスマンの秘書であったが、その上司は非嫡子のルカを英国紳士に育てあげようと希望し、メアリにルカの教育を依頼する。一方エルサは、自分が亡くなったルカの母と友人だったので、ルカの教育を援助する基金を立ちあげる。しかしイタリアが英国との友好関係を断絶しドイツに接近したので、ルカは方針を変えた父の意向で、ドイツ語を学ぶためにオーストリアの学校に送られてしまう。ヘスターはファシストの台頭を心配し、フロレンスの英国人社会を守るために、自分が面識のあるムッソリーニに会いに行き、アフタヌーン・ティーをふるまうムッソリーニに「イギリス人は何が起こっても守ってあげる」と言われて安心して帰って来る。しかしイタリアが英国に宣戦布告した後、イギリス人の女性たちは強制収用所に収容されてしまう。

エルサは大金を積み、ヘスターたちを収容所から高級ホテルに移し、彼らの住まいを確保してあげる。また彼女は、イタリア国内のユダヤ人に偽パスポートを提供し、彼らの海外逃亡を助ける。そのエルサの使命を手足となって助けているのは、美しい青年へ成長し、オーストリアから帰国したルカだった。やがて真珠湾奇襲により、ようやくアメリカが参戦し、イタリアとアメリカは敵国になり、実はユダヤ人であったエルサの身に危険が迫る。ルカはパルチザンにエルサの逃亡を依頼し、今や自分を守ってくれているのはイタリア人のムッソリーニではなく、アメリカ人のエルサであることを知ったレディ・ヘスターも、エルサの逃亡に一役買う。ルカはレディ・ヘスターの孫が加わったパルチザンに自分も加わり、また後にスコットランド兵に率いられる連合軍に合流し、ナチに占領されているイタリア解放のために戦う。映画はヘスターたちが暮らしているイタリアの町からドイツ軍があたふたと引き上げ、ルカたちのスコットランド軍がその町に到着し、町民の熱狂的な歓迎を受けるところで終わる。

この映画は歴史に残る名作というよりも、良い味わいの小品という感じだが、それでも実際のその時期を暮らした人間の映画だからこそわかる細かな点が幾つかあった。

一つは第一次世界大戦後から1930年代の初めまでは英伊関係が良好であったことである。従ってイタリア人にとって、英語が堪能だということは、大きなプラスだったのだ。またイギリス人の間では、ムッソリーニはある時点までは好意的に見られていたようだ。またイギリス人も戦争は主にイタリア・ドイツ対ドイツ周辺の国々という小規模で終わる戦争で、イギリス政府は上手に戦争を回避してくれると信じていたようだ。ある時点までは、戦争はある意味では他人事だったのだ。しかし、いったんイギリスが参戦せざるを得なくなった時点で、アメリカの存在がいっぺんに大きなものになってくる。今までイギリス人にとってアメリカは海の向こうのいい意味でも悪い意味でも遠い国だったのが、今や救世主のような立場になってくる。アメリカの参戦はヘスターたちに感謝をもって受け止められる。

また英国内でのイングランドとスコットランドの敵対関係も面白く描かれている。連合国参加を目指して戦場をさすらうルカが、連合国軍らしい軍団を見つけた時大声で訪ねる。「アメリカ軍か?」「NO!」「イングランド軍か?」「まさか!!俺たちはあんな残酷な奴らではない!!!」唖然とするルカに兵隊たちは大笑いする。「俺たちはスコットランド人だ!安心しろ!」そしてほっとしたルカを彼らは大笑いして迎えるのである。

ルカが参加したスコットランド軍の使命は、ヘスターを含む英国人捕虜を釈放して安全な場所に輸送することであった。町でヘスターに会ったスコットランド兵は「皆さんの身の安全のため、すぐさま荷物をまとめ、安全地帯に移ることを命令します。」と述べるが、ヘスターは「スコットランド人が(イングランド人の貴族である)私に命令をするのは、許しません!!」と怒るが、ルカとスコットランド兵が「しょうがないね。」といった感じで微笑を交わすところでこの映画は幕を閉じる。

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[映画]  インビクタス/負けざる者たち Invictus (2009年)

南アフリカ共和国は、長年続いたアパルトヘイトを1994年に廃止し、全人種による総選挙でネルソン・マンデラが大統領に選ばれた。それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達はそれを見越して荷物をまとめ始めていた。それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるのは自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。」と呼びかけた。彼は二言目には「報復」を口にする黒人たちのスタッフを諌め、新国家はすべての人種の協力無しには築けないと説いた。ボディーガードチームも黒人と白人の混成チームとなった。

マンデラは、スポーツが人々の心を繋ぐ最大の方法であることに目をつけ、1995年に南アフリカ共和国で行われるラグビーワールドカップを国民の心の団結の手段に使おうとする。南アフリカ代表のラグビーチーム スプリングボクスは当時低迷期にあったが、そのスプリングボクスは、ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。強豪ニュージーランドを破った瞬間、人種を問わずすべての南アフリカ共和国聴衆が抱き合うシーンでこの映画は終わる。

私はマンデラ大統領に関しては殆ど知識がなかったが、この映画を見て、彼はなんと素晴らしい政治家だろうと感服した。彼の政治的決断は非常に現実的で、報復の禁止もスポーツの活用も、それが一番政治的に効果があるとわかっているから、それを実行するのに何も迷いがないのだ。しかし、ただ政治力に長けた政治家にすぎないのかといえば、理想主義と人道主義に裏打ちされた強さももっている。まさに政治の名コーチであり、もし全ての国がマンデラのような指導者をもてば、この世はもっと平和な場所になるのではと思わせる。

スポーツと愛国心の繋がりはオリンピックを見ればわかるだろう。金権オリンピックとか、ドラッグの使用、勝つためには何でもする、などと批判されても、もしオリンピックがなければ、人間がどれだけの可能性を持っているのか、国を代表して戦うというのがどういうものかというのがわからなくなるだろう。少なくとも、ジャマイカやグラナダという国に興味を持つ人間はもっと少数になってしまうのではないかと思わせる。マンデラが球技を国民の団結に使用したというのも素晴らしい。フィギュアスケートや体操に比べて、球技はどちらが勝ったのかが客観的に明確になる。しかし水泳や陸上のような個人が英雄になる競技と比べて、チームメンバー全員が英雄になるのである。勝つためには、すぐれたチームワークがなければいけない。

ネルソン・マンデラが、自分の自伝が映画化されるのなら、自分を演じるのはモーガン・フリーマンだと公式に述べて以来、二人は親交を深めていた。そのモーガン・フリーマンがこの映画の主役に決まった時、過去3作の映画を共に作り自分が尊敬していたクリント・イーストウッドに脚本を送り、監督を依頼したという。この映画はチームワークの賜物なのだろう。映画作成に参加した人々が皆その経験を楽しんだに違いない、そう思わせるような映画であった。

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[映画] 誰がために鐘は鳴る For Whom The Bell Tolls (1943年)

「行動する知性」として地球上どこでも、匂いを嗅ぎ付けて何かありそうな場所に本能的に引き付けられてしまい、そこに実際に行ってしまうヘミングウェイ。彼はNorth  America Newspaper Alliance の特派員としてフランスに派遣された。「誰がために鐘は鳴る」はヘミングウェイが1940年に出版した 隣国のフランコ政権下で市民戦争が起こっている1930年代のスペイン内戦(フランコたち軍部が率いるファシスト軍とそれに対抗するゲリラたちの抗争)を、反ファシストを支援するアメリカ人の架空の人物を通じて描いた小説である。この映画はその小説の1943年の映画化である。ヘミングウェイの親友で、彼に俳優としても信頼されていたゲイリー・クーパーが 『武器よさらば』(1932年)に次いで主演しており、主人公の恋人マリアを演じるのはイングリッド・バーグマンである。

スペインでは1931年に王制が倒され、憲法に基づく共和制が始まったがその後も政権が安定せず、1932年の軍部クーデターがきっかけに混乱状態に突入した。実際の公式のスペイン内戦は1936年から1939年までであるがこの映画は1937年を描いている。これは単なる内戦ではなく共和派には、ソビエト連邦、メキシコ、各国からの義勇軍が加担し、フランコ将軍等が率いるファシスト党には日本、ドイツ、イタリア、ポルトガルが支援をした。その勢力は全く伯仲し、紛争の中で50万人以上が殺されたとい言われている。この映画はマドリッドに近いセゴビアの山間にこもる共和派のパルチザン・ゲリラたちと、ソビエト連邦の指揮官の指示のもとに彼らを支援するアメリカ人のスペイン語の大学教師にして爆破スペシャリストでもある主人公との繋がりを描いている。かつてはヘミングウェイが支持していたイタリア軍の爆撃機が、アメリカ人の主人公が潜んでいる山にも攻撃をしかけてきて、20年間という時代の変遷を感じさせる。

映画に話を戻すと当時のマリア役には当時のトップ女優がこぞって興味を示したが、実際に選ばれたのは演技に無縁のバレーリーナであった。撮影が始めると監督は彼女の演技力に不満を抱く。彼女はその役をクビになる前に自分からマリア役を降りてしまい、急遽行われたオーディションで、ヘミングウェイが希望したイングリッド・バーグマンが選ばれ、マリアに関するシーンの撮り直しが行われたという。その状況に関してイングリッド・バーグマンは次のように語っている。

「あのバレーリーナがマリア役を自主的に降りたのは、マリア役は洞窟のある絶壁を上り下りする過酷な役で、彼女は自分の足がこの撮影によって傷ついてしまうのを恐れたからです。そう、バレリーナにとっては足が一番大切なもので、それは女優にとって顔が一番大切なのと全く同じではないかしら。」

彼女の何気ない一言は当時ハリウッドで一番大切なものは「美貌」であったということをいみじくも語っている。道理で、1950年代よりも前のハリウッド映画は美男美女の学芸会だったわけだ。

今日でももちろん、ジュリア・ロバーツやブラッド・ピットやトム・ハンクスのように「出てさえいただければ無条件にン(!)億円の出演料」という「顔」で選ばれる俳優もいないことはないのだが、やはり現代での俳優の選択の基準は「どれだけ、リアルにその役柄を演じられるか」になっているのではあるまいか。そういう意味では最も大切なのは、俳優の、その役柄の時代性と年齢と人間性と多彩な人種を現実的に表現できるバックグランドと演技力である。また映画製作はチームとしてのプロジェクトであるから、皆に好かれるチームプレーヤーでなくてはいけないし、健康で時間を守り、他の人の時間を無駄にしないプロフェッショナリズムを持っていないといけない。『時は金なり』で時間を無駄にしてはいられないのである。

イングリッド・バーグマンの同世代の女優としては、ビビアン・リー、オリビア・デ・ハビランド、ジョアン・フォンテーン、ジェニファー・ジョーズ、ロレッタ・ヤングなどがおり、彼らはハリウッドの花のグレース・ケリー、オードリー・ヘップバーン、マリリン・モンロー、エリザベス・テーラーなどの一世代前の女優たちである。同世代の女優たちが早世したり女優としての活動が短期間であるのに対し、イングリッド・バーグマンは死ぬ直前の1980年代まで女優としての活動を続け大女優としての名声を保ったまま世を去った。ただ美しいだけの女優ではなかったのだろう。

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[映画] 武器よさらば A Farewell to Arms (1957年) 

ヘミングウェーイが、第一次世界大戦の1917年に赤十字のボランティアとして、イタリアに赴いた若き日の自分の経験を基にして1929年に出版した小説を、ハリウッドが2度映画化している。最初は1932年にゲイリー・クーパー主演で、そして戦後のハリウッドの隆盛の中での華々しいリメークは1957年ロック・ハドソンが主役を演じている。

イタリアは第二次世界大戦ではドイツと組んだが、第一次世界大戦では連合国側の一員としてフランス、英国、ロシア、米国と組んで、オーストリア、ドイツ、トルコの枢機国側と戦った。ヘミングウェーイを投影する主人公ヘンリーはイタリア軍の負傷者を戦場から病院へ運搬する救急車の運転手を務めるアメリカ軍兵士である。ドイツとオーストリア軍は軍事的には優位でありイタリアは常に枢機国軍からの脅威にさらされるが、それは「ドイツがひたすら軍備増強をはかっていた間にイタリアは民主主義の建設に専心していたから」であり、共和制と民主主義を誇りを持って守ろうとするイタリア人をヘミングウェーイは、この『武器よさらば』の中で好意的に描いている。しかし時間の経過と共に、第二次世界大戦前夜にドイツと組んでファシスト国家への道を走り続けたイタリア。イタリアをずっと見守っていたヘミングウェーイに取って、「あのイタリアはどこへ行ってしまったのだろう?」という思いが後に湧いてきたのではないか?ムッソリーニが大変人気があった第一次世界大戦後でも、ヘミングウェーイはムッソリーニを警戒していたという。イタリア警察軍が、スパイ容疑をかけられた同胞のイタリア人を緊急尋問し、弁護も許さず次々と容疑者を射殺していく。主人公は命からがらそこから脱出し脱走兵になるのだが、その尋問のシーンはイタリアが後どのような道を辿って第二次世界大戦に突入したかを象徴している。

1957年のリメークの映画に話を戻そう。ロック・ハドソンはなんとなくロンドン・オリンピックの金メダル水泳選手のライアン・ロクテに似ていて「プリティー・フェイス」という感じだが、ヘミングウェーイの知性とか荒削りのたくましさは出せていない。負傷した彼を看護して恋に落ちる看護婦を演じるジェニファー・ジョーンズはエリザベス・テーラーとオードリー・ヘップバーンを足して2で割って間延びをさせたような顔つきだが、エリザベス・テーラーのような鋭い目の力もないし、オードリー・ヘップバーンのような可憐な初々しさもない。ジェニファー・ジョーンズはこのキャラクターを演じるのに、よく言えば色っぽすぎるというか、正直いって清潔感がない。またオンスクリーンでは「狂ったように恋をする」はずの二人だが全く二人の間にはスクリーンでのスパークがないので、二人の戦場での恋にもドキドキという感動は湧いてこない。

傷病兵が山積みになるはずの病院の大部屋には、いつまでたっても主人公ひとりががらんとした大部屋に横たわっているだけで、「他の傷病兵はどうしたの?」と聞きたくなるし、たくさんの病人の世話で忙しいはずの看護婦も一日中イタリアの町を駆け回って主人公が好きなアメリカ食を探し回るというていたらく。主人公は誰も邪魔しない専用(に見える!!!)病室でひたすら「♪ふ~たり~のために~、せ~かいはあるの~♪」というが如く愛を育て、それに気づいた婦長に「そんなことができるくらい元気なら戦場に戻りなさい!!!」と命令される始末である。この婦長は二人の愛を妨げる超悪役なはずなのだが、彼女がまともな人間に見えるほど、二人はだらしない。戦争がどうなっているかは全くお構いなく、世界が都合よく自分の周りを回っているという感じで映画は終わってしまう。

ヘミングウェーイは自分の映画がハリウッドで映画化されるたびに、自分の小説の中の政治的なテーマは骨抜きにされ、単なる恋愛物語にされてしまうことに失望していたと伝えられているが、彼の怒りは全くもっともだと思わされるような映画であった。ハリウッドの聴衆者たちも馬鹿ではない。驚くほどの予算をかけて現地のロケもいれて作成した豪華絢爛なリメークであるが、興行的には失敗で、多数のアカデミー賞部門にノミネートされた1932年の映画に比べて評価も全く低かったという。この映画は当時大女優だったジェニファー・ジョーンズが恋人のチャールズ・ヴィダー監督に「あ~たしも、武器よさらば、やってみたい。」とお願いして自分主演で作らせた映画だそうだ。ヘミングウェーイがこの映画を見たかどうか、見てもどう思ったのかわからないが、何となく彼が気の毒になるような映画であった。

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